合格発表!
平成三一年三月。
娘の葵の都立日々矢高校受験合格発表会場。俺は亡き妻の里子の遺影をギュッと握りしめながら合格者発表掲示板の前に立っている。
受験番号は213。俺は数字ではなく横に立つ葵の横顔を見続ける。険しい視線を走らせる葵。ただその表情には不安や怯えは一切なく、あるがままを受け入れようとしているのがよくわかる。
視線の上下動が不意に停止する。鋭かった視線がほんのりと暖かいものに変化する。
俺は掲示板に目を戻す。何度か視線を上下させる。そして〜
「やったな」
「うん」
俺を見上げる視線がとても眩しい。秋の終わりまではとても受験を考えられなかったこの名門都立高校。冬休みから試験前までの何かに取り憑かれたかのような勉強への集中振りは、かつて見たことのないものだった。
里子が亡くなった四年前までの俺は仕事の忙しさにかまけて育児をほぼ放棄してきたので、自分がこの子の親であると認識し始めたのがその頃からである。俺から見た彼女はどこか自分に自信が無く他人に甘え自分に甘え何となくその場を凌いでいる様に見えていた。
しかし去年の晩秋の頃から一つの目標、この名門都立高校への合格を掲げるや今まで見た事のない程勉学に没頭し、その姿にはただ驚きしかなかった。
知らぬ間の娘の成長を目の当たりにし感慨に耽っていると、
「パパこれから会社でしょ、私は学校戻って報告してくるから」
「ああ。また夜に、」
「うん。あそこで」
「お婆ちゃんに連絡しとけよ」
「わかってるって」
合格掲示板を写メした後、クルリと背を向けて歩き始める背中に
「葵!」
再度クルリとこちらを向く娘に里子の遺影を翳しながら
「おめでとう。よく頑張ったな」
俺と遺影に大きく目を見開く。しばらく里子の遺影を凝視した後、
「まあね。パパとママの… 娘ですから。あ、それからさ…」
「何?」
「キモいから… 涙拭い… て… ね」
「おいっ お前なんてこt…」
俺の胸に飛び込んでキツく俺にしがみつく。どうやら溢れる涙を俺のシャツで拭いているようだ。葵の頭に顔を埋めると懐かしい妻の匂いを感じた。
* * * * * *
その夜、葵の合格祝いに『居酒屋 しまだ』の暖簾をくぐる。先週まで暖かかったのだが、寒の戻りで夜の底冷えが昨年夏に骨折、手術した左足に響く。
「へいらっしゃい! あ、キンちゃん、お疲れさんー よかったねっつうか、凄いね葵、よくあの日々矢入ったよね」
この店の従業員の小林忍。この店の主人の昔からの連れで下町気質の気の良いおばちゃん。俺は何度も頷きながら、
「ま、アイツ最近ホント呆れるぐらい頑張ってたからなあ。ちゃんと神様は見ててくれたんだよなあ」
「ホントホント。葵ちゃん、頑張ってたもんなあ。流石お前の娘ってか? キングさんよお」
高橋健太。中学からの幼馴染で地元の左官屋の大将。この店に俺を連れてき主人に会わせた。下町気質の気の良いおっさん。
「蛙の子は蛙、ですね。流石この深川の伝説の優等生、キングこと金光さんのお嬢様です。本当におめでとうございます!」
島田翔。この店の主人の孫。息子ではない。某超名門中学三年。葵の彼氏。葵の著しい成績の向上はその殆どが彼の功績であると認めざるを得ない。この半年ほどほぼ毎日付きっきりで勉強を見てくれ、当初は地元の中堅都立が関の山だった葵の成績を名門日々矢に合格させるまでに伸ばした。
「あれ、光子は?」
「ちょっと買い出しに行ってます。もう戻るかと… あ、ほらー」
ガラガラと乱暴に扉が開く。キャップからはみ出た金髪が揺れる。真っ赤なユニクロのダウンを着込み寒そうに手を合わせながら、
「おうアンタ! アオジルやったじゃん! 頑張ったな、あそこ通るなんてよっ」
そしてこの店の店主の島田光子。この近辺では誰もが知っている伝説のヤンキー。その気質は50過ぎた今も全く変わらずー そして、昨年の夏頃より、俺の最愛の彼女―
「ああ、ありがとう。葵とお袋、もうすぐ来ると思うけど」
ガラガラと控えめに扉が開く。葵とお袋が寒そうに店に入ってくる。
「お、揃ったな。よし、奥の座敷な」
「そう言えばキミのお母さんー 真琴さんは甲府からそろそろ此処に引っ越してくるんだろ?」
「ええ。今月末に引っ越してきます。こないだ東京で何とかっていう弁護士事務所に就職決まったみたいです」
真琴は光子の長女であり、翔の母親。現在まで山梨県に単身赴任していた。
「そうなんだ。個人で弁護士やるんじゃないんだ?」
「ええ。是非にと誘われたみたいで。何でも人権派の小さな事務所らしいですよ」
「そうか。でも久しぶりにお母さんと光子と親子三世代で同居、よかったなあ」
翔は全く嬉しそうでない。何でも母親の真琴は『全く片付けのできない病』に冒されているらしい、その片付けの負担は当然息子に……
「…ハハハ… どうなることやら。それより、葵ちゃん良く頑張りましたよねえ」
「でしょでしょ! ぜーんぶ翔クンのお陰だヨ〜」
「僕は何にも。葵ちゃんホント冬ぐらいから凄かったもんねえ」
「テヘ」
光子がつまらなそうに、
「ま、これでアオジルも真琴の後輩ってことだなあ、いや舎弟か?」
「え… 真琴さんも日々矢だったのか?」
「そーだよ。ウチ金無かったからガキはみーんな公立なっ」
中卒の元ヤンから天才児誕生。この街の都市伝説に認定されているに違いない。
「…マジか… ってことは、龍二と隼人も…?」
光子の長男である龍二は現在伊豆で獣医を、そして次男の隼人は……
「龍二は日々矢だけど隼人は深川商業。隼人は勉強ダメだったからなー」
「ハハハ… でも隼人―Hayatoの新曲、春ドラの主題歌になったんだよな、しかもオリコン1位じゃないか。『ヴォルデモード』復活って凄い記事になってるし。最近ここにはこないのか?」
葵が本当に飛び跳ねながら、
「そーなの! もうすぐアルバム出るんだよっ 翔クン、コンサート行こ行こ! そんで楽屋にお邪魔しちゃお!」
「ったくアオジルはミーハーだな。これだから小娘は」
光子が鼻で笑うと葵が冷たい視線で、
「ミーハーって何ですかお祖母様。それより。この間の約束。覚えていますよね?」
「んぐっ… お、おう… ま、まあな…」
何故かしどろもどろの光子に、
「は? お前、葵と何約束したの?」
「いや… ちょっとー クソっまさかホントに通るとはー」
「何? おばあちゃん、何? 葵ちゃん、何?」
翔も全く感知していない様子だ。
「もし私が志望校に合格したら?」
「したらー?」
「翔くんと二人旅行をプレゼント! きゃ」
一瞬で頭に血が上り、俺はカウンターを両手で叩きながら、
「おいっ! コラッ! オマエ何を勝手にっ ダメダメダメ! 未成年の二人旅行、ダメ、絶対!」
「何でー? いいじゃん別に。『君の膵臓をたべたい』みたく〜 きゃ」
「いやいやいや。オマエ余命八十年はあるだろうが! こら翔、どういう事だ?」
翔は本当に泣きそうな顔で、
「し、知りませんよ僕だって… おばあちゃん、葵ちゃん、ダメだってそんな…」
「いーじゃん」「いーじゃん」
「ダメー」「だめー」
「きゃははは アンタ達いつ見ても可笑しいねえー 長生きはしてみるもんだねえ」
お袋が嬉しそうに笑っている。イヤイヤ、アンタが止めないで一体……
* * * * * *
「ったく。今時の女子中学生って何なんだよ… 男子がドン引きしてるんだぜ…」
「成る程ですね。ところで専務。夏の新企画どうしますか?」
有楽町にある俺の勤務先の旅行代理店『鳥の羽』の会議室。厳密には会議室は同じビルの8階の貸し会議室である。ワンフロアしかないこの会社だが、今年の業績次第では新社屋に移転も密かに考えている。
先週、社の命運を分けるほどのゴタゴタがあったが何とかギリギリで乗り越え、心機一転、この夏の目玉企画を立ち上げるべく、企画部員との会議はタラタラと進む。
同業他社との合併話が立ち消えとなり、社員達は混乱の極みに達している。こんな時こそ皆を引っ張っていくリーダーシップを取るのが役員の仕事、なのだが……
「まったく。子供でも出来たらどうするんだよ、まだ高校生だぜ、育てていけるはずないだろうに、まったく……」
俺が妄想にハマり悶え苦しんでいると、
「金光専務。少し休憩を取ろうと思いますが何か? 専務を含めこの弛み切った空気を入れ替えようと思いますが何か?」
ブチ切れ気味の最若手社員、庄司の意見に同意し、会議は休憩時間となった。
「なんかこの数ヶ月― 色々あり過ぎて… 一度ちゃんと本業に立ち返って地を足に着けるべきじゃないかな?」
若手社員の山本くんが提案するも、中堅社員で歴史に精通している村上は
「足を地にでしょ? ハアー キン様、今年はマトモな新人入ってくるんでしょうね?」
「何ですか、村上さん。去年はロクな新人がいなかったと仰りたいのでしょうか?」
益々キレ気味の庄司に山本くんがすかさずフォローする。
「こら庄司― 熱くなるなって! オマエのこと言ってんじゃないよ!」
「そうそう。山本くんのいう通り。庄司ちゃんじゃなくて、アンタのことだよ山本!」
この会社の常務取締役の姪である田所がニヤニヤしながら切り捨てる。
「ギョエー…ひ、酷い、田所さん… 俺、新人じゃないし…」
企画部のエース、関西人の城島が更に追い打ちをかけて、
「三年も先輩のくせに管理者試験受けてなかったの誰や! お前やろ山本っ」
「そ、それ言いますか城島さん! アンタだって試験受けてないでしょうが!」
「アホ! 俺は試験は受けたが落ちただけやボケ!」
「うわ、ダッサっ」
「ってオマエも秋の試験ちゃんと受けるんやで村上! てか、庄司以外のオマエら… いや、俺らか…、今年は全員合格すんで! わかっとんか?」
庄司以外の企画部員がウザそうに溜め息を吐く。旅行代理店に勤めていながら庄司以外にこの旅行業務取扱管理者の資格を誰も持っていなかったことが問題となり、この秋の試験には皆で受験し合格するよう俺が命じたのは先週だ。
「って、専務も一緒に受けはるんですよね。そや、落ちた奴が受かった奴に飯と飲み奢り、これええな!」
更に深い溜め息があちこちから聞こえてくる。そう、俺も二年前に銀行から転籍してこの旅行代理店に専務取締役として勤めている。旅行業界をもっと深く知るために俺もこの資格を取ることを決めたのだ。
「落ちた奴は合格した奴にウナギ奢ること! 文句あるか? ないな。よし、絶対皆で合格するんだぞ!」
田所が心から嫌そうな顔で、
「あのー、もしみんな合格したら、キン様が私達にご馳走ってことで?」
「面白い。それでいいぞ、さあ皆張り切って勉強しろよっ」
心底ウザそうな表情で皆がハーイと返事をする。下がり切ったモチベーションを上げるのも役員の仕事なのか、と自問してしまう。
「それにしても専務の娘さん、日々矢合格おめでとうございます。今後が楽しみですね」
この怠い空気を打ち消すように庄司が微笑みながら問いかけてくれる、流石優秀な社員は空気を変える能力にも長けているのだ。
「すごいじゃん日々矢! 流石キン様の娘さん」
「キンさんも鼻高々でしょ?」
俺は深く溜め息をつきながら、
「だから〜 その娘が彼と二人で旅行行かせろって。信じられないだろ? まだ15だぜ!」
「それは… 未成年者だとー」
「法的にダメだろ? 全く何考えてんだか…」
「いえ、法的、というより…」
「え? 条例かなんかで、未成年者同士の旅行はダメなんだろ?」
「いやいやいや… それなら受験シーズンの宿泊もできなくなりますよ」
あれ。意外に皆、よく知っていやがる。逆にそんなことも知らない専務取締役に同情の視線が集まりだすので、
「そ、それは… いやいや、未成年者の男女、の旅行のこと! 未成年者保護法とかでひっかかるだろ?」
「いやいやいや… 18歳の男子と16歳の女子の新婚旅行、去年扱いましたよ〜」
「ゲッ じゃ、じゃあ、問題無いのか? 娘が彼と旅行すること…」
すると普段はチャラついている田所が毅然と言うではないか!
「もし宿泊が伴うなら、宿との宿泊の『契約』は未成年者は出来ませんから、親などの保護者の承諾が必要です。民法の第5条です」
俺は内心驚きながら頭を掻き、
「そうなんだ… いや〜勉強になったわー って、ダメダメダメっ絶対!」
「キャハ〜 キン様親バカ〜」
「でも最近、彼と彼女の旅行に親が付いていくのもアリらしいですよ」
歴女の村上がポツリと投げかける。
「ハア? 何それ?」
「親同士が仲良くなると、親達が子供達を旅行に連れていくそうですよ」
「あれ… それって…」
女子社員達の目が輝く
「ほう… これは…」
男子社員達の目も煌めく
「ママも誘って〜 彼との旅行!」
「大好きなママと彼と〜 ワンランク上の想い出作り!」
かなりガツガツ系の城島が目を光らせ、
「こんなんどうや? 『キミにも出来る親孝行! 母さん連れてあの子と逃避行〜』
女子社員がドン引きする。
「キモっ 絶対行かない」
「無理っ ありえない」
城島が頭を抱えて訴える
「何でやねん… キンさん、コレええですよねえ え… あかん?」
「そもそも高校生世代がウチのサイト見ないだろう。むしろ親世代に訴えかけてみるとかー 例えばこんな風にー『そうだ。娘と(息子と)京都に行こう』とかさ」
皆から歓声を貰う。
「よっしゃ。夏の新企画、決定!」
「コレは面白いっ さすがキンさん!」
迫田企画部長兼営業部長が咳払いをしながら
「よし。この線で今週中に企画書! 出来たら即営業に回すからな。村上〜 オマエ言い出しっぺだからオマエ中心でやれ」
「りょおーかいー で。恒例のリサーチなんですがー」
全員が俺をニヤニヤしながら見る。
「え? 俺? 何で?」
「専務。真の言い出しっぺ、として一つここは肌を脱いでくださいませんか?」
* * * * * *
「…… てことになった。オマエら、どう思う?」
その夜、『しまだ』で光子と葵と翔に会社での出来事を話す。今年に入ってから俺は仕事が終わるとほぼ毎日『しまだ』に直帰している。家でお袋の飯を食べるのは土日くらいか。
「それって… ウチら四人で京都にー?」
受験が終わると、葵は『居酒屋 しまだ』で夜のアルバイトを始めてしまった… 年齢的にどうなんだか。ま、目的が翔と毎晩一緒に入れる事、そしてちょいちょい料理の作り方を学んでいるようなので、俺としてはダメとは言えない。
エプロン姿が妙に泣けてくる葵が実に微妙な表情で言うと、
「おーーーー、いーじゃんいーじゃん京都! 行こうぜー な、翔!」
光子はノリノリである。
「お祖母様。これは母と息子ないし娘、という企画かと。お祖母様はちょっと…」
あ… そう言えば… いやいや… 葵はどうしても光子と一緒に旅行に行きたくないのだろうか…
「バーカ、アオジル黙ってろっ ほれ、親子に見えんべ?」
光子が翔の後ろから抱きつき頬を摺り寄せる。成る程、こうして見てみると親子にしか見えなくもないかも知れないような気がしないでもない…
「僕はお婆ちゃんと泊りがけの旅行なんて久しぶりだし、金光さんとも京都行って色々教えて欲しいし それに…」
「えー なーにー? それに?」
「葵ちゃんと ごにょごにょ…… だし…」
葵が光子を撥ね退けて翔にしがみ付く。
「えー ちゃんと言って! なーに?」
「こら葵。その辺にしておけ」
「何だよ?」
この口の悪さ。すっかり下町言葉が身についちまってやがるぜ、こんちくしょう。
「あのな… 男をそんなに追い込むな。男にとってそういうの一番ウザい」
「そーそー。そーゆーあざとさはクソビッチがやる事だぞコラっ」
葵は腐り切ったミカンを眺める目つきで、
「キモ」
「まあまあ、お婆ちゃんも金光さんも、葵ちゃんも。ね、行こうよ葵ちゃん、京都!」
「うん。行く! きゃ」
何だよ… 何なんだよソレ…
「で。お前卒業式いつだっけ?」
「十九日」
「そか。じゃあ、次の週の月曜、火曜でいいか?」
「僕は大丈夫です。葵ちゃんは?」
「ウチも平気!」
「アタシもオッケー 忍〜頼むぞおー」
この店の従業員、かつ光子の永遠の舎妹である忍が満面の笑みで、
「ガッテンでーす。あれ買ってきてくださいよ、アレ。顔の脂取るやつ」
「任せろ。一年分買ってきてやる」
「一年分ってー そんなギトギトしてる訳アタシ? キンちゃん酷くね?」
「よくこう言うだろ、『油も滴るいい女』って」
「あたしゃ、チャーシューかよ…」
* * * * * *
「と言う訳で、月末近くの23、24日でどうかな、村上?」
「わっかりましたー 部屋は一部屋でいいですよねー?」
光子と翔と葵と同室…… ちょっと想像した瞬間俺は首を振りながら、
「ううーん… 実際どうかねこのコンセプトの場合―」
「まあよっぽど親同士が仲良ければ一部屋もアリかとー そうでなければ二部屋ですかねえ」
「まあ普通は二部屋かな」
「ですかねえ」
俺と光子、翔とあお…… ダメダメダメ! 俺と翔、光子と葵。これしかない。
「…… なので、是非四人一部屋のテストケース、と言う事で!」
「はああ? えええ? そ、それはちょっと……」
村上はキッと俺を睨みつけながら、
「予算の都合上、一部屋でお願いします!」
予算か…… ここで自腹を切る勇気と度胸のない俺は、
「仕方ないか…… わかった、一部屋で様子見てくるわ」
これではまんま家族旅行じゃないかよ、いいのか本当に、俺?
「お願いしまーす。あと、どの辺りに泊まります? 京都って実は温泉宿って少ないんですけどー」
「温泉には拘らないから今回は。どっかオススメあるか?」
社内随一の歴史オタク、『有楽町一の歴女』の目が光る。
「フッフッフ。キン様は時代的にお好みはどの辺りですか?」
俺は元々銀行マンであり、どちらかと言うと数字や約款はスッと頭に入ってくる。勿論歴史や地理などの地歴系が苦手な訳ではない。歴史はどちらかと言えば好きな方だ。だがこの業界の彼らに比べたらその知識はカスみたいなものであるー
「うーーん… 四月から高一の二人がいるからなー やっぱり平安時代? 泣くよ鶯平安京って奴でさ」
村上は昔の日曜夜に半裸でばつ印を出す小男そのものの仕草で、
「ブッブーでございますっ 現代の京都市に平安京の名残はまあ少ないですからっ」
「へ…? そ、そうなの? じゃあ、オススメは?」
「ダメダメっ この街を『歴史』的視点で観光しようなんて! 全然ダメですからっ」
「ハア? お前が好みの時代なんて聞くからだろっ!」
小生意気な言い草にちょっと逆ギレすると、
「いいですか。この街は794年から1869年まで日本の首都だったのですよ。日本の歴史の殆どがこの街に集約されていたんですよ。わかります?」
逆逆ギレされてしまう俺は専務取締役なのです。
「は、はい…」
「ですからっ 縦の糸と横の糸が複雑に絡まりあった実に難解な街なんですよっ わかります?」
「…だんだんわからんくなってきた…」
姉のパンツを頭から被り踊っている弟を眺める目つきで、
「ハーーこれだから歴史を知らない人はー わかりました。今回はど真ん中で行ってもらいます!」
「ど、ど真ん中ですか…」
「そう。京都駅近くに宿を取りますので。それまでによーーく京都の勉強しておく事っ いいですか?」
それ程歴史に詳しくない俺に村上はブチ切れてしまったようである。俺は京都に行くのは高校の修学旅行以来なので…… あ、銀行員時代に何かの仕事で行ったわ、祇園に。とまれ、彼女ほど歴史や地理に興味はない俺は京都のどこへ行ったのかも全く記憶に残っていない。
村上が目の前に京都の観光案内系の書物雑誌をドンと置く。10冊近くはあるだろうか… しかもよく見ると所々に付箋が貼ってあったり蛍光ペンでマーキングされていたり…
「それ、私の個人資料ですから。帰京後返還願いますね」
「しょ、承知…」
「これから毎日、小テストを行いますので」
「や、やめて…」
村上はキッとなり、
「どうして専務は歴史を冒涜なさるのですかっ」
「してません、してませんよ!」
「仕事で、しかもタダで京都に行けるのですぞ、なのにその覇気のなさ、信じられませぬ、人として、日本人として有り得ませぬ!」
目が狂人の様に鈍く光っている、下手なことを言えば発狂しそうだ。
「わかった、俺が間違っていた、今夜から勉強させてもらおう、京都の歴史と地理をしっかりと学ばせてくれ、頼む」
何故専務取締役の俺が平社員に勉強させて欲しいと頭を下げねばならないのだ……
「はあはあはあ、よろしい。それでいいのです」
村上の狂気がようやく治まったようだ、変人の上司は兎角疲れて嫌になる。
* * * * * *
「と言う訳で…このような旅行となったのだが…」
「え? 朝イチで? はやっ」
「うわ… 盛り沢山ですねー 全部回れますかね…」
光子はウンザリ顔で、
「オマエら先行ってろー アタシら後からノンビリ行くわ」
「それは出来ない。新幹線は全席指定だ。諦めろ」
葵が資料をパラパラめくりながら、
「あーでもご飯とか美味しそー お店も全部予約されてるの?」
「ああ。会社一の京都通オススメの店ばかりだ…」
「それは楽しみですね!」
光子はイヤイヤをしながら、
「面倒くせー アタシは食いたいもん食うわ」
葵は光子を睨みつけながら、
「じゃ、ウチら三人でっ」
「おいアオジル、何フツーにハブってんだコラ!」
物乞いを見下すような表情で、
「まあ、千年の都の味がお祖母様のお口に合うかどうか」
青ざめながら翔が、
「ちょ、ちょっと二人― それより… 何ですか、この分厚いプリント…」
「あ、それな。その京都通の部下がわざわざ俺たちのために作ってくれたんだとさ。行くまでに読んどけよ」
「ハア?」「はあ?」「へー!」
「そこに書いてある事ぐらい知ってなきゃ、楽しめないんだってさ、京都って」
「ハー」「はー」「ハイっ」
約一名、ヤル気満々な少年は嬉しそうに厚さ2cmのプリントを眺めている。純粋に古都に憧れているのか、それとも…
「ええ。どうせお婆ちゃんと葵ちゃんは歴史とかに興味ないだろうし。僕がじっくり読み込んで二人に色々教えてあげたいです。」
そう言うや否や早速プリントを読み始める。やはり超名門中の生徒は何かが違う。俺も彼を見習って小テストに備え少しずつ目を通していこう。てか、本当にやるのかよ小テスト……
読み進めるにつれ。流石、社内きっての歴史通だ、京都の成り立ちから現在に至るまでの栄枯盛衰をわかりやすくまとめてある。これだけのものを僅か数日でまとめ上げた彼女のポテンシャルに戦慄してしまう。
だがな村上。普通の彼と彼女はこんなに詳しく京の成り立ちや栄枯盛衰を知りたいとは思わないぞ。平城京を捨て平安京建設に動いた根源的な思想なんて知りたくもないぞきっと。それに親たちだって鳥羽・伏見の戦いのハザードマップよりも抹茶系パフェの所在地の方が知りたいと思うぞ間違いなく……
迫田部長の人選ミスを激しく呪い恨みつつ頁を捲っていく。
隣では翔がへーとかほーとか言いながらサクサク頁を進ませている。時折俺と目が合うと嬉しそうな顔を見せる。俺も軽く頷いてみせる。娘しかいない俺には良く分からないが息子がいるとこんな感覚なのだろうか。
大体娘との会話は実用性に即したもの、例えば『お腹すいた』とか『お金ちょうだい』とかが殆どでこの様な実用的でない歴史や地理などについて語り合うことなどない。この感覚はそう、光子の二番目の子供の龍二との会話に似ている。
龍二は大学で獣医学を修めた後、西伊豆の三津浜で獣医をしている。何度か会って話したが会話の節々に彼の持つ知識教養が溢れ出ていて、それを受け止める人を渇望している感が否めない。
真に頭の良い人間とはこういうものなのだろう、そう受け止め彼とコミュニケーションを取ってきたが、翔にもそれに通ずるものがあることを薄々感じてきている。
龍二の場合は思春期に彼のずば抜けた知性を受け入れる存在が周りに殆どいなかった故に極度のコミュ障になってしまった。その時もし俺が彼の側にいたら彼は普通に…
それに近い事を何度か龍二に言われた事がある、もっと早く貴様と出会っていたかった、と…… 貴様って…
そう考えると翔の場合は今の所コミュ障を患う程彼の知性が覚醒していないのだが、この先知識が増え知性が増した時、側にそれを理解し通じ合える大人がいなければー 龍二と同じ道を辿ってしまうかも知れない。
龍二の場合は三十過ぎてようやく純子さんという彼にとって最適なパートナーと邂逅し、徐々に他人とのコミュニケーションが取れるようになって来ている。
隣で嬉しそうに難解な文章を楽しんでいるこの少年を誰が受け止め誰が成長させてやれるのだろうか、そう考えていた時。俺の肩に光子の手が置かれる。
「アンタ。頼むね。私じゃこれ以上… だから」
光子が真っ直ぐな視線で俺に囁く
「貴方じゃなきゃ、ダメなの…」
つい微笑んでしまう。光子は普段は元伝説のヤンキーらしく口汚い話し方なのだが、昔の彼の話や本当に大切な事の話になると口調がガラリと変わってしまう。そのギャップも俺にとっては彼女の魅力の一つなのだー
「ああ、わかってる」
光子は優しく微笑む。不思議な事なのだが、彼女とはこういった事が多い、話さなくても心や考えが通ずる事が。残念ながら亡き妻とは一切こんな感覚は無かった。いや、生まれてからこんな相手と出会ったことは無かった。
三月ほど前、陰陽師の家系で占いがプロレベルの営業部の佐藤という女子社員に、俺と光子は世代を超えた因縁があり人知を超えた伝説のカップルだ、なんて揶揄われた事があったのだが、ふとそれもアリかな、なんて考えてしまう。
一度は中学生時代に同じ中学の同窓として出逢っていた俺たち。その時には何も無く互いに忘れ去り… いや、彼女は俺を忘れていなかった。そして一年前。偶然にこの店を訪れた俺は彼女と『再会』し、ようやく…
ちょっと待て。彼女は当時、俺を『初恋の男』と認識し、俺を求めていたー 俺は当時ー 彼女の立ち振る舞い、金髪にロングスカート、数々の問題、事件を見聞きし最初から彼女を拒絶し排除していた。
もし俺が当時、人からの又聞きや噂話ではなく、直接ちゃんと彼女と向き合っていたら? ちゃんと彼女と話をしていたら? 彼女を理解していたら?
当時の俺は自他共に認める優等生だった。生徒会に属し、部活も都大会レベルだった。故に不良少女なぞ全く眼中に無かった、いや全く向き合おうとしなかった。女子としても人としても全否定していた。
即ち当時の俺は特定の人間に対し見えない垣根を張っていたのだ。どんなに彼らが俺と向き合おうとしても俺はそれを遮断していたのだ。何という傲慢な人間だったのだろう。
なのに周りは『伝説の優等生』だの『深川のキング』とチヤホヤし俺も少なからずそれに甘んじて来た。
何とも鼻持ちならない小僧、それが中学生時代の俺だ。当時の島田光子を一切拒絶していた俺だ。
ああー もし当時の俺が少しでも、この垣根から彼女を垣間見る事が出来たなら… 人を本当に理解しようと思える自分だったら。そして、彼女を理解していたら?
人と人の出会いに偶然はない。全て必然である。然し乍らもしどちらかがその出会いに値する程人として成熟していなければ、その出会いは不易なものとなる。やがて彼もしくは彼女が成長しどちらかの魂がそれを求めるのならばー 再び出逢い互いを知る事ができる。
俺はどうやらあの頃よりは人として成長出来たようだ。光子に見合う男に成熟出来たようだ。前職である銀行での出世争いからの脱落や転籍、妻に隠れた不貞、そして妻の死など様々な出来事が俺に人として最も足りなかった『人と向き合う』事を教えてくれた。
そうだ。光子とは向かい合えた。再会できた。そして結ばれた。
娘の葵とも向き合おう。近頃のJCは分からねえなどと放り投げてはならない。
翔ともちゃんと向き合い、彼が必要とするならしっかりと彼を受け止めよう。
隣では翔が更に顔を輝かせプリントを熟読中だ。葵は翔の肩にもたれてうたた寝中だ。光子はいつの間にか厨房に入り他の客の注文を調理中だ。
『しまだ』は今夜もいつものように時間が流れていく。
* * * * * *
数日後の週末。
「と言う訳でー 月曜から行ってくるから。お前らちゃんと管理者の勉強しておけよ!」
企画書は徐々にまとまり、あとは俺のレポート待ちの状態となっている。村上が主体となる企画はこれが初めてらしいのだが、実に彼女は良くやっている、あの『小テスト』を除けば……
「うわー キンさんに言われたくねー 僕ら本気出したら結構やりますよ、この業界長いから。てか、キンさんこそ資格の勉強進んではります?」
「あはははは」
毎晩の京都の歴史と地理の勉強故、そっちの勉強はあまり進んでいない……
「てか、そーゆーキン様ホントに大丈夫ですかぁー、結構ムズイですよお?」
「旅行業法とか約款は何とかな。これ銀行の時とそれとなく似てるから。飛行機もよく使ったしな。」
皆は成る程顔で頷いている。
「問題は旅行実務の方かな。何しろ旅行なんてほとんどして来なかったから、さっぱり分からん。世界遺産がこんなに増えていたなんて…」
皆は、特に城島は踏み潰されたアゲハ蝶の幼虫を見下ろす視線で、
「世界遺産… 何で知らないんすか… それこの業界の目玉すから…」
面目ない、と両手を合わせながら、
「なので。村上、ありがとな資料。これ九月の試験にも凄く役立ちそうだよ。千本鳥居の伏見稲荷、過去問にあったぞ」
「伏見さん知らんかったんですか… ある意味凄い男やこの方……」
京都出身、と言いつつ本当は京都近郊の長岡京市出身の城島が、やや上から目線で俺を見下すのを無視していると、村上が急に目を光らせる…
「ふふふ。歴史小テストとは別の質問です。ここにある東京―京都の新幹線の乗車券、もし一名が腹痛を訴え名古屋で途中下車した場合―」
「うわ… そ、その辺はまだなのだ…」
村上は般若の表情となり、
「ダメじゃないですか! 週末にこの辺よく勉強しておく事! 実際お嬢さんがお腹壊したらどうするんですかっ?」
実際に想像し、戦慄する。そうだ、もし葵が盲腸かなんかで苦しみ出したら、払い戻しとかどうなるんだろう…… 光子と翔だけ先に行かせるとして、俺の乗車券はいつまで有効なのだろうか?
「だよな… そっちもちゃんと勉強しておくわー って、お前ら…実は本気出せば結構楽勝で……」
「だーかーらー言ったでしょ? あたしらはチョッと本気出せば〜」
「そーそー。キン様はこれから一つ一つの旅行を大切にして、ね」
ここぞとばかりにマウントをとってきやがる女子社員達に、
「先輩方。専務にそれを言うなら、『総合』取ってからにしてくださいませんか?」
庄司が深―い溜息をつきながらボソっと言う。
『総合』とはこの九月に俺らが受験する『国内旅行業務取扱管理者』の資格の上の『総合旅行業務取扱管理者』の資格の事であり、国内だけでなく海外旅行を取り扱える最上位資格のことである。当社でこの資格を有しているのは何故か昨年入社の庄司只一人である…
「それよりも専務、あの金色の姐さんと息子さんと…」
「孫な…」
「もとい。お孫さんと、そして娘さんと… その、上手く… 大丈夫ですか?」
村上は1ラウンドK O負けの青あざだらけのボクサーを眺める様子で尋ねてくる。
「ありがとな。何とかやってくよ。村上が作ってくれた旅程表通りには絶対行かないだろうけど…」
「ですよね…… あの、今から作り直しましょうか? 明日の昼までには提出できますが」
俺はニッコリと笑いながら首を振り、
「大丈夫だ、ありがとな。何とかそれに近い旅をしてくるわ」
「そうですか、何なら雨の日バージョン、雪の日バージョンも構成可能ですけどー」
それ、単に自分が作りたいだけ?
「あと、金色姐さん向けにB級グルメスポット情報を取り込んだ日程表も明後日までなら作成可能ですが?」
「大丈夫、大丈夫。いざとなったら食べログで探すから」
村上は心底残念そうに、
「そうですか…… 分かりました。では、最後の小テストをこれから行いましょう」
「げっ」
「…… 全く。資料ちゃあんとご覧になりました、キン様? 京都の結界に用いられた思想も答えられないとは…」
「そ、そんなの資料に書いてなかったぞ!」
村上は逆逆キレながら、
「資料に書いてなかったらご自分でお調べになるっ その姿勢が垣間見れないのが残念だと申しているのですっ!」
怖え。マジでこの二十代半ばの部下が恐ろしい。学生時代ここまで俺を搾り上げた教師なぞ存在しなかった。この歳になって初めて劣等生の気持ちを理解してしまった俺。
「お、陰陽五行説ってーのは資料にあったけどさ、」
「ちょっとググれば、その先に『四神相応』と出てくる筈なのです」
「え? しじんそうおう? は?」
ムキーと本当に髪の毛を掻きむしりながら、ホワイトボードに四神相応、と書き出す。
「その土地の東西南北の方角を司る四つの神様が存在するに相応しい地形の事なのです」
「お、おお、ほお、成る程」
「では北から順にその神様を言ってくださいな」
「へ?」
九九が出来ない高校生を眺める表情で、
「はーー。では、青龍、白虎、朱雀、玄武って聞いたことありますよね?」
「バカにするな。白虎隊ぐらい知っとるわ!」
「では玄武とは?」
「玄武岩だろ?」
「岩じゃねーし。何の神様だっつーの?」
俺は背筋を濡らしながら、
「すみませんすみません、知りません」
「水の神様だっつーの。亀と蛇のあいの子みたいな奴なの!」
「なるほどなるほど、そうなんですね」
徐々にヤンキー教師と化していく村上に心底ビビりながら、最後の小テストはいつ終わるか神のみぞ知る展開となっていく……
* * * * * *
地獄のテスト、いや仕事を終えて会社を出ると既に十時過ぎだった! 年末でもないのにこれ程遅くまで会社にいた経験は無い。頭はボーッとしてし、あの有名なボクシング漫画にある『真っ白な灰』になった気分である。
専務取締役が平社員にこんな遅くまで締め上げられる企業がどこに存在するだろう、歩きながらつい吹き出してしまう。
『居酒屋 しまだ』に着くと十時半を過ぎており、客は半分程の入りである。バイトで働いている葵は毎晩九時には上がっており、翔も自室に上がって行ったと言う。
「それにしてもキンちゃん、役員様がこんな遅くまで働くなんて、そのうち潰れんじゃないの、大丈夫?」
忍が半分真顔でよく冷えたビールを出してくれる。
「その逆だよ。これから大きくなるさウチの会社は。今年か来年中には自社ビルでも建てようかと考えてんだぜ」
「マジかー、そんな景気良かったんだ。で、どこに立てんのさ?」
「うーーん、どっかいいとこねえかな」
「新木場の辺りとかは?」
「埋立地はどうもな……」
「行徳とか市川辺りは? 土地の値段安いんじゃね?」
「ふむ。別に都内にこだわることもねえか、それもアリだな」
光子が疲れた顔でヨッコラショと俺の隣に座り、iQOSを咥えながら、
「東西線の沿線にしろよ、あ、ジョージに相談すりゃいいじゃん、おーい、ジョージ!」
テーブル席で仲間と飲んでいた青山譲治が真っ赤な顔でやって来る。
「おお、キングー、今夜も飲んでっかコラ」
中学時代の同級生で健太たちと連んでいた青山が馴れ馴れしく俺の肩に手を回す。
「ふーーん、自社ビル、ね。今年来年はやめとけ」
「何でだよ?」
「来年、オリンピックあるだろ。終わってからにしろや、土地の値段が急落すっから」
「ああ、成る程…… って、お前、悪徳不動産屋のくせに市場をちゃんと読むんかい!」
青山はムッとしながら、
「悪徳、だからよ。今は小銭動かしといてよ、土地下がったら一気に叩きまくんだよ」
「お、おお、そうか。そっか、来年、オリンピック後、かあ」
「なんなら、まともな同業者紹介してやるぞ。大手の三葉、住共、どこがいい?」
「そん時になったら、声かけるわ。よろしくな」
青山はニヤリと笑いながら、
「で? オトナの修学旅行、今年はどこ行くよ?」
去年の夏に企画した日光への同窓温泉旅行。恩師の金子八朗先生もいらっしゃり、それはそれは楽しく華やかで美しい記憶……
「バスの中で騒ぎまくりS Aで他人に強迫行為をする奴らとは二度と旅行しない」
青山は泣き顔になり、
「キングぅー、あれは俺らが悪かったよぉー、もーあんなことしねーからさー、またどっかみんなで行こうよー」
二度とコイツらとは旅行しないと決めていた。のだが、ふと
「京都」
青山は目を輝かせ、
「きょ、京都、ですか?」
「京都、みんなで行ってみたいか?」
ウッヒョーーーと叫びながら、
「い、い、行きてえ、お前らと、みんなと京都、行ってみてえーーー」
コイツらはともかく。恩師の金子先生や元バスケ部や生徒会連中と巡る京の街並み。悪くない。この歳で巡る京都修学旅行、か。
「よし。来週京都に仕事で行くから、ちょっと考えてみるわ」
うっしゃーーー 青山は目に涙を溜めて大声で喜んでいる。忍と光子がニヤニヤ笑いながら俺らを眺めている。
今夜も『居酒屋 しまだ』は、古都京都の如く悠久の時を刻んでいるー