最終話「エピローグ」
後に青森戦役と呼ばれる、一連の本土防衛作戦は成功を収めた。
三日が経過して、ようやく|皇立兵練予備校青森校区にも日常が戻ってくる。まだまだ短縮授業で、毎日の殆どは戦場となった山手側の郊外を捜索する時間だが……戦争という非日常の光景は、その姿を再び仮初の平和へ隠そうとしていた。
僅か一時の平穏を、摺木統矢もまたかけがえのないものだと感じていた。
「そういや、統矢。あの軍人さん、ほら、アメリカ軍の。すげえな、統矢。流石エースだぜ……海兵隊の大尉さんとももう、知り合いなんだもんな」
朝のホームルームが始まる前、クラスメイトの柿崎誠司が声をかけてくれる。相変わらずタブレットの中に愛機97式【氷蓮】の修理プランを組み立てていた統矢だったが、もうそれに没頭する余り周囲を疎かにしたりはしない。
自分の机に座ったまま、顔をあげた統矢の顔は晴れやかだった。
「グレイ大尉な、うーん……なんか、変に気に入られてんだよ。パイロット気質だな、あの人。まあ、悪い人じゃないさ。少し挨拶を交わしただけだ」
「でもまさか、アメリカ海兵隊じゃTYPE-13R【サイクロプス】が配備されてるんだなあ。レアキャラだぜ!」
「トルクとパワー、装甲じゃ日本製パンツァー・モータロイドは敵わないよな、ああいうの」
「またまたぁ、なにを仰る統矢先生! タイマンで勝っちゃったじゃないの、オタク」
おどけてゴマを擦る誠司が、ニシシと笑う。
自然と統矢も「まあな」と笑顔になった。
こんなにも普通に笑える日が来たのが、自分でも信じられない。だが、青森での新しい暮らしと、変わらぬ戦いの日々……その双方が、更紗りんなと死に別れた自分に新たな道を示してくれた。
幼馴染と決別することで、再び統矢は前へと歩み始めたのだ。
「で、統矢……そのくたびれた学ラン、そろそろ卒業したらどうだ?」
「ん? ああ。そういや、青森校区の制服がまだだったな。そうだな」
周囲はカーキ色のブレザーで、臙脂色のネクタイをしている。一人だけ詰め襟の黒を纏う統矢は、酷く目立った。
もう、この青森校区の一員になる時が来たのだ。
そのことを、ふと背後に立った通りのいい声が教えてくれる。
「統矢君、制服でしたら購買部に手続きをすれば支給が受けられます。なにぶん戦時下ですので、遺品整理の中から供出された物などになりますが」
振り向くとそこには、白い菊の花瓶を手に持つ五百雀千雪がいた。
相変わらず玲瓏な白い顔に、無表情が張り付いている。だが、感情を表に出さない彼女の心が、今の統矢には手に取るようにわかった。意外とわかりやすい奴だと思うし、子供っぽいところもある。凛として涼やかなクラス委員の少女は、統矢の斜め前の席に花瓶を置いた。
このクラス、二年D組での戦死者は一人だ。
失い亡くす中での犠牲者へと、千雪は今日も花を手向ける。
見詰める統矢は、勝ち得る何物もない戦争の中で、守るべき全てを胸に刻んだ。
確かにあの時、お別れを告げたりんなは言っていた……生きてる人のために戦えと。
「そ、そういや、さ……統矢。五百雀さんも。今日からクラスの担任、変わるらしいぜ? それと、転校生も」
「先生が? それに、転校生……こんな時期に」
誠司が間をとりなしてことさら明るく作った声に、統矢は片眉を釣り上げる。青森校区の幼年兵は、最終的には全体の8%の損失となった。戦場での掃討作戦と回収作業が終わって、残骸の中から助けだされた者たちも少なくない。
最前線での盾にして弾除けである幼年兵の損耗率は、そのまま人類同盟軍に直結している。
皇国軍の主力は被害こそ出したものの、上手く幼年兵を使った結果か大損害を免れていた。
そのことに対して、統矢は今も納得出来ない忸怩たる想いがある。
だが、今は一人の戦士として、PMRのパイロットとして成すべきことを成すだけだ。
「こんな時だから、でしょう。噂をすれば……統矢君。柿崎君も。席に戻りましょう」
「五百雀さぁ~ん、コイツは統矢君で俺は柿崎君な訳? やっぱ、なんか、こぉ……ニシシ」
「私、勘ぐる人って嫌いですよ? さ、柿崎君。いい子だから着席してください」
「……ハイ」
教室内が慌ただしくなって、雑談を咲かせていた同級生たちが行き来し始めた。有無を言わさぬ怜悧な声で、千雪も誠司を統矢から引き剥がした。そうして統矢に瞳で頷くと、彼女も自分の席に戻ってゆく。
そして、教室の扉が開かれた。
だが、そこに引き戸を開け放った人物の姿はない。
統矢もクラスメイトたちも首を傾げたその時、声だけははっきりと響いた。
「揃っているな、ヒヨッコ共。……フン、実戦を経験したか。いい面構えの者もいるじゃないか」
よくよく目を見開き、視線を下へとスライドさせると……そこには小さな小さな女の子が立っていた。出席簿を両手で抱きしめる、赤いジャージの女の子だ。年の頃は十歳前後、どう見ても小学生だ。
だが、その人物を統矢は知っている。思わず指さし椅子を蹴ってしまった。
「あっ、あんたは! 御堂刹那! ……御堂、刹那、特務三佐」
目付きだけが異様に鋭くて、あどけない顔立ちの中で違和感を奏でている。その少女の名は、御堂刹那……日本皇国軍特務三佐。そして、彼女が持つもう一つの顔は、ウロボロスなる人類同盟軍の秘匿機関に所属する人間らしい。
らしいとしか言えないが、彼女との再会で統矢の脳裏にまたあの言葉が走る。
――DUSTER。
その力が統矢にあると、彼女は言った。
それがなんなのかもわからぬままに、統矢はあの激戦を生き延びたのだ。
呆気にとられる教室内を見渡し、刹那は平らな胸を張って幼い声に緊張感を滲ませた。
「今日からこのクラス、二年D組は私が預かる。……これ以上、誰も死なせはしない。厳しく接して容赦はしないつもりだ、死にたくなければついてこい! 以上!」
そう言って刹那は、教壇の前に立ち……余りに小さくてスッポリ隠れて見えなくなってしまった。本人もそれを気付いたのか、黒板を背に教壇の上へとよじ登るや仁王立ちになった。
刹那は出席簿を片手に、腰に手を当てぐるりと周囲を見渡し、キンと響く子供の声を放つ。
「で、転校生だ! 貴様等の戦友になる、互いに切磋琢磨、そして助け合え! いいな! ……よし、入れ」
そして、再び教室にどよめきが走る。とりわけ、感嘆の声をあげたのは男子たちだ。どんな時代でも男が女に、少年が少女に抱く憧れが声になった。それを励起させるだけの美しさが、統矢たちの前に静々と現れた。
統矢は統矢で、驚きに目を丸くしてしまう。
短く切り揃えた髪に、くりくりと大きな瞳。
小柄で華奢な細身と、すらりとスレンダーなスタイル。
そこに立っていたのは――
「れんふぁ! 更紗、れんふぁ! どうしてここに、お前っ! あ、いや……ええと」
「そこ、うるさいぞ! ああ、摺木統矢か。貴様、先の戦役では活躍したそうだな……だが、私は特別扱いはせん。貴様の力、私が絞り出してやる……覚悟するのだな。で、おい! 更紗れんふぁ、自己紹介だ!」
どうにも締まらない、目元だけ険しい幼女に睨まれ統矢は席にストンと座る。
市松人形のような、どこか美術品や工芸品のように儚い少女は喋り出した。もう、統矢には更紗りんなには見えない……あの快活で闊達な、姉貴気取りの幼馴染ではない。更紗れんふぁという謎の少女、謎のPMRに乗って次元転移でやってきた別人だ。
そして、これからの統矢の運命を変える、全ての謎の中心にいる人物。
だが、今は誰もがそれに気付けない……その運命すら、完全に姿を見せていないから。
「更紗れんふぁです。今日から寮に入って、皆さんとこの教室でお世話になります。え、えと、記憶、ないです……でも、頑張ります! よろしくお願いしまぴゅ!」
噛んだ。あっ、という顔をして、れんふぁは表情を真っ赤に火照らせていた。
静まり返った教室内に、次の瞬間笑いが連鎖する。
こうして統矢のクラスに、新たな仲間が加わった。
だが、和やかな空気の中で新たな日常が始まろうとする中……統矢は自分が、二人の視線が重なる交差点であることに気付かない。刹那と千雪とが、大騒ぎになって久々に明るい空気が広がる中……じっと統矢を、統矢だけを見詰めているのだった。
西暦2098年、春……四月を終えた青森は、ようやく雪の季節を脱しようとしていた。




