#4「オタクの性質」
「ヨンデーーー!!!」
私は大声で叫びながらヨンデ目掛けて一目散に走り出していた。
その声に振り返るヨンデ。
自分に向かって走ってきている見ず知らずの女性のあまりの勢いに驚いたのか、ヨンデも走り出してしまう。
「ヨンデーー!待ってぇぇーー!」
と叫びながら追いかけるも、流石に男性の足に敵う筈もなくどんどん離されていく。
それなのに私はどんどん笑顔になっていく。
何これ、何これ!ヨンデとまるで鬼ごっこしているみたいじゃん!
満面の笑みで走り続ける私。
夢だからか全く息切れもしない。
気が付くとヨンデはずっと先を走っており、もはや豆粒。
ヨンデってこんなに足速かったのね。全然知らなかった!こんなに好きなのにまだ知らない事あったなんて!
ヨンデの新たな一面を発見できた事が途轍もなく嬉しかった。
◇
ジリジリジリジリーンとけたたましく鳴る目覚まし時計の音で私は目を覚ました。
目覚ましを止め、ムクリと体を持ち上げ、ベッドの上でヨンデとの夢を思い返しては噛み締める。
何度も何度も噛み締める。何度噛み締めても味が薄まらない。もはや永遠に味のするガムのようだ。
自分でも分かるくらいの超絶笑顔になっている。
いまだかつてない程に、興奮している。
「本当にヨンデが夢に出てきてくれた…」
しかも夢の中ではっきりと夢だと認識できていた。これはとんでもない物を貰ってしまったのかもしれない。
もう表情筋がバグってるんじゃないかと思うほどニヤニヤが止まらない。
「他の人には絶対言わないでよ」と言われた意味が、直に体験した事でもの凄く分かったような気がした。
一度体験したらもう一度やりたくなる。これは間違いなく劇薬だ。
『東京テレスコープ』のグループDMで既読スルーしていたせんときょんこに返信しながら通勤ラッシュの埼京線に揺られている。
〈既読スルーしてごめん!もう復活したから大丈夫!〉
と書いて、すぐさまヨンデの動画を開き私はまたもやニヤニヤし始める。
今日また『Dreamers』を貰いに行こう。いやなんなら箱買いしよう。
私はもはや『Dreamers』ジャンキーへと片足を突っ込んでしまったようだった。
ヨンデの事を思いながら、会社でテキパキと仕事をこなす。
推しがいるってなんて人生が豊かなんだろう。
という事をここ2、3日のジェットコースターのような日々を経験して尚更実感させられている。
お昼になり、近くの公園でご飯を食べながらヨンデの動画を見る。勿論ニヤニヤは止まらない。
そして午後もテキパキと仕事をこなし、時計の針が19時を指したと同時に、
「お先に失礼します」
と言って帰っていく私。
その様子を見て会社の人たちが驚いている。
私はなんでこんな簡単な事が今までできなかったんだろう。やってみたらなんて事なかった。
なんだか昨日までの自分とは明らかに違う自分になっている気がする。
自分の人生なんだから自分の納得する人生送りたいじゃん?
誰かに遠慮して後悔する自分にはなりたくない。
自分が納得いくまでヨンデのために時間を使いたい。
これまでもそうしてきたつもりだったけど、そんな事全然無かった。
会社で先輩に怒られ、これ以上先輩に怒られないために残業をしていた。
でもそれって一体誰のためになってたんだろうか。
今となっては昨日までの自分をぶん殴りたい。そんな気分。
夜の新大久保駅の改札から出て、人混みを縫って歩いていく。
『Dreamers』の事を考えるとアドレナリンが大量に分泌される。
昨晩の夢のことを考えるだけで脳汁が止まらない。
アドレナリンと脳汁を垂れ流しながら、KPOPカフェ『みっくすじゅーす』に到着し店内へと入っていく。
レジに立つ店長とすぐに目が合った私は、
「アレ、凄かったです!」
と興奮気味に、でも他の人には聞こえないぐらいの声量で話しかける。
すると店長も興奮気味に、
「ね?言った通りだったでしょ?」
とキラキラした目で答える。
「はい!マジでヤバいっすよ。あれ、なんなんですか」
という私の問いかけに突然照れ臭そうにする店長。
「あれ、実は私が作ったの」
「え?」
まさかの答えに私は少し困惑した。
「私、薬剤師の免許持ってるでしょ?」
「え?あぁ、はい…」
つい「はい」と言ってしまったものの初耳だった。
「それで、私どうしてもチャンソンと二人きりで話がしたい欲が高まり過ぎちゃって」
嬉々として話し出す店長。
長らく店を訪れていなかった為に失念していたのだが、店長はゴリゴリのKPOPオタクで且つ、ゴリゴリのリアコだったという事を思い出した。
店長は元BWBBというグループのチャンソンという人のゴリオタで、ヨントン(オンラインビデオ通話会)は勿論の事、韓国での対面サイン会にも7割方参加していて、本人からも認知されているというトップオブトップのオタクなのである。
「という訳で、完成までに3年もかかったんだよね」
「あぁ、それは大変なご苦労だったんですね」
そして、私は全然話を聞いていなかった。
店長はずっと『Dreamers』の説明をしていたみたいだったのだが、店長手作り謎ドリンクの衝撃が強すぎて説明が全然頭に入ってこなかった。
でも、ちゃんと凄いという事だけは理解した。
私は早速、今日の本題である話を持ちかける。
「それで、『Dreamers』を売って頂けないかと思ってきたんですが…」
すると、さっきまでニコニコ話していた店長の顔が急に曇り出す。
「あれは売り物じゃないし、飲み過ぎると体にもよくないし…」
あぁ、なるほど。昨日渡すのを渋っていたのはこういう事だったのか。
売り物じゃないとはいえ、届出無しに勝手に薬を作ったもんだから急に怖気付いてたってたって訳か。
簡単に引き下がる訳にいかない私は、恥も外聞も無く粘りに粘った。
正にジャンキーのそれである。
だが、逆脅しをしてくる店長にはもう脅しは通用しない。
必死に懇願する以外には方法が無い。
「ホントに、ホントに。もうアレが無いと眠れません。店長が私に教えたんだから責任取ってくださいよ」
「そんなこと言われても…。そんなに数ないし」
「私、ホントに店長には感謝してるんです。KPOPの事を何も知らなかった私に何から何まで一から教えてくれて。覚えてます?初めて喋った時のこと」
私は3年前の店長との出会いを思い出させようと、滔々と語り出す。
3年前のKPOPカフェ『みっくすじゅーす』店内で、今よりフレッシュな大学生の私は店長から教えを乞うていた。
「ヨンデがリーダーのイェジュンの事をヒョンって呼んでたんですけど、ヒョンって何ですか?イェジュンの名前のどこにもヒョンなんて入ってないんですけど」
「ヒョンていうのは、兄さんって意味なの。日本でも関西の芸人さんが先輩の事を兄さんとか姉さんとかって呼ぶでしょ?ああゆう関西のノリに近いわね」
「なるほど、そういう事なんですね。勉強になります」
私は律儀にメモを取っている。
「あなた本当に何も知らないのね」
「スタゲに出会って初めてKPOP聴き始めたもので…」
「そっか。じゃあ、韓国では月曜を除いて火曜日から日曜日まで毎日歌番組放送してるっていうのも知らない?」
「え?毎日ですか?」
「そう。それで、毎日歌番組ごとに1位が発表されて、ファンは推しグルを1位にするためにCD買って、ミュージックビデオ回して、投票してっていうのをカムバックの度にやってるの」
知らない事だらけで目から鱗だった。
「あの…ところで、カムバック…とは?」
「あなたカムバックも知らずにKPOPグループ追いかけてるの?正気?」
「あっ、なんかすいません」
「KPOPにおいてのカムバックは新曲をリリースして活動を再開することを指すのよ。そんぐらいググったらすぐ出てくるでしょうが」
「あっ、はい…。すいません」
初対面なのに、めちゃくちゃ怒られてしまった。
「知らないにも程があるわよ。ところで、あなたスタゲのCDは何枚買ったの?」
「え?何枚って、1枚ですけど」
「各形態1枚ずつってこと?」
「いえ、正真正銘1枚です」
「は?スタゲのCDってたしか3形態出てた筈だけど、どれ買ったの?」
「え?3形態?収録曲が違うんですか?」
「同じCDなんだから収録曲は一緒に決まってるでしょ。何言ってんだか」
呆れ気味の店長。
「はぁ…。じゃ何が違うんでしょうか?」
「コンセプトよ!CDに写真集みたいの入ってたでしょ?」
「はい、入ってました。CD買っただけでこんなに立派な写真集が入ってるなんて知りませんでした」
「でしょ?で、私さっき言ったわよね?3形態出てるって」
「はい」
「その3形態、形態ごとに全部違う写真集が入っているの」
「えっ、そうなんですか?」
「あと、トレカも入ってたでしょ?」
「はい。…え?もしかして…」
「そう、トレカの種類も形態ごとに違うのが入ってるの」
「マジですか…!」
「全部のコンセプトの写真見たいわよね?全部のコンセプトのトレカ欲しいわよね?」
私はこの時ごくりと唾を飲み込み、自分が沼に足を踏み入れたのを感じた。
「店長…」
店長はゆっくり頷いた。
「私、今すぐ買いに行ってきます!」
「行ってらっしゃい!」
私はダッシュで店を出ていき、店のガラス越しに店長を見ると誇らしげに私を見送っていたのだった。
この思い出語りによって店長は懐かしさに浸っている。
「懐かしいわね。そこから考えたらあなたも立派なKPOPオタクに成長したわよね」
「はい。おかげさまで」
店長は大きく息を吐き、
「もう、しょうがないわね。そんなん言われたら断れないないじゃない」
と私の求めていた答えを、作戦通り引き出せた。
「ありがとうございます!」
「でも1日に1本ずつね。それ以上は無理よ」
ホントは箱買いしたかったが、今はこれで手打ちにしよう。
何事も望み過ぎは良くない。とりあえずの成果を得た事に一定の満足感を得た。
「でもこれ売り物じゃないから、毎日この店に来てワンドリンク注文して、夢の内容を教えて。それが『Dreamers』をあげる条件」
「はい。わかりました!本当にありがとうございます!」
『Dreamers』を手に入れた私は、ウキウキで店から飛び出す。
「これで今日もヨンデに会える!」
私はスキップで新大久保の街を闊歩した。
「待っててね、ヨンデ」
【ヨンデの脱退まであと17日】