第17話「戦争の犬とフェンリル」
真昼の新町商店街は、不気味な程の静寂に包まれていた。
青森市の中心市街地として、青森駅から真っ直ぐ伸びる県道を包む地元商店街。それも今は、普段の活況がなりを潜めていた。
この周囲数キロメートル四方の範囲内にいるのは、摺木統矢たち数名だけ。
そして、見える人影は巨大な機動兵器、パンツァー・モータロイドだ。
統矢たち戦技教導部の面々は今、廃墟のように静まり返った新町商店街に布陣していた。
『よし、両軍とも配置についたな? これよりパンツァー・ゲイムを始める』
その声は、統矢たちがPMR搭乗時に装着するヘッドギアのレシーバーから響いてくる。とても落ち着いた口調だが、酷く幼くキンキンと耳に痛い。その不釣り合いなギャップに、自然と統矢は通信相手の名前を思い出していた。
「御堂刹那……日本皇国軍特務三佐。加えて人類同盟軍の秘匿機関……ウロボロスだって?」
その名は、御堂刹那。
先ほど喋っていた少女の……少女にしか見えない小さな小さな特務三佐の名前だ。彼女はあらゆる権限に優先する特別執行権を持ち、必要とあらばその力は日本皇国軍の階級や指揮系統を無視できると統矢に語った。
謎の秘匿機関、ウロボロスの名と共に。
ウロボロスというのは、太古に語られる龍の名である。
己の尾を噛み円環となった、巡る輪廻のシンボルも言われる想像上の存在だ。
統矢には、不思議とその名が気になった。
刹那の声は、続いてレシーバーから耳に流れ込んでくる。
『さて、皇立兵練予備校青森校区戦技教導部……いや、フェンリル。それと、海兵隊第二PMR中隊の諸君。準備はいいだろうか』
有無を言わさぬ、一方的な声。
少女と形容することすら躊躇われる程に幼いのに、その口調は硬く冷たかった。
勿論、今は広域公共周波数で繋がった回線の向こうから声があがる。
『ヘイヘイ、三佐のオチビちゃんよぉ』
『なにか? 中隊指揮官は……確か、グレイ・ホースト大尉だったか』
『どうして俺ら海兵隊が、戦争のプロが幼年兵のションベン臭えガキどもの相手を?』
『なに、もうすぐこの地が巨大クレーターになるかどうかの決戦前だ。友軍内でのゴタゴタを片付けておきたいと思ったまで』
それにしては、パンツァー・ゲイムというのは大げさ過ぎる。確かにグレイと統矢とは先程、格納庫でちょっとした揉め事を起こしていた。統矢はグレイに非があると思ったし、千雪はともかくれんふぁは泣きそうな顔をしていた。それを助けるのは統矢にとっては使命とも言える。
否、守るのは……守るべきはりんなだと統矢は心に結んだ。
りんなのためなら命など惜しくはない。
だが、それでパンツァー・ゲイムというのは、また別の話だ。
統矢は勿論、戦技教導部の仲間たちや海兵隊の面々にももっともな疑問へ、答が返ってきた。
『なに、貴様らの揉め事解決など所詮はついでだ。本州は忘れて久しいパラレイドの襲撃で、呉の元老院も大慌てでな。無論、国民にも動揺は広がっている』
『……ほんで?』
グレイの不機嫌そうな声を無視するように、刹那は統矢へと呼びかけてきた。
『摺木統矢、この世界で今……もっとも関心を集める娯楽はなんだ?』
その答は今、この場にいる誰もが知っている。
自然と統矢も、口から言葉が自然と零れ出た。
「パンツァー・ゲイム……」
『そうだ、パンツァー・ゲイムだ。地球全土で最終戦争をやってる我々人類の、唯一にして無二の娯楽、それがパンツァー・ゲイム。どうだ? 少しは理解したか?』
にわかには信じがたい話だが、刹那が言うことは間違っていない。
ただ、まだ統矢の中でパンツァー・ゲイムと今の現状が結びつかなかった。
かつて人類華やかりし時代、世には娯楽があふれていた。誰もが皆、個人で小型の携帯端末を持ち歩いていた。徹底整備されたネットワークが世界を繋ぎ、誰もが仮想現実空間に出入りしていたのだ。スポーツや映画といった文化も盛んで、この地球に人類は栄えていたのだ。
――パラレイドが襲撃してくる、その瞬間までは。
今や世界的に文明レベルは後退している。昭和中期程度と言われる日本などまだいい方で、既に先進国ではなくなってしまった国も少なくない。国そのものが無くなってしまった、国土が消滅した国家は数知れなかった。
そんな時代だからこそ、軍事が全てという中で生まれた鈍色の快楽。
軍事訓練を兼ねた鋼鉄の戦場競技……それがパンツァー・ゲイムだった。
『プロパガンダに利用させてもらうぞ、貴様ら。このパンツァー・ゲイムは、日本全国は勿論、世界中にテレビ放送される。……もっとも、中継放送局のある地域に限るが』
「それは、つまり……」
『わからんか? 摺木統矢。我々人類同盟軍にはまだ、味方同士でパンツァー・ゲイムをやってる余裕があると見せつけるのだ。それで国民は納得し、熱狂と興奮で恐れを忘れる』
「……狂ってる」
『フン、まだ認識していなかったのか? 摺木統矢……世界などとっくの昔に狂い終えてる。戦争という狂気に魅入られたこの星は、勝利を得るまで踊り狂うしかない。その狂奔に貴様も乗って疾走れ』
滅茶苦茶な話だと思ったが、同時にこれが人類が今おかれた状況なのだと統矢は悟る。そしてそれは、この場に展開させられたPMRの搭乗者には十分過ぎる理由だった。
ならばと意気込む統矢の耳に、最後に刹那は不思議な言葉を吹き込んだ。
『見せてもらうぞ、摺木統矢。貴様の力……DUSTERの力をな』
それだけ言って通信は一方的に切れた。
不可思議な言葉に、回線の向こうでは海兵隊の連中が口々に不満を張り上げる。
同時に、統矢の耳に戦技教導部部長である五百雀辰馬の声が飛び込んできた。
『よぉ、長い説教が終わった気分だぜ? 能書きたれやがって……なあ? 統矢』
「は、はい。あの、それより……なんですか? その、ダスターって」
『こっちが聞きたいぜ。心当たりはないのか? お前、超能力とかあんのかよ』
「まさか、非科学的な」
だが、ふと統矢の脳裏を微かな光が突き抜けた。
以前から何度もPMRによる戦闘状況、その極限状態で不思議な感覚を感じたことがある。まるで、一瞬が永遠に引き伸ばされるかのような錯覚……どこまでも鋭敏になってゆく直感が、あらゆる戦況を把握して最適解を身体へと流し込んでくるのだ。
そのこととどう関係してるかは、今はわからない。
『ま、ダスターってなぁ……統矢。意味は、払う者、だ』
「払う者……」
『あと、雑巾って意味もあるな。ハハッ!』
「雑巾、ですか」
『ま、集団でのパンツァー・ゲイム、しかも全世界中継だ。せいぜいボロ雑巾みたいにならねぇよう気張れや。……統矢、その97式【氷蓮】は本当にやれんだな?』
辰馬の声に、統矢は短く「ええ」と言葉を返す。
整備は完璧だし、今あるパーツで最低限の修理も完了している。スキンテープを包帯のように全身へ走らせた姿は、お世辞にも見た目がいいとは言えないが……その無様な外見も今は、佐伯瑠璃が装着してくれた対ビーム用クロークに覆われている。PMRにビーム兵器はないが、こちらの損傷度を隠すには丁度いい。
そして、統矢の【氷蓮】は相変わらず、例の巨大過ぎる両刃の剣を拝借していた。
「そういや、この剣……接続されてるアレを普通の30mmオートに変えておいて正解だったな」
独りごちて統矢は、手早く乗機の最終チェクを済ませる。
PMRには、人類側には運用できるビーム兵器など存在しない。だが、このマルチプラットフォームウェポンとなっている剣には、ビームによる射撃を可能とする大型拳銃が搭載されていた。
それは全て、りんなが……れんふぁが乗ってきた謎のPMRの装備品だ。
そのことをぼんやり考えていると、レシーバーの辰馬が不意に声を真剣に作る。
『あ、さて、だ……やるからには勝つ。フェンリルの牙と爪を、ヤンキーたちに教えてやろうぜ? 千雪、お前は突出して楔となり、ブチ当たる全てを叩いて潰せ』
『了解です、お兄様』
『桔梗、もう配置できてるな? 決して姿を見せるな、前に出るな。……俺の後ろにいな。援護射撃、任せる』
『心得ました、部長』
『ラスカー、おーい聞いてるのか、ラスカ。お前さん、普段通り遊撃よろしくな。脚を使って撹乱、せいぜい引っ掻き回してやれ』
『ハン! 誰に言ってんの? 英国人の流儀、教えてあげるわ……アタシとアルレインが』
戦技教導部の面々は、誰もが意気軒昂に声を弾ませている。そしてそれは統矢も同じだ。
『で、ダスター統矢、お前はだな』
「なんですか、やめてくださいよ。そういう呼び方」
『冗談だ、統矢。お前さんと俺で千雪の撃ち漏らしを片付ける。あと、そうだな……全員に言っておく! 極力周囲の被害を出すな、壊すな。避難した連中もいずれ帰ってくるからな。……帰ってこれるようにしてやるのさ、俺らでパラレイドを叩いて』
辰馬の言葉に全員が頷く気配。
同時に、最後の通信が響く。
『お兄様、皆さんも。開始の照明弾と同時に私が吶喊しますので。……統矢君も、気をつけて』
『あー、それとな。お前ら、まるかいに被害を出したら後で俺がシメる』
『まるかい? なによそれ』
『お兄様のいきつけのラーメン屋さんです、ラスカさん』
『皆さん、そろそろ準備を。……来ます』
その時、真昼の凍えた空に信号弾が上がった。
同時に統矢は、握る操縦桿に内包されたGx感応流素を通じて、闘争心を機体に流し込む。微動に震える【氷蓮】は、アスファルトを蹴りつけ大通りを走り始めた。
同時に、混戦する通信回線を敵味方の声が行き交い乱れ飛ぶ。
『SALLY FORTH FENRIR!! 行くぜ野郎ども!』
『アタシ、野郎じゃないしっ! ほら、行くわよ統矢っ! 脚引っ張んないでよね!』
『よーし、海兵隊第二PMR中隊の紳士諸君……50%だ。50%の力で圧倒しろ』
『了解、隊長ぉ! ヘッ、パンツァー・ゲイムの本場がステイツだってことを教え、ガッ!?』
『ベルナドットーッ! 隊長、ベルナドットがやられた! 狙撃された!』
『……まず、一つ』
『やるじゃねえか、学生風情がよおおおっ! ……見つけたぜっ、包帯野郎! ブッ潰す!』
凍れる魔狼の牙と爪とが、まだ寒い四月の陽光を拾って輝く。
脅威が迫る北の街を揺るがして、巨神同士の武踏祭が始まった瞬間だった。




