表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ガザ地区の姉から西岸地区の弟への手紙

作者: 鈴木美脳

あの日、お姉ちゃんの仕事を目撃して以来、弟君は目を合わせてもくれない。姿を見せてもくれないし、メッセージを送信しても返信をくれない。私にとって弟君は、世界で一番大切な唯一の家族だから、お姉ちゃんは悲しいです。でも、ショックだったというなら、ショックだったというのもわかる。弟君に悲しい思いや辛い思いをさせてしまったのなら、謝りたいし弁解したい。


弟君を連れている目の前で、私達はあの日、多くの民間人を拷問し、殺害し、辱しめました。兵士であっても民間人であっても、あるいは女性や子供や老人であっても。それは弟君には、理解のできないことだったと思う。民間人に対する虐殺は、肯定されるべくもない不正義である、といった言論こそ、むしろ弟君の生きてきた世界の価値観に適っているのだろうと思う。私達がテロリストであって、テロは不正義であり、テロとの戦いは正義であって、社会の幸福と正義を守るためにテロリストなどの犯罪者が暴力によって殺害されることは容認される、そんな言論こそ、弟君の生きてきた世界では常識なのだと思う。


弟君には詳しく言ってなかったね。お父さんやお母さんが、命を落とした日のこと。その日、家族も友達もたくさん殺されて、お姉ちゃんも殺されそうになったよ。多くの友達はもう人間の形ではなくなっていて、あるいは別の友達はもう助からない身体になっているのに助けを求めつづけていた。私の目の前にいた友達は、銃口を額に向けられ、糞尿を漏らしながら震えて命乞いをしていた。私はそんな彼女のことを冷静に眺めて、なんてダサくてみじめなんだろうと思った。でもそう思うと同時に、自分もまた糞尿を漏らしながら震えて命乞いをしていることに気づいた。そのとき思ったんだ。死を恐れるだなんて、金輪際やめてしまおうって。


そうして地獄を見てしまったお姉ちゃんは、人間の社会が公正だという建て前が実は欺瞞だと知ってしまった。この世界には格差が存在して、幸運にも有利な立場を手にした人々は、嘘をついている。幸運にも有利な立場を手にした人が、そうでない人達よりも幸福に値すると言うために、幸運以外の原因を捏造している。すなわち、不運にも不利な立場を強いられた人々について、そうでない人達より不幸に値すると言うために、不運以外の原因を捏造している。だから、人間の社会では、立場の弱い人達に対してほど、無能や邪悪といった冤罪が降りそそぐ。そのような心理的な力学によって、社会が公正だという欺瞞が形成されている。


テロとは、違法な暴力を用いて自らの政治的な主張を実現しようとすることだ。国家と国家の衝突であれば戦争と呼ばれるけれども、国が同調者に資金や武器を提供して他国の国内で民間の設備や民間人に損害を加えれば、テロとなる。それはつまり、政治的な主張があるなら、法的に用意された民主主義的なプロセスを通じて、他の人々と合意形成の手順を踏むのでなければ、正義ではないとする主張を含んでいる。


でも、民主主義というプロセスもまた、万能ではない。人民の幸福や意見が広く尊重されることは理想だけども、実際には資金力や政治的な地位の力が影響する。資本の格差と資本の力学によって、民主主義は理想的な形から崩れてしまう。幸運な環境条件を与えられた者がそうでない者を搾取する傾向を生じてしまう。すると、政府の暴力機関である軍や警察は、正義を守護する存在から権力を守護する存在へと堕落する。同時に司法は、民衆を搾取するための強力な道具になる。あるいはまた、小国の民主主義もあやういものだ。諸外国の野心を背景とした有形無形の圧力によって、政治は外国人のためにゆがめられてしまう。現代世界の力のいただきは、超大国の核戦力にこそあって、誰一人としてその力の力学から自由には生きられない。軍事的国際バランスと独立した国際資本や、国際資本と独立した国家運営は、机上の空論としてしか存在しない。


つまり、民主主義という合意形成プロセスが法的に用意されていることは、実際に民主主義が実現されていることをただちには証明しない。したがって、国家権力を中心とした既存の社会秩序は、その秩序に正義が伴っていることを保証しはしない。つまり、既存の体制つまり既得権益が、何らかの意味で是正されたほうが、現代あるいは将来の人々の幸福のために適っている可能性が生じる。そこに、テロが正義の属性を備えうる間隙がある。その間隙は実際、さほど狭いものではない。


だから、テロリストであれば絶対悪であるとは、ユートピアで行われる思想であるか、さもなくばディストピアで行われる思想である。権力や幸福を手にした人々が、道徳的な自省を不要なものだと感じる社会は、正義を論じずとも自動的に正義が実現される社会であるか、さもなくば、正義を限りなく遠ざかっていて最も立場の弱い人々には限りない不正義がそそがれる社会である。正義が論じられなくなった社会とは、法律がすなわち正義と見なされる世界を意味する。法によって権益を守られた人々が、法律をすなわち正義だと認知して思考するとき、テロリストは確かに、自動的に絶対悪だ。


だから、幸運にも権力によって守られた人々が、安全な場所から不運な人々の尊厳や幸福を限りなく搾取する社会、それがこの世界の、一面の真実でしょう? その真実を最も目撃しにくいのは、とうの恵まれた安寧な人々であり、その真実を最も目撃しやすいのは、その嘘や冤罪によって最大の苦しみをそそがれる人々だ。だから、現代世界を「テロとの戦い」として切り取る認知は、幸運な権力者の側を向いたものにすぎない。テロとの戦いは、仮にテロリストを皆殺しにできれば解決して終わるわけだけど、実際に人々の幸福のために是正されるべきは、もっとずっと権力の側だっていうのは、ありがちなことだ。弱者の不満や憎悪について、その一面の正当性により配慮し、権力を手にした恵まれた人々が、より自省的であることが好ましいけど、その自省の欠如がすなわち、既存秩序が正義だという理屈になる。


しかし、幸運にも有利な立場に生まれた人々が、権威主義に寄り添うことは、自然でもある。おいしいものを食べて、綺麗な服を着て、そのように人としての人生の幸福の最大化を追求する意味では、人間は経済的な単位だと言える。そして、個人的な幸福を追求する意味では、自分とは関係のない立場の弱い人の幸福を無慈悲に搾取することが是認されやすい。いかなる政治的な主張を背景にしているにせよ、戦闘に参加しているわけでもない一般の民間人に対して暴力や死のリスクをもたらす犯罪者は、殺してもいいから一掃してくれたほうが安心だということになる。そのように、軍人への被害は可だが民間人への被害は不可だという認知は、暴力を軍人にアウトソーシングできるほど有利で安全な立場にいる民間人の思想として、助長される。


でも、そのような権威主義は所詮短慮であって、権力による理不尽が自分のほうを向いて苦しみをそそぎだせば、それら俗悪な大衆は泣き叫ぶ。不正義への批判を軽視して、自身の目先の利害を追求することは、社会の道徳的な品質の劣化を招くのだから、利己的な権威主義者とは、短慮な者でしかありえない。


資本主義社会の民衆は、そのような秩序のもとで、流行の髪型をして、センスを競う。よりおいしい食事を味わうことに幸福を感じ、大きな家や高い車や、親族の学歴などの社会的な地位によって、個人としての尊厳の高さを自覚し、安心する。


でもさ、現代的な権威主義の秩序、利己的な価値観の秩序のなかで、私的な幸福を追求する姿って、逆に言えば、私的な損失に恐怖しているだけであって、既存体制に何一つ挑戦していない。その意味で、勇気という徳目で言えば最低の存在だし、そのような状況を理解できてないという意味では、すでに言ったように、知性という徳目においても最低の存在だ。だから、流行の髪型をしたって、馬鹿ならダサいとお姉ちゃんは思うし、むしろ流行の髪型なんてしていることが、馬鹿なことを証明しているからダサいって、お姉ちゃんは感じるんだ。


流行の髪型をしているとか、おいしい食事を食べているとか、大きな家に暮らしているとか、長生きや健康を何より大切に思っているとか、そういったことすべてが、お姉ちゃんの視点からするとダサくなるってこと。


じゃあ、そこにおいて、何が「かっこいい」と思う? そういった世俗主義をダサいと思っていて、私利私欲を犠牲にすることを恐れず、人民の幸福つまり正義のために既存の巨大権力に抗う姿勢こそ、「かっこいい」っていうことになるよ。


つまり、言ってみれば、「テロリスト」というのは、お姉ちゃんにとっては「かっこいい」概念なんだ。私達は実際、そのことに非常に深いプライドを持っていて、選民思想に似た、世俗主義者への蔑みも備えている。だって、自分の命や幸せを実際に大きなリスクにさらしているのは、私達でしょう? お金持ちほど偉い世界とは、別の世界に、私達は生きているんだ。


利他心は利己心と常に葛藤し、倫理主義は世俗主義と常に葛藤する。それは戦いであり、その戦いは、対外的な実践であるとともに、個人の内面的な実践でもある。それを、ジハード、聖戦と呼ぶ人達もいる。


だから、ジハードを行う人達は、聖戦主義者、ジハーディスト、ムジャヒディンなどと言って、自分達に誇りを持つ価値観を備えている。ジハーディスト的な思想の深い人ほど、世俗主義者の資本主義市民をクソダサいと思ってる。


その意味では、お姉ちゃんも、ジハーディストの一人だよ。それはきっと、仲間達の遺体のなかで額に銃口を向けられ、死を恐れることをやめた時から。


あの時、お姉ちゃんは、生まれ変わったし、生まれ変わってしまった。その価値観の変化は、「神との出会い」に例えて説明することもできる。生まれ変わってからの私は、生まれ変わる前の自分について、むしろ死んでいたような印象を感じる。死を恐れることをやめたことによって、より高い次元の幸せを体験しているように感じている。


聖戦はもちろん、言葉遊びではなく、圧倒的な科学技術や工業生産力を権力者達が持っているなかで、銃や爆弾で仲間達は虫けらのように殺されていく。そこではもちろん、優れた戦士達においても、痛みや恐怖が山ほどある。お姉ちゃんも、死への恐怖を本当の意味で捨てられているわけでは、まったくない。心の底では、ビビッてる。でも、心の中ではビビッていても、言行においては正義に適った正義のための行いを貫徹できるなら、それは私達にとってアリなんだ。本当に恐怖がなかったら、勇敢かどうかという論点が消えてしまうけど、恐怖心を制御する道徳的な情熱が、勇敢の徳を意味づけるんだ。私達はあくまで、人間的な情緒を愛している。


時代の権力が何十万という人々を八つ裂きにしても報道されないけど、テロリストないしジハーディストが一人を八つ裂きにすれば悲劇として報道される。そして、想像力のない馬鹿の心はその映像によって感情を催し、惨殺する者を正義に数えることはできないと信念する。それは単に愚かなようでいて、偏向された報道を受容して安全に権力にすり寄ることを自ら選択する邪心も伴っているんだよね。


一方で、虫けらのように惨殺されてきた私達は、正義のために戦うことを放棄して私欲に専らに権威にすり寄る民衆のことを、ゴキブリだと心から思っている。私達は、私達が何をされてきたか知っているから、私達がされたことよりもずっと少ない割合で同じ仕返しをしたって、良心は痛まない。それをもって、権力はテロリストやジハーディストを、良心がないと罵るけれど、多く惨殺して不正義を実現している利己主義者達が、人々の幸福のために不正義に抗って天下の幸福を支えている最も正義ある人々を罵っているわけであり、滑稽だ。現代の権力が行ってきたことは、悪魔にしかできない大量虐殺であり、真に邪悪な者達はゴキブリのように一掃されて、理に適う。


そのように、私達には、資本主義の犬となった利己主義者達とは異なる価値観が存在している。それは、ものすごく異質であったり、しばしば少数派であったりするけれど、異質であることや少数派であることをもって、私達のほうが道徳的にも劣っていると言うことはできない。道徳的な是非を事実にもとづいて論理的に検討すれば、既存権力と資本主義的な利己主義の道徳的な劣位が証明されることは、すでに述べてきたとおりだ。


私達も、そもそもは、おいしいものを食べて、綺麗な服を着て、健康に長生きして、暴力などとは無縁に、笑って人生を送りたかったよ。でも、社会状況の倫理的な矛盾と、それに抗うべき道義的な責任が、それら私益に優越する価値を私達の内側において定義した。私達は、利他的な共感や愛情を備えた道徳的な人格に心の豊かさとして真に豊かな人生を見るし、虐げられて苦しむ人々に寄り添って汚い服を着る生き様に真の美しさを数える。真の意味で価値のある人生の形は、私達において世俗主義者達とは異なっていて、それが私達が認知する「幸福」をも定義していく。私達は、長生きなゴキブリとしてご馳走を多く食べたかったとは思わない。私達は、実際の資本主義達に対しては少しも憧れの感情を持っていないんだ。


私達は、そのような価値観にもとづいて、優れた者を互いに愛する。私達は、自分や他者についてそのように認知する名誉を通じて、世俗的な幸福以上の抽象的な価値を定義している。それは、現世よりも普遍的な世界を定義することと同じことだ。そうして私達は、義または義を愛する存在として、「神」を感覚する。


そのような普遍的な価値のもとで生きようとする私達は、現世の人生を一種の手段的なものとして考え、より大きな運命によって設計されていると考える。ジハーディストを、神に選ばれた存在だと考える。


あるいはこの世界には、幼くして手足を失い、ただ苦しみのもとで死んでいく命が多くある。病院に行けば、銃や爆弾によってそのように傷つけられた子供達が、無数に並べられている。私達は、人間として、彼ら彼女らをかわいそうだと感じ、不幸だと思う。しかし同時に、ジハーディストとしてのお姉ちゃんは、彼ら彼女らを神に選ばれた聖戦の英雄に数え、最高に恵まれた魂だと考える。だって、そう思う以外にないでしょう? そう思う以外には、虐げられるだけの者達には、虚無しかないのだから。


私達は、私達が神に選ばれた特別に幸運な存在だと思うし、神の愛のために実践を行う聖戦の場としてこの世界を定義している。だから、資本主義者として私的利益や世俗的地位を第一優先に追求しようとは考えないし、そう考える資本主義者をクソダサいゴキブリと感じて見下している。それが、安全な側の内側と外側の、価値観の違いだ。安全な側の内側にいる人々の大多数は、そのような価値観や世界観が同じ世界に存在していることにすら気づかない。だからお姉ちゃんは、説明する。弟君のことは大切に思っていて、できる限りのことはすると決めているから。


お姉ちゃんが説明したいのは、ジハーディズムつまり聖戦主義という価値観と、神と呼ぶべき概念の話。それらが、どのような由来や因果や必然を備えているかという、論理的な構造の話。それは、流行の髪型みたいに、「かっこいい」と「ダサい」の話でもある。町ですれ違う若い男女が、互いの髪型や服装のセンスをとてもかっこいいと感じるときがあるように、私達の思想はファッションとしての側面を備えている。単に弱者が私益を守るために抵抗をしているということを超えて、私達は私達のほうがより優れていると考えている。それは、権威主義者の公正世界仮説のなかからは見ることのできない真実だ。


不潔なゴキブリ共が私利私欲のためだけに生きているのに対して、私達が普遍的な正義のもとに生きている事実と、その優越的な価値と正義は、かくも論理的に証明できる。一方で、ゴキブリ共はどこまで行っても、嘘あるいは妥当でない推論にもとづいてしか自分達の言行を正当化することができない。戦えば戦うほど彼ら彼女らは罪を重ねていく。その先には絶対に勝ち目がない。私達は、神に選ばれ神のもとで戦っていて、彼ら彼女らは神に対して挑戦している。だからやがてゴキブリ共の魂は地獄の業火によって焼き苦しめられ、お姉ちゃんと仲間は永遠の幸福に浴する。


だから心配はしなくていいし、弟君も、資本主義社会の利己主義者であるクソダサいメスゴキブリ共と不潔な恋愛などしないで、かっこいい男性に育ってくれたなら、お姉ちゃんの理想です。じゃあ一足先に、天国で待っているね。


合言葉はアッラーアクバル、神は至大なり。安寧は恥辱、苦しみは名誉であり、怪我や病はみな勲章であって、若く死んだ者達ほど魂の地位は高い。神の戦士とは、私欲に打ち勝って公共善に人生を捧げる者達のことを言い、恐怖心に屈せず、死んでいった仲間を裏切らない私達は、すべての善良な魂とともにいる。それが、私達のプライドであり、私達の幸福である。お姉ちゃんは弟君を愛していて、愛し合うことに救われている。愛しているよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点]  「テロ」は基本的には非人道的行動で非難するべき「悪」と言える。 しかし、そのテロを生み出している存在が、自身が生み出しているという事実に目を背けて、その行いを隠すためにそのテロといわ…
[一言]  そうですね、テロを悪とする報道がなされるこの国において、本質的な事を話せる専門家が居ても都合の悪い話はMCやCMによって切り取られ、テロする側が酷いとされる。  自国の劣悪な人殺し達の事す…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ