第14話「戦争の闇、邂逅の悲劇」
はまなす寮での夕食を終えた摺木統矢は、五百雀辰馬に連れられるままに夜の外出に出ていた。
まだまだ雪の目立つ青森市の中心市街地は、カーキ色の軍用車両がひっきりなしに走っている。戒厳令が発令されていないのは、そこまで気が回らないから。何故ならもう、すぐ目と鼻の先にパラレイドはいるのだから。
明日には全県避難も始まるだろうが、それすらも悲壮な決戦を前に無意味に思えた。
物々しい夜道を歩いて十五分、統矢の前に巨大な古びた洋館が現れる。
「よぉ、俺だ。ラスカ、いるだろ? 通してくれや、爺さん」
最初に出迎えたのは執事と思しき老人で、まるで異国情緒に放り込まれたような錯覚を統矢は覚える。辰馬は慣れているのか全く気にせず、執事が案内するままに邸宅へと入っていった。
続く統矢は、屋内へと入って思わず息を呑んだ。
古い建物は清潔感に溢れ、忙しそうにメイドたちが大勢行き来している。
思わず見惚れてキョロキョロしていると、目の前に小柄な金髪のメイドが立った。
「よく来たわね、辰馬! ……統矢も。ついてきて、こっちよ」
腰に手を当て高圧的な、メイドにあるまじき態度の生意気そうな少女だ。統矢は思わず「げっ」と声を漏らした。
そこには、相変わらず勝ち気な表情に蒼い双眸を並べた、ラスカ・ランシングの姿があった。
どういう訳か彼女は、校区内でのツインテールを今は解いて、メイド服を着ている。
「お前……そういう、趣味か?」
「うっさいわね! 事情があんのよ。それより、例の女でしょ? 今は千雪がついてるけど、やっぱ気を失ってるだけみたい。ほら、こっち!」
ガシリ! と遠慮無くラスカは統矢の手首を握ってきた。小さな手で、やけに熱い。そのまま強引に引っ張るので、ニヤニヤ笑う辰馬の前で統矢は引きずられてゆく。どういう訳か、手を引き先を歩くラスカの耳が真っ赤だった。
そうして、他の多くのメイドがすれ違うたびに頭を垂れる中、三人は屋敷の奥へ進む。
「この部屋よ。ほら、さっさと入る!」
「あ、ああ。……大丈夫だ、俺は落ち着いている。りんなと会っても、俺は平気だ」
自分に言い聞かせて、ドアのノブを掴む。
このドアの向こうに、死んだ筈の幼馴染……更紗りんながいる。りんなとしか思えぬ容姿で眠る、謎のパンツァー・モータロイドと思しき所属不明機から出てきたパイロットだ。
気付けば緊張に胸が高鳴り、呼吸が浅くなってゆく統矢。
それでも、意を決してドアを開こうとした、その時だった。
「あら、お客様? まあまあまあ……どちら様かしら」
ふと背後で声がして、三人は同時に振り向いた。
そこには、一人の婦人が立っていた。戦時下ゆえの質素な身だしなみだが、着こなしに気品がある。年の頃は、まだ三十代後半くらいだ。
どこか上品な雰囲気をまとっているその女性に、統矢は違和感を感じた。
その女性は、優雅な表情の中で瞳に虚ろな闇を満たしているのだ。
そして、そのことに気付いた瞬間、ラスカが声をあげた。
「ああ、ママ――! ……奥様。こちらの方は、ラスカお嬢様のご友人です」
一瞬統矢には理解が及ばなかった。ほかならぬラスカ自身が、なにを言っているのだろうか。それも、今確かに統矢は聴いた。ラスカは、お母さんと言おうとして言葉を無理矢理に飲み込んだのだ。
そして、まるで本当のメイドのように、かしこまって声色を作っている。
「あら、そうなの。皆さん、いつも娘がお世話になって。ゆっくりしていって頂戴ね。ああ、それと……あなた、ちょっとアルレインを探してくれないかしら? どこにもいないのよ」
「奥様、それは」
「娘の飼ってるアルレインよ。あの子は賢い犬だから、きっとラスカのところにいるのかしら。ラスカが甘やかすもんだから、もう……ふふ」
実の親子同士の会話ではなかった。
ラスカの母親は、実の娘を今は本当にメイドだと見ているらしい。そして、それを享受せねばならないことに、どうやらラスカは必死で耐えているようだった。
ラスカは両の拳をグッと握って、立ち尽くしている。
彼女の両手に食い込む指の爪の、その音が聴こえてきそうな程だった。
異様な親子の風景に統矢があっけにとられていると、ポンと辰馬が肩を叩いてくる。彼は目線で無言を促しつつ、統矢に代わってドアのノブを回した。
ラスカと母親を残したまま、複雑な思いで統矢は部屋の中へと脚を踏み入れる。先程までの躊躇や戸惑いも、突然の歪な母子の光景を前に吹き飛んでしまっていた。
すぐに視界に入ってきたのは、振り向く五百雀千雪だった。
そして、彼女が付き添っているベッドの上に、上体を起こす少女の姿があった。
「統矢君。兄様も。ついさっき、彼女が意識を取り戻したんですが」
相変わらず澄んだ無表情の千雪だが、心なしかその顔に浮かぶ凛とした面影が陰っている。それが困惑だと気付いたが、もう統矢は自分で自分を止められなかった。
ベッドの上で、少女がこちらを向いて大きく目を見開く。
短く切り揃えた、おかっぱの髪の毛。くりくりと瞬きを繰り返す瞳も、すらりと通りのよい鼻立ちも、全てが記憶の通り。
慌ててベッドへと駆け寄る統矢には、間違いなく幼馴染に見えた。
「りんな! 俺だ、統矢だ。わかるか、俺が? なあ、りんな……生きてたんだな、りんな」
千雪の側をすり抜け、統矢はしがみつくようにベッドの上の少女に迫った。その細く華奢な肩に両の手を置き、気付けば力を込めて握り締めていた。
それで少女が表情を僅かに歪めたので、慌てて統矢は手を離す。
だが、見下ろす少女の顔は、その一挙手一投足は、確かに記憶の中の更紗りんなと同じだった。
その彼女が、僅かに乱れた寝間着の襟元を直しながら口を開く。
「あ、あの」
声も、りんなだ。
間違いなく、統矢の側で十年以上一緒だった声だった。
それで統矢は、高鳴る鼓動が早鐘のように耳元で響くのを聴く。まるで全身が心臓になったようで、周囲で言葉を交わす辰馬と千雪の声も頭に入ってこない。
なにかを言おうとして見詰めてくる少女を、ただ統矢もまた真っ直ぐ見詰め返した。
だが、残酷な言葉が統矢を空気の震えで引き裂いた。
「あなたは……誰? わたしを、知ってる方、ですか?」
頭をハンマーで殴られたような衝撃に、思わず統矢はよろける。
自ら復讐装置となって戦いに邁進した、その原動力が統矢の淡い期待を裏切った瞬間だった。だが、それでもなにかしら事情があるのではと、統矢は都合のいい理由を自分に言い聞かせる。
そう、彼女の乗るPMRは次元転移してきたのだ。
なにか事情が……まだ統矢たちが知らぬ背景があるのでは?
祈るような気持ちでそう願いながら、統矢が次の言葉を選んでいると、
「統矢君、落ち着いてください」
不意にひんやり冷たい手が、統矢の手を握ってきた。
それで初めて、統矢は自分の手が震えているのを知った。
あまりの衝撃に狼狽えて、統矢は身震いに戦慄いていたのだ。
「千雪……な、なあ、りんなは……どうして俺を。どうして」
「大丈夫です、統矢君。落ち着いて聞いてください……彼女は、どうやら記憶に障害があるようです。記憶喪失……私と言葉を交わした限りでは、彼女はなにも知らず覚えていません」
「記憶、喪失?」
それで統矢は、改めて少女を見やる。
萎縮して落ち着かない様子で手と手の指同士を遊ばせる彼女は、統矢の視線から逃げるように目を逸らした。
自然と、先ほどのラスカと母親のやり取りが頭をよぎる。
人間は強い心理的な外傷を受けると、自らを守るために記憶を閉ざしてしまうことがある。他にも外的要因等、さまざまな理由で記憶障害は起こる……その程度の認識は統矢にもあった。だが、それが自分の親しい人間……それも、渇望してやまぬ喪失感の根源に振りかかるとは、想像だにしなかったのだ。
「そ、それじゃあ、俺のことも……?」
「はい。あのPMRに何故乗ってたのかも、あのPMRがなんなのかも……彼女は覚えていないそうです」
「そんな……そんなことって、あるのかよ! それじゃあ」
「落ち着いてください、統矢君。どんな形であれ、彼女は生きてるんです。気を確かに、気持ちをお強く……大丈夫です、大丈夫ですから」
まるで幼子をあやすような口調と声音で、千雪は握る手に力を込めてくれた。
だがもう、統矢はその手を握り返すことができない。
そんな二人を交互に見ながら、おずおずとベッドの上の少女は口を開いた。
「あ、あの……皆さんはやはり、わたしのことを? 特に、そっちの男の子は」
「俺は……俺は、お前の幼馴染だ。ずっと北海道で育った……そう、お前は、更紗りんな。りんななんだ……いつもお節介で姉気取りの世話焼きで、いつも……いつも側にいてくれた」
「更紗、りんな……っ! う、あ、ああ……頭が」
不意に少女は両手で頭を抱えるや、そのまま身体を折り曲げて顔を伏せてしまう。
だが、苦しげに呻く声の中に、統矢は衝撃の言葉を拾った。
「頭が、割れそう……ん、でも。……そう、そうなんだ。わたしは、更紗……わたしの名は、更紗れんふぁ」
――更紗れんふぁ。
確かに彼女は、統矢のよく知る姓を名乗って、聞いたこともない名を添える。
立ち尽くす統矢から周囲の音が遠のき目の前が暗くなった。
理解不能な事態の中で、手を握ってくれる千雪の手だけが、その柔らかな感触だけが確かに感じられた。だが、それすらも手の中を滑り落ちてゆくような、そんな錯覚に統矢は沈んでいった。




