第23話「未来へ、抗え!」
眼前にそびえる、鉄の城。
全高18mの高さから見下ろしてくる眼光が、妖しい光を湛えて周囲を見渡した。真っ黒に輝くそのボディは、胸に配置された巨大な熱線放射用のパネルだけが赤い。そこから繰り出される一撃は、あの北海道を消し飛ばした神罰の業火だ。
まさしく、神か悪魔か……セラフ級パラレイド、ゼラキエル。
両手で大剣を構える97式【氷蓮】のコクピットで、冷たい戦慄に摺木統矢は凍えた。
同時に、身の内から焦れるような熱を感じて、憎悪の暗い炎に心が灼ける。
「出たな、セラフ級……お前は、倒す! 今日、ここで!」
ヘッドギアのレシーバーを行き交う声は、混線の中で的確な情報だけを統矢の脳裏に残してゆく。どうやら皇国軍の本隊も、既に戦場でそれぞれ会敵、戦闘を始めたようだ。
同時に、統矢たち|皇立兵練予備校青森校区の生徒たちも、最前線で戦っている。
アメリカ海兵隊のグレイ大尉たちが援護してくれているが、学生たちは戦火のまっただ中へと放り込まれたのだ。幼年兵の命は、パンツァー・モータロイドの一番安価で代用が利く部品だ。無限にスペアの存在する、正規軍の弾除け……体のいい壁、囮、そして使い捨てだ。
だが、その一人一人が統矢と同じ少年少女で、その中の一部は統矢と親しい級友なのだ。
「これ以上はやらせない……もう、誰も死なせない! 少しでも多く、一人でも多く……そのために、叩いて潰す! 行けよ、【氷蓮】ッ!」
再び戦闘機動でフルスロットルを叩き込まれ、統矢を乗せた【氷蓮】が走り出す。大地を踏み締め、全高7mの巨兵は疾駆した。全身で稼働するラジカルシリンダーが金切り声を歌って、関節部が灼ける熱がコクピットまでオイルの臭いを運んでくる。
千機近くのPMRと無数のパラレイドがひしめく戦場は、激震に揺れていた。
にらぐ大地を踏み抜き、統矢は真っ直ぐゼラキエルへと馳せる。
【氷蓮】は身に纏う対ビーム用クロークを棚引かせて疾風になる。
周囲を満たす轟音は、重金属の駆動音と衝撃音に爆発が入り混じっていた。
そして、吶喊する統矢の左右に声が並ぶ。
『統矢! アンタ、突っ込みすぎ! ……アタシも混ぜなさいよ、いい? パラレイドに恨みがあんの、アンタだけじゃないんだから!』
真紅の機体で統矢を追い越すのは、一年生のラスカ・ランシングだ。極限まで出力を上げて装甲を軽量化した、ネイキッドなボディの89式【幻雷】改型四号機が抜きん出る。同じ戦技教導部の五百雀千雪が駆る参号機と並んで、彼女の機体は最速の加速力を持つ。その上、重い参号機とは違って爆発的な機動力と運動性を持っているのだ。
さらに、逆側の左に白い影が並んで統矢の死角をフォローし始めた。
『後の連中には俺が目を光らせてっからな、統矢! お前の背中は俺が、そして桔梗が守る。振り向かずに突っ込め、あいつを……パラレイドをブッ潰せ!』
戦技教導部部長、五百雀辰馬だ。彼は隊長機とも言える壱号機の中から、統矢へ『正規軍や海兵隊の援護を上手く活用しろよ!』と呼びかけてくる。ハイチューン仕様で既に原型機を凌駕するパワーを得た、この世にたった五機の【幻雷】改型……そのフラッグシップ機は今、戦場の全てに眼光を配って目を光らせる。
頼もしい仲間たちに、気付けば統矢は無条件の信頼を預けていた。
――そう、仲間。
全てを失い独りで青森に来た統矢が、亡くした全てに代わって得たもの……それは仲間。
仲間は統矢の戦う力であると同時に、戦う理由になりつつあった。
「前回の戦闘でゼラキエルの手の内は見えてる……このまま!」
周囲ではアイオーン級が次々と火柱に変わり、アカモート級が蜂の巣になってその場で崩れ落ちる。同時に、背後でも無数に火柱があがって、悲鳴と絶叫が耳朶へと飛び込んできた。
『やった、やったぞ……一機撃墜、やった! 次は……ああ、ガァ――!?』
『クソッ、死ね! 死ねよ、死んじまえ! この国から、日本から……世界からいなくなれ!』
『う、ああ……俺は、死ぬ、のか……嫌だ、そんな、うう……かあ、さん』
『ヒャハハ! 撃てば当たるぜ、クソッタレめ! 家族の仇……死ねやあああああ!』
『前進! 前進せよ、進め! 突っ込め、突撃だ! 幼年兵どもを盾にしつつ……特攻!』
この世に地獄があるとすれば、それは今、この場所だ。
散りゆく命を燃やして、統矢の周囲に爆発の徒花が咲き誇る。その中を今、操縦桿を握って統矢はゼラキエルへと突き進む。
征く先々、死ばかり。
死だけが広がる中で、死に背を押されて統矢は突き進む。
人の顔を模した悪魔のようなゼラキエルの眼に、光が走ったのはそんな時だった。同時に、レシーバーの中で辰馬の声が一際強く叫ばれる。
『野郎っ、なにかしかけてくるぞ! 散開、回避!』
左右からラスカと辰馬の機体が離れてゆく。
同時に、統矢はあらゆる事態を想定して身構えた。
目からは強力な高出力ビームを放ち、両腕の鉄拳は個々に誘導性のある有質量兵器として射出……文字通り、鉄槌でこちらを潰しにかかってくる。そして、胸から必殺の烈火が迸る時、この北の大地は巨大なクレーターと化すのだ。最悪、北海道のように地図から消えてしまう。
だが、統矢たちを襲ったのは……戦場を包んだのは、そのどれでもなかった。
「なにっ!? なんだ、センサーが。気圧変動? これは――」
不意に、ゼラキエルの口に当たる部分から烈風が吹き荒れた。格子状にスリットの入ったその奥から、周囲の空気を沸騰させる激流が放たれる。目に見えない嵐が、戦場そのものを包み込んだ。それは同じパラレイドのアイオーン級やアカモート級をも巻き込んでゆく。
気象兵器……セラフ級のパラレイドは、戦場そのものの空間すら武器にしてしまう。
突風が叩き付ける中で、統矢たちのPMRは突進が鈍るのを感じて立ち止まる。
それ以上は、前には進めなかった。
旋風があちこちで逆巻く渦と化した中、戦闘が止まった。
『隊長、進軍不能! 繰り返す、進軍不能!』
『こちらで活路を切り開く! 四機来い! ……少尉、隊を任せる。こういう時、真っ先に動かなきゃならんのが上官の辛いとこだな。あとは頼むぞ』
『隊長っ! クソッ、援護だ! 隊長を見殺しにするな!』
背後でスラスターの光が瞬いた。
竦んで動かなくなる味方機の中から、皇国軍の94式【星炎】が数機飛び上がる。ゆらゆらと豪風に煽られながらも、彼らは勇敢に上空へと昇った。
愛機がセンサーを通じてモニターに映す情報を読み取り、統矢の思考が研ぎ澄まされる。
確かに、この突然の暴風は、一定の高さより上には及んでいない。広さは圧倒的でも、高さは限定されたもの……ゼラキエルの頭部、口から発せられるので、そこより上には及んでいないのだ。
だが、それが死角を意味するものではないと、すぐに統矢は気付く。
「馬鹿野郎っ、迂闊に!」
咄嗟に統矢も、機体の推力を爆発させる。最新鋭故に増設され、最適化されたスラスターが唸りを上げた。吹き荒れる風の中、揺れながらも光の尾を引いて【氷蓮】が飛ぶ。
そして、暴風圏を真上に突き抜けた者を……裁きの光が待ち受けていた。
ゼラキエルは戦場を嵐で縛って沈めつつ、その瞳から光を発したのだ。
苛烈なビームの閃光が、真っ直ぐ照射される。永遠に続くかに思われた一瞬の光条が、空中で五つの爆発を連鎖させた。先に舞い上がった皇国軍の【星炎】が次々と爆散し、さらには遠くの市街地に火柱が上がる。
余波を浴びた統矢の【氷蓮】の、その身を包む対ビーム用クロークが瞬時に蒸発した。
包帯まみれの死に損ないにも似た機体が顕になり、ありあわせの装甲と補強材を繋ぎ止めた応急処置用のスキンテープが発火する。真っ赤なアラートの光に包まれながらも、統矢は身を声に叫んだ。
「こんなとこで……死ねるかああああっ!」
絶叫、咆哮……そして、時間が一瞬の刹那を無限に刻んで並べ始める。
統矢の体感する全てが、スローモーションで意識を広げてゆく。加熱する理性がとめどなく暴走に拡張し、滾る感情が爆発して全神経を躍動させた。
そして、統矢は見る……前面180度の世界を支配するゼラキエルの、その背後に飛び込む光。
それは、地上を真っ直ぐに走る彗星のように、フルパワーでぶつかっていった。
『統矢君はやらせません……ラジカルシリンダー、フルパワー。乾坤一擲……そこです!』
独特な甲高い駆動音は、まるですすり泣く戦場の戦乙女。死せる勇者を軍神に捧げる歌のように、幾重にも重なるメカニカルノイズが響き渡った。
それは、千雪の乗る【幻雷】改型参号機の、激昂の叫びだ。
千雪は愛機に振りかぶらせた右の拳を、迷わずゼラキエルの膝裏へと叩き付ける。そして、一撃にゼラキエが揺れて攻撃をやめた中……フェンリルの拳姫は【閃風】の名の如く荒れ狂った。
そして、その瞬間を統矢は見逃さない。
『今です、統矢君! 合わせます!』
「合わせる!? 重ねるのか! だったら――」
千雪は強烈な正拳突きをお見舞いしたゼラキエルの脚部へと、力の限りに乱打を浴びせる。蹴り抜き膝を叩き付け、最後に両肘に生えるGx超鋼のブレードで斬撃を浴びせた。
千雪の【幻雷】改型参号機もまた、拳を突き上げ空へと飛び上がる。
空中で僅かな時間だけ浮かぶ統矢と千雪を見上げて、ゼラキエルが両の拳を突き出した。
唸る鉄拳が肘から火を吹き、打ち出される。
だが、もう統矢は回避しない……真っ直ぐ攻撃だけに集中して、飛び込む。
迷う素振りも見せずに、千雪が続く。
二人はゼラキエルへ向けて、全力全開のフルパワーで落下した。統矢の【氷蓮】は既に、機体を包むスキンテープが全て発火して燃え上がり、さながら燃え盛る炎そのもの。次々と装甲が脱落してゆく中で、自らをばら撒き流星のように落ちてゆく。
『この瞬間を待っていました。超高速徹甲弾……撃ち抜きます!』
背後から光が走って、打ち出されたゼラキエルの拳に火花が散る。一つ、また一つと弾丸が撃ち込まれる。最後尾で援護射撃をする、御巫桔梗の狙撃だ。破壊できないまでも、統矢と千雪を狙っていた拳の一つが、軌道を逸らされ掠めて背後へ飛んでゆく。
飛び交う拳はそれ自体が誘導性を持つ追尾兵器だが……初速から圧倒的なスピードで迫る反面、一度外せばターンして再攻撃までに時間はかかる。そして、もうあの右拳は戻ってはこない。それが統矢にはわかった。そして左拳が迫る中で勝利を確信する。
『任せて、統矢! 千雪っ! ブリテンの痛みを、思いっ、知れええええっ! パパとママと、アタシの恨みっ!』
なんと、跳躍するラスカの紅い機体は……高速で上昇する鉄拳の上に飛び乗った。ラスカの機体でしか出来ない、曲芸じみた極限機動。そのマニューバの中で、ラスカは左右の手に握った大型ナイフを突き立てる。単分子結晶が火花を散らして、空飛ぶ前腕部を撃墜する。
その時にはもう、辰馬の【幻雷】改型壱号機が本体を射撃で釘付けにしていた。
そして辰馬は、左腕の大型シールドに内蔵されたパイルバンカーで、文字通りゼラキエルの足を撃ち抜きその場に縫い付ける。
『やれ、統矢! 千雪っ! ……フェンリルの爪と牙で、敵を引き裂き噛み砕け!』
言葉にならない声が、統矢の口から雄叫びとなって迸る。
それは、僅かに身じろぐ素振りを見せたゼラキエルの胸が光ると同時。
世界をすり潰す嘆きの焔が、この地の全てを灰燼に帰すべく放たれようとした。
だが――
「それを……待っていたっ! 最大にして最強の攻撃、その間隙に!」
『持てる全てをぶつけます! いかな最強のパラレイドといえど……攻撃の瞬間を狙えば!』
統矢の声に千雪の叫びが重なる。
Gx感応流素で二人の意志を吸い上げた巨人のアダムとイブが、最大の武器を死の熾天使へ叩き付けた。それは神の意志にさえ逆らい、滅び行く楽園を出て明日を探す……絶望の未来へ抗う魂の一撃。
迷わず統矢は、巨大な単分子結晶の大剣を押し出し、ゼラキエルの胸へと突き刺す。今にも熱線を放たんとしていたゼラキエルの、その胸に深々と刃が突き立った。燃え盛る炎そのものとなって火だるまのまま、【氷蓮】が離脱。
ゼラキエルを飛び越える統矢は身構える……千雪を、待つ。
千雪は腰まで引き絞った拳を、真っ直ぐ……ゼラキエルを穿つ大剣へ叩き付けて押し込んだ。
衝撃音が突き抜け、巨大な刃がゼラキエルの胴を貫通した。
その先に――既にもう、統矢は待ち受けていた。
「終わりだ、パラレイド! りんなの痛み、北海道の痛み……この星の痛みっ! 俺と一緒に、思いっ、知れええええっ!」
首だけで振り向くゼラキエルの、その脳天へと統矢は復讐の剣を振り下ろす。
千雪の一撃でゼラキエルを貫通した大剣を、その勢いを殺さずキャッチするなり……統矢の【氷蓮】は縦に大上段からの斬撃を叩き付けた。
真っ二つになったゼラキエルが、内側から膨れ上がって爆発する。
その光に吸い込まれながら、統矢は消えゆく意識の中に懐かしい声を聞いた。それは、既にもう会えない幼馴染、更紗りんなの別れの言葉に聞こえた気がした。




