第03話「枯れた花の名は氷蓮」
まだまだ寒さの厳しい、青森の四月。特に、閑散として人の気配がないこの場所は、凍てつく空気に支配されていた。ここは皇立兵練予備校、青森校区の敷地内にある授業用パンツァー・モータロイドの格納庫、PMRハンガーだ。
「ちっ……駄目だ、六割以上死んでる。細々とした消耗品は手配出来ても、パーツが手に入るかどうか」
摺木統矢の舌打ちに続く言葉が、白い息と共に零れた。
彼は今、朽ちて放置されたPMRの心臓部に腰掛けている。だが、彼がコクピットに座っても、既に巨人は動く術を失っている。ただの鉄屑として、しかし物資の貴重なこの戦時下では廃棄もできずに運び込まれたのだ。
申し訳程度に洗浄されたコクピットのシートには、まだ僅かに血の跡が残っている。
それは、幼馴染の更紗りんなが生きていた証……そして、ここで死んだ動かぬ証拠。
「クソッ、結局駄目なのか……? 俺一人じゃ、お前を蘇らせることはできないのか?」
自問自答する統矢は、開けっ放しのハッチの外へと視線を逃がす。沈黙しか映さぬ左右のサブモニタや、揃ってゼロを示して針を並べた計器類……それらを直視すればするほど、失ったものの大きさを自覚してしまいそうで、統矢は一人寒さに震えた。
だが、そんな彼の耳が不意に外の音を拾う。
降り積もる雪の音さえ聞こえてきそうな静寂の中、低く唸るようなモーター音が響いていた。
「誰だっ!」
統矢は苛立ちの募るままに声を荒げ、シートから腰を浮かして外へと上半身を突き出す。
そこには、広い校区内を行き来するための電動カートに乗った、一人の少女がいた。彼女は床に座り込んだ統矢の機体……りんなの機体だったPMRの前で停車する。
長い黒髪を翻してカートから降りたのは、五百雀千雪だった。
「お前は……五百雀!」
「はい。様子を見に来たんです、摺木君」
「なっ……どうして」
「私、クラス委員ですから」
表情一つ変えずに、千雪はコクピットの統矢を見上げてくる。
なるほど、授業を抜け出た自分を連れ戻しに来たのだろう。
そう思って統矢は、無視を決め込むことにした。勿論、千雪には興味がある。というか、無視できぬ存在だという自覚がある。全国の兵練予備校でも有名な、青森のエースパイロット……五百雀千雪。誰が呼んだかフェンリルの拳姫、ついた通り名が【閃風】だ。
同じPMRのパイロットとして、統矢は彼女の名を知っていた。
「……もっとゴツい女だと思ってたんだけどな」
そうひとりごちて、統矢は作業を進める。
再び取り出したタブレットの中で、機体の損傷のチェックを続けつつシートに座る。
だが、そんな統矢を不意に凛とした声が包んだ。
「チェックリストの作成は済みましたか?」
千雪はコクピットまで軽々上がってくると、ハッチにつかまりながら統矢を覗き込んできた。
外からの照明の光が遮られて、思わず統矢は顔をあげる。
そこには、じっと自分を見詰める端正な顔立ちが佇んでいた。
改めて見ると、統矢でさえ絶世の美少女という単語に語彙が集約されてしまった。見るも流麗な姿は可憐で、統矢は比較対象を一人しか持たず、今はその人もいない。
千雪はどこか、人ならざる者のような異次元の美を感じる。
常に確かな存在感があって、十年来の腐れ縁だったりんなとは、根本的に違っていた。
別の生き物と言ってもいい。
その千雪だが、遠慮無く狭いコクピットへと上体を屈めて潜り込んでくる。
「お、おいっ! ……なんで入ってくるんだよ」
「タブレット、珍しいですね。このご時世、個人で所有してる人なんて初めて見ます」
「……形見、だからな。って、五百雀! お前っ!」
「千雪、で構いませんので。ということは、統矢君とお呼びすることになりますね」
半ば強引に、細い身体で器用に、千雪はコクピットの中で統矢の手元を覗き込んでくる。彼女は自覚があるのかないのか、起伏に富む華奢な身を、統矢に押し付けるようにしてタブレットへと額を寄せた。
不意に、統矢を甘やかな匂いが包む。
金属とオイルの臭いだけが凍って沈むこの場所に、花園のような甘い香り。まるでそう、もぎたての果実を頬張ったかのような錯覚が統矢を襲った。
それが眼前の千雪から発せられていると知って、改めて統矢は身をのけぞらせる。
だが、お構いなしに千雪はぐいぐいと胸の膨らみを統矢に押し付けながら、そっとタブレットへ細い指を走らせた。
「……97式【氷蓮】ですか。北海道ではもう、こんな最新鋭が配備されていたんですね」
「さ、最前線だったからな」
返事を辛うじて絞り出す、統矢の声が上ずる。
氷点下の外気が嘘のように、身体が火照って頬が熱かった。
「私も【氷蓮】は初めて見ました。いい子みたいですね……これだけの損傷でも、まだ修理の余地があります。フレームに致命的なダメージがないので、パーツさえあれば――」
「でも、助からなかった。乗ってる奴は……助からなかったんだ」
それだけ言って統矢が黙ると、千雪も「そう、ですね」とだけ返して黙る。
沈黙がようやく寒さを思い出させたが、それでも千雪は静かに指をタブレットの上で動かす。彼女の視線は真っ赤に染まった数字の数々を拾って、時々頷きながらページをスライドさせていった。
二人きりの密室は、ハッチが開けっ放しとはいえ統矢には息苦しい。
「パ、パーツがな……そう、パーツさえあれば」
「本土ではまだ、正規軍のごく一部にしか【氷蓮】のパーツは出回っていません。人類同盟の正規軍、日本皇国軍の主力は94式【星炎】ですので」
「ああ」
――97式【氷蓮】。
それが、この物言わぬ巨人の名だ。御巫重工製の最新型PMRだ。最新鋭故に個体数が少なく、まだ大量生産のラインが整っていない。だから、激戦区である北海道に制式採用試験を兼ねて集中配備されていた。勿論、北海道校区の統矢たちにも優先的に回ってきた機体だ。
だが、今はその最新鋭の高性能が仇となっている。
本土ではまだ、修理のためのパーツが手に入らないのだ。
この時代、謎の敵パラレイドとの戦争が長期化しており、地球のあらゆる国家が慢性的な物資不足に陥っている。そのため人類の生活レベルは一世紀以上後退しており、全てのリソースが戦争へと向けられていた。
りんなの形見である統矢のタブレットを、誰もが物珍しそうに見る理由もそれだった。
「……直す、さ。直してみせる。俺はこいつで、再び戦う……奴らを全て、根絶やしにしてやるんだ」
暗い炎を瞳に灯して、統矢が一人呟く。
形良いおとがいに手を当て考え込んでいた千雪は、その時意外なことを言い出した。
「では、直しましょう。学校とうちの部の資材を使えば、応急処置くらいならできますし」
「えっ?」
「ここは皇立兵練予備校、田舎の青森校区でも予備パーツのストック位あります。PMRは共通規格部品も多いですし。部活の方でも――」
「部? 部活、って……ああ! そうか、そうだ……お前」
「ええ。私たち戦技教導部の資材を使ってください」
統矢は唐突に思い出す。どの校区にもあって、選りすぐりのエリート幼年兵たちが所属する部活動を。自分がそうだったように、千雪もその一員なのだ。それも、全国的にフェンリルの名で恐れられる、青森校区の戦技教導部の拳姫、【閃風】と呼ばれるだけの力が彼女にはあるのだ。
「では、早速作業を始めましょう。来てください、部のハンガーで資材を調達しましょう」
「え? おい待て、引っ張るなって。それよりお前」
「当然、私も手伝います。それと……授業にはちゃんと出てくださいね?」
半ば強引に統矢の腕を掴んで立ち上がらせるや、千雪はコクピットから引きずり出そうとしてくる。ガシリと胸に二の腕を抱き締められて、統矢は言葉を失いつつも柔らかさと温かさを拾っていた。
こうして二人は、大破して擱座した97式【氷蓮】の修理を、この日から共同作業で進めることになったのだった。