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葵 monologue

 この女が大嫌いだった。パパがママ以上に愛しているから。

 この男が大嫌いだった。ママを裏切ったから。


 それが、どうしてこんな事になったんだろう。


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *


 物心ついた頃から父親と遊んだり話したりした記憶があまりない。運動会や学芸会にはみんなの父親は来るのに私の父親が来た試しがない。家でその姿を見るのは精々月に2、3回程度。早朝に家を出て帰宅は常に深夜だった。


「葵ちゃんのお父さんは銀行の支店長なんだよねー」


 小学校の六年間だけで横浜、宇都宮、千葉と3回程支店が変わるのだがその勤務先に私と母は付いて行かず、ずっと杉並の借り上げ社宅で二人で暮らしていた。


 母はとても大人しく優しい人だった。料理が上手で俳句が大好きで私は怒鳴られたり手を挙げられたりした事など一度も無かった。父を常に尊敬し、


「葵ちゃんがピアノ教室行けるのも塾に行けるのも、全部お父さんのお仕事のお陰なのよ」


 などと言い、私もそういうものかと何となく納得していた。


 今思うに、母は父の愛人達の存在を薄々気付いていたのだろう。たまに母に話しかけても暗い顔で生返事を私に返した時を思い出す。リビングで付けっ放しのTVを見ようともせず窓の外を何時迄も眺め続けていた背中も思い出す。


 それでも私に当たる事なぞ一度も無く、そんな時程とびっきりの笑顔で私に接していたのだと今は感じる。


 忘れもしない私が小6の秋。その日は塾の模擬試験が終わり、塾の友人の家で少し遊んだ後帰宅すると母が玄関で俯せで倒れていた。全身の力が抜け立っていられなくなった。それから意を決し母に近付きそっと頬に触れると氷のように冷たかったー


 かつて一回もかけたことのない父親の携帯電話の番号に震える指を当てる。十数回の着信音の後―


「葵か。どうした? なんかあったのか?」

「ママが… ママが動かない… パパ、ママが…」

「何だって? 落ち着け、どうしたんだ!」

「玄関で倒れてるよ… 全然動かないよ… どうしよう…」

「直ぐに帰る」


 余りに呆然としていた為、救急車を呼ぶという発想を思いつけなかった。例え思いついたとしてもー


「あ! パパ! 早く何とかしてっ、ほら、人工呼吸とか、ねっ」


 慌てて帰ってきた父親の姿を見て何故かホッとした。たまに会っても一言二言交わすだけの無口で堅物、と思っていた父親が息を切らして髪も乱れて冷たくなった母を呆然と見下ろしている。


 しばらくして母を仰向けにし、人工呼吸をしようとしてー止めた。急に腰砕けになり両手を後ろに付いてブルブル震えだしたのだ。その一挙手一投足を当時の私は冷静に観察していた。父親の背中に近付くと母のものではない嗅いだことのない女性用の香水の香りがした。


 その夜から深川の祖母が家に来てくれた。母の実家は横浜なのだが母方の祖母は既に他界しており祖父は介護施設に入っておりこの数年会った事がなかった。私の姿を見るなり私をギュッと抱きしめ


「よく頑張ったね。葵ちゃん、エライよ」


 と言ってくれ、私は初めて号泣した。


 葬式を終え納骨までの間、祖母はずっと杉並に居てくれた。毎年正月やお盆には必ず深川に行っていたし、そうで無くてもよく母と二人で遊びに行っていたので私は祖母が大好きだった。祖母も実の娘のように母を可愛がっていて本当に仲の良い三世代だったと思う。


 納骨を済ませた頃から父親は夜早く帰宅するようになった。支店長を解任され本社の窓際に追いやられたのだ。

 ある夜、三人で夕食を終えた後、


「葵。お前、受験はどうするんだ?」

「やめる。地元の公立に行く」

「そうか。実はな、俺銀行でちょっと色々あって…」


 祖母がお茶をテーブルに置き


「どういうことなんだい?」

「来年の四月から… 部署が変わって、ヒラになるんだ…」

「それで?」

「そうすると… この家って管理職以上じゃなきゃ住めなくて…」


 実際の年齢よりもかなり老けて見えた。顔に前まであった覇気や生気が全くない。それ程母の死がショックだったのか? 否。会社の出世競争から転げ落ちたのがショックなんだ。当時の私はそれを的確に見抜いていた。


「て事はあんた。この家を出なきゃいけないって事なんだね?」

「イヤだ」


 私は咄嗟に言い放った。こんな男と二人暮らしなんて全く考えられなかった。


「…… じゃあ、どうしよう…」


 情けない。その時には銀行が愛人に訴えられその責任を父親がとったことも知っていた。母を裏切り、他の女と愛し合っていた、その事実に反吐が出る思いだった。こんな男は父親ではない、絶対に二人でなんか生活したくない。助けて、おばあちゃん…


「じゃあさ、あんた達。ウチに来るかい?」


 こうして私は長年住み慣れた杉並の住宅街を離れ、祖母の住む、父親の生まれ育った深川に移ることになった。


 卒業式を終え家に帰ると直ぐに引っ越しだった。住み慣れた街を離れる時、そして母との楽しかった思い出とサヨナラする時涙が止まらなかった。


 中学は父親の通った深川西中学に入学した。杉並とは生徒や先生の雰囲気が全く違い、当初は相当戸惑った。区外から来たのでボッチを覚悟していたのだがー妙に皆人懐っこく、あっという間に友人が出来た。


 秋まで中学受験に備え勉強していたので学校の成績は抜群だった。その頃から一部の友人の親達から妙な言葉を耳にするようになる。


「葵ちゃん国語トップだったんだってねー 流石キングの娘ねー」


 は? キング? 何それ?


「葵ちゃん、もうバスケ部でレギュラーなんだってね! やっぱりキングの娘ねえー」


 何だよキングって 意味不―


 友人も増え中学生活がそれなりに楽しく感じ始めた頃、父親が会社をクビになった。本人は転籍とか言ってるけど側から見たらこれはクビだ。相変わらず家では父親はボーッとしており私とは殆ど口をきかない。


 二年生になると私は全く勉強しなくなった。部活もサボり気味、そして大して楽しいと思った事のないビッチな友人達との遊び。髪も軽く染めピアスもあけてみた。夏休みが終わりある日鏡を覗くとそこにはありふれたビッチJCが映っていたー


 中学受験勉強の利息も無くなり、勉強がー特に数学がサッパリわからなくなっていた。その頃には友人の親達からの『キングの娘』という謎のキーワードは全く耳にしなくなっていた。


 そんなある日― 彼に出逢った


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *


「―い、起きろー。お前達、京都着くぞー 起きろ!」


 目を開けるとあれ程忌み嫌っていた父親が居る。その横に彼が居る。


 私の右肩にもたれかかり口からヨダレを垂れ流して寝ているあの女見るとー何故だか幸せそうにイビキをかいている。


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *


 彼と出逢い、私の人生は大きく変化した。もし彼にあの日あの時スタバで声をかけていなければ私は今頃本所商業にでも入りその内不登校となり家を出て錦糸町のキャバクラで……


 学校の男子には全くいないタイプだった。女子慣れしていないのも本当に可愛らしかった。あんな超有名中学生なのにそれを鼻にかけたところなんて全く見せなかった。そして何より誠実だった、父親とは正反対のー母を裏切った男とは正反対の……


 部活は特にやっていなかったようで、学校が終わると図書館に直行し勉強する日課の彼に次第に寄り添うようになっていった。彼が勉強するので私も仕方なく本を読んだり宿題をササッと片付けたり。その一緒にいる時間が楽しかった。


 その頃から、彼と知り合ってから、何故か父親との関係が少し変わってきた。相変わらず覇気の無い感じなのだが、やたらと話しかけてくるようになった。面倒臭いので適当に生返事していたのだがそれが続くと次第に慣れ? 何だろう、前ほどの嫌悪感は薄れ始めてきた。


 モノをよく買ってくれるようになった。祖母と三人で良く食事に出るようになり、そのついでに服とか装飾品とかを

「ほれ、誕生日プレゼント」

だの

「クリプレな。有難がれ!」

 だの、やや恩着せがましくはあるが色々買ってくれるようになった。人間は悲しい生き物だ、特にオンナはーそんな事が半年も続くと以前持っていた怨讐が徐々に薄れていきー今思うとそれが父親の作戦だったのかも知れないー気がつくと毎日父親とラインする仲になっていた。


 告白は私から。彼の誕生日に。彼が出来た事を父親は薄々気づいていたようだ。彼の名前を学校名は伏せて伝えると多少驚きと複雑な顔を見せたので


「今度会ってみる?」

「ま、そのうちな」


 と深くは関わってこなかった。その頃には彼の出自などを聞いており、彼の祖母とも何度か挨拶を交わしていた。下町によくいる下品で乱暴なオバハン。そんなイメージだった。


 だがそのオバハンが実は地元の大変有名な不良だったと聞かされ、父親に知れたら絶対反対するな、と感じ父親には絶対言わないでと祖母には釘を刺しておいた。祖母は一瞬目を丸くし、みっちゃん…と口遊み、やがて大笑いしながら


「ま、地元は狭いからねえ。すぐにバレちゃうよおー」


 その言葉は程なく現実となる。


 中三になった春のある日。彼と夕ご飯を食べる事となり父親にはめんどくさいので友人と夕飯を食べて帰るとラインを送った。


 食事を終え何でもない話をしていると、私のスマホが震えた。父親から、


『お前の彼氏、何君だっけ』


 父親とのラインは文字のみ。素っ気ないものだ。


『島田くん。会ってみる気になった?』


 スタンプも何も入れず、フツーに返信する。


 彼のスマホが震えた。彼の祖母からだった。彼は私に目礼し席を立ち、外に出て行った。しかし僅かの時間ですぐに席に戻ってくる。


「大丈夫? 何の話だったのお?」


 彼と話す時はつい甘えた口調になってしまう。


「何だろう… よくわかんないけど、葵ちゃんの名前聞かれた」

「へ? ウチも父親から翔くんの名前聞かれたよっ 何だろうねー」


 帰宅すると程なく父親も真っ青な顔をして帰宅した。


「おい葵。ちょっと来い!」

「何よ」

「結衣ちゃんの家で食事なんて嘘つきやがって。島田と一緒だったな?」


 驚きや嘘をついたことへの恐れよりも、怒りが湧き上がってくる。


「それが… 何よ。なんか文句あんの!」

「よりによって… 島田の孫なんかと… ふざけんな。絶対許さんからなっ」


 祖母の方を向くと両手を上にあげて舌出している。これまでのモヤモヤした思いが心の中で粉塵爆発を起こす。


「アタシが誰と何しようと勝手だろ! 誰と付き合おうが何しようが! 一々うるせーんだよ!」


 私の大爆発、いや大暴走に一瞬面食らった様子を見せたものの、すぐに冷たい表情で、


「そうかそうか。親に嘘をつき勝手な生き方する奴にスマホ代支払う筋合い無いよな!」

「えっ…」

「明日解約してきてやるっ」

「ちょ、ちょっと… 何だよ…」

「それに。お前の彼の祖母はな、最低最悪の人間なんだぞ。俺が中学の時にな、この辺でチンピラみたいな事した有名な不良ー」


「いい加減にしなさいっ!」


 珍しく祖母が怒鳴るーと言うか、うわ…初めて見た、お婆ちゃんのキレたとこ… 父の父親も唖然とした顔で祖母を見ている。ひょっとしたら彼にとっても人生で初の出来事なのでは、と勘ぐりなんだか愉快になってくる。


「あんたは昔からそう。相手を良く知りもしないで毛嫌いして。あんた、あの娘のことちゃんと知ってるの? どんな娘かわかってんの?」


 父親は下を向いてブツブツと


「だって… アレだろ、この辺りの『伝説のクイーン』とか呼ばれてイキがってた不良だったんだろ…」

「あんただって『深川のキング』とか呼ばれてイキがってたじゃないか!」


 はあ?


 何それ… 『キング』って私の父親のことだったの…? 何それマジキモ…


「その人となりを良く知ろうともしないで、勝手に嫌うのはアンタの昔からの悪い癖。もう大人なんだからちゃんとしなさいっ」


 お婆ちゃん、すごい! あの父親がシュンとなっちゃってる! ウケるー


「アンタ一度だって翔くんに会ったこともないくせに。ちゃんと会って話してごらん」

「嫌だよ。こんな人に翔くん会わせたくない。私もう寝るっ」


 何と言う爽快感だろう。生まれて初めて親に逆らってみた、逆ギレするかと思ったけど祖母が巧みに助けてくれた。なんか少し大人になった気分だった。


 翌日、本当に父親はスマホを解約した。その翌日、祖母が内緒で別の会社のスマホを与えてくれた。父親とはしばらく目も合わせなければ話すこともしなかった。


     *     *     *     *     *     *


 それからしばらくして意外な展開が私を待っていた。父親と彼が共同で心肺停止した初老の男性の命を救ったのだ。その時父親は彼が誰だか知らなかったのだがその後偶然鉢合わせをしその素性を知った上で彼に私のことを

「頼む」

 と一言言ったというのだ。何という展開なのだろう。まるで売れないラノベの様な筋書きではないか。すぐに父親を無視するのを中止し、数日後家で彼に合わせ公認の仲になった。と思いきやー 話はそれで終わらなかった……


 何でも出向先の会社の新企画のリサーチのため、同年輩の女性と二人で箱根の日帰り温泉へ行かなければならないのだがー 父親には同年輩の女友達がおらず、仕方なく彼の祖母をと考えたのだがー 元々好みではなく、彼女もそんな簡単に誘いに乗る女性ではないので、頭を抱える父親を見ているうちにすごいアイデアが私に降りてくる!


「パパ、翔くん、こんなのどお? 翔くんのお祖母さんにさ、私と翔くんを箱根に連れてって、って言うのは! 二人だけじゃーアレだしって。だからパパが車で運転手してあたし達を箱根に連れて行ってさ、二人で色々回って遊んでいる間にパパとお祖母さんはその日帰り温泉リサーチすればいいじゃん?」


 父親と彼のぽかんとした顔は一生モノだった。それよりもふと気付いたことがあった。それは父親が彼の祖母に少なからず好意を抱いている事だ。彼は一生懸命彼女を悪く言うが、彼が本当に人を悪く言う時は眉と眉の間にシワが寄る。しかし彼女の事を話す時、それが無い。


 その疑惑は図らずも直ぐに判明してしまうー 私の立てた計画を彼の祖母に伝えに行った時、私は父親がかつて見せたことのない嬉しそうな顔を何度も見てしまう。あの女への好意は本物だったのだ。


 その事実が私に重くのしかかる。私は母を忘れることはない。父親が再婚しようとしまいと私の母親は彼女一人だ。父のあの女に対する態度は母に対する態度と全く違ったモノだった、何か恋に浮かれて舞い上がっているような……


 そして。何と彼の祖母が、父親を愛していることが直ぐにわかってしまった。


 どうしよう なんてことだろう


 このままでは死んだ母は居なかったことになってしまう


 この日を境に彼の祖母へつい強く当たるようになってしまった。


 箱根旅行の帰り道。正直この旅行を彼と一緒に楽しむことは出来なかった。父親があのオンナに溺れ絡み合う二人の姿態を想像するだけで気が狂いそうになった。忘れようと何度も試したが全く無駄だった。


 さらに都合の悪いことに、どうやら彼は父親に尊敬の念を抱いているようなのだ。これでは私の味方は一人もいない。私と母―忘れたくない、ずっと心の中にいて欲しい、ずっと私を見守っていて欲しい。


 帰りの車の中で何だか悲しくなって来てしまった。父親が母と私にしてこなかったこと、家族ドライブとか家族旅行とかをこの女とはしてしまうんだ。この女とは出来るんだ。それじゃ死んだママが余りに可哀想じゃない…


 気がつくと嗚咽が止まらなくなっていた。優しい彼は頭に手を乗せてくれた。温かかった。でも涙が止まることは無かった。


 その日以来、私は貝になることにした。ママとの想いは蓋を閉じて封印し、一人こっそり大切に永久保存することにした。その上で彼の祖母と父親の恋を表面上応援することにした。


 彼の祖母は母とは全くタイプの違うオンナだ。思った事を直ぐ口にし何なら直ぐに実行してしまう。プライドが高く自分の周りの者をその誇りにかけて守る。人に靡かない、人を靡かせる。人を裏切らない。自分と他人に一途だ。


 次第に彼女に惹かれていく自分に気付いた時、お婆ちゃんに相談したーアタシ、ママのこと忘れたくないよ、このままじゃアタシ、ママのこと裏切っちゃう。これじゃあ天国のママ、ボッチで可哀想だよー


「いいかい葵。逆になって考えてごらん」

「え…?」


 祖母は私の頭を優しく撫でながら、


「アンタの娘が今のアンタとおんなじ事思ってたら、アンタ天国で嬉しいかい?」

「そ、それは…… メッチャ嫌かもー」

「だろう。親ってのはどんな形であれ子供が幸せに生きる事を一番に願っているもんなんだよ」

「自分でなく他の女と楽しくやっていても?」

「そうだよ。自分が出来なかった事をやってくれるその女の人に感謝するもんだよ」

「そんなの信じらんないよ…」


 あの頃は大分混乱していたように思う。お陰で高校受験の事なんてほとんど頭に浮かばなかったし。私の混乱をよそにあの二人は徐々に親交を深めていき、夏休みの父親の交通事故による重傷がそれを確固たるものとしたのだった。


     *     *     *     *     *     *


 夏が過ぎ秋が到来し、そろそろ自分の進路というか針路を決めねばならない時期がやって来た。その現実から逃げるべく彼とあの女の店を手伝ったりもしたがモヤモヤしたものから抜け出すには至らなかった。


 ところが夏休み明けから急に数学が『見える』ようになって来た! 分かる、というより『見える』のだ。


 数式をあれこれ当てはめては外し、簡単な計算に躓いては答えが選択肢に無く、夏までは本当に数学が苦手だったのだが、彼にずっと教えてもらううちにー何だろう、言葉にするのは難しいのだがー 問題を見ただけで最適な解法とザックリな答えが脳に浮かび上がってくるようになったのだ!


 苦手科目がむしろ面白く感じてくると勉強自体が楽しくなってきた。勉強を楽しんでいると彼が更なる高みを提示してくれ、自分のレベルが可笑しいくらいに上昇しているのを感じ始めたのは冬が始まった頃だった。


 甲府にいる彼の母と伊豆にいる彼の叔父の高校は都立では最上位レベルの『日々矢高校』だったと聞いた。漠然と、私もこのくらいのレベルにいないと今後彼とは付き合えない気がし、また勉強をする事自体に面白さを感じ始めていたこともあり、受験は『日々矢』第一希望と定めた。


 正月が過ぎラストスパートに入る。彼の家で勉強していると必ずあの女が顔を覗かせ、


「おっ 頑張ってんじゃねーか!」


 と声をかけてきた。ホントにウザくて、


「あ、邪魔しないでください。」


 とつっけんどんにつき放つと、


「おーーー なんか真琴とか龍二そっくりだわー その眼!」


 なんて彼の母と叔父、つまり志望校の諸先輩と比べたりするものだから、


「え… マジすか… ウチ、日々矢行けますかね?」

「知るか。ま、でも合格したら褒美にー」

「え、なになになに?」

「翔と旅行に行かしてやる! 沖縄でも北海道でも、何ならグアムにでも行って来い!」

「キャー 超やりますので!」


 あの女なりに応援してくれているのを感じ、目を瞑り天国の母に頭を下げる。


「よし。アオジル、オマエに喧嘩の必勝法を伝授してやるっ」


 は? 何言い出すんだこのババア… てかアオジルやめろー


「いいか、喧嘩に勝つにはな、絶対に相手にビビらないこと! コレよ!」


 バカじゃねこのババア…


「ちょっとでもヤバいとかマズイとか思ったら、負ける。だから相手がデカかったりヤバそうでもな、そいつの目をガン見してな、自分の不安をどっかに追いやるんだ!」


 ……ふうん。


「そうすりゃどんな相手だって負ける気がしなくなる。心の強え奴が喧嘩に勝つんだよっ」


 …成る程。


「オメエは今度『日々矢』と喧嘩すんだろ?」


 …そう、なるのかな…?


「だからな。もしわかんねえ問題や難しそうな問題が出てもな、」


 …ゴクリ。


「目え逸らすな。ビビるな。折れるな。気持ちだけはぜってえ負けんな。そうすりゃー」


 …日々矢にー


「ぜってー勝てる! 喧嘩も試験も勝負だっ 勝負は気持ちの強い奴が必ず、勝つ!」


 根が単純な私はその日から『勝負師』となった。


 そして合格発表の日。どうしても一緒に見るというので校門で父親と待ち合わせる。蒼ざめて引き攣った顔の父親に心の中で溜息を吐く。中学受験の頃もそんな顔をして欲しかった、母と一緒に……


 試験ではあの女の言う通り私は『勝負師』を貫いた。きっと試験中私は鬼の形相であっただろう、周りがドン引くくらいに。


 故に不思議と心は落ち着いたものであった。隣の父親の心臓の拍動が聞こえる気がする程に。結果発表の紙が張り出され、無心で受験番号を追う。


 あった。

 

 悔しいことに、真っ先に頭に浮かんだのはガッツポーズをするあのババアだった。


 学校に戻って結果を報告すると父親に告げ歩き出すと父親が私を呼んだ。振り返るとーパパがママの遺影を私にかざしていたー


 ママ。ママは私に優しさを教えてくれたよね。人を信じることも教えてくれた。でね。いつの日か私のママになる人はね… 私に… 強さを教えてくれたよ…… どんな困難にも打ち勝つ程の、愛しい人を守ることの出来る本物の強さを… 教えてくれたよ… いいんだよね、これで…


 写真のママがニッコリと微笑んだ。


 堪らず、パパにしがみついて号泣した。


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *


 参った… このババア、どんだけアレなんだろ… 父親と彼と別れてから限定メロンパンの行列に並び、出来立ての熱々をペロリと平らげて京都駅ビルを出た後。真っ先に来たのが新選組の屯所だった『八木家』。どうやら新選組が大好きらしく、ここに来たらコスプレ出来ると思い込んでたらしく……


 貸衣装とか全然なく、もっと言えば中は写真撮影禁止。ただひたすらにボランティアの人の解説を聞き終えるや否や、


「あたしゃ江戸からわざわざ来てんだぞ、そんくらいのサービス用意しとけコラっ」


 とか大声で怒鳴り出すではないか……


 想定外のカスハラにボランティアのおばちゃんは青ざめ、バッタの如く頭をペコペコ下げる様子に何故か私まで爽快に感じてしまう、相当この女に毒されてきている…… これは晴明様に穢れを払っていただこう、と暴れる彼女を連れ出しタクシーを探そうとすると、


「アホか。若いんだから、歩け。歩くぞ!」


 は? あり得なくね? マップ見ると歩いて45分だって…


「ちょーどいーじゃん、腹ごなしだー」


 …… 確かに我々は駅ビルから始まり八木家に到るまでにちょいちょい摘み食いしてきている。なのでカロリー消費するには歩くのもやむなし。舌打ちしつつ晴明神社に向けて歩きだしたのだった。


 でも酒とタバコと男に溺れているこの不健康そうなババア、歩く途中で絶対根をあげ…… たのは、私の方だった。クソがっ


「ねー、お祖母様―、ウチ疲れたー お茶しよーよー」

「バッキャロー。まだ半分も来てねえ。も少し我慢だ!」


 有り得ねえ、マジムカつくと悪態をつきつつ仕方なく歩き続ける。天気は良く寒さも全く感じない、散歩日和な天候ではあるのだが、普段歩くという習慣をガン無視している私の足腰は限界に達し、二条城の近くまで来て立ち止まりこれ以上一歩も動けないとゴネるとババアのお腹がグーと鳴った。


「む… 仕方ねえ。アオジル、探せ!」


 インスタを流していると私のお腹も激しく共鳴してしまう。


「えーーっとー、あ、近くに『チロル』ってカレーが有名な喫茶店あるよっ そこ行こ!」

「おおお! 京といえばカレーってか。いーねー、行くぞ行くぞ!」


 アホかこいつ、何が京といえばカレー、だよ。浅はかかつ浅慮な初老女を蔑みつつ、『チロル』に飛び込んだ。京都のカレーなんて美味いはずないじゃん、神田のカレーに敵うわけないじゃ……


 何これ、うまっ


 無言で激ウマカレーをペロリと平らげるとババアも口の周りをカレー粉だらけにしながら満足気に食べ終えたところであった。そして徐にiQOSを取り出し美味しそうにふかす。今時昼なのに店内で堂々と吸えるが京都のすげえところだ、なんて嘯きながら突如―


「オマエさ、翔のどこがいーの?」


 急に突っ込まれしどろもどろになってしまう。


「は? え? まあ、優しいとこ?」

「軟弱なだけだって」

「頭超いいじゃん!」

「あんなのただ知識詰め込んだだけのガリ勉クンじゃん」


 酷い言いようだ… 自慢の孫じゃなかったの?


「なーにが自慢の孫だっつーの。ナヨナヨしてフラフラしてー ちゃんとした根っこがねえからあーなるんだっつーの。アイツの能書は、ほれ、冬になると落葉するイチョウみてーなんだよ」


 まるで私の事を言われている気がして一瞬気が遠くなった。せっかく小六の秋まで頑張ったのに転居によって受験を諦める。新天地で楽な生き方に身を任せ気が付いたら典型的なビッチJ C。優しくてカッコよくて頭のいい彼氏に見合うかも、と言うだけで何の夢も希望も持つ事なく進路を決めた。ナヨナヨしてフラフラして根っこのない私。


 じゃあこれから私どーしたらいいのよっ


 じゃあ、翔くんにどーなって欲しいのよっ


「そーだなー。まずテメエ自身は何なのかってことがわかんなきゃいけねえ。何のために生まれてきて何をするために生きてんのかを知らなきゃいけねえ」


 頭を鉄パイプで殴られた気がした。


 私って何をするために生まれてきたの?


 私って何をするために生きているの?


「じゃ、じゃあ、お、お祖母様は何のために生まれてきて何のために生きー」


 鼻から輪っかの煙出しながら、


「アタシの大切なモノを守るために生まれてきて、大切なモノを死んでも守るために生きてんだよ」


 身体が、心が震えだす。


 自分の大切な人を守る為に生きて行く。


 彼が、忍さんが、そして父親がこの人に惹かれる理由が今ようやく判った。


     *     *     *     *     *     *


『チロル』を出てから私のスマホのマップを頼りに晴明神社へ向かう。もうタクシーは諦めた。


 その道すがら、さっきの話で頭がいっぱいだ。


(何のために生まれてきて何をするために生きてんのか)


 この女は身近の人々を守るために生きている。


(何のために生まれてきて何をするために生きてんのか)


 私は…… 私は一体何故生まれてきたのか? 今、何で生きているのか?


 この女のように何かを、誰かを守るため? 違うね。守るべき存在が見当たらないし、そんな強さは生来持ち合わせていない。


 では、何でだろう。どうしてだろう。


 ふと、今頃父と行動を共にしている彼氏のことを思い浮かべてみる。


 この人に会うために生まれた?


 …… うーん、ビミョー。


 この人と寄り添うために生きて行く?


 …… それは、希望的観測というか、そうなったらいーかも的な。てか、今は浮かれてのぼせ上がっているが、数年後もっといい人が現れるかも知れないし、逆に彼の方が私から去って行くかも知れないし。その確率の方が遥に高いし。


 うーーーむ。分からぬ。腕を組んでみても首を傾げてみても、サッパリ分からぬ。それをだらしなくプラプラ歩いている彼氏の祖母に問いかけてみる。


「ぶわーーか。そんなのテメーの若さで分かるわけねーだろ」


 殺意を抑えるために右手を左手で必死に抑え込む。


「社会に出て一人前になる頃に、何となーく分かるモンだ、テメーら中坊に分かるはずねーじゃん、ギャハハ」

「…… さっきは、何のために生まれてきて何をするために生きてんのか知れってアタシに言ったくせに。まだ先の話じゃん」

「そーだよ。でも今から常に考えておかねーと、その時になった時に思いつかねーぞ。ってーのはな、まーほとんどの大人? 何のために生まれてきて何をするために生きてんのか自分で分かんねーままくたばってくんだよ、ダッセーだろ?」


 思わず頷いてしまう。そうか、大抵の人は己の存在意義を認知出来ずに生涯を終えてしまうのか。何とくだらな生き様だろう。


「なー、だからそーなんねーよーに、オメーも翔も今のうちから脳みそ使って考えるといいぞ」


 急に彼に会いたくなる、そして語り合いたくなる。今、何処で何をしているだろう?


 やがて我々は晴明神社にたどりつく。ずっと前から雑誌で読んで来てみたかった場所だ。今日は何かと考えさせられる日であった、このババアのせいで。少し頭をスッキリさせよう、京都随一のパワーを受けて!


「ほーー。京随一のパワースポットねえー どれどれ、何処なんだよ?」

「えーっとー あ、あそこあそこ! あの五角形の井戸? みたいなヤツじゃね?」

「おおお、これか! よし、どれどれー ズズズズズー ごくん」


 徐に井戸から迸る水を意地汚く啜りだす。何処で何をしようが、この女は期待を裏切らない。


「むむ? ぬぬぬをーーーー」


 いきなり唸りだす。かなりめんどくさいが仕方なく、


「何? ちょっと、どうしたの?」

「なんかー おおお! 力が、パワーが湧いてきたぞっ よし! このパワーを!」


 突如彼女が走りだす。意味不。


 そしてなんとその直後私達はパチンコ屋にいる……


「この体の奥底から涌き出でるパワーでお土産代を稼ぎまくってやらあー」


 その約20分後―


「ザケンナアオジル… 何が京都イチのパワーだっつうの……」


 お腹が痛いー 腹筋が捩れているー 何この人―ホンモノのバカ? アホ?


 晴明様がアンタの邪悪な企みに力を授けてくれる訳ないじゃんー 財布に入っていた紙のお金は全て銀魂となり奈落の底に消えていったのだった。ばーーーか。


「やべ… おいアオジル、近くに銀行ねーか?」

「えっとー、あーあるよ。って、何でお祖母様スマホにしないの? こんな便利なのにー」

「バーカ。やっとコレ使い慣れてきたとこなのによぉ」


 初めて会った時から使っているガラケーを右手で放り上げながら、


「しかもまだちゃんと動くしよ。全然不自由してねーし。それなのに逆に何でスマホに変えなきゃいけねーんだか、さっぱりわからん」


 相当な機械音痴、な訳ではない。この人の店の厨房には最新式のスチームオーブンがあるし、家の洗濯機は我が家と違い最先端のドラム式洗濯機なのだ。


「だから〜 こっちの方が色々便利でしょー マップとかすごーく今回役立ってるし!」

「んーーーーー 確かに。でもよ…」

「何?」


 彼女は頭をカリカリかきながら、まるで言い訳をするように語りだす。


「そのー、アタシなー、そーゆー新しい習慣とかってー苦手なんだわー ラインとかもイマイチよーわからんしー 地図もよ、紙を気合いで見りゃすぐ覚えれるしよー 今時スマホで振込み出来る? まぁ便利っちゃ便利だわな、でもよ、それ騙されてんじゃねーか、って疑っちまうんだわ。ラインとかもよ、直接声で会話しねえでメッセージ信じていいのかよ? 手紙なら一目で誰からか分かるじゃんよ、ってな感じなんだわ。すまんな。ま、そんな訳だ」


 こういう所は本当に尊敬に値する。私達はよくわからないまますぐに新しいもの、流行に飛びつきよくわからないままそれを使いこなせている気になっている。


 スマホで簡単に買い物ができるようになった。だが私たちはそれがどれ程危険を伴っているのか気付いていないのだ。利便性に目が眩み、己の目が日毎に曇っていくのを看過しているのだ。


 でも彼女は違う。自分を信じ周りに流されず、確かなモノを手に入れ確かな事しかしない。


 物事の真理を抽出する達人なのだ、きっと。本当に大切なモノを見定め、本当に大切な人を見抜く。そしてそれらを己の手で守るのだ。


 ある意味、今の時代において奇跡的な人である。この人の側にいれば、この人の考えを模索すれば、人間の本質を知ることができるかもしれない。流行に左右されることのない『ホンモノ』の見分け方を手に入れることが出来るかもしれない。


 この人の近くにいればー


 何のために生まれてきて何をするために生きてんのか


 早くに自覚できるかも知れない。


「銀行、こっちですよ、こっち」


 彼女の腕を無理やり取って力一杯引っ張ってみる。


     *     *     *     *     *     *


 銀行から出てきた彼女は、


「なんか甘いものが食いたくねーか?」


 などと危険な囁きを言い放つものだから、


「近くに評判のパンケーキの店がありますよぉ」


 私の頬を両手で挟みながら、


「オメー。いい奴じゃん。忍は最近こーゆー付き合い悪いんだ。翔は甘いもんイマイチだしよぉ。行くぞっ で、何処だ? とっとと先歩きやがれっ」


 雑。乱暴。餓鬼?


 杉並にいた頃にはこんな人皆無だった。下町に住み始めても極力避けてきた。それなのに、まさか父親の彼女がこうだったとは。そして近い将来、義理だが母親になるかも知れないとは。


 余りの言葉遣いの汚さに呆れつつ、ふと前々から気になっていた事を問うてみるー


「ねー、パパの何処が好きなの?」


 丁度大きめのパンケーキの切れ端を口に入れる直前であった彼女は、そのまま硬直してしまう、そして数分後。


「私の憧れ」


 …… へ?


「眺めてるだけで幸せ」


 …… はあ?


「だったのよ。中学生の頃は、ね」


 夢を見ているのだろうか。彼女は人格が突如変わってしまい、薄汚い下町言葉でなく聞き慣れた山ノ手言葉で語り始めたっ!


「私なんか絶対相手もしない見向きもしない高嶺の花だったのよ。中学卒業して別々の道に進み彼のことはすぐに忘れちゃうだろうと思ってたわ。でもね、真琴が産まれてもあの人を忘れられなかった……」


 真琴さん、翔くんのお母さん。


「龍二を産んだ後も、忘れた事はなかったの」


 龍二さん。翔くんの叔父さんで伊豆で獣医をやっている。


「隼人が産まれてもダメだったわ。子供達が育っていくにつれ忘れられるのではと思ってたけど、全然ダメ。真琴が中学生になる頃には毎晩自分の卒アル眺めていたわ」


 キモ。


「隼人が家を出ていき、翔がウチに来てからも、あの人は今頃何をしているかしら、ずっと思っていたわ」


 こわっ。


「だからね、去年お店にひょっこり現れた時。死ぬほど驚いたの。そのまま死んじゃってもいいと思ったの。死なないけどね。それぐらい嬉しかったの、貴女のお父さんと再会できて」


 ゴクリ。


「今だから言うわ。翔が貴女を連れてきたときね、本当ならニッコリ笑いながら包丁を脇腹に突き刺して息の根が絶えたらジョージかヒロシに木場の辺りに沈めてもらおうと思っていたのよ」


「ヒッ ごめんなさいごめんなさい」


 山ノ手彼女は上品に首を傾げ、


「なぜ謝るの? でも私はそうしなかった、何故かわかる?」


 全力で首を横に振る。目尻に涙が浮かぶ。首がちぎれそうになる。


「貴女がね、あの人の瞳そっくりだったから。貴女命拾いしたのよ、この私が命より大切な孫を誑かした小娘を放っておくと思って?」


 怖えよぉ、パパ怖いよぉ、普段のモードの百倍怖いよぉ……


 全く味のしなかったパンケーキを食べ終え、外に出ると辺りはすっかり暗くなっている。日中の暖かさは消え失せ、足元から寒さが容赦なく迫り上がってくる、やはりミニスカはこの季節には早過ぎたであろうか。


「さーて。そろそろ飯の待ち合わせの時間だろー? オマエ場所わかるんだよなー?」


 昼前にパパから食べログの情報が送られてきたので頷く。でも、まだちょっと早いのでは?


「バーカ。約束と時間だけはキッチリ守らなきゃいけねえ。人より後に行ったら負けだ! さ、行くぞ!」


 こういう所も実に律儀だ。確かにこの人は待ち合わせとかに遅れてきた試しがない。どんな小さな約束も反故にされたことはない。今回の旅行だってー


 でもふと疑問に思う。そんなんじゃ、毎日が疲れね? 人間関係うざくね?


「んーーー、難しいこと聞くなオメエは… まーなんつーか… もしアタシが遅刻するのを良しとする様な人間だったら、忍はとっくにウチの店辞めてんじゃね?」


 ああ、わかった! この人はこうやって己を厳しくすることで周りを統率してきたんだー 完璧なリーダー気質じゃんー


「それにさー 時間にいい加減な人間だったらさ、とっくに店潰れてるわー そーしたら、今まで翔を養ってこれなかったわ。ま、そゆこと」


 そうなのだ。あの『居酒屋 しまだ』は今年で何と開店十二年を迎えるのだ。彼女たちの料理が特別に美味しいわけでもなく、特に特色があるわけでもないのにあの場所でほとんど赤字を出さずに続けていられるのは彼女の誠実さ、几帳面さの賜物なのだろう。


 愛する孫をお金のかかる私立中高に通わせるために。彼の知性に最適な環境を親、いや祖母として与えるために。

知れば知るほど、この人の人間性の深さに、私は虜になっていく。


 夕食を待ち合わせた店は所謂祇園にあるスッポン料理屋だ。スッポン鍋が名物だそうで、花冷えする今夜にはもってこいの料理かも知れない。この店も人気店で予約数ヶ月待ちだそうだ。


 店の前に予約時間の15分前に到着する。父親も元銀行員なので比較的時間には厳しい人なのだが流石にこんなに早くは来ていまい。


『お店到着♫ 寒いから先に入ってるよっ』


 中々既読が付かない。さっきから何度も二人に送ってるのに。何やってんだかーったく… しばらくしてやっと既読が付いたや否や、


『すまん、まだ南禅寺付近― 先にやっててくれ。』

「だって。どーする?」

「許さん… 人として、許さん……」


 あーあ。知―らないーっと。


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