第06話「氷の華は再び芽吹く」
このシートに座るのは、何度目になるだろう?
摺木統矢は再び、97式【氷蓮】のコクピットに身を沈めていた。ハーネスで身体を固定し、深呼吸。計器類を視線で一巡してチェックを終えるや、彼は開け放たれたコクピットのハッチへと目を移す。
開きっぱなしのハッチの上では、五百雀千雪が大きく頷きを返してくれた。
「Gx感応流素、チェックOK。常温Gx炉、始動……全機能オンライン」
素早く次々とスイッチをONへと弾いて、統矢は【氷蓮】の動力へと火を灯す。
遂に、ここまで来た……千雪と二人、コツコツと直してきたのだ。
応急処置を終えた【氷蓮】は、微動に震えながらついに再び動き出す。統矢は左右の操縦桿を握ってポジションを確認しながら、静かにゆっくりと機体へ起動を促した。握る手に弾力を返してくるGx感応流素の感覚が、媒介となって統矢の意志を機体中に伝える。
オイルの臭いと、甲高い巨大なパーツが織りなす駆動音……統矢の鼓動が高鳴る。
「千雪、降りてろよ。……立つぞ」
授業用のパンツァー・モータロイドが並ぶPMRハンガーの片隅で、打ち捨てられたように座り込んでいた巨人が震え出す。
ゆっくりと動き出す【氷蓮】のコクピットで、統矢は全神経を集中して機体へ自分を重ね、一体感に没頭してゆく。PMRに難しい操縦技術や、煩雑な操作は必要ない……搭乗者の意志を拾うGx感応流素が、思うままにフレームを取り巻くラジカルシリンダーを躍動させるのだ。
「大丈夫です、統矢君。私、ここにいますから」
「千雪」
壁へと寄りかかるように崩れ落ちていた【氷蓮】は、ゆっくりと身を起こし始めた。力なく垂れ下がっていた両の腕が、しっかりとコンクリートの床を掴んで機体を押し上げる。
開けたままのコクピットハッチの上で、千雪はまるで寄り添うように機体の装甲へ身を預ける。そして静かに、確かに歌うような呟きを零した。
「さあ、立ちなさい……立って。あなたはもう、大丈夫……立てます」
彼女はまるで、幼子に語りかけるような言葉を【氷蓮】へと投げかける。
それは母親のようでもあり、自然と統矢の頬を熱く火照らせた。
充満する機械油の臭いに汚れて、薄暗い中で轟音と共に【氷蓮】が立ち上がる。
そんな機体の上で、毅然と凛々しく千雪は前だけを、上だけを見ていた。
そして、【氷蓮】は全身のラジカルシリンダーを伸縮に撓ませ捻りながら、立ち上がった。
再び大地に両の脚で立って、ゆっくりと背筋を伸ばす。
PMRハンガーの高い天井へと、白い機体が突き立った。その中央で計器の中に正常値を拾いながら、統矢は安堵の溜息を零す。
「全システム、オールグリーン……正常だ。駆動系にトラブルはないし、出力も正常値……とりあえずは、動く。こんなに早く直るなんて、な」
ハーネスを外して大きく息を吐き出すと、気付けば滲んでいた額の汗を統矢は拭う。
だが、そんなコクピットに突然、千雪が飛び込んできた。
「統矢君!」
「おわっ、な、ななっ、なんだよ千雪……おい、離れろよ」
「統矢君、やりましたね! この子が喜んでます……本当に直ったんです」
突然、千雪が抱きついてきた。豊満な胸の膨らみを顔へと押し付けられながら、ふんわりと香る柔らかな匂いを統矢は押しやる。だが、構わずはしゃぐ千雪は気にした様子もなく、強く強く統矢の頭を抱き締めてくるのだ。
突然の密着で、統矢は呼吸も鼓動も千雪に支配される。
千雪は初めて統矢に、蕾がほころぶような満面の笑みを見せてくれた。
「お、お前、さ……千雪」
「はい?」
「……笑うんだな。なんか……あ、いや、それより。いいから離れろって」
「あ……すみません。つい、嬉しくて」
統矢から身を引く千雪は、やはり眩しくニコリと微笑む。
どこか別世界の住人のような、ある種異世界の美しさが見せた、等身大の千雪の笑顔だった。改めて統矢は、彼女に驚かされる。|皇立兵練予備校青森校区のエース、フェンリルの拳姫……誰が呼んだか通り名は、【閃風】。そんな彼女が初めて見せてくれた、心からの笑顔。
「と、とりあえず、その……あ、ありがとな、千雪」
「いいえ、どういたしまして」
「お前が手伝ってくれなかったら、こんなに早く【氷蓮】は直らなかった。お前、どうして……俺なんかに手を貸した? 戦技教導部から持ちだしたパーツだって」
以前から謎に思っていた問い掛けを、率直に統矢は千雪へとぶつける。
だが、千雪は少し不思議そうに目を丸くして、それからやはり笑った。
「それは、統矢君がいい人だからです。PMRを大事にする人に、悪い人はいませんから」
「そ、そうか?」
「ええ」
「俺は……いい人、なのか?」
「ええ、とても」
再び操縦桿を握って、統矢はゆっくりと【氷蓮】を屈ませる。片膝を突いて俯いた機体から、軽やかな足取りで千雪は床へと降りていった。統矢もシートから立ち上がると、機体を再チェックして待機状態へと移行し、コクピットを飛び出た。
振り返って見上げる【氷蓮】の姿は、見た目には酷いものだった。
味気ないダークグレーの装甲は各所で破損し、それを覆うスキンテープの白がまるで包帯のよう。頭部のセンサー類もありあわせの部品で直したため、バイザーフェイスの89式【幻雷】と違って、より人の顔らしいツインアイの片方がスキンテープで覆われている。
包帯で真っ白な機体、それが今の【氷蓮】の状態だった。
だが、統矢は満足だった。
全てはここから……まずは、機体を動ける状態にすることから。今は手に入らないパーツも、これから戦う中で調達してゆけばいい。本土でも少数ながら、正規軍に【氷蓮】は出回っているのだから。
そっと隣に立つ千雪と共に、直った機体を見上げていると、乾いた拍手の音が響いた。
「いやあ、お見事! まさか本当に直しちまうとはなあ。やるね、転校生……摺木統矢君?」
わざとらしい拍手に振り向けば、そこには一組の男女が立っていた。
襟章を見れば、二人共上級生……三年生だ。
そして、その片方……手を叩く男の姿に統矢は見覚えがあった。
「あんたは、このあいだの……」
「兄様!」
統矢が記憶を掘り起こしていると、隣から意外な声が走った。
そう、確かに千雪は目の前の上級生を「兄様」と呼んだのだ。
「兄、様? 千雪、それは」
「自己紹介がまだだったな。俺が青森校区戦技教導部……通称フェンリルの部長、五百雀辰馬だ。妹が世話になったな」
「わたくしは副部長、御巫桔梗です」
長身の男子は、千雪と同じ五百雀姓を名乗った。あまり似た兄と妹には見えないが、その整った顔立ちは眉目秀麗という言葉がよく似合う。優男然とした中にもしまらない笑みを浮かべているが、どこか底知れぬなにかを瞳の奥に秘めているように感じられた。
その隣の女子は、眼鏡の奥で大きな瞳をニコニコと細めている。やや緑がかった髪を長い長い三つ編みに結った、文学少女という雰囲気の大人しそうな印象を統矢に刻んだ。
「さて、本題だ……摺木統矢。お前さん、この機体を直して……どうするつもりだ?」
「俺は、戦う。パラレイドと戦う。奴らを倒すまで、戦い続ける」
即答で答える統矢の瞳に、暗い炎が燃える。
もう心に決めている……人類の天敵と呼ばれるパラレイドは、既に統矢の故郷である北海道をこの星から消し飛ばしてしまった。全世界規模であらゆる国家を蝕んでいるパラレイドは、次はこの本土を狙ってくるだろう。人類同盟軍は各地で敗退を繰り返しているが、そんなことは統矢には関係なかった。
だが、そんな統矢の決意に、尖ってささくれだった声が返ってきた。
「はぁ? 戦う? アンタが? 冗談! ……そんなくだらない理由で、アタシの予備パーツを使った訳ね。どうしてくれんのよ、千雪!」
声のする方向を振り返って、統矢は見る……そこには、酷く小さな矮躯の少女が腕組み立っていた。金髪を二房に結った、アイスブルーの瞳に怒りを燃やした少女だ。
「お前は……?」
「アンタが使ったパーツね、アタシがストックしてた予備パーツだったの! どうしてくれるのよ、こんな鉄屑直すのに使っちゃって」
「……鉄屑?」
「ゴミ屑でもいいわよ? ……なによ、文句ある?」
千雪が静かに「手続き上は問題ない筈ですが」と言葉を添えたが、氷河のような凍てつく双眸で、金髪の少女は統矢を睨んでくる。そこには明白な敵意がにらいでいた。
やれやれと肩を竦めた辰馬が、見ていられなくなったのか割って入る。
「千雪のパーツ使用申請を許可したのは俺だ。それよかラスカ、気に食わないってんなら、どうだ? お前さんの言う鉄屑の試運転も兼ねて……パンツァー・ゲイムでシロクロつけようぜ」
ラスカと呼ばれた金髪の少女は、ビスクドールのように精緻な表情へ勝気な笑みを浮かべた。彼女もまた、戦技教導部の部員なのだろう。目の前に青森校区のエースパイロットたちが並ぶ中、統矢は黙って挑戦を受けるのだった。