第12話「それは出逢いか、再会か」
摺木統矢の長い一日が終わろうとしていた。
97式【氷蓮】のコクピットを出た統矢を、夕暮れ時の冷たい風が洗う。皇立兵練予備校の青森校区に帰還した彼は、多くのパンツァー・モータロイドで混雑する格納庫前で機体を降りた。
遠くに振り返る山並みは、戦略兵器で吹き飛ばされた跡がここからでも見える。
そして、その爆心地で今もセラフ級のパラレイド、ゼラキエルは健在だ。
撤退中に既に統矢は、ゼラキエルが行動停止状態でしかないことを聞いていた。
「統矢君、お疲れ様でした。ラスカさんが例の機体を運びこんでくれています。一緒に格納庫へと行きましょう」
隣へ片膝を突いて屈み込むPMRは、五百雀千雪の89式【幻雷】改型参号機だ。一角獣のような角のついた、空色のマッシブな機体から降りるなり千雪は静かに駆け寄ってくる。
相変わらず真っ直ぐに見詰めてくるので、思わず統矢は精緻な小顔から目を背けた。
先ほど無茶で無謀な戦闘をした挙句に、助けられたことを思い出せば恥ずかしかった。
「統矢君? どうしましたか、私の顔に何か」
「い、いや、違うんだ。違う、お前はいつも通り……そ、それより」
「はい」
「……さっきはすまん、悪かった。俺は……少し正気じゃなかった。だって、あいつは……あのパラレイドは、北海道を……りんな、をっ!? が、ぎっ?」
不意にひんやりと冷たい手が、統矢の両頬を包んできた。
そして、無理矢理にゴキリと首を前へと向かせる。
前を向かされた統矢の視界に、顔の近い千雪の大きな瞳が潤んでいる。
千雪の手は、小刻みに震えていた。無理もない、フェンリルの拳姫だとか【閃風】とか、エースだと祭り上げられていても……彼女には今日が初めての戦場、実戦だったのだ。
それでも、微塵もそんな雰囲気を見せずに千雪はじっと統矢を見据えてくる。
「統矢君!」
「は、はいぃ!」
「……こういう時は、『すまん』とか『悪かった』じゃありません。『ありがとう』ですよ?」
「あ、ああ……ありが、とう。……ありがとう、千雪」
「はい、どういたしまして。またいつでもどうぞ」
千雪は小さく微笑むと、統矢から手を放して歩き出す。その背を追って、統矢も次々と生徒たちのPMRが出てくる格納庫へと脚を向けた。
青森校区の日常風景は、一変していた。
戦争が始まった、否……とっくに戦争は始まっていたのだ。それが今、この青森県にまで及んだだけの話。世界は今、地球全土で終わりの見えない戦争をしているのだ。
皇国軍の輸送機がひっきりなしに飛ぶ空の下、統矢は格納庫へと千雪を追う。
緊張感に満ちた空気の中では、教師も生徒も必死で忙しそうに走り回っていた。
「すぐに皇国軍の主力が県内に展開するそうです。三沢の在日米軍も動き出しました……足止めしたパラレイドを殲滅するため、この街は戦場になりますね」
千雪の声は、普段と変わらぬ凛として涼やかな透明度を保っている。
だが、そうして自分を演じているようにも統矢には思えた。
足早に歩く千雪と統矢の横を、次々とロービジに塗られた89式【幻雷】が出てゆく。キャリアに載せられシートを被せられたまま運ばれてゆく機体もあれば、PMR実技教練でお馴染みのカービン銃を束ねて運ばされてる機体もある。武器も普段はあまり使われぬランチャー系などのオプション兵装がアチコチで床に並んでいた。
この場所は今、最前線の基地も同然だった。
そして、忙しい喧騒と怒号を潜り抜けた奥を抜け、戦技教導部が使う区画へと踏み入れる。既にそこには、部が装備する他の89式【幻雷】改型が並んでいた。それと……先ほど戦場から運びだした、謎のPMR。PMRにしか見えない所属不明機が立たされている。
こうして並べてみると、やはり統矢にはヒロイックな外観のそれがPMRだと思えた。
千雪と統矢に気付いた戦技教導部の面々は、振り向き出迎えてくれる。
「よぉ。戻ってきたな、統矢。どうだ、戦争になっちまったぜ? もう、お前だけ戦場帰りみたいな顔はできなくなっちまった訳だ」
いつものしまらない笑みで、部長の五百雀辰馬が肩を竦めた。その横にはむくれ顔のラスカ・ランシングがいるが、一人足りない。パンツァー・ゲイムがパラレイドの襲来で終わらされた時、取り乱していた御巫桔梗の姿はそこにはなかった。
「あの、副部長さんは」
「ああ、医務室だ。……ま、察してやれ。みんな色々あんだよ」
統矢の言葉に定型句を返す辰馬の、その目元が不意に優しくなる。
鈍い統矢でも、桔梗を案ずる辰馬に特別な感情が入り交じるのが見えたが、敢えてそれには言及しないことにした。
そうして統矢は皆と、謎のPMRを見上げる。
「あ、そうだ! ちょっとアンタ、今日のパンツァー・ゲイム……あれ、無効試合だからね!」
「え? ああ、ええと……ラスカ。あれは……俺の勝ちだろ」
「うるさいわね! あれから逆転したのよ、アタシとアルレインは!」
「いや、だってお前……PMRを降りてたじゃないか」
金切り声で目くじらを立てるラスカを適当にあしらいつつ、統矢は一人踏み出した辰馬の背を追う。辰馬は整備用のエレベーターを既に謎のPMRに寄せており、そのカーゴに乗って昇降ボタンを押した。滑り込みで飛び乗る統矢は、それが当然のようについてきた千雪に手を伸べる。
千雪を引っ張りあげれば、キーキー喚くラスカの声が遠ざかった。
そして、PMRならコクピットがある胸部には先客がいて、辰馬が声をかける。
「よぉ、どうだ? なにかわかったか、瑠璃」
辰馬の呼びかけに、ツナギの作業着姿が振り返る。ポニーテイルの少女が、瞳を輝かせながら立ち上がった。
「辰馬、ちょぉ見てみ? これ、やっぱPMRやないか。構造ほぼ全部、共通規格やで」
「あ、紹介しとくぜ。この恥ずかしいキラキラネームは佐伯瑠璃、整備科三年な」
「むむっ、そっちは……噂の摺木統矢やね! こないだはよぉ壊してくれたなあ、実技教練で【幻雷】を。あれ、うちら整備科と共用ねんで? 大変やったんやから!」
関西弁でまくし立てられ、思わず統矢は少しだけ身をのけぞらせる。
そういえば以前、授業の実技教練で千雪と戦い、こっぴどく負けたのだった。
「まぁ、そう絡むなよ瑠璃」
「辰馬がそう言うんやったら……でも、自分すごいなあ? 千雪ちゃんと二人で【氷蓮】直したて。パーツも少ないのにようやったわ、見てくれは最悪やけど」
「で、どうだ? こいつ、開きそうか? 見たとこPMRと一緒で、ここがコクピットみたいだがよ」
辰馬が身を寄せると、ころりと瑠璃は機嫌を直した。そして謎のPMRに話題が続くと、それはもう眩しい程に瞳を煌めかせて喋り始める。
「それやけどなあ、辰馬! これ、めっちゃ凄いでえ。千雪ちゃんも。そう思わん? どこ製やろな、見たこともないPMRや。えろう趣味的やけど、多分どこかの新型、試作実験機やで」
「機体照合は」
「データ照会したけど該当ナシや。あ、先生らには言うてへん。こんだけ目立つモン持ち込まれても、今の校区内はそれどこやないさかいな」
「先公には部長の俺があとから言っとく。それより、だ」
コン、と辰馬が叩く謎のPMRを、改めて統矢も見やる。
白を基調に青と赤のラインが走る、見るも鮮やかなトリコロール……恐らくデモンストレーションカラーだ。どこか騎士を髣髴とさせる優美な曲線を多用したラインは、統矢も見たことがない。あのPMRマニアの千雪も知らなそうなので、瑠璃が言う通りの出自かもしれない。
だが、この機体は戦場に次元転移してきたのだ。
パラレイドだけが使う次元転移は、科学が発達した現代の地球でも解明されていない。
統矢は改めて訝しげな視線でツインアイの並ぶ頭部を見上げる。確かに千雪の言う通り、少し完調状態の【氷蓮】に似てるかもしれない。そう思っていると、電子音が小さく響いた。
「お、ハッチが開いたで。やっぱ全部、共通規格やわあ」
瑠璃の声と同時に、コクピットのハッチが静かに跳ね上がる。
回りこんで正面からコクピットを覗き込み……統矢は絶句した。突然網膜を通して脳裏に広がった光景が、余りにもありえない状況だったからだ。
「パイロットは女、か。見たとこ歳は近いな?」
「気ぃ失ってるだけみたいやけど……どないしよ」
高鳴る鼓動。
止まる呼吸。
そして統矢は、周囲の音が遠ざかる中で瞬きも忘れてコクピットを凝視する。
フラッシュバックする凄惨な光景が、目の前で一人の少女に重なった。
そこには、あの日北海道で死んだ筈の……更紗りんながいた。




