炎上
何だか俺の周りが忙しくなってきた。
まずは会社の件。半グレ組織である『ガルフ』による脅迫事件。
そして葵の先輩、山下春の兄がオレオレ詐欺に関わっている件。
同時並行で対処するのは困難だが、どちらも俺が関わらねば誰かが痛い目に遭ってしまう。
特に春ちゃんの件は歳が歳だけに、対応を誤ると一生を棒に振りかねないデリケートな案件だ、まずはこちらを優先させようと早速青木にメッセージを送る。
青木は是非春ちゃんと面会したいと言ってきたので、今日の夕方、葛西のファミレスまで足を伸ばしてもらうことになっている。
『金光さん、何とお礼をすれば良いか(絵文字)こんなに速く警察関係の方に対応していただけるとは思いませんでした、17時にファミレスでお待ち申し上げます(絵文字)お会いできるのを心から楽しみにしていますね(絵文字)』
この子だんだん絵文字が多くなってきている…… 徐々に俺に気を許している証左だ、正直満更で無いのだが。ちょっと若過ぎる、しかも葵の世話になっている先輩……
でも、綺麗な小顔、筋肉質の引き締まった腰にケツ、中々の双丘、礼儀正しさ、聡明さ。
よほど己を律しないと、思わず手を出しちまいそうな物件、もとい、女子であるのだ。
大丈夫だな俺、頼むぞ俺。間違っても手を出したりするなや……
余り自分を信用していない俺は、今後は青木と三人で会うことを固く決意したのであった。
「初めまして、警視庁捜査二課の青木です。この金光とは大学時代のバスケ部仲間だったんだ、よろしくね」
青木が笑顔で挨拶すると、
「日々矢高校女子バスケット部部長の山下春と申します。今回はわざわざ相談に乗っていただき恐縮です、何卒よろしくお願いします」
深々と一礼。
「金光。こんな礼儀正しい女子高生は初めてだよ。すぐにでも社会人になれそうだな」
俺はまるで我が子を自慢するように、
「そうだろう? バスケも相当上手いんだぜ、大学の体育会でもやれる程に」
春ちゃんは顔を赤くしながら、
「そんなことはありません、まだまだ未熟者です。そう、兄の不審な行動を見逃してしまう程に……」
とシュンとなってしまう。
青木は改まって、
「金光に連絡した内容を、もう一度俺に話してくれないかな。時間かけていいので、何でも思い出したことを言って欲しい」
おおお。我が親友の生事情聴取! 『沼津鮫』の腕前拝見だ。一体どんな攻めを見せるのだろうか、俺は申し訳ないが心底ワクワクしてしまう。
いや、凄いなこの男。
それが率直な感想だ。もっと刑事の取調べ、いや事情聴取ってもっとゴリゴリしたものだと思っていた。あ、そう言えば我が愛しの彼女の光子もこいつの事情聴取を受けたのだった、由子に至ってはガチの取調べを受けたし。
とにかく話を引き出すのが上手い。俺がメッセージで受けた情報の何倍もの話を引き出したものだ、例えば、
「ああ、兄はガソリンスタンドのバイトの先輩と仲良くしていました」
「そう言えばよくスーツを着て帰宅します」
「最近身だしなみが良くなりました、髪型もサッパリしましたし、ピアスもしなくなりました」
かれこれ一時間は過ぎたであろうか。時計を見ると6時過ぎだ。
「どうもありがとう。とても参考になったよ。それではこれからの事を伝えるからよく聞いて欲しい、いいかな?」
春ちゃんは真剣な表情で深く頷く。
「まず、お兄さんはオレオレ詐欺に関わっているのは間違いないと思われる」
彼女は呆然としつつ、懸命に正気を保っている様子だ。さぞやショックであろうに、それでも体育会で培われた精神力で何とか取り乱さずに頑張っているのだ。
「そして今のお兄さんを警察は救うことは出来ない。どうやらお兄さんはその組織に存在している事を誇りに感じてしまっている様だから。ここで無理矢理警察が介入したら、逆にお兄さんの立場が悪化し、最悪組織からの報復を受けてしまうかも知れない」
春ちゃんは顔面蒼白となってしまう。
「それは家族にも報復が及ぶ事もある、どうやらお兄さんは君をとても大事にしているからね。奴らは組織員の家族構成や友人関係も調べているからね」
小さな悲鳴が彼女の口から漏れる。俺も思わずぬるくなった水を一気に飲まずにはいられなくなる。
「従って、今後お兄さんにこの件の事を尋ねたり詰問してはいけない。言い換えれば、お兄さんを追い詰めてはならないと言う事。これは君を守る為でもある、分かるよね?」
分かっているが、という表情で渋々頷く。拳はきつく固く握りしめられている。
「オレオレ詐欺はね、暴力団がやっているのではなく、半グレと呼ばれる反社会組織が行なっている犯罪なんだ。彼らは一般人をマトにし、容赦無く全てを毟り取っていく。そして裏切り者を決して許さない。今最も注意しなければならない事は、お兄さんでなく君自身なんだ」
「私、自身、ですか?」
青木は深く頷きながら、
「君は冬の大会まで部活頑張るのだろう? 来年大学受験するのだろう? その全てが水の泡にならない様に、幾つか頼みがある」
春ちゃんはゴクリと唾を飲み込みながら頷く。
青木は春ちゃんと俺のスマホにアプリを登録させる。
「これは緊急時にタップすると、位置情報と音声情報を警察に流し続けるアプリだ。この事は他言無用で頼みたい」
俺と春ちゃんはカクカク頷く。
「部活仲間、後輩の実名をお兄さんの前で言わない事。逆に、部の試合の事や学校行事のことは積極的に話す事。お兄さんに不信感を持たせない為だからね、出来るね?」
何故か俺までも頷いてしまった。
「この金光とは今後定期的に直接会うこと、そして思いの丈を遠慮なく吐き出すといい、いいよな金光?」
春ちゃんは一瞬嬉しそうな顔をしてしまう、あーあ、青木にバレバレだぜ……
「ストレスは一人で抱えないこと。君は一人じゃない、金光もいれば、俺もいる。いいかい?」
「はい、分かりました。今後ともよろしくお願いします」
随分肩の荷が下りたようだ、笑顔で春ちゃんはファミレスを出て行った。
二人残った俺たちは、そのまま夕飯を注文した。
「で? 春ちゃんの兄から辿るのか?」
「バイト先の先輩が匂う。早速捜査に入らせよう」
「お前は直接関わらないよな、俺らには言えない別件があるんだもんな」
フンと鼻を鳴らしながら、
「仕方ねえだろ。お前らに関わらせたくねえんだよ、ホントにヤバい案件なんだから」
俺もフンと鼻を鳴らし、
「でも、お前の勘はよく当たるんだろ? 結局俺たちが関わっちまうんだろ?」
「今回ばかりはそうならない事を願ってるんだが。この山下さんの件も、何だか匂うんだよなあ、お前一度お祓い行ったほうがいいぞマジで」
ステーキハンバーグを突きながら真顔で青木が呟く。
ふと思い出し、
「そう言えば青木、今ウチの会社さ、ガルフって半グレに脅迫されてるんだけど何k―」
青木がナイフとフォークを取り落とすのを見て。
あーあ。青木の予感、当たっちまったらしいわ、帰りに富岡八幡で百度参りでもすっかな……
「で、明日にでも真琴ちゃん、光子の娘の弁護士と相談することになっている。警察には、所轄署に知らせておいた方がいいかな? それともお前の方で誰か寄越してくれるのか?」
「ちょっと、よく考えさせろ」
青木は最早皿には手を付けず、顎に手をやり真剣に考えている。暫し放っておこうと自分の皿を平らげ、コーヒーのお代わりを持って来ると、
「さっき教えたアプリをお前の周りの人達にインストールしてもらわねばならんな。おい、これから『居酒屋 しまだ』に同行させてもらいたい」
口に含んだコーヒーをだらしなく口元から溢しながら、
「お、おう」
会計を済ませ、俺たちは門前仲町に向かった。
「あああー、ヒロくん浮気だぁー せんぱいと浮気したぁー」
『居酒屋 しまだ』には折悪くテレビ番組の収録を終えた由子がカウンターで、健太や悪徳不動産業の青山や川村達と飲み散らかしている真っ最中である。
「何だよ軍司、お前そんな趣味があったのか、許せや俺は女一筋なんだ」
健太の戯言を無視し、青山と川村に青木を紹介すると
「サツがこの店に入って生きて帰れると思ってんのかコラ」
「この店はな、違い封建なんだよ、出てけや」
俺は溜め息を吐きながら、
「治外法権な。それとコイツは由子の彼氏だけど何か?」
と庄司のモノマネで言い放つと、
「何だってーーーーーーー」
「マジかよーーーー」
二人とも、真剣に由子を狙ってた? 絶叫しながら腰砕になってしまう。
青木が二人に、ガルフという半グレについて尋ねるや否や、
「アイツらマジで許せねーんだよ、なあサツなら何とかしてくんねーか?」
主に青山が逆ギレしながら突っかかる。
青木は冷静にそれを受け流し、そこにいる俺の仲間全員のスマホを出させ、件のアプリをインストールさせる。但し光子は未だガラケーなので、以前俺に伝えた電話番号を保存させ、名前に『金光裕紀』と入力させる。
「あああー、やっぱりヒロくんせんぱいと結婚しよーとしてるー、ひどーい、私を捨てる気ね、せんぱいと東京で同棲する気なのねー」
などと面倒臭いことを宣い、一時『居酒屋 しまだ』店内が不穏な空気になったものだ。
* * * * * *
翌日。
俺は真琴と一緒に電車に乗っている。
真琴は背が157センチ程度、ふくよかな体型で目立たない容姿だ。ただ顔付きは母親似であと20キロほど痩せれば光子そっくりな顔立ちとなるだろう、言い換えれば中々の美人顔である。
なので一緒に歩いていると、すれ違う人々が
(愛人と重役出勤かよ)
と言った視線を送って来るのが痛い。
昨夜遅くに『居酒屋 しまだ』に戻ってきた真琴にも青木は例のアプリをインストールさせ、真琴は青木に捜査内容をしつこく問い但し、青木対真琴の壮絶な舌戦が深夜1時まで繰り広げられたものだった、結果は青木の粘り勝ちだったが。
「あの人は前線の一刑事で働く器ではありませんね。流石キャリア組です、どこで好事多魔となってしまったのでしょうか?」
俺はちょっと吹き出しながら、
「静岡県警の某署長時代に、地元の有力政治家の不正を根こそぎあげちまったんだとさ」
真琴は思わず立ち止まり、
「キャリア署長が? そんな事をすれば…… いえ、してしまったのですか、成程それで…… 論旨明快です」
この子、一々難しい四字熟語をぶっ込んでくる。友達少ないだろうな。
会社に着くと、すぐに8階のレンタル会議室に真琴は通される。
「小さい会社だからな、会議室はレンタルしているんだよ」
真琴はそれは中々効率的、と呟きながら用意された席に着く。
対策会議は真琴の顧問弁護士就任の簡単な挨拶に始まり、庄司の渾身の事情説明に対し幾つか真琴からの質疑があった後昼食休憩となる。
昼食後、再開された会議の第一声は真琴が発した。
「結論から申し上げます。当社は彼らに対し、一切の補償を支払う必要はありません。今後為すべきことは、内容証明郵便にてこれ以上の督促に対し法的に対処すると告知することであります。事案が発生してから時間が経てば経つほど不利な状況になりますので、本日中に書類を認め早急に郵送するべきです。何かご質問は?」
庄司がサッと手を上げ、
「彼らは実力行使を厭わないと宣言しています、当社の財産及び人材の安全はどう担保するべきでしょうか?」
真琴はニッコリと微笑みながら、
「いい質問です。今後社員全員にこれから紹介するアプリケーションを私有スマートフォンにインストールしていただきます。このアプリは位置情報及び音声情報をリアルタイムで警察に送信出来るもので、直接的被害を最小限に抑止できる効果が期待されます。また今日以降、深夜までの残業は不可、退社時には複数名での行動を心がけてください。答えになっていますか?」
会議室を埋め尽くす20名ほどの社員一同から感嘆の溜め息が漏れる。
(やり手って感じだな)
(妙な迫力と説得力がある、あの人はホンモノだ)
(そうだ、三ツ矢のセクハラ今から相談してみようーかな)
(山本先輩の風俗疑惑、相談乗ってみようかしら)
若干名、個人的相談を持ち掛けようとしているのに苦笑してしまう。
真琴は時計をチラリと眺めながら、
「それでは4名一組でこちらに来てください」
一時間後。当社社員全員の危機管理が終了し、その後俺が主導して内容証明郵便を代表者宛に郵送した。
ゴールデンウィークが明け、喧騒の日々は過ぎ去った。と思いきや。来年の東京オリンピック関連の賜物なのだろうか、外国人客のインバウンドが例年に無い量となっている。即ち、当社の旅行商品が海外で買われ、その客がどっと日本に押し寄せてきているのだ、その対応の忙しさときたら……
「専務、いつからウチブラック企業になりはったんすか……」
もう三日帰宅していない城島が目の下のクマも痛々しく訴えると、
「城島、俺は5日家に帰ってねえ…… 冬の八ヶ岳縦断よりキツいぜ……」
企画部課長の上村がゾンビのような姿で囁く。
かく言う俺も重役出勤退勤している場合でなく、朝7時にはオフィス入りし終電まで残っている状態が数日続いている。
「全く、全然人が足りませぬ。今の倍は最低必要なのでしゅ」
すっかりメイクが剥げ落ちた田所理絵が頭がぶっ壊れた発言をかますと、
「同意、激しく同意です、もう無理かも知れないよぉ」
と新入社員の小宮百合が泣きべそをかいている。
この状態はいつまで続くのかと庄司に尋ねると、
「5月いっぱいは、今の状況が、続くと想定されますが、何か?」
ヒィーーーーーーーーー
企画部中に皆の悲鳴が鳴り響く。
「もう嫌だ。これ以上ムーリー、助けてーー」
何故か営業部の方からも悲鳴が伝わってくる。
すると突如キレた村上今日花が、
「アンタらがアホみたいに営業取ってくるからこんなことになったのよ、バカ!」
おいおい、こらこら……
「何よぉ、アンタたちが秒で完売するような物凄い企画立てちゃうからじゃん、死ね!」
ちょ、それは禁句だろ、
「秒で売っちゃうのアンタらじゃんかぁ、海外セレブを引き込んだスンバラしい戦略のせいなのよぉー、ドアホ!」
もはや口喧嘩なのか誉め殺し合いなのか…… 俺たち上司は止めようにも止められず、だ。
「もー嫌―、こんな会社無くなればいいのにっ ねー佐藤ちゃん、陰陽師パワーでなんとかしてよぉー」
佐藤恵。営業部所属の天才的占い師。平安時代からの陰陽師の家系筋で、その占いは時の内閣を動かしそうになる実力者なのだ。
その佐藤がげっそりとした表情で、
「皆さん。ご安心を。私の、占いによると、もう間も無く、この地獄から、私たちは、解放され、そうです」
ぉぉぉぉぉー
力弱い歓喜の声が社内に染み渡る。
「えー、どんなん? 突然社員が倍に増えるとか?」
「インバウンド客の乗った飛行機が落ちるとか?」
「分かった、今日中に円が90円に上昇するとかー?」
佐藤は首を振り、
「違います。違います。もうすぐです。もうすぐ……」
佐藤が全身の力が抜けた様に机に突っ伏してしまう、気を失った様だ、皆が佐藤の周囲に集まりだしたその瞬間。
ジリリリリリリリリリリ
皆の意識が一瞬で元に戻る、勿論俺もだ。
火災警報に間違いない!
オフィス内に白煙が立ち込めている、どうやら企画部の資材置き場付近から火の手が上がっているらしい。
「全員、非常階段から退避しろ! 身の回りの物だけ持て、すぐに退避しろ! 身を低く保て、煙は吸い込むな!」
そう言えば銀行時代には火災訓練は毎年やっていたが、この会社では簡単なブリーフィングだけだった。昔の訓練の賜物だろう、自然と口から非常事態に対する文言が怒涛の様に流れ出る。
「慌てるな、落ち着いて行動しろっ 自分の命優先だ、煙は吸い込むなぁ」
なんと逃げ足の速い奴ら……
気がつくと白煙が立ち込めるオフィス内には人っ子一人いない…… のを最終的に確認すべく、ハンカチを鼻と口に当てオフィスをサッと回る。
いたいた。
この惨事を数秒前に予告した有能な占い師が、そのままの姿勢で机に突っ伏している。俺は彼女を肩に抱え、うわ、見た目は細いのに意外に重っ それに、コイツ意外に豊満なものを持っているじゃねえか、なんて一瞬も思わずに一目散に非常階段に駆け出した。
ビルの外に出ると、既に夥しいサイレンが響き渡っており、真っ先に到着した消防車が消防作業を開始している。だが、火の回りは思ったよりもずっと早く、我が『鳥の羽』のオフィスは瞬く間に炎の波に晒されている。
「専務、佐藤を下ろしてください」
営業部長の村松が泣きそうな顔で言うので、じゃあ頼むと佐藤を肩から下ろそうとすると、
「いやっ このままがいいのっ」
と俺にしがみついて降りようとしない。さぞや火災がショックだったのだろう、と同情しかけるとー
「ちょっ めぐみん、もう降りなさいよっ」
「いつまでキン様にしがみついてるのよ、セクハラよセクハラ」
「ずるいっ キン様直々に助けてもらって! これが狙いだったのね、ズル!」
…… おいおまえら。目の前で会社が炎上しているのだぞ、ネット上の炎上じゃ無いんだぞ。危うく命を落とすとこr―
「全員、存在確認っ 部署毎に分かれて人数数えろっ 逃げ遅れた奴はいないか、確認しろっ」
庄司がスッと俺の前に立ちはだかり、
「行方不明者は佐藤恵さん一人でした。あとは全員脱出確認済みかつ負傷者ゼロですが何か?」
一体どんだけ出来る奴なのだお前は!
全員脱出済みと聞いて、俺は全身の力が抜け、不覚にも意識が遠くなっていく……
* * * * * *
「―っはよー、そろそろフツーに起きなよー、センムー」
なんだか聞き覚えのある声と口調が。
「まーたウチの病院に入院しちゃって。そんなにアタシが恋しいの? フツーに奥さんに言いつけちゃうぞー」
あれ? 橋上先生! どうして?
「もー、社員の命守るの頑張っちゃって。お手柄だったね、センムー」
橋上智恵先生。月島にある新豊洲メディカルセンターのPhysical Trainer、理学療養士。慶應大学卒、三葉物産勤務の才女にして無口でニヒルな優秀な先生である。
去年の夏に交通事故で足の手術をした後、ずっと俺のリハビリを担当してくれた、心身共に大変お世話になった恩人だ。
「どうしてここに? あれ、俺?」
ガバッと起き上がり、
「佐藤は? 佐藤恵は無事ですか? アイツも大分煙吸い込んだみたいー」
先生はニッコリ笑いながら右手の親指を突き出す、この人帰国子女だから。
俺は心底ホッとして、自分に怪我がないか手足を動かしてみる。特に異常は無さそうだ。
「ちょっと煙を吸いすぎて、フツーに軽い一酸化炭素中毒だよ。後遺症も無いでしょう」
「そっか、ありがとね先生」
外国人の様に肩をすくめながら、
「外にいる奥さんや社員達と会う?」
俺が頷くと、
「全く。フツーに奥さん泣かせるなよな、この色男め」
と言いながら自分のおでこを俺のおでこにくっつける、ちょ、やめてよ……
「アンター、生きてんだな、アンター、アタシを置いて死ぬんじゃねーよ、アンター」
光子が泣き腫らした目と鼻水だらけの鼻元のまま俺にしがみついてくる。
「だーかーらー、生きてるって。わりい、心配かけたな」
俺と光子が固く抱き合っていると、周りから笑いを堪える雰囲気を感じる。
鳥羽社長が俺の手を握り締め、
「金光さん、貴方っていう人は、本当に…… ありがとうございます、佐藤さんを助けてくれて、ぷっ」
何故か涙目で吹き出している?
田所常務も肩を振るわせながら、
「貴方の避難命令が素早かったから、皆が助かりました。なんと感謝すれば…… プププ」
おい。こら。失礼だろ俺に?
俺が光子を抱きしめながらムッとしていると、我が最愛の部下、庄司が大声で、
「5秒以内に、額のキスマークを消してください、さもないと……」
は? キスマーク? あ、さては橋上先生め、イタズラしたに違いない。
光子がガバッと俺の抱擁から離脱し、俺を見上げ、
「コラっ それはアレか? 会社でニャンニャンしてた跡なのか? それとも病室でニャンニャンしてたのか? どっちなんだオラアーーーーーー」
光子の膝蹴りがまともに俺の金的にヒットし、俺は一瞬で気を失った、大笑いに見守られながら……
2度目の目覚めである。
恐る恐る目を開くと、病棟の廊下に放置されていた、まさかの放置プレーに愕然としていると、
「ったくどいつもこいつも。バカしかいないのかこの街には」
何故か青木がブチキレている、え、何故青木がここに?
「全くお前は。だからちゃんとお祓い行っておけと言っただろうが」
青木が無表情で吐き捨てる、そんな事言われたってさぁ……
「今、消防と共同で出火原因を調べている。何か心当たりは?」
一週間ほど前に、例の半グレの代表者に内容証明郵便を送付したと伝えると、
「そうか。出火の状況を覚えているか?」
俺は白煙に満ちた記憶を少しずつ思い出しながら、ゆっくりと青木に説明する。
「企画部には資材置き場があって、そこに宅配物や郵送物を一時的に置いているんだ、そこから赤い炎を見た気がする」
青木は軽く頷き、
「分かった。今回の件は大々的にマスコミに発表するからそのつもりで」
俺が眉を顰めると、
「結果、それが社員を守ることになる筈だ」
そう言うことか、と納得する。
「故に、お前は一週間程ここに入院してくれ。マスコミには専務取締役は瀕死の重症と既に流してある」
ああ、だから光子は半狂乱になっていたのか。ホント策士だよコイツは。
「ほれ、お前のスマホ。着信すげえ事になってるのは奥さんには黙っといてやる、貸し一つな。あとおでこのキスマーク、二つとも消しとけよ」
やっと青木が笑みを見せる、しかしながらこめかみはピクピクしたままであった。
ん? 二つ? 一個増えてるぞ?
青木が立ち去った後、橋上先生に連れられて個室に入る、半年ぶりか、なんて感慨に浸っていると、
「センムーは不幸を引き寄せちゃう体質なのかもねー こりゃあ一緒になる人は大変だわ」
と言いながら笑っている。
「そうかな? でも確かにこの数年、会社クビになって女房に逝かれて女に訴えられて、そんで新しい会社ではハブられて夏に交通事故に遭って、秋に詐欺事件に巻き込まれてそれから? 危うく会社が乗っ取られかけて。そしてとうとう会社が燃やされた、か。おいこら、笑い事じゃないだろう!」
もはや大爆笑している先生が涙を拭きながら、
「すんごいね、とんでもない悪霊がフツーに取り憑いてんじゃね、ウケるー ブハハハハ」
それにしても。
やってくれたな、ガルフ。
俺の大切な会社を、大切な社員を。
断じて許さない、たとえ反社会組織であろうと、俺の大切なものを壊そうとする奴等を、俺は決して許さない。三倍返しだっ
「それにしても、あの刑事フツーにとんでもねえヤツですね。人命救助のヒーローをバカ扱いなんて」
あれ? アイツそう言えば、「どいつもこいつも」と言っていた気が?
「そーなんですよ、今朝救急搬送された患者を処置室で怒鳴り散らしてたんすよ、可哀想にその患者さんオイオイ泣いちゃって」
青木が? わざわざこの病院に運ばれた患者の元へ来て、怒鳴り散らしただと?
「その患者って、どんな感じの人?」
「フツーにちょっと怪しげなオッサンですよ、両脚を折られて顔もボコボコにされて。処置が終わった後あの刑事が飛んできて」
それは不運な。
ん? 捜査二課の刑事が傷害事件に赴くか? 確か青木の捜査二課は詐欺事件などを担当するはず……
「じゃあ詐欺事件を起こして逆に被害者にボコられたとか? そんで刑事にしこたま怒鳴られて? 可哀想な青山さん……」
ちょっと、待て。
「今、何て言った? 青山?」
先生は不思議ちゃん顔で、
「そーっす。青山譲治さん、52歳、江東区在住―、おっとこれ以上は守秘義務―、って、あれ、ひょっとしてセンムーの知り合い? まさかね?」
そのまさかなのですよ橋上先生。
青山が、悪徳不動産の青山が暴行を受けて重傷を負った!
不意に『居酒屋 しまだ』での言動が蘇ってくるー
(それよりも姐さん、あのガルフの野郎ども、何とかなりませんかね。木場のオフィスビルの一件なんすけど、俺の方が先に手付払ったのに売主脅して掻っ攫いやがったんですよ。荒川会のシマ内ですよ、何とかしてくださいよ)
まさか青山も、ガルフの魔の手にかかったのか?
「青山は今入院中?」
「フツーに一般病棟にいますよー」
俺は先生の両肩を掴み、
「頼む、青山に会わせてくれないか? さっき俺のおでこに口紅でキスマーク付けたのは忘れてあげるから!」
先生は似合わないテヘペロをし、
「ちょっとだけよぉー」
なんとも昭和な返しに棒な笑いを返し、先生の後ろを歩いていく。
「え? キンギュ? マジか、さっしょく見舞いに来てくれりゅとは。やっぱお前はマブダチだりょ」
歯が何本か欠けており、顔はパンパンに腫れ上がっている、どれだけ殴ればこんな風になるのだろう。
「一体全体、何があったんだ? 実は俺の会社、ガルフの野郎に燃やされちまって」
潰れた瞼から凄まじい視線が俺に突き刺さる。
「おま、オマエみょか、マジか、アイツらぜってーゆりゅしぇねえ」
それから小一時間かけて、なんとか青山から顛末を聞き出した。前に『居酒屋 しまだ』でインストールさせたアプリが無ければ、今頃死体で見つかっただろう。
要約すると、青山は荒川会のキル子の名前を出して、手付金と詫び金をガルフに要求した所、金を払うからと呼び出され、そこで拉致されて別の場所で殺されかけたらしい。事前にアプリを起動させておいたので、奴らが青山にトドメを刺す直前にパトカーが駆け付けたという。
「青木がキレるのも納得だな。あれ程勝手にアイツらにコンタクトするなって言われたじゃねえか。これに懲りて、真っ当な商売しろよ、な?」
腫れた瞼の隙間から涙が溢れる。
俺はその涙を指で拭ってやり、そっと頭を撫でてやった。
* * * * * *
個室に戻り、スマホを開く。主に春ちゃんから大量のメッセージが来ている。
それらを要約すると、
(葵から聞いたのだが、会社が火災に遭い金光さんが負傷されたとの事、心配で心配で堪らない、元気な返信をいつまでも待ち続けるから)
ハハハ……
後半のメッセージは絶対光子や葵に見せられない。それ程俺への愛に満ち満ちた内容であった。
さてどうしたものか、と悩んでいるとまた一件。
『生きていると信じています。もし貴方がこの世にいなければこの世はなんとつまらないものでしょう』
まるでシェークスピアの台詞のような一文についニヤけてしまう。
少し時間をかけて、彼女に長文のメッセージを送った。
『連絡が遅れて申し訳ない。俺は怪我もなく元気です。とある事情で暫く入院するので当分直接会えません。然し乍らどんなに長くとも夜は必ず明けるから。次に会う時まで無理をせずに元気でいてください』
送信してから伸びをするとすぐに着信を知らせる音が鳴る。
『無事なのですね? 怪我はないのですね! 安心しました、ありがとうございます。次にお会いできるのをマルカムの決意を持ってお待ちしています。どうかご自愛くださいませ』
おおおっ 流石、日々矢生だ、マクベスに精通しているとは。俺は途中で脱落したが。それにしてもマルカムの決意? なんじゃそれ? 今度翔にでも聞いてみよう。
それから懐かしの病院食を平らげ、入浴を済ませ、一息ついた所で今日1日を振り返ってみる、なんとも激動の1日であった。
まさか奴らがこんな過激な報復を行うとは夢にも思わなかった。まさに我々『鳥の羽』従業員の命を狙った、許されざる行為である。
明日からの営業だが、まずは仮の社屋の確保が先決だ。顧客データや企画した旅行内容などはクラウドに保存してあるから、数台のパソコンが確保されればすぐにでも営業再開出来るはずだ。夕食前に企画部長と営業部長に打診した所、直ぐに設備の整ったオフィスを探すとの返事を受けている。
つけっぱなしにしてあるテレビでは、ニュース番組で盛んに『鳥の羽』社屋火災のニュースを流している、中には半グレ組織の犯行か、と大筋を捉えているものもある、これはきっと青木がリークしたに違いない。
これだけ大々的に国民に周知されれば、今後は簡単に我々に手出しは出来まい、青木の策士ぶりに苦笑いだ。
青山の件である。
本当に馬鹿な男だ。荒川会と言うヤクザ看板を過信して奴らから大金をせしめようとしたのだ。ヤクザなんて屁とも思っていない半グレ組織に通じる筈がないであろうに。まあ、命が助かっただけ得と思わねばなるまい。
然し乍ら。不安が胸を渦巻く。
一応こいつを『仲間』と認識している光子が、このまま放っておくであろうか?
今の所、青山への傷害事件は全く報道されておらず、どころか光子も健太も知らない筈だ、青木がキツく口止めしたらしいから。
だからもし何かのキッカケで青山への暴行の事実が光子達に知られたら、彼らは必ずガルフに報復行為に走るであろう。
これを青木は最も警戒している、と言っていた。
今は堅気で一般人の光子や健太達だが…… 昨年の真夏の『大人の修学旅行』での惨事が思い出されるー
俺たちを乗せた大型バスを煽ったワゴンをサービスエリアで取り囲み、運転していた若者を搾り上げていたあの姿を。
その若者が翌日偶然俺たちの帰路のバスを見つけ、サービスエリアで休憩しようとバスを降りた所に突っ込んできて、俺は避け損ねて左足を複雑骨折したのだった。
アイツらが下手に報復だなんだと騒ぎ立てれば、その周囲の人々を巻き込むだろう、そして今回は本当に命の危険を伴うだろう、そう青木も俺も見ている。
なので、青山のスマホを没収し、この病院にほとぼりが覚めるまで監禁することにしたのは賢明な処置だと思う。
あとは青木達当局が如何に早くガルフを取り締まってくれるか、なのだが。
あれから青木の連絡は、無い。
翌日から、半年前の日々が戻って来る。
朝イチに光子が病室にやって来て、あれやこれやと俺の身の回りの事をしてくれる。
「アンタ、本当に何ともないんだろうね、ニュースでは意識不明の重体って報道されてるぜ?」
俺は頷きながら、
「世論をしっかりと味方につけ同情を誘うための作戦だ。青木が考えてやっている」
光子は口笛を吹きながら、
「おお、ヒロ坊が! そんなら間違いはあるめえ。それよりよ、この数日ジョージが店に来ねえし連絡がつかねえんだけど、何してんのかねえ」
ジョージ、即ち青山譲治。この病院に入院しているのは秘密にしてある。
「どっかフラッと若い女と旅行にでも行ったんじゃねえか?」
光子は首を傾げ、
「そんなら自慢げにエロい写真を送ってくる筈なんだけどよ。ったく、ガルフの若造にでもボコられて入院してんじゃね、ダッサ」
ゴクリ。時々コイツの勘の鋭さに背筋が冷たくなる事がある。
「それよりも、葵と翔の様子はどうなんだ? さぞや心配してんじゃないのか?」
「全然。こうるせえジジイがいなくて、二人ともガッツリイチャイチャしてるぜ、毎日。ギャハハ」
ピピピピ ピピピピ ピピピピ
血圧や脈拍を測っているベッドサイドモニターが絶叫し始める……
数日後。
『鳥の羽』仮社屋が定まり、一般業務が再開される。
場所は鳥羽社長の友人の伝手で、葛西の物流倉庫街の一角の古いビルを借りる事ができ、オフィス用具一式をレンタル会社から借り受けてのリスタートである。
「まあ、設備は古いものの、会議室が三つもあり、皆そこそこ意気高く仕事を再開してくれていますよ」
鳥羽が満足そうな笑顔で俺に語っているのを見て、少しホッとする。
「佐藤さんも早々に復帰してくれました、専務がいらっしゃらないのを寂しがっていますよ」
「それは良かった、いや良くない……」
鳥羽は吹き出しながら、
「あと、いい機会ですので、前々から専務が提言されていた中途採用を大々的に行うことにしました」
圧倒的な人手不足の特効薬である、と前々から進言していたが、3月末にクビになった三ツ矢前営業部長が悉く退けていた懸案だった。
なんて事はない。社屋が火災で失くなり、新たな『鳥の羽』が正に不死鳥の如く蘇ろうとしているのだ、素晴らしい事だと俺は何度も頷く。
「村松部長が早速ネットに求人を出しました所、今日だけで100名以上の応募がありました」
俺は驚きの悲鳴を上げ、
「やはりオリンピックを控え、この業界は大人気なんですね。どうです、一気に倍の人数を採用してみては?」
鳥羽は目を剥きゴクリと唾を飲み込む。
「100人、体制、ですか?」
ニヤリと頷きながら、
「ええ。世間も我が社に同情の目を向けてくれていますし、絶好の機会じゃないですか? 好機逸すべからず、ですよ社長」
鳥羽は苦笑いで、
「貴方のお陰で、我が社はサークル活動の延長から、一企業として羽ばたき始めたのですね、分かりました。村松さんに伝えましょう」
そう言うと鳥羽が俺に右手を差し出して来る、その手をしっかりと握りながら、
「逆境こそチャンスですよ、ガツガツ行きましょう!」
鳥羽は大きく頷き、
「そうじゃなぁ、今がチャンスじゃ、全力で登って行きもんそ!」
顔面を紅潮させ大声で叫ぶ、鹿児島出身だったとは知らなかった……
* * * * * *
五日ほど過ぎ。
毎日、下手したら毎時間。
春ちゃんからの熱いメッセージが俺をたじろがせる。
まるで俺の入院が自分のせいであるかの如く、兄の不始末を詫びては悲しんでいる。今の所は青木の指示通りに深入りを忌避できているようだが、この調子ではそのうちに兄を問い詰めてしまうかも知れない。
と危惧していた夜。
葵からラインで、
『春パイセンが今日の部活来なかったんだけど、パパ何か知ってる?』
俺は慌てて春ちゃんにメッセージを送る。いつもならば5秒で返信が来るのだが、いつまで経っても返信が来ない。
俺は顔がサッと青ざめるのを感じ、再度メッセージを送る。
返事は、無い。
すかさず青木にその旨を連絡すると、すぐに直電がかかってくる。
「詳しく話せ」
いつも以上に端的だ。
俺は葵の話とメッセージに返信が来ない事を伝える。
「まずいな。アプリは開いていないらしい。彼女の家に捜査員を派遣するから、待機していてくれ」
それから30分後。
「兄も彼女も、今日の昼から消息不明だ。母親も心配してオロオロしているようだ。最悪なことに、彼女のスマホは部屋に置きっぱなしだった、これでは手の内ようがない」
俺はソファーから立ち上がり、
「そんなっ 何とか行方分からないのか? まだ17なんだぞっ」
「分かっている、今家周辺の防犯カメラのチェックを開始した、聞き込みも始めている、お前は大人しくそこで待つしかない、分かるな」
拳でガラス製のテーブルをガツンと叩く。
「ああ、分かってる。頼む青木、あの子に何かあったら、俺は……」
額からの汗が目に入る。
「新しい情報が入ったら伝える」
電話は非情にも切れた。
ソファーにもたれかかり、放心状態となる。
あんな将来有望な子が、半グレ如きの魔の手にかかり、その将来をグチャグチャにされてしまう、そんな可能性に吐き気を催してくる。
俺に何か出来ないか? 俺にしか出来ないことは何か無いのか?
このまま手を拱いていたら、あの美しい顔が歪み、服を剥がされ、奴らの欲望のままに……
気がつくと山本くんに直電していた。
「お疲れ様です専務、こっちは上々の動き出しですよー、クラウドにいr」
「おい山本。前に荒川会の幹部の名刺もらってたよな?」
「へ? ああ、はい、ですねー」
「名刺を写メして俺に送れ」
「へ? なんで?」
「いいから送れ、でないと光子に言いつけるぞ、言うこと聞かない小僧をボコれってな」
「ヒイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
電話が切れた。
大きな溜め息を吐いてスマホをソファーに放り投げる、部下に当たってどうすんだ俺。馬鹿野郎―
スマホが鳴動し、開くとブレブレの名刺の写メが送られてきた。
『ありがとう山本。このお礼は神田きくかわのウナギでどうだろう?』
5秒後に、あざっす、のスタンプが送られてきた。
俺は緊張しながら、名刺に書かれた電話番号をゆっくりとタップしていく。
呼び出し音が4回鳴った後。
「中村です」
俺はゴクリと唾を飲み込んでから、
「以前、『居酒屋 しまだ』で紺野桐子さんと同席しました、島田光子の連れの金光と申します」
一瞬、間があき、
「どうもその節は。で、何か御用でしょうか?」
「実は。娘の高校の先輩が、ガルフに拉致されました」
「そうですか。ちょっとお待ちを」
蛇の道は蛇だ。警察が頼りにならない一刻を争う時だ。
使えるものは何でも使う。俺の出世のやり方であった。
「金光さんだっけ? クイーンの彼氏な、それでその娘はいつ攫われたんだい?」
キル子だ。貫禄のある低い声で聞くものを震わせる圧を感じながら、
「紺野さん、ご迷惑おかけします、今日の昼から連絡が取れなくなっています。彼女の兄がガルフのオレオレ詐欺の出し子をやっているのです、その兄も消息不明なのです」
「ふぅん、そんなら幹部のパクあたりが仕切ってんだろうよ、おい中村、ちょっと突いてみろ」
へいっと言う野太い声がする。
「まあクイーンの彼氏の頼みだから仕方ねえけど、あんまし上手いやり方じゃないよ。堅気の人がこんなやり方やってちゃいつかドツボにハマっちまうよ?」
「分かっています。なのでこっちも情報を渡しますよ」
スピーカーにしているだろうキル子が無言となり、その取り巻きもシンとなる。
「五日前、クイーンの仲間の不動産屋の青山が、ガルフに拉致されて暴行を受け入院しています」
相変わらずシンとしたままだ。が、話を進めろという無言の圧力を感じ、
「青山は紺野さんの名前を出し、奴らに詫びを入れさせようとしました。ですが奴らはそれを無視し、青山に両足骨折、全身打撲の瀕死の重傷を負わせました」
ガラスの砕け散る音、痛みに苦痛を上げる声、怒りに怒鳴り散らす罵声が輻輳し。
「そいつは知らなかったよ金光さん。どっからその情報を?」
俺はカラカラの喉をペットボトルの水で潤し、
「実は僕の会社もガルフの嫌がらせで火災炎上しました、これも五日前の話です」
ああ、あの話か 確か有楽町のー 重役が重体なんだろ?
「その重役が僕です、青山と同じ病院で入院しているのです」
「よぉし。話は分かったよ金光さん。後はこっちに任せておきな、その嬢ちゃんの居所もこっちで見つけ出すさ、おい中村、分かったのかい?」
へい、分かりやした と野太い声が返事をした。
「お嬢ちゃんの身柄も、青山の件も、こっちで引き取るからね。金光さんはそこで大人しくしているんだよ、分かったね」
分かりました、と返事をする前に、乱暴に電話が切られたのだった。