対決! そして……
会社を燃やされた。
仲間を殺されかけた。
娘の友人を拉致された。
俺は思い返しては奥歯をギリギリと噛み締める他なかった。何なのだ、ガルフと言う半グレ集団は。一体俺に何の恨みがあるのか?
本来ならば青木に全てを任せたかった、だが今はそう言っている場合ではない一刻を争う状況なのである。
苦肉の策で、本来ならば決して頼ってはならない相手―反社会組織、それも都内有数の勢力を誇る暴力団に助けを求めてしまった。
事が公になれば、俺一人が社会的制裁を受けるだけでは済むまい、『鳥の羽』の経営者や社員も誹謗中傷を受け、会社を畳むしかなくなるであろう。
だが。
葵の大切な先輩である山下春を火急的速やかに救い出すには、これしか無かったのだ。
俺は頭を抱えソファーに崩れ落ちる。
犯してはならない一線を越えてしまった。銀行員時代は平気で飛び越えたものだったが、今の立場では自分を許し難い程の痛恨の極みである。
俺を信じてくれている鳥羽社長や山本くん、庄司達の顔が脳裏に渦巻いては消えていく。
だが、そんな事はどうでも良い。
春ちゃんが無事に戻るならば……
寝静まった夜の廊下から急ぎの足音が聞こえてくる、躊躇なく俺の部屋に入り込む。
「アンタっ 覚悟は決まったかい?」
光子が未だかつて見たことのない無表情で言い放つ。だがその目は怒りに燃え、全身から昇り立つオーラは震えを覚えるほどである。
「ジョージがやられた。アオジルの先輩が拉致られた」
俺は呆然と光子を眺めるだけだった。覚悟は決まったか、だと? 一体俺に何をしろと?
「夕方」
光子は極限まで怒りを堪えた様子で、こう吐き出した……
「店が、放火された」
俺の中の何かが、ブチっと音を立てて切れた。
「忍と仕込みをやってる時。車が急停車し、急発進する音と一緒に、入り口に火炎瓶を投げ込まれた」
こんなに怒りが込み上げたのはいつ以来だろう。俺はソファーから立ち上がり、ゆっくりと光子に近づく。
「あっという間に火は燃え広がり、私と忍は身一つで外に逃げ出した。翔も真琴も不在だったから、無事。だけどー」
光子の激しく光る双眸から涙がこぼれ落ちる。
「隼人が建ててくれた店が、燃えちまった」
俺は光子を激しく抱きしめる。光子は強く俺にしがみつく。
俺は光子の髪を掻きむしり、その尖った顎を引き上げ、その唇を激しく奪う。
光子もそれに応じ、俺を激しく強く弄る。
互いの服を引き剥がし、生まれたままの姿となりベッドに重なる。
何事かとナースが覗きに来たが、俺たちの鬼気迫る交わりに唖然とし、ドアを閉めて立ち去っていく。
互いを求め終え、貪り尽くし合い、最後の一滴まで絞り尽くし合った後。
「もうすぐケンタ達が来る。場所は分かってる」
「よし。俺も行く」
「アタシから離れるな」
「何があっても離さねえ」
長く深い口付けを終え、服を整えてから俺たちは病室を出た。
E R出入り口から外に出て、病院の前の大通りに数台の車が停められている。
健太が無言でその中の一台から出てきて、
「軍司、話は聞いてんな。これから譲治の仇を打ちに行く、それと『居酒屋 しまだ』の仇もだ、覚悟はいいか?」
腹に雑誌か何かを服の下に仕込んでいる。
「ああ。問題ない。それよりどうやって奴らの居所を?」
「キル子が調べてくれた。新木場の奴らの事務所に居る」
俺は深く頷き、
「どうやって攻める?」
健太はニヤリと笑い、
「任せておけ、俺らの専売特許だ」
俺と健太は拳をぶつけ合う。
総勢車5台、約20人。皆、光子を慕い信じている昔からの連れ達らしい。
悪徳輸入業の川村、猿田、中村、和田…… 去年の夏に日光への大人の修学旅行を共にした奴らだ。あとは店で見かける顔だが誰だかよく分からない人相の悪い奴らだ。
「俺らの後輩達だ。皆『居酒屋 しまだ』の常連だったし、譲治を慕ってた奴らだ」
俺たちはスマホの電源を落とす、間違って例のアプリを起動させてしまったら警察が飛んで来てしまうからだ。
「後の始末はキル子達がしてくれる手筈だ。とにかく俺らはまずあのデカいねーちゃんを助け出し、ガキどもを叩き潰す。以上。行くぞっ」
未だかつて見たことのない健太の仕切りと迫力に正直驚いてしまう、コイツ昔からこんな奴だったのか……
後部座席の俺の隣で光子が無表情で目を細めている。俺はそっと光子の手を握る、その手を強く強く握り返してくる。
許せない。
春ちゃんを拉致った奴ら。
俺の会社を燃やした奴ら。
(青山をボコった奴ら)
そして。
『居酒屋 しまだ』を燃やした奴ら。
倍返し? 三倍返し?
冗談では無い。
無限返しだ!
車は静かに新木場へと走っていく。
* * * * * *
国道357号線の夢の島交差点を右折し、新木場公園を過ぎた辺りの倉庫街を右折する。その突き当たりに車が数台乱雑に停められている、どれも高級車だ。
俺たちはその手前で全員車を降り、突き当たりの建物に身を隠しながら進む。
「おいチョロ。奴らの車にガソリンぶっかけて火を付けろ」
「はい」
チョロと呼ばれた小柄ながら屈強な体格の男が、ポリタンクを片手に持ち奴らの車に接近する、そして一台一台に満遍なくガソリンをかけ、健太の合図と共に火をつける。
車はあっという間に勢いよく燃え上がり、やがてその中の一台が大音響と共に爆発する。
な、な、
何やってんのコイツら! 本当に車燃やしちゃったよ!
唖然として眺め、健太達を振り返ると誰もいない。隣の光子が、
「アンタはここで見張っていて。サツは来ないと思うけど、消防に連絡されると厄介だから、野次馬が寄ってきたらテキトーに追い返して」
俺はカクカク頷き、気がつくと膝が震えているのに気づく。
奥の建物から数名の若者が怒号を発しながら勢いよく飛び出してくる。のを、2、3人一組で一人ずつ効率良く倒している、あっという間に7人の半グレが地面に横たわった。
「軍司、これで奴らの手足を縛っておいてくれ」
そう言うと健太は懐からストラップを取り出し俺に放り投げる。俺は地面に転がっている小僧達の手足を縛り、一箇所にまとめた。皆意識を失っていたが、一人うっすらと目を開いたのがいたので、
「おい、女子高生はどうした?」
小僧は惚けた顔で、
「出し子の妹? ああ、裸にひん剥いてよ、それk―」
気がつくとその小僧は白目を剥いて倒れている、左頬がベッコリ凹んでいる。息を荒げながら俺は右の拳をそっとさする。
ふと遠くから気配を感じ、目を凝らすと大勢の男達がそっとこちらの様子を伺っている。俺は立ち上がり、彼らの方へ歩いていくと、一人のガッチリした男が同じ様にこちらに向かってくる。
「久しぶりですね、金光さん」
『居酒屋 しまだ』で中村、と呼ばれていた男だ、そして俺が先ほど助けを求めた男でもあり。
「大変ご迷惑をおかけしました」
俺が45度の角度で頭を下げると、
「よしてくださいよ、直接手を下してるのはアンタらだし。それにしても…… 深川の連中はやることが半端ねえな、車を全部燃やしちまうとはね……」
俺がハハハと苦笑すると、
「取り敢えずそこに転がってる小僧達を引き取りますか。おい、やれっ」
へいっ
と数人の男の返事が聞こえ、彼らはあっという間に転がっている小僧達を担いでいった。
その時、花火が弾ける音が数発聞こえてきた。
「さて、俺たちも中に行きましょうか」
そう言うと彼らはゾロゾロと群れたまま建物に入って行く。
「私がここを見てますから、どうぞ」
ガタイの良い若者がそう言って、俺も中へ行けと言う。
俺は小走りで建物に入り、正面の階段を駆け上って行く。
3階のフロアに。
地獄絵図、を見た。
血塗れの小僧が多数倒れており、その奥に上着を羽織った若い女子……
俺は血塗れで転がる小僧達を踏み躙りながら、彼女に走り寄る。
彼女は惚けた顔で俺を見上げ、そして目と口を大きく開き、
「金光、さん!」
俺は最後の小僧を思い切り蹴散らし、
「春、ちゃん!」
全裸の春ちゃんは誰かの上着を肩から羽織り、儚げな悲しげな、でも嬉しげな表情で俺を見上げている。
「もう大丈夫だよ、怪我は無いかい?」
「はいっ、ありませんっ」
「その、何か、嫌なことされなかったか?」
激しく首を振りながら、
「後少し遅かったら、ヤバかったです。でも私は大丈夫です、金光さん、わたし……」
しゃがんだ俺にしがみつく。俺も安堵し抱き返す。
周りから冷やかしの口笛や軽口が聞こえてくるも、一切気にせず春ちゃんを強く抱きしめる。
「さぁーーて。ぜぇーんぶ語ってもらおーかな、小僧」
健太が右手にドライバー(!)を持ちながら、後ろでを縛られた小僧に立ちはだかっている。
「まぁーず。オメエ、誰?」
小僧が血塗れの痰を吐き捨てる。健太が容赦無くドライバーを鼻の中に(!)差し込む。小僧の絶叫がフロアに響き渡る。
荒川会 本部長の中村が顔を歪ませ、
「ったく。深川の奴らは鬼だな。姐御が絶対に手出しするなって言った理由、分かったよ」
俺は春ちゃんを光子に預けながら、
「中村さんはこの辺出身じゃないの?」
「俺は千葉の船橋だよ」
「ふーん。コイツら昔からこんな感じだったぜ。流石にドライバーじゃなくて鉛筆だったけどね」
中村はゴクリと唾を飲み込み、俺の肩に手を置く。
その後、その小僧は最早人間の形相をすっかり失い、壊れたマネキン人形のように床に転がっていた。
「なあ本部長、これでオレオレ詐欺の部署はぶっ潰したけどよぉ、譲治をヤッた奴らと『居酒屋 しまだ』に火をつけた奴ら、全く別らしいぞ、どうすんだ?」
健太が返り血で真っ赤になりながら不貞腐れたように言う。
中村は頷きながら、
「不動産を仕切ってるのが和田って奴で、火遊び小僧を仕切ってんのが三好ってんだ」
春ちゃんを組の若衆に任せた光子が、
「まぁーずは、その和田って奴な。ジョージの落とし前つけさせんぞコラ!」
と言いながら、床に転がっている朴と呼ばれる幹部を力いっぱい蹴飛ばす。
「で。何処にいんだよ、その和田は?」
「え? 今から?」
「ったりめーだ、これからぶち殺す」
中村は頭を振りながら、
「アンタら滅茶苦茶だ、流石にサツにばれちまうよ。今夜は引き取ってくれ、また絵図描いておくからさ」
健太と光子は一言二言相談し、
「仕方ねーな。よし、今夜は引き上げんぞコラ!」
荒川会の面々は床に転がっている小僧達を引き摺っていき、俺たちは颯爽と引き上げるのであった。
* * * * * *
「で、怪我人はいないのか? そう言えば発砲音がしたのは気のせいか?」
健太は助手席から苦笑いで、
「居ねえって、あんなガキ相手に怪我するほどオチぼれてねーよ」
「そっか、光子も怪我してないよな?」
平気平気、と言いながら、
「そーいや、外に転がしといた小僧一匹、顔がめっちゃ凹んでたとよ、あれアンタだろ? ウケるー」
健太と光子が爆笑する。俺の隣の春ちゃんの顔が引き攣っている。
「それにしても、危機一髪だったな嬢ちゃん。アタシらがモチっと遅かったら、アイツらに犯されまくってたってか、まー良かった良かった」
春ちゃんは深々と首を垂れ、
「本当に助かりました、ありがとうございました、それに兄の事も……」
血塗れで転がっていた小僧の中の一人が、その彼らに袋叩きにされていた春ちゃんの兄であった。
これ以上兄の犯罪を見逃すことは出来ない、そう思い春ちゃんは今日学校を休み、昼から兄をそっと尾行した。兄は新木場の事務所に顔を出し、その後を追っていた春ちゃんが奴らに捕まった。
出し子の事が妹にバレていた不手際により、兄は彼らから制裁を受けたのだ。兄が動かなくなると、当然美形の妹の身体を求め……
そのタイミングで健太達が乱入したのであった。
小僧達は荒川会が一括して引き受けて連れ去ったが、春の兄だけはこちらで引き取ったのだ。
「健太、ちなみにあの小僧達、どうなるんだ?」
健太は真顔で、
「奴隷として東南アジアか中東に売られんじゃね?」
令和の奴隷制度に度肝を抜かす。隣の春ちゃんは呆然とした顔で、
「この方、冗談がお上手ですよね金光さん」
と震え笑っている。
「それよりも。皆様、私はこのご恩を如何にして返せばよろしいでしょうか?」
と健気に呟くと、光子が満面の笑みで、
「勉強しろ。大学に行け。そんで世のために働いて、この社会をちょっとでいーから良くしろ。出来るな?」
春ちゃんは俺越しに光子をしっかりと見据え、
「分かりました。全力で勉強し、少しでもいい大学に行き、しっかりと世のためになる事をします」
光子は俺越しに春ちゃんの頭を撫で、
「おう、腹減ったらウチの店でなんでも食わしてやる、いつでも来い!」
健太が人糞に塗れた一万円札を眺める表情で、
「だーかーらークイーン、『居酒屋 しまだ』は燃えちまったんだって……」
ゲッ と光子は叫ぶや否や、
「おいコラポン太、今からワダの所に車回せやコラ! ぶっ殺すワダ」
「だーかーらー 火つけたのは三好って奴だって……」
「じゃあ、そのミヨシのとこだポン太、ソッコー連れてけやコラっ」
運転席のポン太氏は、
「あのー、つきましたよクイーン」
ん? 俺の家の前なのだが……?
春ちゃんはそのまま車で葛西の自宅まで送らせた。
光子と俺が家に入ると、玄関に異様な数の靴が……
「お帰りー、ってパパ、何病院抜け出してんだよコラ!」
般若の表情の葵に、
「春ちゃん、無事に保護したぞ。健太が家に送っているところだ」
葵は半分大喜び、半分泣きながら、
「良かったーーー、変なことに巻き込まれたんじゃないかとヒヤヒヤしてたよぉー、ホッとしたよぉー翔きゅーん」
と言って苦笑いしている翔に抱きつく。
「お帰りなさい、そして…… しばらくご厄介になります、本当に申し訳ありません」
後ろから真琴が顔をちょこんと出し、
「キングさん、不覚にもご厄介になることに。これも何の因果応報が……」
珍しく歯切れの悪い真琴に吹き出しながら、
「そっか、うん、それが良い、3人とも当分ウチに居るのがいい、なあ、お袋」
母が満面の笑みで、
「まるで磯野家の様ね、楽しくなりそうだわ」
と訳の分からん事を宣うている。
「それにしてもマジでびっくりしたよぉ、お店が燃えちゃうなんて。完全に放火なんだよね?」
恐らくな、と言葉を濁すと、
「もっと不思議なのが、全然ニュースになってない! ネットにも殆ど載ってない! これは一体全体どゆこと、パパ?」
んぐぐ…… 我が娘の鋭い事……
翔が真顔で、
「きっと裏で色々な思惑が蠢いていると思うよ。ねえ母さん」
真琴は素知らぬ顔で、
「問題は私の衣類が全焼した事だわ。それにバッグや靴も。さあ保険会社から幾ら搾り取ろうかしら、そうそう『鳥の羽』の件ですが、保険会社は満額支払うそうです」
「おお、さすが真琴ちゃん。その調子で『居酒屋 しまだ』の保険会社からもしっかり支払ってもらうといい」
「放火犯からもキッチリと。ふふふ、島田の看板を燃やした事を死ぬほど後悔させてあげるわ、クックック」
怖え。怖えよ真琴ちゃん。葵もマジでビビって震えている。
抜け出してきた病院へ俺を車で送りながら、
「それにしてもさ、色んなモノを失っちゃったな。ったくクソガキどもめ」
俺はこった肩を上下させながら、
「それな。でも、春ちゃんを無事に救い出せたのは本当に良かった、ありがとな光子」
プッと吹き出しながら、
「アンタ、そんなに気に入っちまったのか、あの嬢ちゃんを。ったくエロ親父がっ」
「ばーか。健太と一緒にすんな。葵の大事な先輩だろうに」
光子は何度も頷きながら、
「ああ。家族の大事なもん、しっかり守れたよな。良かった良かった。あとはーー。ジョージの仇とぉー、店の仇だぁーー」
メチャクチャ気合いが入ってしまう光子に苦笑していると病院が見えてくる。
「明後日辺りに退院する予定だ。青木と相談してな、そんじゃ」
光子はフッと微笑みながら、
「私達、病室でしちゃったね、きゃっ」
突然人格変換モード。そう、俺が密かに『山の手モード』と呼んでいる仕草と言動で、
「それじゃあなた。また明日お見舞いに行くわね、おやすみなさい」
抱きしめたくて、押し倒したくて……
無情にも車は赤いテールランプを見せながら、去って行く。
* * * * * *
翌朝。
泥の様な熟睡から目覚めると、疲れ切った表情の青木がソファーでうたた寝をしている。
そっと近づき耳に息を吹きかけると、
「よせよ由子、今朝は無理だっt―― お、お前か金光……」
リアルな反応に俺のリトルもリアルな反応をしてしまい。
青木は俺を苦々しく睨みつけ。
「それにしても。やってくれたな金光。ったくお前は、よりによって。はぁー」
と盛大に溜め息を吐く。
「悪かったよお前を出し抜く形になっちまって。でも、ああしなければ今頃春ちゃんはどうなっていたか、だろ?」
青木は何度も首を振りながら、
「あの子もあの子だ、あれだけ大人しくしていろ、と言ったのに無茶しやがって。ったく、お前が絡むと皆とんでもない無茶ばかりしやがる。勘弁してくれよ」
泣き言を言う青木に、
「ガルフの朴とか言うガキの件、知ってんだよな?」
「知ってるも何も。荒川会が全部攫って行きやがって。警察のメンツ丸潰れだ、てか俺の面子、どうしてくれんだよ」
と嘆くので、
「なあ。お祓い行った方がいいの、お前の方なんじゃね?」
と言うと、ポカリと頭を殴られた。
「それよりな、光子が…… 更に敵討ちするって騒いでんだ、何とか止めれられないかな?」
青木がボソッと、
「その件は全て解決済みだ」
俺は唖然として、
「へ? アレだぞ、下の青山譲治や燃やされた『居酒屋 しまだ』の件、だぞ?」
ソファーにだらしなくもたれ掛かりながら、
「ああ。ガルフの不動産部門の幹部も恐喝部門の幹部も、全部とっ捕まえた」
なん・だと?
「もっと言えば。あー、ニュース見てみ」
慌ててテレビを付けるとー
『出て来ましたっ 半グレ組織を率いてきた達海丈二容疑者と東堂猛容疑者です、何とも太々しい表情です。この組織はオレオレ詐欺で数千人を騙し、恐喝してきた容疑がかかっており、また不動産の不正な取引や企業への恐喝の容疑もー』
えええええええええ?
ま、またこの男の、一晩で事件解決、が発動したのか!?
えええええええええ?
「どーしたん、朝からウッセーなぁ、おうヒロ坊、朝這いかっ コノヤロー」
光子が木刀を肩に乗せながら病室に入ってくる。え? 木刀?
「護身用だっつーの、去年日光で買ったヤツ。で? そのミヨシだのワダ、とっ捕まえたってマジかよ?」
青木が光子を見据え、
「昨夜の様な真似は、2度としないで欲しい」
「あっ バレてた、てへぺろ」
深く溜め息をつきながら、
「由子が、どうして私をハブいたって、激怒してたぞ」
俺と光子が苦笑いする。
「一応話しておく、他言無用だからな。お前らが新木場で襲撃した同時刻。六本木と新宿にあるガルフの事務所を警察の特殊部隊が襲撃した」
光子はアングリと口を開き、俺はポカンと口を開く。
何だって? 特殊部隊? それって、SWATとか言う?
「本当はあと数週間かけてじっくりと攻める予定だったんだ。だがお前らが勝手な動きをしたものだから、急遽出撃させることになったのだ。一体どれだけの人材に迷惑をかけたか分かってるのか?」
一応シュンとして見せる光子と俺。
「六本木も新宿も、対テロ専門の特殊部隊がやっと制圧したんだぞ。それをお前らは、車燃やすわ爆発させるわ、実弾発砲するわ、やりたい放題やりやがって。マスコミに流れたら、警視総監クビになるぞマジで」
ドヤ顔の光子に吹き出す俺。
「アンタ、朴が発砲したの躱したんだってな、相変わらず命知らずな……」
俺は即座に青ざめ、膝の力が抜け床にしゃがみ込む。
「2度とあんな事すんなよ、もし死んじまったら、残されたコイツどうすんだよ」
ハッとなった光子は俺にしがみ付き、
「御免なさい、御免なさい、もうしません、もう2度としません」
俺もしっかりと抱き返しながら、
「あの時と同じだ、突っ込む車に仁王立ちして轢き殺されそうになった時と。俺、これ以上お前と付き合えねえよ」
「いやっ お願いしますっ もう2度とっ 2度としませんっ ですからお願いしますっ 私を捨てないでっ お願い……」
青木と目を合わせ、互いに笑いを堪えつつ、
「約束だ。次にまたやったら、俺はお前の前から姿を消すぞ。いいな?」
「もうしません、許してください、うわぁーーーん」
医師やナースが何事かと覗きに来ている……
アホほど泣き喚いたと思ったら、俺のベッドで熟睡している光子の横で、
「結果として。一晩で日本最大の半グレ組織を壊滅、か。なあ青木、お前俺に隠していることだらけだろう? なぁーにが『沼津鮫』だよ、落ちこぼれたキャリア警官だよ。本当のお前は巨悪を潰しまくってる魔王様じゃねえかよ」
俺が揶揄うと、
「それも、お互い隠居したら、な」
「ったく。お前にはすっかり騙されたわ。でも、相変わらず出世とは無縁なようで何よりだ、あっはっは」
思わず笑ってしまう。
恐らく警察幹部か有力政治家の懐刀的な存在なのだろう、この男は。誰も解決できない、手を出せない事件を任され、それを悉く解決してきたのだ。
故に警察組織の中での出世街道とは全く無縁の孤高の存在なのだろう。あの沼津署の若いキャリア署長の異様なまでの畏怖の態度も今なら頷ける。
その魔王様が俺に頭を下げ、
「山下春の事は本当に助かった、俺達警察ではどうにも出来なかった。お前がああしたのが、彼女にとっての最適解だった。後の処理は全てやっておくから、何も心配しなくていい」
「それって、荒川会、反社組織に頼ったことか?」
青木は頷いて、
「お前が反社組織と接触をした事実は全く無し。以上だ」
んんんん? あれ、お前さあ、まさかさあ、ひょっとしてさあー
青木はにがりきった表情となり、
「これだからお前は苦手なんだよ! 頭が回りすぎなんだよお前は、ったく……」
「つまり。警察と荒川会は裏で組んでいた。だな?」
「そんな事実は無いし証拠も無い」
あ。ふと、思いついた事がある。
「なあ、光子の店や鳥の羽のオフィス、保険会社の補填だけなのか? 被告や国からの賠償や補填は無いのか?」
「それは、全て元通りという訳にはいかないだろう、ある程度の補償はあるかも知れないが」
俺はニヤリと笑いながら、
「我が社の顧問弁護士、知ってるよな?」
青木がちょっと青ざめる。
「その彼女がさ、警察と荒川会の裏取引の事知ったら、どんな行動取ると思う?」
「おい。洒落になってないぞ」
「内閣、潰れんじゃね?」
青木は額に汗を滲ませ始める。
「なあなあ。例えばさ、その補償に、ガルフの資産を当てることって出来ないの?」
疲れ切った目を揉みほぐしながら、
「健在じゃねえか、『引き摺りの金光』他人の足を引き摺りまくって最大のプロフィット、か。あの銀行、お前を手放したの大失敗だったな」
「まあ誉め殺し合いはこの位で。で、実際どうよ、ガルフの資産、ちょこっと寄越せよ、な?」
俺と青木は目を合わせ、大爆笑する。
何事か、と光子が跳ね起きた。
* * * * * *
「どうかな真琴ちゃん、行けるんじゃないの?」
真琴はむううう、と唸りつつ、
「判例がありません。余りに常識外の請求ですので。ですが、ダメ元でやってみるのも吝かでないかと、キングさんが推すのですから、ええ、やってみましょう、ダメ元で」
慎重派を売りにしている真琴を煽り、ガルフ所有の不動産、具体的には木場のオフィスビルの所有権を主張してみる事にする。
ガルフが如何に不当な脅迫をしたか、如何に非道なテロ行為(!)を行ったか、そして危うく気鋭の役員を失う所だったか。
世間の感情は鳥の羽に同情的であり、ガルフに対しては否定的である事。
真琴はガルフの放火により生じた損失を徹底的に調べ上げ、水増しし、その値が所有権をほぼ同等である事を立証して見せた。
家庭裁判所の裁判長の、あの惚けた顔!
結局。
思惑通りに、我が社は放火による損失補填の対価として、木場の中古オフィスビル一棟を手に入れたのであった。
勿論、裏で青木と政治家が複雑に絡み合ってくれたお蔭なのである……
「そんな訳でさ、お前の物件ウチの会社のものになったんだわ、一応報告しようと思ってな」
未だに新豊洲メディカルセンター一般病棟に入院中の青山に報告をする。
「ザマーミロってんだ。悪は滅ぶってか、ブハハハ」
お前が言うか、悪徳不動産屋め。
「まあ、ケチの付いた物件だし。それに、キングの会社のものになってくれたんなら、溜飲も下がるってもんだよ」
「で、お前が先に払った手付け金、返って無いんだよな?」
泣き顔で下を向く青山に、
「その手付け、我が社が払ってやるよ」
呆然とし、俺を見つめる青山。
「ま、マジかよ! 嘘だろ? きゃっほー、さすがキング様!」
大喜びしている青山に、
「それでさ、その代わりにって言ったらアレなんだが、幾つか頼みがあるんだよ」
両脚が固定されたまま、ベッドの上で踊り狂いながら、
「なんでも言ってちょうだいよ、任せろ俺に!」
ニヤリと笑うと、隣に居る真琴が顔を顰める。
「腕の良いオフィス専門の内装屋を紹介して欲しい。あと格安のオフィス家具屋もな」
「いいともいいとも! 安くて腕はサイコー、いるよー それに外国製オフィス用品を格安にする奴も知ってるよー」
真琴は呆れ顔だ。俺は更に畳み掛ける。
「社員が倍に増えるんだよ、安くて良いマンション斡旋してくれな、敷きゼロ、礼ゼロでな」
それでもちょっと顔を引き攣らせながら、
「オッケーオッケー、任せなさーい」
「イイねいいね。さて、最後の頼みなんだが」
笑顔でゴクリと唾を飲み込む青山に、
「お前さ、前言っていた上野だか御徒町のテナント、もう埋まったの?」
ああ、アレなー、と呟きながら、
「上野駅前のさ昭和通り沿いのビルの奴な。立地は最高なんだけど、下と上に半グレの事務所…… あれ?」
真琴がハテナマークを浮遊させている横で、
「そ。あれガルフだったよな」
「ああ、そっか、そーだったな。ああ、これであの物件も貸しやすくなるわー、てか、一気に人気物件だぜ、っかーついてるわー」
「でだ。その物件、この真琴ちゃんに内覧させて欲しいんだけど」
「「え?」」
青山と真琴がおハモる。
「真琴ちゃん、そろそろ自分の事務所を持ちたいと溢してたよな。どうだいこの機会に、自分の事務所を持ってみては?」
真琴は硬直し、絶句する。
「翔も再来年は受験だろ? 京大行くんだよな、仕送りも必要じゃないか?」
「それは、そうですが……」
「あと。そろそろご主人の出所も視界に入れなくちゃ、だろ?」
口をポカンと開けた真琴が俺を凝視する。
「今から準備すれば、来年の春頃から開業できるんじゃないか、と思ってさ。どうだい、一度内覧してみないか?」
口をパクパクさせ、目をあちこちに泳がせ。
「そう言う事ならよ、いいぜ、敷きゼロ礼ゼロ、家賃据え置きだぁ、どうだいクイーンのお嬢さんよぉ。あ、俺が下手うった時は、弁護ヨロシコってか、ギャハハハハ」
あははは。俺も乗っかって高笑う。
俺と青山を交互に眺め、真琴は少し考えさせてくださいと絞り出す。
「貴方は、鬼ですね。怪我人の青山さんをあれほど追い詰め、搾り取りました」
前方を一心に眺めながらスタスタ歩く真琴の歩調になんとか合わせながら、
「大体プラマイゼロだと思うけど。どうかな?」
「まぁ、大体そうなるかと思われますが」
夏を思わせる陽射しを手で翳しながら、不意に真琴が立ち止まる。街の木々はすっかりと深く色付き、少し湿った潮風が頬を撫でる。
「私の、事務所、ですか…… 確かに酒の場での夢物語ではありました、ですが現実的に考えて私如きの事務所に依頼人が集まるでしょうか? 今よりも高い報酬を得られるでしょうか?」
陽射しに目を細めながら、
「やってみないと分からないよ、何事も。それとさ、君が独り立ちする姿を翔はどう思うだろうね?」
「え……」
俺は微笑みながら、
「これまで翔は君の後ろ姿を見ずに育ってきた。だからさ、これから彼に見せてやってはどうかな、人権派弁護士、島田真琴の生き様を」
真琴は肩にかけていたバッグを地面に落としてしまう。それに気付かぬほど、呆然としている。
暫し時間が経ち。
「私の、背中、ですか。あの子は、見て、くれますか、ね?」
途切れ途切れで真琴が呟く。その表情は真剣そのものだ。
俺は深く確かに頷く。
真琴は目に涙を浮かべ、
「その物件、見てみたいと思います。同行を願いますキングさん」
翔と光子も一緒に連れて行こう、そう決めた。
その三日後。
何故か葵も混じり、俺たちは上野の中古ビルの4階にいる。
「古っ クサっ ねー、やめなよー、こんなとこー」
葵が思いの丈をズバズバ吐き出す。青山の部下の青年が苦笑いする。
「でも、家賃はこの上野イチ安いですよ、駅からもすぐですし、きっと依頼人の方は迷わずここに来れるかと」
ほお。青山の部下にしては真っ当かつ正当な仕事をするではないか。
「そっか、コスパはいいんだ。じゃあ後は質で勝負じゃん」
葵が言いたい放題言っていると、
「質ならこの上野イチ、いえ台東区イチになれるわよ、私達ならば」
俺が首を傾げると、
「先日、長年のパートナーである東金くんと旭さんにこの件を打診してみたのです。二人とも大賛成してくれました。キングさん、私―」
俺にしっかりと向き合い、
「私。やってみます。ここで」
俺は両手でガッツポーズを示す。チラリと翔を眺めると、そんな母親をちょっと尊敬の眼差しで見ている。
「えーーー、もっとお洒落な所でやればいいのにー、青山とか、赤坂とかー」
翔が葵の手を握り、
「一緒にここでバイトしない、葵ちゃん?」
はい、恒例の手のひら返の術発動―
「するするするー、ここがいい、ここでするー」
光子がネズミのフラダンスを眺める目付きで葵を見ている。
* * * * * *
二か月後。
もうすっかり梅雨は明け、夏の陽射しが遠慮なく街を照りつける。ただ有楽町のような都心のど真ん中特有の茹だるような暑さでなく、潮の香りが漂う心なしか涼しげな風が吹き抜けている。
「それにしてもー、これホントに自社ビル? なんかスッゲー事になってる気がするんだけど」
企画部の田所が怯えた表情で呟くと、
「7階建てですよ、しかも地下駐車場付きですって……」
村上もあり得ないと言った口調で苦笑いしている。
「で、今日また20人入社だっけ? 全部で何人入ったのよ?」
庄司がキリッとした顔で、
「これで合計83名となりますが何か?」
企画部の皆が悲鳴を上げる。
俺も今日から使用可能となった新社屋を見上げながら、
「さぁ、今日からまた馬車馬のように働いてもらうぞ、更にお前らは国家試験の勉強もな!」
ウゲー イヤだー ムリー
様々な絶叫を無視し、殊更大声で、
「よーし、中に入るぞ、俺たち『鳥の羽』新装開店だっ!」
皆は今一度新社屋を見上げる。そして何とも言えない笑顔を噛み締めながら、ゆっくりと真新しいエントランスに向かって行く。
最上階は社長室と役員室だ。
『金光専務』と書かれた名札の扉を開くと、中々の調度品、ソファー。何より窓からの景色が東京湾と埋立地帯が一望でき、東京ゲートブリッジが手に届きそうな眺望に大満足である。
「専務、10時から新人教育の講話です、昼食は社長室で12時15分から。13時よりJ R東日本のー 専務、聞いてらっしゃいますか?」
今日から専務秘書となった庄司がブチ切れそうな表情で俺を睨みつける。
俺は笑いながら、
「ちょっと社長室に行ってくる、お前も一緒に来い」
庄司は長い溜め息を吐き出しながら、
「17分間だけですよ」
と席を立つ。前職時代にもお目に掛かれなかったほどの優秀で有能な秘書に大満足だ。
「どうだこのオフィスは。気に入ったか?」
庄司は俺を見上げながら、
「有楽町オフィス時代からの余りのギャップに心がついて行けてない、のが正直な感想ですが何か?」
俺は肩をすくめながら、
「なら早く慣れろ。まだまだこんなもんじゃねえぞ、この会社は!」
ゴクリと唾を呑み込む音が聞こえてきた。
「社長、どうですかこの部屋は? 気に入っていただけましたか?」
有楽町時代は、オフィスの片隅にパテーションを立て、四畳ほどのスペースが社長室だったのだ。それが今や。15畳ほどの広さで半面がガラス張り、ゲートブリッジが一望できる最高の眺望が楽しめる角部屋だ。
早速壁面に登山のペナントやらポスターやらベタベタ貼り付けて…… これじゃその辺の街の中小企業のオッサン社長部屋じゃねえか……
「はい。夢のようです。ここが私の部屋だなんて……」
まあそのうちに慣れるであろう、人は環境で変わっていく生き物なのだから。
「それよりもどうですか、中途採用の新人達の働きっぷりは?」
「ええ、相対的に想定したレベルで働いてくれていますね。ネット予約部門に大勢注ぎ込んだお陰で、営業部も企画部もようやく本来の業務に戻れたと大喜びだそうです、ですよね庄司さん」
深く頷くと、
「それに付け加え、電話予約部署も新規開設したことで、年齢層の高い顧客を多く取り込む事に成功しています。ネット販売と電話予約の両部署の人員増設により今期の売上高が既に前年度を超えておりますが何か?」
鳥羽はポカンと口を開き、俺はうむうむと頷く。
「本当は来年のオリンピック関連の企画も今から立てていきたいのですが…… 例のアイツが… ねえ社長、ホントにアイツの言う事、信じちゃうんですか? 来年、東京オリンピックは大失敗に終わる、なんて戯言を?」
庄司もガックリと項垂れながら、
「私も専務に同意見です。営業部の佐藤さんの占いに従い、オリンピック関連の企画は一切不要、とはどう考えても合理的とは思えません」
鳥羽は悪戯小僧の笑みで、
「まあまあ。それぐらいの遊び心があってこその我が社、という事で」
とウインクされてしまう。いくら陰陽師の家系の凄腕占い師だとは言え…… 俺は庄司と顔を合わせ互いに首を振るしかなかった。
「ああ、そんなことよりも! 『居酒屋 しまだ』も秋に新装開店でしたよね? 早くまたあの深川メシが食べたいなぁ」
そうなのだ。あれからすぐに焼け落ちた古家を取り壊し、現在昼夜問わずの突貫工事で住居付きの店舗ビルを建設中なのである。
普通なら半年から一年はかかる工事を5か月でやり切るそうだ。この事業には光子を慕う地元の土木業界が一致団結し取り組んでおり、
「五階建てのビルになるそうです、一階と二階が店舗、三階が宴会室? それより上の階が光子、翔、真琴らの居住区域です。何だよ宴会室って、意味不明ですよね」
鳥羽と庄司が吹き出しながら頷く。
「ではオープンの日、その宴会場を我が社で借り切ってお祝いしましょう、光子さんにお伝えください金光さん」
俺は苦笑いと共に頷く。
「それと島田先生のこと! 来年個人事務所を開設するのですってね、素晴らしい!」
鳥羽が小さく拍手する。庄司も嬉しそうに、
「島田先生のお陰でこの自社ビルを取得でき、流石姐さんのお嬢様です」
そうなのである、社長の鳥羽には本当の経緯を話してあるが、社員達には真琴の獅子奮迅の働きにより、裁判でこの自社ビルを取得した事にしてある。
社員達の真琴への尊敬の念は凄まじく、彼らの要望によりこの7階に真琴の専用の部屋を作った程である。今後、週3日ほどここに常駐するらしい。奴らのことだ、彼氏の浮気疑惑や痴漢疑惑の相談などで真琴も繁盛するだろう。
「17分経ちました。専務、6階第会議室へ参りましょう」
鳥羽が俺に丁寧に頭を下げる。
* * * * * *
定時に会社を出ると、入り口の車寄せに俺の車が停まっている。『居酒屋 しまだ』のリオープンまで暇な光子が、車で送迎してくれることになっている。
新木場のこのオフィスから門前仲町までは徒歩だと1時間半はかかってしまうので、よっぽど季節が良くなければ徒歩で帰宅は厳しくなりそうだ。
なので当面は車で通勤しようと思っている、『居酒屋 しまだ』がオープンした暁には自分で運転してくるつもりである。当然地下駐車場に俺専用の駐車場は確保済みだ。
光子が運転席から出て、新社屋を呆然と見上げている。
「前来た時も思ったけどよ、ホントはここ、何社も入る複合オヒスビルなんじゃね?」
「オフィスビルな」
「それをオメーのとこで独占ってか、いや豪勢だなぁー で、社員はどん位増えたんだい?」
「えーと、今日20名入って、合計138名かな。半分以上は契約社員だけどな」
おおおお! と光子が唸っている。
「一気に、江東一の大旅行会社になっちまったなオイ!」
「ばーか。まだまだこんなもんじゃねえよ。オフィスは余りまくってんだから、あと300人は採用しようと思ってるぞ。その頃には上場も考えねえとな」
光子はゴクリと唾を飲み込み、
「マジかよ、一部上場企業の専務の彼女かよ……」
助手席でスマホニュースを漁っていると、今日も春ちゃんからメッセージが届く。
『お仕事お疲れ様でした(絵文字)私達も今練習試合が終わりました、金光は持久力とパワー共にアップしており大活躍でしたよ(絵文字)それよりも兄の初出勤(絵文字)しっかり仕事していましたでしょうか(絵文字)金光さんにご迷惑かけていないか心配で、3ポイントを2本外してしまいました(てへぺろの絵文字)』
俺が吹き出していると、
「おー、愛人一号からのメールか。このスケコマシがぁ」
俺は光子の頭を叩きながら、春ちゃんの兄の山下秋の凛々しいスーツ姿を思い出す。
真琴の尽力により山下秋はガルフ関連のオレオレ詐欺の実行犯として不起訴となった。二週間ほどの入院後、俺と真琴の前で土下座し、二度と犯罪に手を染めないことを誓った。
色々話をしているうちに、流石春ちゃんの肉親だけあって、相当の知性の持ち主であると分かり、
「もし良かったら、ウチの会社で契約社員をしてみないか?」
彼と春ちゃんは絶句の後、頭を床に擦り付けながら、
「春の為にも、命懸けで働きます!」
いや、懸けなくていいから、フツーに働けばいいから。
その彼が今日、中途採用の第三期生として入社したのであった。
「妹想いの大した小僧だ、しっかり面倒見てやんな」
光子も秋の処遇に賛成してくれている。くれている、のだが。
「で、ハルとデートすんのいつなんだコラ?」
「しねえよ。J Kとデートなんてするかバカ! 葵の先輩だぞ、手出す訳ねーだろ!」
光子は車を東京湾に架かる千石橋の側道に止め、
「いーや。アイツはなんかゆーこと同じ匂いがする。いつかアンタを喰っちまうにちげえねえ」
夕陽が東京湾岸の高層ビル群に沈んで行く。水面がオレンジ色に揺れている。
「あの子は葵の姉貴だ、そう思ってるよ。それにー」
俺は光子の額におでこを寄せ、
「俺の女王様は、お前一人だから」
と呟くと、
「もう。ホント口が上手なんだからっ そうやって何人の女子を騙してきたのかs―」
山ノ手モードの光子の唇を素早く塞ぐ。
確かな幸せを感じながら。