1.神様と、オレ
風が吹いた。鳥は鳴き、空は呆れるほどに澄み渡っている。
そんな場所に、娘が一人いた。
足元まである長い黒髪に、全体的に飾りと紐の多い白く長い着物。年の頃は十代半ばに見えた。
娘は、自分が何故ここにいるのか分からなかった。それどころか、ここがどこかも分からなかった。
長い髪と、長い着物と、長い紐飾りを、風に流すままに娘は歩き出した。ふらりと進んだ先には何も無い。否、何も無いわけではない。目も眩むような下に、ちゃんと地面はあった。娘は躊躇いもせず宙に足を踏み出し、そしてそのまま歩き続けた。
ぼんやりとした瞳で空を歩き続ける娘の周りに鳥が集まり、心配げに鳴いた。
娘はぼんやりと鳥を見た。そして、虚ろな瞳のまま微笑んだ。伸ばされた白く細い指の先に鳥は止まり、哀しげに鳴く。娘が動くたび、鈴の音が鳴り響いていた。
「あなた達は優しいのね……ねぇ、教えてくれないかしら。わたくしは、いったい何処へいけばいい?」
風のような声だった。水のような声だった。木々のような声だった。鈴の鳴り響く中で、娘は虚ろに鳥に微笑んだ。
娘は、ここがどこか分からなかった。自分がどこに行くかも分からなかった。ただ、己は全てを失くしたのだと。娘が知っているのはそれだけだった。
そして、それすらもすぐに失ってしまった。
「ああ!? そんなわけねぇだろ!?」
人通りの多い、市場が並ぶ街でも屈指の街道、から横に裏に斜めにずれた店の中で、少年が大きな声を上げた。少年は、店を通り越して響いた大声を気にしてか、すぐに声を落とした。落しはしたものの、目の前の人物にはしっかり大声として捕らえられる声の大きさだ。入り口から奥まった場所にあるカウンターは、話がしやすい。
「あんだけ苦労して取ってきたんだかんな! あんなちょっとの情報で危険冒して! これっぽっちじゃ、経費だって元取れねぇよ」
端に銀色の飾りのついた布を頭に巻いた白い肌の少年は、がりがりと頭を掻いた。黒い髪の毛が揺れる。
今年十五になった少年の名は、キラという。頼まれればなんでもする、その名の通り何でも屋だ。だが、何でも屋ではなく『万屋』と名乗っている。ちょっと難しく聞こえるから、結構気に入っている。
キラは、再度古ぼけた机を叩いた。
「七・三! これ以上まけたら、オレの商売上がったりだ。いいか、それ以下なら、今後一切お前の仕事は受け付けねぇ」
これ以上一歩を引かないと唸ったキラに、話し相手であった太った男は肩を竦めた。男の名はヨンパ。仕事の仲介人をやっている男だ。動くのが億劫そうに、身体を動かすのが特徴だ。揺れる肉も、大きな特徴だ。白とは遠い肌色は、この国の人間の特徴だ。
「分かったよ。七・三でいいだろう。お前に手を引かれると、こっちだって困るんだよ」
「だったら、最初からケチいことすんなよな。じゃあな、ヨンパ」
金の入った袋を取り、ぼろぼろの暖簾をくぐって『仲介屋』を出た。
キラの住む街は大きい。大貴族もいれば、いますぐにでも餓死していく貧乏人もいる。貧富の差が激しい街だった。金のある者達が生きる場所では、水はきれいで街も整い、美しく整備されている。だが、キラが住む下級層では、上から流れてくる汚物が街を満たし、ゴミに溢れている。悪臭を放つ川も少なくない。蛆は沸き、人は日常的に死んでいく。人の心も膿み、足元の石畳はでこぼこだ。
人通りの多い街道から一歩でも外れれば、そこは既に危険地帯だ。おかしな薬で頭を浸した連中が屯し、殴ることが会話だと思っている者共がのさばり、殺すことが解決だと信じて疑わない人間で満ちている。
そんな裏街道を、キラはいつものように通りすぎた。
「あっちぃなぁ」
ぎらぎらと照るような太陽から逃げるように、足は自然に街から離れていった。蝶の形をした銀細工が、視界の端できらりと揺れる。
どうせしばらく仕事はなしだ。一仕事終えたばかりで懐はそれなりに温かいから、食べるものにも困らない。キラは結構機嫌がよかった。
街を背にして少し開けた丘まで上がり、後ろを振り返る。見えるのは自分が住む街だ。栄え、衰退し、それなりに荒れた街だ。上もいれば下もいる。金で出来た食器を平気で捨てる奴もいれば、野良犬と生ゴミを取り合い死んだ奴もいる。
ここは、地形にまで差別がある。山に街を当てはめた塔のような街で、当然上部は貴族が満ちている。下に行けば行くほど金は減り、清潔からは遠ざかり、モラルは消える。地に近づけば近づくほど、汚濁に塗れていく。
そんな街に、キラは生きていた。
ほどほどに温まった懐にほくほくしながら、キラは木陰に寝転がった。頭に巻いた布についた銀色の飾りが音をたてる。焼けるような太陽の光が嘘のように涼しい。すぐ傍には広い湖がある。森の奥まった場所にあるため、人は滅多に来ないが、この場所がキラは好きだった。
次は何をしようか。次に金が入ったら今いる場所を移ろう。少し長く居過ぎた。臭くない川のほとりだから、居心地もよかった。けれど、そろそろ潮時だ。長く一箇所にいれば、それだけ寝床を知っている連中も増える。だからキラは転々と寝床を変える。どこにも執着はない。あったところで、無意味だからだ。
キラは両手を頭の後ろで組んだ。また面倒な仕事を持ってきたら、ヨンパの仕事はもう絶対に請けないと決めた。つらとつらと今後の大まかな予定を立てていると、眠くなってきた。光る水面をぼんやりと見つめ、さて一眠りでもしようかと瞳を閉じようとした時、それを見た。
最初は、それが何か分からなかった。自分は夢でも見ているのかと、眠ってもいないのに夢を見ているのだと、本気で思った。だが、それが人の形をしていると気付くと、大慌てで駆け出した。
「っだよ、あれ!」
それは、一人の少女だった。長い黒髪に、飾りの多い白い着物。そして何より少女は美しく、奏でられる鈴の音は清廉だった。
言葉も無くして呆然と見続けるキラのことなど気にもしないように、少女は歩いて空から降りてきた。その周囲を鳥が回る。まるで守護しているかのようだった。
「そんな……風見が人に懐くなんて」
風見は、風を感じ、風のままに旅を続ける白い鳥だ。ほとんど休むことなく飛び続け、嵐があれば知らせ、気流が変わる際にもその動きを見ていれば知ることが出来る。昔から漁師や旅人に重宝されてきた鳥だ。風見を使えば、みんなもっと楽に漁も旅もすることが出来るのだが、風見は決して人には懐かない鳥だった。凶暴ではない。ただ、孤高の鳥なのだ。一羽で飛んでいることが多く、どうやってつがいを見つけるかすら分かっていない。
その風見が群れをなし、一人の少女の周りを飛んでいる。
驚愕するキラの前で、少女は風見を連れて、湖の上に降り立った。湖面には小さな波紋が広がり続ける。だが、それだけだった。少女の足が沈んだことによる雫も、少女の身体が飛び込んだことによる波も現れなかった。
キラは、自分の見ているものが信じられなかった。少女は湖面の上に静かに降り立った。
りんっと、鈴が一つ音をたてた。
「あ、あんた、なんだ?」
誰だとは尋ねられなかった。だって自信がなかった。目の前の美しい少女が、本当に人なのかどうか。
首都にある神殿が知ったらとても喜びそうな少女だと、パニックになりかけの頭でふと思った。売ったら金になるかもとすら、膿みに慣れた思考は考えた。けれど、そんな腐った思いは、何故か形にならず霧散する。
大きな儲けは、何かに巻き込まれることだ。キラは穏便に生きたい。ひっそりと生きて、こっそり儲けて、それなりで死にたい。だから幾ら大儲けできても、揉め事に巻き込まれるのは死んでもごめんだ。そんな打算的な考えも頭を掠めた。けれど、一番の思いは。こんなきれいな生き物をそんな汚い目で見てはならないと、何故か思ってしまったのだ。
小さな波紋だけを残しながら、少女はキラの前を通り過ぎた。
不意に、少女が振り向いた。りんっと、鈴が音をたてる。長い髪が波を打って広がる。
キラは、すぐに己の問いが無意味なことを知った。少女の瞳には何も映ってはいなかった。虚ろな瞳がキラを向く。それは湖面よりも澄んでいて、硝子よりも無機質だった。透明な黒が、ただ、キラを見ていた。
白い手が、荒れた様子など欠片も見られぬ透き通った手が、空へと伸ばされる。
「お父様、何故――――――………」
哀しい哀しい、声がした。
「あ! おい!?」
ふらりと揺れた少女の身体に、咄嗟に手を伸ばす。真っ白な着物で視界が覆いつくされた。慌てて抱きとめたキラは、その真っ白な着物の隅に黒い汚れがあることに気がついた。
「ちょ、なんで寝てんだ!? ねぇ、ちょっとってば!?」
必死に身体を揺すっても、少女は眼を開かない。何故水の上に立っているのかは謎であるが、急に沈まれても困るからひとまず少女の身体を引っ張った。慌てたせいで後ろに転がる形で抱きとめた少女の身体は、また一つ鈴が音を鳴らした。
うるさいほど動揺している心臓の音を聞きながら、触れている少女の背中をおそるおそるつつく。当たり前だが、人の、肉の感触が返ってくる。それを確認して、そっと、へっぴり腰で水に手をつけた。
「さわれる、よな……?」
手で触れた水はただの水で、いつも通りキラの手を濡らした。
気づいた時にはあれだけいた風見が一羽もいなくなっていた。森は急に音を取り戻したかのように風が吹き、木々が揺れた。その時初めて、キラは張り詰めていた緊張が解けたことを知った。
夢から覚めたような、化かされたような気分の後には夢でなかったことを証明する少女がいた。キラは思わず後ろを振り返り、適当な木に向かって言った。
「え、えと――……オレ、どうすんの?」
木は困ったように木の葉を落とした。
ここはどこだろう。
少女は一人で佇んでいた。ここは己の場所ではなかったはずだ。己には己の場所があったはずなのに、それが分からない。違う、ここは自分のいるべき場所ではない。帰らなければならない。
守っていたものがあったはずなのに、この腕の中にはもう何も無い。大切に大切に抱いていたはずなのに、どうして、自分は何も持ってはいないのだろう。あんなにも愛していたのに、一体いつ手を離してしまったのだろう。
泣いていることに気づくと同時に、少女は自分が眠っていたと知った。目を覚まして見たものは、汚れなのか穴なのか分からないような天井だった。
体の上に掛けられている、綺麗とはお世辞でも言いづらいシーツから体を引き抜き、軋みが酷いベッドから下りた。己が履いていた靴は、ベッドの横に少々雑に置いてあった。
紐がたくさんついている己の靴に、少女は視線をやった。紐が波打ったかと思えば、靴は少女の足に装着された。誂えられたようにぴたりと寸分の余裕も無い。
少女は、今にも床が抜けそうな部屋の中に足を踏み出した。
見慣れないものがたくさんあった。彼女にとって、見慣れないものしかない部屋の中は、小さく暗く、汚れていた。小屋とも部屋ともいえないこの場所は橋の下にあるらしい。先程から橋を大型の何かが通っていくたびに、天井の埃が降ってくる。
緩慢な動作で部屋の中を見ていた少女の前で、ゴミか暖簾か判断できないものが動いて、見知らぬ少年が顔を出した。
「あ、起きた?」
家の中で音がしたので覗いてみれば、きちんと靴を履きなおした少女がキラを向いた。薄汚れた、なんてものではないほど汚れた家の中に入れてしまったのが申し訳ないほど、少女は美しかった。人外の美しさとはきっとこういうことを言うのだろうなと、頭の片隅で思った。
美少女がじっと見つめてくる瞳に少々居心地が悪くなり、とにかく何か言おうと心に決めて口を開いた。けれど、それより先に少女が形良い唇を動かしていた。
「お主、誰じゃ?」
「古めかしい!?」
見目麗しい少女の第一声は、非常に古風な物言いだった。これが初めての会話かと思うと、ちょっと泣きたい。
そんな葛藤など気にもせず、少女は小屋から出てきた。ここが比較的きれいな川の横でよかったと思った。そうでなければ、ゴミ溜めの中に連れてきてしまった自分を責めても責めきれないだろう。それくらい、少女に汚れは欠片も見られない。きれいな、きれいな生き物だった。見た目も、装束も、声も、瞳も。少女はきれいだった。
「ああ、人に名を尋ねるのであらば、妾から名乗るが礼儀じゃな。妾のことは、水蓮鏡と呼んでおくれ。さて、お主はなんと申す?」
少女は軽やかに足を踏み出し、戸惑うキラの目の前に立つ。ふわりといい匂いがした。
「ん? どうした、坊」
「坊じゃねぇ!? キラ! オレ、キラ! キラ!」
「きらきら? 麗しい名じゃのぅ」
「違う!」
ちょっとどきりとしたのに、あんまりといえばあんまりだ。美少女に坊呼ばわりされた。オレのドキドキを返せ!
キラの葛藤を、やっぱり少女は気にしない。
「そうか、キラか。良い名じゃ。ところでキラよ」
「何ですか――……」
何だか、キラは既に疲れていた。その様子に首を傾げながら、水蓮鏡は問うた。
「しばし妾をここに置いてはくれんかの?」
「いきなり何!?」
「うむ、妾は帰らねばならんのじゃが、今しばらくその手立てを見つけられないのじゃ」
「何で!?」
どうやら説明をしてくれているらしいが、結局さっぱり分からない。パニックになりそうになっている自分を落ち着かせようとした。この街では、動揺したものの負けだ。それを身に染みて知っている。だから、大きく息を吸った。努力した、キラは努力した。水蓮鏡の次の一言で、その努力は無に帰した。
「妾は異世界の神だからじゃ」
りんっと鈴を鳴らし、水蓮鏡は目の前の川に足を踏み出した。
「おい!」
思わず伸ばした手は、軽くあしらわれた。
「主はそこにおれ。人は水の上を歩けんと記憶しておるぞ。不便じゃなぁと、常々思うたものじゃ」
水蓮鏡は小さな波紋だけを川に与え、水の上に降り立った。白く透明な着物が風に舞い、たくさんの飾りと紐が宙になびく。緑為す黒髪が、美しく光を放った。長い袂で口元を隠し、節目がちの瞳が宙を見上げた。そこにあるのは薄汚い橋だけで、青く広がる空は見えない。けれど、ぼろぼろの橋から零れた光は、全て彼女に集まっているように見えた。
「妾は神じゃ。この世界とは異なる世界の、日本国の土地神じゃ。土地神はその土地で生まれ、その土地を守護し、土地に生きる全ての生き物を守る存在じゃ。本来はその土地から出ることは叶わぬ。土地神を失いし場所は、緩やかに、急激に滅びてしまう」
水は枯れ、土地は萎れ、日照りが続き、嵐が続き、やがてそこは不毛の地となる。現に、土地神を失った地域では、大規模な飢饉が発生した、地震が発生した、疫病が流行り、たくさんの命が消えていった。それが土地神を失った土地の辿るべき道だった。
水蓮鏡は、呆然としているキラを見つめ、りんっと鈴を鳴らした。
「妾は帰らねばならぬ。何故この世界に来てしまったのか、それは妾には分からぬが、妾が帰らねば妾の愛子が苦しむ。あの土地で生まれた者は、みな妾の産子じゃ。妾が守る責がある。何より、妾はあの者達が愛おしい。苦しめたくなどない」
静かに閉じられた目蓋が、再び開く。その瞳には何故か悲しみが色濃く映っていた。その意味を尋ねたかったが、キラが口を開くより早く、水蓮鏡が頭を下げた。
「頼む、異世界の子どもよ。妾をしばし、しばしの間でよい。ここに置いてはくれぬか。妾は異世界の神じゃ。この世界では異分子以外の何物でもない。出来る限りこの世界に影響を及ぼしたくはない。そのために、この世界で生きる主の魂を貸してほしい」
「魂? そんなもの、何で……はっ!? まさかオレを殺して乗り変わるつもり!?」
キラは思わず両手で体を抱いて、後ずさった。その様を苦笑され、少し恥ずかしかった。
「そんなことはせぬよ。妾は、たとえ異なる世界とはいえ、子どもの命を奪ったりはせなんだ。ただ、妾の拠り所にさせてほしいのじゃ。妾は異なる世界の神じゃからの。諍いは少ないほうがよい」
本来土地神はその土地から生まれて、そこから出ることは決してない。何よりもその土地そのものだ。何よりもその土地に近く、そのものであるため、他の場所では、どちらもが互いの存在を受け入れられない。違う存在同士が丸々重なることなど、出来はしない。
だが、その力は果てを知らない。仮令異なる世であれど、彼女が神であることに変わりはないのだから。
「キラよ、妾が帰る道を見つけられるまでで良い。それまで、妾の全てで主の守護を約束しよう。妾がおる以上、主の死はあり得ない。妾の名にかけて、主に絶対の守護を与えよう。だから、後生じゃから、妾が帰れるまで傍に置かせておくれ――……」
俯いた顔は、長い黒髪が隠してしまう。
その美しい髪を見つめながら、面倒はごめんだとキラは思った。正直、こんなピンからキリまでの街で、自分はキリの部類に入るし、他人の面倒を見れる余裕はない。それにこの業界、どんなことで死ぬか分からない。他人は敵だし、信頼してはならない。例えそれが、妙な力を持つ自称神さまであってもだ。
誰が裏切るか分からない、誰に殺されるか分からない。みんな、自分が生きるだけで精一杯だ。自分が幸せになるためだけで精一杯だ。誰かの面倒なんて見られない。自分が生き残るだけでいつも全力なのだ。その程度には腐敗した世界だ。今日は生きても明日は死ぬかもしれない。今日は歩いても明日は病が襲うかもしれない。今日は笑っても明日は敵対しているかもしれない。誰も信じない。だから誰もキラを信じなくていい。そうやって生きるのが、この下層部で生きる人間だ。
キラは理想など語る気はなかった。そんなものでは生きてはいけない。綺麗事も泣き言も、語るつもりはない。だって、そんなものは何の助けにもなってはくれなかった。
それを、キラは身を持って知っていた。そういう暮らしをしてきたのだ。こんな街で、橋の下のぼろ小屋で生きていく中で得た、それが結論だった。
だから、断るつもりだった。彼女が本当に神様だったら、祟られてしまうだろうかともちらりと思った。けれど断るつもりだった。面倒事はごめんだ。誰かと一緒に仕事をするのさえ嫌いなのだ。いつ裏切るかもしれない誰かと一緒にいるなんて、もっとごめんだ。知らない誰かと同じ場所で眠るなんてもっての他。だから、彼女が目覚めるまで外にいた。連れて帰ってしまったこと事態、悔いてもいた。どうして連れてきてしまったのだろうと。彼女は厄介事だと分かっていたのに。
断ろう。断るんだ。固く心の中で唱えて、悪いけど、と、続けようとしたのに。
「あ――――もうっ!」
キラは、がりがりと頭を掻いた。どうやら、思っていたよりも自分はまだ甘いらしい。そんなことではこの先生きていけないぜと、知ったかぶった自分が指を揺らした。自分といえど、腹が立つ。
「いたけりゃ勝手にいろよ! そんかわり、オレの邪魔はすんな! オレの言うことを聞け! オレはオレの都合が第一だ! 面倒はみない! いいか、あんたはいるだけだ! それだけだかんな! オレは、面倒は大っ嫌いなんだぁあ!」
全力で叫んだキラに、水蓮鏡は驚いたように頭を上げて、そしてしばしきょとんとした後、ふわりと微笑んだ。
「感謝する――……」
本当に嬉しそうな顔から、意地でそっぽを向いて、深い深いため息をついた。面倒事は嫌いだ、大嫌いだ。それによって死ぬかもしれない、そんな突然はどこにだって転がっている世界だ。出来る限り平穏に、ちょこちょこ稼いで、誰の目にも引っかからないように、地味に稼いで地味に死にたい。
それがキラの唯一の願いだったのに、どうしてこうも誰も引っかからないような面倒事に、いきなり引っかかってしまうのだろう。
「ちぇ……」
だって、聞こえてしまった。下げられた頭の下から、哀しいほどに切実な彼女の願いが。
『あの子達を、死なせとうない』
その声を振り払うように、キラはがばりと上を見上げた。相変わらず通行量の多い橋だ。ぎしぎしうるさくていつも眠れやしないのだ。
「っだぁ、うっせぇえええええ!」
ああ、こいつが異世界の神様というのなら。俺の世界の神様はどこにいった!?
オレの平穏を返せ!