第22話「居並ぶ死へと、飛び込んで」
夕闇迫る青森の四月は、末になってもまだ寒い。
身を切るような冷気が忍び寄る、午後四時半……戦いの火蓋が切って落とされた。
青森市街地郊外の最終防衛ラインに陣取った人類同盟軍、それに加盟し参加する日本皇国軍の主力パンツァー・モータロイド部隊が進撃を開始したのだ。
それは、退路を持たぬ者たちの必死の抵抗。
その最前線で突撃を命じられるのは、年端もいかぬ少年少女たち幼年兵だった。
幼年兵たちのさらに前、前衛として先行する五機の機影がある。摺木統矢の乗る97式【氷蓮】を含む、|皇立兵練予備校青森校区の戦技教導部だ。
『部長より各機へ。いーかお前ら、後にゃパッとしねえ全校生徒たちが控えてる。連中は教本通りにしか戦えねえんだ。俺らで突っ込み、適度に地均し! いいな!』
ヘッドギアのレシーバー越しに、戦技教導部の部長である五百雀辰馬の声が響く。彼が乗る白い89式【幻雷】改型壱号機は、統矢が駆る【氷蓮】の隣を飛んでいた。
今、スラスターを全開に吹かして輝かせ、五機のPMRが地面を這うように飛翔する。
もともと飛行能力はないPMRだが、脚部を利用しての跳躍にスラスターの推力を合わせれば、短時間だが滞空、飛行も可能だ。
ビリビリと振動に震えるコクピットで、Gx感応流素が満たされた操縦桿を統矢は握り締める。それを通じて統矢の意志が、闘志が、そして祈りと願いが機体へと注ぎ込まれる。
『桔梗、お前はケツで援護だ。お前が最後尾……お前より前に一般生徒たちの【幻雷】を出すんじゃねえ。俺らの撃ち漏らしを頼む!』
『了解です、部長。……お気をつけて、五百雀君』
『統矢! ラスカと一緒にうちのお姫様を……千雪をフォローしてやってくれ。後は見なくていいぞ、俺がしっかり援護すっからな!』
流石は戦技教導部の部長だけあって、辰馬の的確な指示が部員たちに行き渡る。
同時に、背後で御巫桔梗の乗る【幻雷】改型弐号機が急減速した。その新緑色の機体は、左右の腰からアンカーを射出して、自身をアスファルトの大地に縫い止める。完全に狙撃ポジションで機体を安定させると、桔梗は愛機に長大な対物ライフルを構えさせた。
その姿があっという間に、背後へと遠ざかる。
前だけを見詰めて進む統矢の視界は、すぐに蠢く有象無象のパラレイドを視認した。
群れなす人類の天敵、意志も心もない殺戮装置の群れが立ちはだかる。レーダーを見るまでもなく、先日交戦した地域から溢れ出たパラレイドが目の前に迫っていた。
「改めて見ると、凄い数だ……アイオーン級がメインだが、僅かにアカモート級もいるか? だがっ、数を頼みに押し寄せるのは!」
気勢を声にする統矢の視界は、倒すべきを捉えて爛々と輝く。
怨嗟と憎悪が決意に入り交じる、それは暗く輝く黒い炎だ。
彼が睨むメインモニタの中では、アイオーン級と呼ばれるパラレイドの雑兵が多脚で無数にひしめき合っている。その重金属の殺意の中に、ちらほらと一回り大きな個体が長い砲身を向けてきていた。
砲戦に特化し、強力な火力に重点を置いている機体……アカモート級だ。
アカモート級はアイオーン級とは違い、三本の太い脚部で己を安定させている。さながら移動砲台という趣で、その動きは鈍重で機動性と運動性に欠く。しかしその分、高い火力と防御力を有し、主にアイオーン級の援護射撃を担っていた。
だが、それも統矢は熟知している。
あの北海道での死闘と激戦が、統矢を一人前の戦士にしていた。
戦士であり、狩人……今の統矢は、あらゆるパラレイドを鏖殺するパラレイドハンターにも等しい。そして、その技術と気概を持つ者がもう一人いる。
『兄様は校区のみんなの指揮を。ラスカさん、統矢君をお願いします……私は、征きます!』
その少女の名は、五百雀千雪。
日本中の幼年兵がフェンリルの拳姫と賛え、【閃風】と恐れる少女だ。
千雪は自らが駆る空色の【幻雷】改型参号機に、フルスロットルで鞭を入れる。たちまちマッシブな機体は、通常の状態より増設されたスラスターから光を吐き出した。まさしく、地を馳せる流星の如き眩さで光の尾を引いて、千雪が突出する。
最新鋭の【氷蓮】でさえ追いつけない、圧倒的な加速力と瞬発力。
あっという間に千雪の機体は、前方に展開するパラレイドの中へと消えていった。そして、衝撃音と共に敵の戦線が崩壊する。僅か一機で飛び込んだ千雪の拳が、正確無比な精密機械の如き戦列を吹き飛ばしていた。拳で穿たれ、蹴りで吹き飛ばされ、全身を凶器に振るう技と力にパラレイドが蹴散らされる。
「流石にやる、千雪っ! あの重い機体に、増えた装甲とラジカルシリンダーを補うだけの推力を載せているのか。あれじゃ、まるで捨て身……自らを砲弾とした特攻だ」
改めて統矢は、千雪の実力に舌を巻く。
ピーキーなチューンとか、一点特化のゲテモノ仕様だとか、そういう次元の話ではない。自ら拳撃に特化した零距離格闘専用の機体を駆り、敵対する全てを自らの体術の間合いへと吸い込み巻き込んでゆく。千雪自体が自ずと、戦場に吹き荒れる巨大な暴風にして嵐威だった。
睨む先で蹴散らされるパラレイドの中から、難を逃れた個体がまばらに回避する。
その、最適解を取捨択一するだけの無感情な機動へと統矢は身を浴びせた。
愛機【氷蓮】が手にする巨大な両刃の大剣が、振るわれる度にパラレイドを両断した。
アイオーン級程度ならば、規格外の単分子結晶である刃が触れる側から千切って断ち割る。千雪の拳による破壊を免れた全てを、統矢は冷静に一つ一つ潰した。この地に降り立ったパラレイドは、これを逃さず殲滅する……その気迫が今、見るも無残で不格好な現地改修型の【氷蓮】を躍動させた。
「しかし、数が多いっ! 千雪、一人で突出し過ぎれば孤立するぞ。千雪っ! 聞いてるのか!」
『ちょっと統矢! 口より手を動かしなさいよ! ……千雪は平気よ、ほっとけば? あの女は【閃風】、触れる全てを引きずり込んで破砕する人間台風なんだから!』
「ラスカ、だが!」
『ほら、さっさと前に! 先に! 進むしかないの、ほらほら!』
サイドから抜きん出た真紅の機体が、統矢を狙って主砲を展開していたアカモート級を打ち砕く。不格好な三脚の上でこちらを向いていた大砲ごと、ハリネズミのように武装したアカモート級が火柱になった。
ラスカの【幻雷】改型四号機が放った対装甲炸裂刃が、敵に投げられ突き立つなり発火したのだ。
「千雪は……単機突出して平気なのか?」
『あの女のことより、自分の心配しなさいよね! 討ち漏らせば後方の一般生徒たちが戦う羽目になる。幼年兵を盾に戦おうって大人が、正規兵ばかりが喜ぶだけなんだから』
「あ、ああ」
ラスカは極限チューンの軽量機体を踊らせていた。両手に握った単分子結晶の大型ナイフで、次々とパラレイドを無力化させてゆく。それはまるで、見えないなにかとダンスを踊るよう。赤い影が滑る死の輪舞は、刃を突き立てられた全てを爆発の光へと変えていた。
統矢も負けじと、巨大な刃を振り回してパラレイドを斬り伏せる。
実際、そこそこ高火力重装甲の砲撃戦用であるアカモート級が混じっても、パラレイドの雑魚が相手なら問題はなかった。有象無象という形容がぴったりのアイオーン級も、数を頼みに割り込むような攻めを見せてくるが、今の統矢たち戦技教導部に隙はない。ただただ機械的に押し寄せる鉄の壁が、たった五機のPMRを相手に屠られてゆく。
そう、問題はない……真に恐るべきは、一騎当千の巨神だから。
絶対無敵の暴力を振るう、戦略級の脅威こそが真の敵だから。
『おーし、そのまま押せよ……後続、一般生徒たちも戦域に入った。桔梗!』
『大丈夫です、五百雀君。後方は任せて下さい。わたくしが……誰も死なせません。それより、妹さんが……千雪さんが』
『ああ? あいつは殺したって死なねえ、死ぬようなタマじゃねえ。……うっ!?』
耳元で雑音のノイズ混じりに行き交う通話が、辰馬の息を飲む気配で静まった。
そして、統矢たちの前に鋼の殺意が舞い降りる。
並み居るパラレイドを蹴散らしていた統矢は、突然空が暗くなるのを感じた。同時に、レーダーやセンサーが上空に巨大な動力反応を捉える。急接近、それは重力に身を任せて頭上から降ってきた。
慌てて回避する統矢は、激しい激震の中で宿敵を認めた。
目の前で今、同じパラレイドであるアイオーン級を踏み締め潰しながら……巨大な影がゆっくりと立ち上がった。舞い上がる土砂と雪の中、夕焼けの光を浴びるは鉄の城。そうとしか形容できないほどに雄々しく神々しい、死の熾天使だった。
『出やがったぜ……セラフ級、ゼラキエル! 各機、無理に攻めるな! 皇国軍の本隊を待って、数でかかれよ! ……勝負すんじゃねえぞ、なあ統矢』
辰馬の声は最後に、消え入るような統矢への呼びかけとなって細くなる。
その声を聞くまでもなく、統矢は理解していた。
北海道で死線を超えた心と身体が、セラフ級として個体名を与えられる特別なパラレイドの恐怖を知っていた。そして今、それを感じて身体が強張り呼吸が浅くなる。
それは、鋼鉄に宿る純然たる死……この世に地獄を体現する恐怖そのものだ。
常に人類同盟の各国は、多大な犠牲を払ってセラフ級と戦い、稀にしか勝利を得られないのだ。単機で大陸を消し飛ばして海を干上がらせ、空さえもその力で歪めるだろう。それがセラフ級のパラレイドなのだ。
「出たか……先日の戦略攻撃、気化弾頭のダメージは? 見る限り、なさそうだな」
独りごちる統矢の声が、知らず知らずに上ずり震える。
目の前に今、そびえ立つ死神が統矢たちを、戦技教導部のPMRを見下ろしていた。唯一千雪の【幻雷】改型参号機だけが、突出し過ぎた故に遥か前方で四面楚歌の中、振り返る。
触れる全てを砕いて潰す千雪でも、流石にセラフ級となれば話は別だ。
そしてそれは、北海道での敗北と幼馴染の死別を経験した統矢も同じである。
「……本隊を待つ? 俺らを……学生の幼年兵は弾除け位にしか思ってない、正規軍を? そういう話は聞けない……聞けるものかよっ!」
吼える統矢に呼応する用に、【氷蓮】の全身でラジカルシリンダーが金切り声を歌う。
警戒心も顕に、ゼラキエルの周囲には無数のパラレイドが集まり出した。アカモート級は距離を取りつつ支援砲撃の体勢を見せ、アイオーン級は戦線の前面に並んで自ら壁となる。
その奥から、瞳を不気味に輝かせて……ゼラキエルがズシリと一歩を歩み出した。
「千雪! 奴の背後を衝け! 俺は……正面からブチ当たる!」
『統矢君? 無茶です、それは作戦とは呼べません。むしろ、本隊を待って合流するなら、私の方で囮に』
「奴と、やらせろ……俺が! 奴と戦うっ! あいつだけは、ゼラキエル……奴だけは!」
統矢の中の憎しみが、黒い輝きと共に爆ぜて撃発した。
それは、予想外の方向から援護射撃が降り注ぐのと同時だった。セラフ級のゼラキエルを中心に布陣し、さらに増える気配を見せていたパラレイドの一角に爆炎があがる。それは敵にとっても不意打ちだったように、統矢にとっても突然の出来事だった。
そして、レシーバーの唸るようなノイズの向こうから、意外な声が響く。
『吼えるじゃねえか、ボォイ! こちらは海兵隊第二PMR中隊だ。援護行動に入る!』
「っ!? グレイ・ホースト! 大尉なのかっ!?」
『雑魚は俺らに任せな、ボォイ。ま、せいぜい気張るんだな……セラフ級相手に、坊っちゃん嬢ちゃんで戦えたらおなぐさみ、ってな!』
「……礼は言わない」
『背中は任せな、お前ら……その尖ったPMRが有用ってんなら、やってみろや。なに、骨は拾ってやる。ぼやぼやしてっと、俺らで獲物はかっさらうぜえ?』
重装甲で肥大化したPMRの一隊が、横合いから突出して戦線へと制圧射撃を繰り出す。両手で保持する巨大なガトリングガンを撃ちまくるTYPE-07M【ゴブリン】と、それを指揮するグレイのTYPE-13R【サイクロプス】だ。
突然の援護に背を押され、弾かれるように統矢は愛機を押し出す。
アメリカ軍海兵隊の注ぐ火線の先、待ち受けるゼラキエルへと統矢は吸い込まれていった。




