ベーコン
目が覚める。知らない天井だ。
褪せた黄色い壁には恐らくアートと評されるであろう絵画が飾られている。エリオットにはただ絵の具を弾き飛ばした様にしか見えなかった。床にはまだ荷解きされていないダンボールと積み上がった書籍類が散乱している。
違和感がありナバホ柄のブランケットをめくると自分が何も着ていない事に気づいた。
「ふざけんなよどこだここ...」
ズキズキ痛む頭を抱え起き上がる。
「ふざけんなって、そりゃないよ。ゲーゲー吐いてフラフラだったしその辺に捨てるのも忍びなくて連れてきてあげたのに。」
突然聞こえてきた声に体がビクン、と跳ねる。心臓がとまるのかと思うほどであった。
「なんで隣で寝てるんだよ。」
鼓動が早くなる。
横を見るとよれたグレーのTシャツを着たミゲルがエリオットの隣に寝そべっていた。彼は呆れたような表情を浮かべている。
「だってここは僕の部屋だし、うちにはソファもないんでね。」
いつかまた会った時、先日交わした約束の通りに連絡先の交換ならしてやってもいいと斜に構えていたがまさか同衾が最初にくるとは思いもよらなかった。
昨夜の醜態から始まる再会についての記憶が断片的に蘇る。
「...てかこれお前が脱がしたのかよ。」
「流石に汚れた服のままベッドに入れるのは抵抗あったし。軽くすすいで干してるとこ。まだ濡れてると思うけど。」
自分だけが裸のまま好みの顔の男とベッドに居る状況が落ち着かず、ミゲルからブランケットを剥ぎ取り腰に巻き付ける。
「悪いんだけど服を持ってきてくれないか。」
「話聞いてた?びちゃびちゃなシャツのままバスにでも乗るつもり?」
エリオットは早くしろと言わんばかりに、腕を組みブランケット1枚の姿でミゲルをじっと見る。
「はいはい、仰せの通りに。女王陛下。」
呆れたような表情でお辞儀のポーズを取るミゲル。彼はベッドから立ち上がると床に散らばるダンボールや積み上がった本を、その長い脚で器用に避け別の部屋へ消える。
一旦自身を落ち着けようと、ベッドに再度腰掛け深呼吸するエリオット。
ブランケットをミゲルから引っ剥がした時に彼はズボンを履いておらず、ボクサーパンツ姿だった。
ゴツゴツとした逞しげな足は長く伸び、キュッと締まった上向きのヒップに目がいってしまった。
そういえば、仕事は陶芸教室の講師だとか言っていたが、陶芸であそこまでの筋肉がつくだろうか。
初めて会った時も思ったが、服を着てても分かるほど腕や胸板も厚めである。
自分が知らないだけでかなりの力仕事なのだろうか。
「やっぱり服も下着も乾いてなかったよ。さっとすすいだだけだから臭いもとれてなかった。」
そう言って現れたミゲルの手はベーコンのイラストと“Bacon”の文字が刺繍されたエコバッグ、もう片方の手にはエリオットのものではない衣服らしきものを持っていた。
その恐ろしくセンスに欠けるエコバッグと衣服をエリオットに渡すミゲル。
エコバッグの中を覗くとそれはエリックの服が入っていた。触ってみれば、ぎりぎり着るのをためらうほど湿っている。
「これ着てけよ。あんたが着れそうなのそれしかないんだ。」
渡されたもう一つの品は生成色のリネンシャツと黒のジョガーパンツだった。
「下着は新品がなくってね。俺のお古で良ければあるけど?」
にやり、白い歯をチラつかせ笑うミゲル。
「流石にそれは遠慮する。、、、でも服は借りてく、すまない。」
着替えようと腰元に結んでいたブランケットを解こうと触れたとき、視線を感じた。
「、、、重ねて悪いんだが、出ててくれないか?」
気まずそうに頼むエリオットを、今度は目を丸くし驚いたような顔で見たかと思えば。
「ははっ。意外とウブなんだな。昨日はずいぶんガラの悪い店からいかにも遊んでましたって風ででてきたのに。」
途端に鼻先が触れそうなほどの距離まで顔を近づけてくる。上から下までねぶるような視線を向け、悪戯っぽい笑顔で笑うミゲル。
エリオットは顔に熱が集まるのを感じ、体がこわばった。
いいから早く、と部屋の主であるミゲルの肩を押しのけて追い出した。
着替えを終え、鏡も見ずに手ぐしで髪を軽く撫でつけ身支度を終える。
上も下も嗅ぎ慣れない香りがする。少し甘いような、爽やかな刺激のあるような香り。サイズはやはり少し大きい。
ひどいデザインのエコバッグを持ち上げドアノブに手をかけた。
すると、ミゲルが床にコーヒーカップ片手にしゃがみ込んでいる。
「少し大きいけど、大丈夫そうだね。」
「、、、昨日はかなり迷惑をかけたみたいですまなかった。服はここに宅配で送るよ。」
そわそわと視線の泳ぐエリオット。するとミゲルはコーヒーカップを床に置き立ち上がり、
「宅配なんて冷たいな。直接返しに来てくれよ。それが筋だろ。」
壁に右手をつきエリオットを壁に追いやる。
再び顔が近づき、いつかTVで見た南の島の空を思わせるようなその青い瞳に捕らわれる。
ミゲルの主張は至極真っ当なのだが、エリオットはそれどころではいられなかった。
エリオットは特段小さい方ではなく平均的な体格だが、ミゲルの影にすっぽり収まってしまった。
たまらず目をそらし、ボソッと「分かった」と呟く。
「そうだ、賭けは結局俺の勝ちだね。今度こそ連絡先教えてくれよ、エリオット・ミラー。」
床に置きっぱなしのスマホを拾い上げ画面を開き、ほら、とエリオットに渡す。
自分から仕掛けた八百長のような賭けだったが、渋々であるというような態度で乱暴にスマホを取り上げた。ポチポチと手早く番号を入力し、ミゲルに突き返す。
電話番号が打たれた画面を確認すると、ミゲルはくしゃっと幼い雰囲気の笑顔を見せた。
エリオットはドタドタと歩き出し玄関に向かう。
「じゃ。俺帰るから。」
振り向きもせずドアを開けたエリオット。
「ああ。今度は酔い潰れるなよ。」
余計なお世話だ、と叩きつけるようにドアを閉めてミゲルの家をあとにする。
昼間だというのに、あいも変わらず雲は厚くのさばりほんのりと薄暗い。
エリオットは困惑していた。ミゲルの距離感や接し方がまるで口説かれているように感じていたのだ。
自分が“そう”だからそんなふうに感じるのか、ミゲルのルックスが好みど真ん中であるから尚更なのか。
越してきて最初の友人を自身に求められたはずだったが、彼の態度が友人へのそれとは少し違うような気がしていた。
慣れない土地にやってきて特に親しい者もいなければその孤独感は理解できるし、それを理由にあのパーソナルスペースの狭さなのだろうか。
そもそも彼の性の対象が同性なのかも分からないのである。
ベーコンの刺繍が入ったエコバッグを握る手に力が入った。