不吉な訪問者
2019年4月。
東京 江東区 門前仲町。
俺が生まれ大学卒業まで過ごした街。4年前に妻の逝去、出世競争での失脚などによって娘の葵と戻ってきた街。
すっかり春めいた優しい日差しが重役退勤で五時前に退社して歩いている俺を包んでくれる。この所すっかり『ウォーキング』にハマっており、会社のある有楽町から門前仲町までの4、50分程の道のりを毎日嬉々として歩いている。あ、朝の出勤は電車だけどね。
先月、葵と行った京都への旅行で京の街を二日間歩き倒し、本当はタクシー使いたかったんだけど仕方なくね。それが意外に気に入ってしまい、以来会社からの帰宅は専ら徒歩と決めている。
道筋は日毎に変えているのだが、メインは鍛冶橋通りで八丁堀を抜け、隅田川を永代橋で渡りそのまま永代通りを東進していくルートである。
因みに今渡っているこの永代橋は、1698年に架けられたのが最初だそうな。元々銀行マンだった俺はそもそも歴史にそれ程詳しくないんだが、葵の彼氏の島田翔曰く、
『歌川広重の有名な「名所江戸百景」にも描かれた由緒正しい橋』
らしい。但し、
『初期の永代橋は百メートルほど上流に架かっていた』
そうだ。正直俺にはどうでもいい話である。
問題は。
葵と翔と、俺の複雑な関係性なのである。
葵はこの4月、晴れて都立高校の名門、都立日々矢高校に入学した。翔は中高一貫の私立の超名門、開聖高校に上がった。こんなしょぼくれた俺の娘が天下の開聖生と付き合っていることに本来ならば狂喜乱舞すべきことなのだろうが。
この翔というのが、俺の彼女の孫なのである。
孫なので、ある。
永代橋の真ん中で、隅田川を見下ろしながら大きな溜め息を吐き出す。
俺の彼女。
今から向かう門前仲町の居酒屋のオーナー。
顔が自然に綻ぶ。
いかんいかん、折角早く会社を抜け出したのに、こんな所で黄昏れていてはまた怒鳴られてしまう……
俺は顔を引き締め永代通りを門前仲町方面に歩き出す。
永代通り沿いにある東京メトロ東西線の門前仲町駅から南に一本通りを入り、しばらく東に進むと『居酒屋 しまだ』が見えてくる。オープンは2008年なので今年で開店11年ということになる。
外観は古民家風で今風なお洒落な居酒屋だ。そう言えばこの店に初めて来たのは丁度去年の今頃だったな。感慨深く外観を眺めていると、
「おーい軍司、早いじゃんよ、さすが専務取締役ってかー」
とウザい声が背後から響いてくる。
高橋健太。中学生時代の同級生。『ツッパリ』全盛期のあの頃に全力で突っ張っていた男で、我が母校の江東区立深川西中でも番長だった輩だ。今は家業の左官屋を継いでいる。
「なーに人の顔ジロジロ眺めてんの、ささ、入ろうぜー、いひひ」
「気味悪いぞ、なんだその笑い方は?」
「ウッセーなキングさんよぉ、ったく幾つになっても生徒会長様様ってかー、ギャハハ」
俺はこめかみがピクピクするのを感じる。
「おい健太。葵と翔の前でその『キング』ってぇのはやめろよ絶対」
健太は悪戯っ子の表情で、
「えー、いーじゃんよー、学業優秀、スポーツ万能、西中の生徒会長様だったお前は、誰が何と言おうと深川のキング様じゃねーか、ぎゃははは」
よせ。やめろ。マジで葵の前でその二つ名やめてくれ。葵が俺を蔑み冷たい視線で『何それ、キモ』と吐き捨てるのが眼に浮かぶ。
「それよりよー、楽しみだぜ今夜の誕生日会、ギャハハ」
俺は健太の後頭部を激しく殴打しつつ『居酒屋 しまだ』の暖簾をくぐるのだった。
店内にはまだ誰もおらず、俺と健太が一番乗りである。
「らっしゃい、キンちゃんとケンタ。まさかの一番乗りじゃん、えらいえらい」
とやけに上から目線で俺らを出迎えるこの店の従業員、小林忍。かつてこの店の主の舎弟だか舎妹だったらしく、そうつまりは俺の彼女の舎弟だか舎妹…… よく分からん。
「へっへっへ、俺も今夜は気合い入れて祝っちゃうからさー、忍ちゃん生ちょうだい生二つ!」
忍は眉を顰め、
「てか、なんで葵ちゃんの誕生日会をこんな居酒屋ですっかね、今時の若者の価値観がサッパリ分からないっす」
と首を振りながらジョッキにビールを注いでくれる。
問題は。
今日16歳になった葵が、誕生日会を是非とも『居酒屋 しまだ』でやって欲しいと懇願したことである。おかしいだろ、花のJ Kが自らの生誕をこんな薄汚い居酒屋で開きたいなんて?
ガラガラガラ
入り口の扉が乱暴に開かれる。
「薄汚いって上等じゃねえかコラ! 文句あんならとっとと出て行きやがれクソが!」
と激しく罵りつつ両手にスーパーの買い物袋を下げながら入ってくる女。
真っ赤な革ジャンに細身のジーンズ。黒の髑髏入りTシャツに金色のスニーカー。金色の髪をポニーテールに結え、スッピンながらに軽くルージュを引いている。
誰がどう見ても『目を合わせてはいけないタイプの人』である。
「アンタ、今日も会社から歩いてきたん?」
「ああ」
「後遺症はねえようだな、よかったよかった」
昨年の夏、交通事故で左足を複雑骨折してから歩行困難だったが、大分良くなっている。
「アタシのあげたスニカーがいいんだろ、それだよそれ、なー」
スニーカーな。これが俺の彼女である。
「そう言えば、キンちゃんと姐さん丁度一周年じゃね?」
忍がジョッキを差し出しながら呟き、俺と彼女は赤面する。
「そーじゃんそーじゃん、なあ軍司俺のおかげだよな、クイーンと付き合えたのは俺のおかげだよな、そうだよな?」
クイーン。
本名、島田光子。俺ら深川西中で同級だった筋金入りの不良。かつて東東京から千葉の辺りまでの不良グループを仕切っており、地元のレディース即ち女子暴走族団の幹部もやっていたらしい。
他のレディースとの抗争で相手のボスの片目を潰し、駆けつけた警察官を殴り倒しかつパトカーを大破させた『お台場の乱』という事件は未だに地元で語り継がれている(らしい)。因みにその抗争のきっかけとなったのが忍だったとか。
そんな未だに危険人物扱いされている女がこの俺の彼女。
この、かつては地域を代表する優等生だった俺の、彼女……
「てか、久々じゃん、キングとクイーン… プッ ウケるー」
「それなっ キンクイなキンクイ、ぎゃははは」
俺は首をうなだれ、ジョッキをカウンターに置き便所に歩いていく。
古のディスコ呼ばわれショックを克服し、便所から出てくると
「で? アオジルはまだなんか? オッセーなクソガキがっ」
「人の娘を健康食品扱いするな。葵は五時過ぎに来るって言ってたけど……」
時計はとうに五時を過ぎている。スマホが鳴動しスワイプすると、
(今結衣と合流、あと五分)
「だってさ」
光子は首を傾げ、
「あれ、アオジルのダチって誰が来るんだっけ?」
「中学時代の同級生の結衣ちゃんって子と高校のクラスメイトだと思うが?」
「ふーん。あんまガヤガヤ連まねえのはアオジルのいいとこだな。少ねえ仲間とガッツリ連む、今時のガキにしちゃあ上出来じゃねえか」
それはどうか? 友人仲間は多いほど良いと思うのだが。てか、お前こそ友達仲間で溢れかえっているじゃないか?
「え? そうかー? それよりよー、友達ゼロで彼女しかいないウチの孫、どーすんだよ」
問題は。
そんな光子の孫であり葵の彼氏である翔。コイツが最近すっかり……
「あ、お父さん! お早いですね、お仕事お疲れ様です!」
初々しい学ラン姿で眩し過ぎる笑顔。薄暗い店内をパッと明るくする少年が俺に近付いてくる。
「今日も会社から歩いてきたそうですねお父さん。あは、京都散策が懐かしいですねー」
そうなのだ。先月の葵との京都旅行に何故だかコイツと光子が付いてきて、彼氏彼女とその保護者旅行となってしまったのだった。
そしてそれ以来、俺を公然と父親呼ばわりするのである。
「そうそう、会社の部下さんに京都の百万遍周辺の話聞いてもらえました?」
「あ、ああ、村上が喜んで資料作ってくれるってよ」
翔は満面の笑みで、
「嬉しいな、お礼しなくちゃ。あれ? 葵ちゃんは?」
「もうすぐ到着だ」
「うわ、着替えてこなきゃ、では後ほど」
そう言って翔は慌てて店の奥から2階の住居部分へ昇っていく。この店の2階部分は光子と翔の居住区画であり、先月末からは光子の娘、翔の母親である島田真琴も同居し始めたのだ。何ともややこしい人間関係が渦巻くこの『居酒屋 しまだ』
健太に連れられ通い始めて丁度一年。そして光子との付き合いも……
* * * * * *
「ただいまー」
まるで我が家に入ってくるかの如く、葵が暖簾を潜ってくる。軽く舌打ちをしていると、
「お邪魔しまぁす」
「失礼しマァース」
「失礼しますっ」
あれ? 三人友達連れてきたぞ? 結衣ちゃんとクラスの同級生と、あと一人?
そのタイミングで翔が二階から着替えて降りてくる。
「ただいまぁー、翔きゅーん」
俺はムッとし翔は苦笑する。
「この子、結衣ちゃん、覚えてるよねー、西中で一緒だったぁ」
茶髪でピアスのギャル風の結衣ちゃんがニコって笑いながら
「うわ、背伸びたんじゃね? お久―」
翔はカクカク頷く。コイツ中高男子校なものだから、女子との会話に慣れてない感が半端ない。
「で、この子はオナクラでオナ部の井上美咲ちゃん。一番町住みのお嬢だよぉー」
何だよオナクラ? オナ部? 恐らくだが同じクラスで同じ部活、と言う見解で間違いなかろう。
そうそう。葵は中学時代、俺と同じくバスケ部だった。俺がいた頃の西中は都大会常連校で俺も都大会ベスト8まで行ったことがあるのだが、最近は都大会どころか地域予選でも2回戦止まりだったらしく、あまり熱心にバスケをしていなかったのだが。
高校に入り、いつの間にかバスケ部に入部していた。翔曰く、彼女のアジリティは素晴らしく、ボールハンドリングも中々であり高校でもそこそこやるであろうとの事。因みに葵の試合には一度も応援に行ったことがなく……
「で、この方…… バスケ部の部長の、山下春パイセン…」
長身の女子がペコリと頭を下げる。
「初めまして。都立日々矢高校女子バスケットボール部部長の山下と申します。本日はお誘いも無いのに急にお邪魔してしまい申し訳ありませんでした」
俺と翔は仰け反りながらも慌ててお辞儀してしまう。
「この金光は小柄ながらアジリティとテクニックに富んでおり、インターハイ予選の重要な戦力と考えております。つきましては新人金光の人となりを深く知りたいと思い、無礼を承知で本日お邪魔した次第です」
俺の目を真っ直ぐに捉え、真剣な表情で熱く語っている。背は175センチくらいだろうか、肩幅が広くしっかりとした体格だ。割りに顔は小さく目は大きめ。スッと伸びた鼻は形が美しく、薄い唇が品の良さを思わせる。大きく盛り上がった胸に思わず唾を飲み込んでしまう。
そう、有体に言えばかなりの美人さん、である。もしあと身長が十センチ低かったなら、クラスの人気ナンバーワン女子もアリだろう。
「てか、春パイセンは下級生の人気ダントツナンバーワンなんですよ、マジリスペクトです」
とオナクラの井上さんが力説する。
「いやー、まさかまさかの春パイセンがウチ如きの誕生会に来てくれるなんてー、これ一年女子に知れ渡ったらウチまじ締められるっしょ? こわーい翔きゅーん」
ああ。女子に、大人気なのね、男子にではなく?
翔は山下さんを見上げ、
「葵ちゃんの彼の島田翔です、葵ちゃんの事何卒よろしくお願いします」
と普通に話しかけると、
「金光の彼氏…… 噂の開聖生ね。私達の試合の応援には必ず同級生や先輩を十人は連れて来なさい、いいですね?」
「は、はい」
山下さんは満足げに頷き、
「身長180センチ以上の……」
と小さく呟き赤くなった。
「なんか、精春してんなぁこんチキショウめ」
俺は健太の頭をポカリと殴りながら、
「青春だろ。しかしあの子、美人でしっかりしてるなぁ、流石日々矢生だぜ」
「それなっ 頭良いのに背デカくて美人さんって、おお、軍司好みじゃねえかよ、クックック」
俺は呆れ顔で、
「誰が娘の先輩に手出すかよ。それより健太、飲み過ぎて羽目外すなよ、J Kの尻触ったりしたら親に訴えられるぞ」
「お、おお、気を付けらい」
「二人とも山の手のお嬢様だからな、分かってんな?」
健太は渋々頷く。
「美咲ちゃんの親父さん、俺らの後輩だぞ、それも分かってんだろうな?」
「二こ下の井上の、な。分かってるって」
俺が溜め息をついていると、
「ったくJ K好きのエロジジーが。痔重しろよ痔重。ぎゃは」
i QOSを加えた光子が健太の肩をバシバシ叩く。
「自重な。それよりそろそろ始めようぜ、遅くなるとあの子達に悪いからさ」
光子がガラケー(!)を弄りながら、
「それがよぉ、ゆーこが来るって言ってんだわ」
俺と健太は硬直する。
間宮由子。本邦を代表する俳人にして美魔女タレント。俳句のレギュラー番組で毎週テレビに出演しており、『ゆーこりん』としてネット上で神格化された天然美魔女としてあまりにも有名である。実は西中の俺たちの一つ下の後輩で、当時は光子の舎妹で『赤蠍』と呼ばれた危険な不良少女だったらしい。
去年、偶然に友人とこの店を訪れ俺たちと再会し、以来常連客として頻繁にこの店に出入りしている。
「テレビの収録終わって近くに来てんだってよ、だからケーキ買ってこさせてんだわ」
大物芸能人をパシリに使うな、とは言えず、
「そ、そうか。何時に来られそうなんだ?」
「んーー、そろそろじゃね? あ、今メール来た、あと10分だってさ」
俺はゴクリと唾を飲み込む。
由子とは昨年秋、一度だけオトナの関係になった事がある。それを光子は承知しているのだが、それでもこうして顔を合わせるのはとても気まずい。正月にも顔を合わせているが、その時は島田一族が大勢来ており、ホーム感があったから助かったのだが。
などとウジウジと考えていると、ガラガラと上品に入り口の扉が開く。
「お邪魔しまぁすぅ、お久しぶりー先輩とせんぱい、忍ちゃん元気ぃ? あ、ケンタさんも」
最後に付け足された健太はそれにも負けず、
「うおー、西中出世頭の登場だいっ 元気だったか赤蠍?」
由子はイヤイヤをしながら、
「だーかーらー 私は『紅蠍』の方が良かったのにぃー」
と相変わらずネジの緩んだ発話なのである。
由子の突然の登場に硬直したのが三人。葵の友人達が口をパクパクさせ、
「あれ…… ゆーこりんじゃね?」
「それ…… あの、俳句の… 嘘でしょ?」
由子は目ざとく彼女達を見つけ、笑顔で近づきながら、
「せんぱいのお嬢ちゃん、お誕生日? おめでとー」
と大きなケーキの包みを差し出す。
葵は苦笑いしながら、
「ゆーこさん、お久っす、今日はどーしたの突然?」
由子は妖艶な顔付きでお腹を優しく摩りながら、
「この子がね、お姉ちゃんにおめでとうが言いたいって」
結衣ちゃん、井上さん、山下さんによるグラスの落下音が店に鳴り響く。
* * * * * *
「もぉー、痛いじゃないですかせんぱい、本気で頭叩くなんてぇー」
頭を摩りながら由子が頬を膨らませる。
「ばーか。それよりもゆーこ、あっちで順子や龍二と仲良くやってんのか?」
由子の一人娘である順子さんと光子の長男の龍二は西伊豆の三津浜で同棲しており、昨年末に由子はそこに居を移したのだった。
「あのねー、順子がおめでたなの」
俺と光子はカウンターのスツールから転がり落ち、
「な、なんだと?」
「ま、まじかぁー」
由子は満面の笑みで、
「私もとうとうばあばですよぉー」
俺と光子は目に涙を浮かべ、
「そうか、そうだったか……」
「あの龍二が、人の親に…… うううっ」
健太は唖然としながら、
「うへ、知らねえ間に盛り上がってやがるぜ、だけどまあめでてえこった」
とジョッキを掲げている。
「ありがとケンタさん。それとね、私も遂に春が来たんですよぉ〜、きゃ〜」
俺と光子は再びスツールから転げ落ち、
「それって、まさか……」
「ほーらな、アタシの言った通りだろうがっ」
ドヤ顔の光子を眺めながら、
「それにしても、よくあの青木を落としたな…… 流石由子ちゃん…」
青木裕紀。俺の大学時代の親友。大学卒業後、警察庁のキャリア警察官となり、現在静岡県警の捜査二課の課長だ。昨年秋に由子絡みの詐欺事件を数日で解決した敏腕刑事である。
「やっとですよぉー、あんなに手強かった男は初めてかも…… でも、やっと… クックック」
などと恐ろしい独り言を無視し、
「それじゃ、あっちで二人で住むのかい?」
由子が不意に哀しげな表情で、
「それがねー、四月一日で警視庁に移動になっちゃったのぉー それでヒロくん今大久保で一人暮らしなのー」
俺は仰天し、
「そうなの? 知らなかったよ、アイツ全然一言も無いぞ」
「せんぱいには会いたがってましたよぉ、そのうち落ち着いたら連絡するかもー」
青木が東京に戻って来た!
俺はすかさずスマホで青木にメッセージを送る。返信は明日には来るだろう。アイツと飲むのが今から楽しみだ。
「健太―、クイーン、邪魔するぜー、ああ、キングもいるじゃん、あれあれ、赤蠍も珍しい、どったの今日は?」
見るからに怪しい男が二人店に入ってくる、健太の不良仲間だった西中同級の青山譲治と川村弘。青山は地元で悪徳不動産業を、川村も地元密着の悪徳輸入業を営んでいる。
「ふーん、キングの娘の誕生会、って、なんで居酒屋で?」
川村が呆れていると、
「そこがキングの娘の偉大さだろう、いやーさすがキングの娘だわ」
と青木が弄ってくる。
「オメーラ景気はどーよ? 来年のオリンピコでガッツリ儲けるのかコラ?」
「オリンピックな、クイーン。まー、ボチボチビルを転がしてんだけどよぉ、ハアーー」
珍しく悪徳不動産の青山が弱気な溜め息を盛大に吐き出した。
「最近、この辺の半グレ達がイキがって邪魔すんだよ、ったくクソが」
半グレ? って暴力団まがいの非合法組織?
「俺が買おうとしたオフィスビルをよ、横から掻っ攫いやろうとしてよ。頭きたから筋モノ通すぞって脅したらよ、いつでもかかって来いだとさ。ったく恐れ知らずというか、常識知らずというか……」
俺は吹き出しながら、
「お前の常識って…… で、筋モノってヤクザの事だよな? お前ヤクザと関わってんのか?」
青山と川村は唖然として、
「当然だろ。この辺は指定暴力団『荒川会』のシマだからな、当然顔通してあるぜ」
コイツら…… 反社会組織と関わっているのか。二度と美味しい話は持っていくまい、と心に誓いながら、
「お前らは今後俺の企画する旅行に参加を認めない事とする」
と宣言する。
「えええええ… ちょ、専務―、そりゃねーよ」
「頼むよぉ専務―、もう二度と奴らと付き合わねえからよぉ」
そう。俺は有楽町にある小さな旅行代理店『鳥の羽』の専務取締役なのである。2年前にそれまで勤務していた大手都市銀行から出向を打診され、それを受諾して今に至る。銀行時代は支店長まで勤めた俺であるが、小指問題で出世街道から脱落し、社員50名の中小企業の役員に収まったのだった。
店の半分を我々が貸し切り、葵のハッピーバースデーソングが鳴り響き、何故だか由子、青山、川村も混じって楽しそうに歌い語り、訳の分からないJ K誕生日会が粛々と行われている。
葵の友人達はこの不思議な空間と人間達を意外にも楽しんでいる様子だ。美咲ちゃんは地元の子だから分かるが、山ノ手のお嬢様方が下町親父ババア達と大爆笑している様子はあまりにカオスに思われる。
「あの、二人とも大丈夫? ごめんね下町臭が凄いでしょ?」
俺がそっと囁くと、
「めっちゃ笑えます、キングさん」
おい。誰だ?
「金光の明るさの根源を知った思いですキングさん」
こんな可愛いJ Kに俺の汚名を教えたのは?
「あ。それウチですよキングさん。だってママが『葵ちゃんのパパはね、昔西中のキングって呼ばれていたのよ』って言ってたんですぅ」
お前か美咲……
ふと葵の隣に佇む翔を眺める。案の定女子達を目前にカチンコチンに固まり切っている……
「男子校育ちには辛いですよ、正直…」
俺は翔をカウンターに連れ出し、
「お母さん、真琴さんの仕事の調子はどうだ?」
真琴は翔が三歳の頃から今年の三月まで、単身赴任で山梨県甲府市の弁護士事務所に在籍していた。先月この門前仲町に戻り、月島にある小さな弁護士事務所で働き始めたのだ。
「早速忙しそうですよ。甲府から一緒に来た東金さんという弁護士と旭さんというパラリーガル、ご存じでしたっけ?」
「いや、知らないな」
「母さんと10年近く一緒に甲府でやってきた方々なんです。今度紹介しますね」
俺は苦笑いしながら頷き、
「ま、忙しくしているなら幸いだな。早く慣れるといいな」
翔はウンザリ顔で、
「母の書類の整理整頓、既に手伝わせられています… あ、でも葵ちゃんが結構興味深く手伝ってくれるのです、将来法曹界に携わる気かもしれませんね」
葵が弁護士……
思わず亡き妻に問うてしまう。
おい里子、葵が将来弁護士になるって言ってるらしいぞ
あらあなた、気が付かなかったの? だから頑張って日々矢に入ったんじゃない
えええ、そうなのか? そいつは気づかなかったぜ、俺も父親としてまだまだだわ……
ふふふ、いいんですよそれで。あなたはあなたらしく、葵を見守ってあげてくださいね
お、おお。そうします。
『それでいい あなたはそれで そのままで』
どう? 中々よく詠めたと思うのだけど
だから、季語が無いぞ
あらら
でも面白いから、間宮先生に採点してもらうか?
やーめーてーーー
今夜も『居酒屋 しまだ』は滔々と時が流れていく。
* * * * * *
翌週。
通常通り、重役出勤すると妙に空気が盛り上がっている。
俺の管轄部署である企画部の若手社員、山本くんが俺を見るや否や、
「金光専務、やりました、やりましたよ、即完売です! ぎゃぽーーん」
…… 春だけに大丈夫かコイツの頭は?
俺が呆れながら山本くんの横にいる座る入社2年目の我が社のエース、庄司智花に何事かを目で問うと、
「山本先輩が企画した台湾旅行が完売しました」
「ええ? 一人50万のアレが? 売り出しは昨日だったろ?」
「先程20名様分が一瞬で……」
俺は山本くんの席に向かい、
「やったじゃないか! 売り上げ1000万円か、これは社長賞モノだなおい!」
「テヘヘっ まぁ僕の実力ってやつですね、キャハハ」
溜め息をつきながら、
「で? 個人か? 団体か?」
「団体です。皆2、30代の若者ですよー、いやーオリンピックを控え、景気が良くなってるんですねえー」
団体で2、30代の若者? I T会社の社員旅行かな?
浮かれ果てている山本くんを放置し、
「庄司、一応この人達の身元を洗っておいてくれないか?」
庄司は俺を腐った干し鮑を見る目付きで、
「刑事気取りですか専務。然し乍ら仰ることの含みも尤もかと思慮いたします、早急に捜査を開始いたしますが何か?」
捜査じゃねえよ、コイツも本当に面白い奴だ。そして本当に優秀な人材だ。こんな小さな会社にいる事、そしてあろうことか山本くんと付き合っている事が実に勿体無い。
「分かり次第教えてくれ、今週いっぱいまでにな」
だが優秀な彼女はものの数時間で団体客の正体を暴き出したのであった。
「泣くな山本。お前のせいでは無い、きっと。プッ」
「そうですよ山本先輩。ネット販売なのですから素性なんて相手はどうにでも隠せるのですから、ぷっぷっぷ」
俺と庄司が笑いを堪えきれず吹き出すと、山本くんは『居酒屋 しまだ』のカウンターに突っ伏して号泣してしまう。
久しぶりの大手柄が数時間後に地獄の沙汰となってしまったのだから、同情の余地は大いにあるのだが、コイツだけに少し弄らなければ面白くない。
「それにしても、ありがとな庄司。危うく我が社は反社会的組織に旅行を販売してしまうところだった。お手柄だよ」
庄司は赤面し、
「とんでもございません。この時代お客様の情報はF B、インスタなどから簡単に素性を知ることが出来ますから。それにしてもまさか……」
山本くんの企画を買い占めた若者達は、車好きのサークル関係者という事だったのだが、参加者名簿を一人一人調査すると、彼らの背景が所謂半グレ組織である事が判明したのだった。
「それも…… よりによって、『ガルフ』じゃないですか… 最悪ですよ、僕間違いなく殺されます…… ヒィーーーーーーーーーン」
「その『ガルフ』って言う半グレは、そんなにヤバい組織なのか?」
実はネットの裏情報に詳しい山本くんが震えながら、
「東東京を根城にしている都内最大の半グレ組織です。都内に住む老人は皆コイツらの餌食になってるんですよ、オレオレ詐欺で。あと違法ドラッグや売春、ギャンブル…… 最近は土地転がしや株にも手を出しているとか」
それではまるで暴力団そのものではないか! 半グレは俺が銀行支店長時代には殆ど活動していなかったから、その辺りの事情は全く知らなかった。
だが一つの疑問が浮かぶ。そんなに派手に行動していたら、既存勢力が黙っていないのではないか、と。
「上納金ですぅ、暴力団に売り上げの相当分を上納することで、見逃されているのですぅ、ですけどねー」
不意に山本くんが冷笑しながら呟く。
「奴らはやり過ぎたのです、本来土地や株は下っ端チンピラが手を出してはならないという不文律があるんです、なのに奴らは調子に乗って手を出し始めたのです」
「その通り」
背中から低い声がした。
俺たちが振り返ると、眼帯をした着物の熟女が姿勢正しく直立している。髪は結い上げており、小さく端正な顔はその目つきが穏やかならば相当な美人であろう、俺を見る目付きは鋭いキリの如く、そしてくだらぬ言葉を容易く貫き通すオーラを湛えている。
背筋が震え、冷たい汗が背中を伝う、思わず目を逸らしカウンターの忍に救いの視線を送るのだが、その忍も表情が凍り付いている。まるで見てはならぬものを見てしまった様な……
「まさか…… アンタ、キル子?」
忍が掠れた声を絞り出す。
「あら。アタシの昔の二つ名を知っているって事は、あんたクイーンの知り合いかい?」
よく見るとその熟女の背後にはいかにもヤクザっぽい男が二人佇んでおり。
不意に山本くんが、
「キル子って…… まさか、お台場の乱でクイーンと闘った?」
は? どうした山本、何故突然?
「あの、忍さんの拉致事件が発端となった、伝説の戦争ですよっ!」
あああ… そう言えば去年まさにこの場所で、山本くんがググっていた事件か。お台場の乱。目の前の忍が中学生の頃、キル子率いる何とか言うグループが忍を拉致り暴行を加え、それに激怒したクイーンら一派がお台場で大乱闘を起こし、クイーンがキル子の片目を……
あれ?
眼帯??
「その通り」
片目が妙に艶っぽく笑っている。
この女性がキル子…… 光子と乱闘を起こし、殴られて失明したと言う……
「あの頃は若くってさ、見境なく暴れ狂ったもんだったね。あんた名前なんだっけ?」
「小林 忍っす」
キル子は大笑いしながら手を叩き、
「そうそう、あんたが『締めごろしのぶ』の小林忍、懐かしいねえ」
何んじゃそれ? 締めごろ忍? はあ?
「この子さ、腕っ節が強くってね、後ろから首を腕で絞めちまうのさ、ウチの奴らが何人も絞められたわさ、ねえ」
ゴクリ。前々から妙に肝の座った迫力ある奴だとは思っていたが。まさかそこまで危ない女だったとは
…… 今後二度と白豚呼ばわりするのはやめよう、そう心に誓う。
「そんでさ、クイーンはいないのかい?」
薄暗い店内をグルリと見回しながら、迫力のある低い声で言い放つ。
まさか? この歳になって、光子にあの時の復讐をしに? 背後の筋モノ達から異様な圧を感じる。
山本くんと庄司は肩を寄せ合い震えている、隙を見つけてこの場を離れさせねば。すぐに110通報できるようにスマホを弄っていると、
ガラガラガラ
「おお寒、やっぱまだ夜は冷えるわーーーって、んんん?」
光子が両手にスーパーの袋を持ちながらキル子と向かい合う。
二人の睨み合いはどれほど続いたのだろう、三分間かも知れないし僅か数秒だったのかも知れない。それ程強烈な何かが激しくぶつかり合っている。
その緊迫感を解くかのように、
「久しぶりだねクイーン。袋から飛び出ているネギが哀愁を漂わせてるねえ」
まるで旧友に話しかけるが如く、穏やかな口調でキル子が口を開く。
「誰だてめえ?」
本当に誰だか認知していない様子だ、だが完全な敵だという認識でなく、警戒感が滲み出る低い口調で光子が応える。
筋モノ二人がサッとキル子の前に出て光子を威嚇する。いかん、スマホの通報ボタンに指を添える。その二人を片手でいなしながら、
「あんたに潰されたこの左目がさ、寒くなると疼くんだよ。とっくに忘れたのかい、アタシの事を」
光子は一瞬考える素振りを見せ、やがて大きく目を見開き、
「ああああーー、オメー、キル子だろ? プリティー ブラッドリーの!」
ようやく彼女を認知したようだ。
「「プリティー ブラッディー」」
キル子と山本くんが何故かおハモる。俺と忍がプッと吹き出してしまう、途端冷たい空気が俺の頬を掠める。しまった殺される?
「ったく相変わらずすっとぼけてやがんな、クイーン」
「オメーも全っ全変わってねーな、キル子」
嘘だろ? 二人は満面の笑顔で頷き合っているぞ……
山本くんは、まるでロッキーとアポロが絡みまぐわうシーンを眺めるが如く、呆然と立ち尽くしていたものだ。
* * * * * *
「ったく。外に路駐してるエルグランデ、あれオメーのか。営業妨害だっつーの」
「…… エルグランドな。いやさ、風の噂にクイーンの名前を聞いてね、つい懐かしくなっちまったのさ」
光子が眉を顰め視線を上下左右に動かす、ああコイツ今真剣に噂をばら撒いている風を探しているぞ……
「で? オメー今何やってんだい?」
「荒川会会長 紺野一心の妻ですぅ!」
山本くんが吠えた! さすが裏ネット情報王だ。一人感心していると、
「堅気の若者はこっちの世界に興味持っちゃいけねえよ。お嬢ちゃん、ちゃーんと見張ってなさいな」
「そのつもりですが何か?」
うわ…… 強気だな庄司、あ、でも震えている。
キル子はフッと微笑み、
「所謂極道の妻、てヤツさ。何だい、この店も反社はお断りかい?」
庄司がボソッと、
「寧ろ御用達かと」
光子が膨れっ面で、
「なあ、アタシってそんなに反社っぽいか?」
「「はい」」
山本くんと庄司がハモる。
店内に爆笑が弾けた。ようやく店内の空気がいつもの雰囲気になってくる。
「それにしても、クイーンはこんな立派な店持って、それにしっかり堅気な生活して。いや、大したもんだよ本当に」
キル子がしみじみと呟くも俺の部下二人が大いに首を傾げる。
「立派なガキ三人にズバ抜けた孫か、てかホントにあんたの子供達なのか? 医者に弁護士、歌手って、実はもらい子とかじゃないのかい?」
医者? 歌手? と大いに戸惑っている部下達に、
「長男は獣医、西伊豆にいる」
「ほお」「へえ」
「次男はさ、有名なJ POPの歌手なんだよ、『ヴォルデモート』って知ってるだろ?」
山本くんは椅子から転け、庄司は口をポカンと開けアホヅラを晒し、
「知ってるも何も…」
「来月のライブ、二人で… えええええええええええええ?」
「はああああああああああああああああ?」
二人の絶叫を無視し、キル子に
「よく調べてますね、音信不通だったのに」
俺が少し嫌味っぽく投げかけると、
「そりゃさ、あの伝説のクイーンが今何してるかって、気になりゃしますよ。ところで貴方さんは?」
「アタシの彼氏。いい男だろ?」
光子がドヤ顔で言う。恥ずい。
キル子が初めの突き刺すような視線ではなく、まるで本マグロの大トロを眺める視線で、
「確かに。あんたにゃあ勿体無い色男じゃないか。なあ中村」
背後に控えている厳つい男がへえとだけ口にする。正直キル子より怖い、恐ろしい。
それから懐かし話に花が咲いていると、入り口の扉がガラガラ開き、
「ったく何だよ表の奴らはよ…… ぎゃっ」
「何処のヤクザのご来店なん…… ゲッ」
「は? クイーンの店で調子こいt…… あっ」
健太、青山、川村の西中不良トリオがキル子を一眼見て凍り付く、そしてUターンして帰ろうとするのをクイーンが笑いながら止めたものだった。
「キル…… 紺野の姐さん、アレすか、数十年ぶりのお礼参り、とか?」
「お、俺たちは関係ないっすよ、お台場の時にはいませんでしたよマジで!」
キル子は呆れ顔で、
「クイーンの堅気振りを見に来ただけだよ。それよりあんたらクイーンに変な薬とか渡してないだろうね?」
「「だ、断じて!」」
「盗難車を安く売ったりしてないだろうね?」
「「ま、全くもって!」」
「ならいいけどさ。いいかい、クイーンや旦那さんに迷惑かけるような真似したら、アタシが容赦しないからね!」
青山と川村は直立不動だ。こんな二人はかつて見たことない、思わずスマホで動画撮影してしまう。
健太は俺の横で震えながら、
「あのキル子がまさかこの店に来るとは…… ある意味で俺らの代の一番の出世頭だぜ」
「あれ、彼女は西中だったか?」
「南中だよ」
それにしても。大昔片目を潰された相手とこれ程和やかに接するとは確かに彼女は器の大きい立派な人物なのだろう。自分は裏社会を生き抜き、かつてのライバルが表社会で頑張っているのを満足気に頷く。正に人格者と言えよう。
「それよりも姐さん、あのガルフの野郎ども、何とかなりませんかね」
不意に青山が吐き捨てる。
「木場のオフィスビルの一件なんすけど、俺の方が先に手付払ったのに売主脅して掻っ攫いやがったんですよ。荒川会のシマ内ですよ、何とかしてくださいよ」
中村と呼ばれた厳つい男が青山の胸ぐらを掴むと青山はヒッと小さく悲鳴を上げる。その様子に山本くんは顔を覆い、庄司は何故か目を輝かせている、普通逆だろう?
「すんませんすんません、でもね、マジでアイツら調子乗ってますよ、このままじゃ……」
キル子は顎で中村に指示を出すとサッと後ろに下がる。
「すまなかった青山。アタシが不甲斐ないせいであんたらに迷惑かけちまったな」
「いや、そんなことはー」
「ガルフ、か。この一、二年でウジみたいに湧いて出て来やがって」
キル子が言うと、突如山本くんが、
「ですよねー、マジウザいっす、ガルフの奴ら!」
皆がキョトンとすると、
「ああああ…… すいませんすいません調子こいてつい口走りましたお許しください助けてください智花には手を出さないでくださいお金はありません」
キル子が唖然としてから爆笑すると、ようやく青山と川村、そして健太の緊張が解けたようだった。
今日の昼の出来事を涙まじりに山本くんが吐き出すと、キル子は深く目を瞑り聞き入っている。そして、
「アイツら堅気さんにも手を出しやがって…… 一度絞めないといけないね、いいかい堅気の兄さん、なんかあったらアタシに知らせるんだよ、おい中村っ」
へいっ と低い声で言いながら中村と呼ばれる男が山本くんに名刺をサッと差し出す。
「関東荒川会 本部長 中村茂雄…… さん…… ヒッ」
名刺を両手で持ちながら山本くんは白目を剥いて意識を失う。それを後ろから支えながら庄司がボソッと、
「おおお、これがリアル『日本統一』の世界っ」
なぞと呟きながら目を輝かせている、何じゃ『日本統一』?
その後しばらくしてキル子一行は店を去って行った。
「おい光子。あんなヤクザと付き合っちゃダメだぞ、そのうちにみかじめ料だ何だとしゃぶり尽くされるぞ」
忍がフッと笑いながら、
「大丈夫っすよキンちゃん。キル子はそんなケチな女じゃないっすよ」
「そ、そうでしょうか?」
「? どったのキンちゃん?」
「いえ、別に何でもないですよ」
忍の二の腕を眺めゴクリと唾を飲み込む、あんな太い腕で首を絞められたら俺は…… まだ死にたくない俺は当分忍に礼を尽くすことを決意している。
カウンターに置かれた俺のスマホが鳴動しているのに気付く、慌てて取り上げると先日メッセージを送った大学時代の親友、青木からの返信だ。
「あれー、キンちゃん怪しいー、会社の若い女子からのメールじゃね? キャハハ」
「そ、そんな訳ありませんよ、やだなぁ忍さんは」
忍は轢き殺されたハクビシンを眺める目付きで、
「さっきからどったのキンちゃん? かなりキモいんだけど」
「そうでしょうか? 前から変わってませんよ」
忍は首を傾げながらテーブルの片付けに行く、その背中に盛り上がる広背筋に震えながらスマホを眺めると、週末の金曜日に市ヶ谷で飲まないか、と書かれていた。
返信を書いていると背後から光子が、
「誰とデートの約束してんだよコラ、殺すぞ」
と物騒なことを言いながら背中に抱きついてくる。
「青木と週末飲みに行く約束だ」
「おおお、ヒロ坊か、ゆーこに落とされた哀れな男、ギャハハ」
俺も吹き出しながら、
「どうやって落とされたか聞いてくるよ」
「それなっ ガッツリ聞いてきておくれよっ」
そんな俺らに
「お二人さん、営業時間中はいちゃつかないでくれません? 営業妨害っすよー」
「バッキャロー、これはスキンシッブだよ、いちゃついてねえよ」
「何すかそれ、同じだって。てか姐さん溜まってんじゃね? キンちゃん、ちゃんと姐さんとニャンニャンしてんのー? ギャハハ」
ニャンニャン…… えらく昭和な隠語じゃねえかコラ!
「ったく、店が忙しくってそんなんしてる暇ねーよ」
光子が不貞腐れながら吐き捨てると忍が深く頷き、
「ですよね、アタシも彼と中々ヤれなくて悶々としてますよぉ」
さっき飲んだビールが食道を逆流して吐きそうになる。
「そーだ姐さん、いっその事日曜日を休業にしません? そうすれば土曜の夜から日曜日、いっぱいニャンニャン〜」
忍のニャンニャンを想像してしまう。あの豊満な二の腕が俺の首に巻き付き、アルプス山脈のような胸に顔を埋めさせられ……
一口分の胃液をカウンターに吐き戻してしまう。
「きったねーなキンちゃん、便所で吐けよー、今日は飲み過ぎじゃね?」
違うんです、あなたのニャンニャン姿を想像し、理性を抑えることが出来なくなり、もう我慢が出来なかったのです……
とは言えず、涙目で何度も謝った。
翌日
『居酒屋 しまだ』の入口扉に、
『日曜日を定休日といたします』と書かれた紙が貼られていた。