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暗証番号

作者: 雉白書屋

 ――またか……。


 その黒い金庫を前に、彼は大きく息を吐いた。気苦労半分、気合入れ半分といったところ。尤も、実際は寝息となったかもしれない。彼が今いるのは夢の中で、彼が勤める会社の社長室。そう、彼は毎晩のように金庫の夢を見ているのだ。

 その理由も時期も、大よそだがわかっている。


 ――社長だ。社長が……。


 社長が「新しい金庫だぞぉ!」と社員に自慢したあの日からだ。

 彼が勤める会社は、そう大きくなくその社長室も然り。だが金庫は確かに、社長がわざわざ社員たちに見せるほど重厚な雰囲気があった。

 尤も、それは中に大金があると思っているからかもしれない。そう、あの中に大金が……と、邪な気持ちで眺めたことは否定できない。しかし、開けて盗んでやろうだなんて微塵にも思ったことはない……と言えるのだろうか。こうして毎晩のように夢に見るのだ。深層心理ではそう考えていたのかもしれない。

 なんにせよ、今は他にやることもないのだ。彼はもう一度息を吐くと、さっそく作業に取り掛かった。金庫はスタンダードなダイヤル式だ。0~99のメモリがついたダイヤルをまず、右か左を選び、決められた回数をぐるりと回していく。

 最初は右に三回転させるということは知っている。社長が金庫をお披露目した日にそう言っていたからだ。「おっと、これ以上は教えられんがなぁ」と笑ってもいた。

 三回まわしたあと、0~99の中から社長が設定した正解の数字に合わせる。

 最初の正解の数字は35だ。ドラマか何かの見様見真似で金庫の扉に耳をピッタリとつけ、1、2、3、4……と回していくうちに彼は微妙な音の違いに気づいた。おそらく正解の番号であろうそれらは覚えておき、目覚めたときにメモをしている。むろん、素人だ。導き出したその数字が絶対に合っているとは言い切れないのだが。

 金庫を開けるにはダイヤルでの解錠に加え、鍵も必要だが、夢の中の金庫には鍵がつけっぱなしのままだ。現実もおそらくそうであろう。社長が「俺はよく物をなくすからなぁ。まあ番号は俺しか知らないから、いいだろう」と笑っていた。だから番号さえ合わせることができれば開けられる。彼はそう信じていた。

 まずダイヤルを何回まわすか。そして正しい数字に合わせられるか。組み合わせこそ有限ではあるが、正解の数字を見つけ出すには自分の感覚を頼りにするしかない。これは途方もない作業だと、彼はこの夢を見始めた頃に気づいていたが、この夢の中では社長室の外に出ることができないのだから、そうするほかないのだ。金庫を開ければこの夢を見なくて済む、解放されると信じて彼はダイヤルを回した。


 右に一回転。そして数字は……1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、25、26、27、28、29、30、31、32、33、34、35、36、37、38、39、40、41、42、43、44、45、46、47、48、49、50、51、52、53、54、55、56、57、58、59、60、61、62、63、64、65、66、67、68、69……

 右に二回転……1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、25、26、27、28、29、30、31、32、33、34、35、36、37、38、39、40、41、42、43、44、45、46、47、48、49、50、51、52、53、54、55、56、57、58、59、60、61、62、63、64、65、66、67、68、69、70、71、72、73……

 右に三回転……1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、25、26、27、28、29、30、31、32、33、34、35、36、37、38、39、40、41、42、43、44、45、46、47、48、49、50、51、52、53、54、55、56、57、58、59、60、61、62、63、64、65、66、67、68、69、70、71、72、73、74、75、76、77、78、79、80、81……右に…………

 

 左に一回転……1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、25、26、27、28、29、30、31、32、33、34、35、36、37、38、39、40、41、42、43、44、45、46、47、48、49、50、51、52、53、54、55、56、57、58、59、60、61……

 左に二回転……1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、25、26、27、28、29、30、31、32、33、34、35、36、37、38、39、40、41、42、43、44、45、46、47、48、49、50、51、52、53、54、55、56、57、58、59、60、61、62、63、64、65、66、67、68、69、70、71、72、73、74、75、76、77、78、79、80、81……左に…………

 

  


 気が遠くなるような時間が過ぎた。尤も、朝になれば目覚めるのだが、精神的疲労は溜まるばかり。彼は解放の瞬間を夢見て何日も何日も夢の中で作業を繰り返した。限界を感じ、もうどうしようもなくなると、身近な人へ相談し、そしてくだらない夢だと嘲笑われ……。しかし、ある時ついにその瞬間が訪れた。

 口を、目を大きく見開いた彼。その目の前で、ギィィと音を立てて開く扉。ついに、ついに……きた。

 しかし、興奮したせいか、彼はそこで目が覚め、残念ながら金庫の中をを拝むことは叶わなかった。しかし、十分だった。凄まじい解放感に彼はベッドから飛び起き、叫んだ。そのハイな気分は身支度を整え、会社に到着しても続いた。

 ……が、彼とは正反対に同僚たちはどこか暗い雰囲気。社長室の中に集まり、困った表情をしていた。

 その集まりに近づき、「いったい何が……」と訊く前に耳にした言葉は「金庫が……」彼はそれで察した。社長が番号を忘れたのだ。はしゃいでいたのだろう、社長は何かと金庫にしまい込む癖があった。大方、今すぐ必要な物も放り込んでしまったのだろう。


「まあ、俺に任せてくれよ」


 彼は堂々と金庫の前に進み出た。同僚たちが困惑する中、彼はしゃがみ、ダイヤルに触れた。

 まず右に三回。番号は35。左に三回。番号は72。右に二回…………。


 そして、どよめく一同。開いた金庫を前に、あれだけ苦労したんだから当然だと言わんばかりに彼は胸を張った。

「なんで……?」「どうして?」「なぜ番号を知っているんだ……」とざわつく中、一人の社員が言った。


「しゃ、社長は入院して、意識不明だって……昨日の夜、誰かに襲われたみたいで……」


 その日から彼は毎晩、刑務所の夢を見るようになった。

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