メメメゆゆぴ
トーストの焼ける嫌な匂いで目を覚ました。
窓を開けると外には太陽と雲があって、微かに風が吹いていた。妙な天気だ。気味が悪い。
1階からギュムギュムと音が聞こえる。
変な泥棒でもいるのだろうか。
変な音出して、トースト焼いて、やりたい放題じゃあないか。
1階に降りていくと、ダイニングで全身黒ずくめの目出し帽の大男がトーストを齧っていた。机の上にはマーガリンもジャムも出ていなかった。
「泥棒ですか?」
俺氏がそう訊ねると、目出し帽の男は瞳を輝かせ、唇を開いた。
「あたち、ゆゆぴ! メメメゆゆぴってゆーの!」
女のような甲高い声だった。
よく見ると胸もあり、喉仏がなかった。
「なんだお前、男ですか」
俺氏の問いに、ゆゆぴは答えなかった。
仕方がないので俺氏は食事が終わるのを待つことにした。
しばらくして、トーストを食べ終えたゆゆぴが立ち上がった。ギュムギュムと足音を立てながら食器を運んでいる。
全てを流しの中にぶち込み、給湯器のボタンを押し、赤い方の蛇口をひねった。
「チミも目出し帽被った方がいいのら」
皿を洗いながら謎の提案をするゆゆぴ。俺氏は怖かった。朝起きたら1階に目出し帽の大男がいて、暴れるでもなく当たり前のように朝食をとって俺氏に話しかける。正気の沙汰じゃない。
「どうだろう、似合うかな?」
こんな狂人には当たり障りのない会話をするしかない。さもなくば、すぐにすり潰されてあの世行きだ。
「絶対似合うっピ! あたちのあげゆ!」
「えっ、くれるの?」
意外だった。
目出し帽の人間は別れるまでずっと目出し帽のままだと思っていたからだ。まさかそれをくれるだなんて、どれだけ太っ腹なんだこの大男は。
「はいどうぞ」
ゆゆぴはポケットから目出し帽をとりだし、俺氏に差し出した。そっか。そうだよな。そりゃそうだよな。
「どうだろう、似合うかな?」
「似合うっつってんだろが」
「え?」
「似合うと思うっピ! ⋯⋯ほら! めためた似合ってる!!!」
初めて被ったけど、視界はあんまり変わらないんだな。それにしても目的が分からない。俺氏にこんなものを被せて、いったいなんのつもりなんだ。
「そろそろ行くっピ!」
「どこに?」
「デートだゆ」
目出し帽の男2人で行ける場所なんてあるのか?
「ごめん、ちょっと財布取ってくるね」
「じゃああたち、ここで待ってゆ」
財布を取りに19階まで上り、俺氏は考えた。
このまま警察に通報してしまおうか。しかし、あんなヤバいやつだ、勘づいてここまで襲いに来るかもしれないな。
だいたいなんなんだアイツ。ヤバすぎないか?
どこから入ってきたのかも分かんないし、目出し帽被ってるし、デカいし、勝手にトースト焼いてるし、足音ギュムギュムいってるし、なにより、トーストに何も塗らずに食べてたんだよな。狂ってるだろ。
やっぱりトーストを生でいくような奴に出口を塞がれてる以上、迂闊な行動は出来ないよな⋯⋯
「ダーリンまだ〜?」
1階からゆゆぴが呼んでいる。19階まで聞こえるって、相当な声量だぞ。あと誰がダーリンだ。
ともかく、財布を持って戻らねば。
俺氏は中学生がよくやる降り方で階段をぬるぬる下った。
「も〜遅いよ〜」
時計を見ると11時29分。俺氏が財布を取りに行くと言ってから2時間近く経っていた。
「めんごめんご」
「ぷんぷん!」
こいつ怖。
「ごめんごめん、行こっか」
「あたち、最初にコンビニ行きたいゆ」
「行こ行こ」
こうして俺氏たちは徒歩6秒のセレブブレインというコンビニに行くことになった。
自動ドア開け係に自動ドアを開けてもらい、入店する目出し帽2人。当然騒ぎになる。
「なんだお前、強盗ですか?」
店長らしきオカマがゆゆぴに訊ねる。
「客っピ」
「目出し帽なのにお前、強盗じゃないんですか?」
「これは農業用の商品ゆ。強盗用の商品なんて存在するわけないゆ」
「でも今、農業じゃなくてお買い物ですよね? なんで被ったまま来店したんですか?」
店長強いな。このまま捕まってくんないかなこいつ。
「あたちブサイクだから、素顔で歩きたくないんだゆ」
「そうなんですね。失礼いたしました。ごゆっくりお買い物なさってくだちゃい」
「よろしいっピ」
ゆゆぴはそう言うとポケットから100円玉を取り出し、コピー機に読み込ませた。
「これでお金が増えるんだゆ」
100円を投入し、カラーコピーを選択。出てきた紙には大きな100円玉が印刷されていた。
「これくだちゃい」
いつの間にかレジにいるゆゆぴ。手にはゴリラ。
「9万円になります」
「これで」
先ほど印刷した巨大な100円を差し出すゆゆぴ。
「1万円のお返しで〜す」
「ありがとっピ」
ゴリラなんか買ってどうするんだろうか。
「次は映画館に行きたいっピ」
見たい映画があると言うのだ。
「行こ行こ」
俺氏は快く聞き入れた。じゃないと殺されるもん。
映画館に着くと、ポスターがたくさん張り出されていた。
「これ!」
ゆゆぴが指さすポスターに目をやる。
上映時間6時間15分。四部作だそうだ。
「さすがに長くない?」
「そう? でもどーせあたちヒマだかや、長い方がよい」
「よい?」
「よい」
調べたところ、料金は他の映画と同じだそうで、上映は1日1回だという。
「あと4分で始まるゆ! 早くチケット買うゆ!」
「わーったよもう!」
なんだかわがままな彼女が出来たような気分になってきた。実際は目出し帽の黒ずくめの大男だけど。
俺氏は走った。時間が迫っているから、力の限り走った。チケット2枚で300円。キャラメルポップコーンが10円、ジュースも10円、チュロスは15ドルだった。
時は過ぎ、6時間15分後の世界。
俺氏はやつれていた。この世にこんなにつまらない映画があるなんて。製作者は全員逮捕されるべきだと思ってしまうほどの酷さだった。
まず、シャキシャキのゆで卵がどう見ても明太子だった。じゃあ最初から「シャキシャキ明太子」って書けよと思った。この時点でゆゆぴ以外の客(300人)は全員両手両足の中指を立てていた。
次に憎しみの40円。
これは悲しすぎた。救いがなさすぎる。ゆゆぴもずっと泣いていた。誰にも助けられず路上で力尽きる40円が不憫で仕方がなかった。
そして後半の餅置きプンプン丸と餅置かず忍者。枕元につきたてのお餅を置くか置かないかを考えて、置いたり置かなかったりするだけのアニメだった。エンディングではゆゆぴ以外の客全員が逆スタンディングオエーション(逆立ちでおしっこをしながらゲロを吐く)で、その時にみんな溺れてしまった。
こうして俺氏は幽霊になったんだ。
ゆゆぴの正体?
知らないよ。なんか生きてるみたいだよ、アイツだけ。
怖いよな。
な、怖いよな。