貴女と望むは永久と永遠
この世界が出来てから、長い長い時間が経った。
そのせいか、いろいろなものが不都合になり始めている。
人間にとって今、一番の問題は水だ。
地表の水は枯れかけて、水脈は地下深くまで掘り下げないと見つからない。
大国であれば、人力や知力を駆使して掘るだろうが、小国ではそうもいかなかった。
「本当に国宝の宝玉一つで、三百年もつ水脈を地上へ導いてもらえるのか?」
とある小国の謁見の間では、宰相が若い男女に念を押していた。
「ええ、必ず約束は守ります。成功したら宝玉をいただきます」
交渉役は男の方だ。女は一言も喋らない。
「国王陛下、ご決断を」
「……わかった。民の命には代えられない。
水が無事に出たら宝玉は差し上げよう」
「確かに承りました」
謁見の間にいる者たちはただ、水が現れるのを祈る気持ちだった。
しかし、中には物の道理が見えていない者もいる。
『水を掘り当てるだけで国宝を渡せ、だと?
ふざけた話だ。ふん、成功しても、あの男を始末すれば済むだろうに。
そうだな、宝玉を持って城を出たところを襲おう。
宝玉は俺のものになるし……あの、一緒に居る娘も身なりは悪いが可愛らしい顔をしてるじゃないか。
これは、楽しめそうだ』
そう心中で企むのは、宰相の護衛だ。
縁故で採用されたが、身持ちが悪く賭け事に目がない。
すっかり借金がかさみ、そろそろ宰相にバレそうだ。
宝玉を金に換え、堅苦しい王城から逃げ出すのもいい。
護衛が悪だくみをする目前では、水を呼ぶ儀式が始まっていた。
若者は目を瞑り、空中から水の気配を探るように両の手を揺らめかせ始めた。
しばらくすると手が止まり、開いた若者の目が一方向を見る。
すると娘が、そちらに向かって不思議な旋律で歌い始めた。
歌に聞こえるが、その言葉は誰にも理解できない。
ただ、その歌はどこか、乾いた大地に水を呼び込むような香りがした。
やがて歌が止むと、遠くで水柱が上がる。
水脈が、透き通った龍のように勢いよく地面から噴き出した。
国王は手を打って喜び、宰相は涙した。
感謝の言葉を受けながら、二人は約束通り宝玉を受け取り城門から荒野へと出て行った。
「その宝玉は、お前には不釣り合いだ」
人気が無くなると、後をつけていた件の護衛が刀を抜いた。
いきなり若者に切りかかったが振り下ろすことは出来ず、刀もろとも自身が弾き飛ばされてしまう。
空高く飛んでいく護衛を見ながら、娘が口を開く。
『龍の加護を受けた者に手を出そうなど、馬鹿にもほどがある』
「知らなかったんだから、しょうがない。少しばかりは気の毒だ」
『運が良ければ死なずに済もう』
ヒグマが襲い掛かってきても、跳ね返すような護りの加護だ。
人間などひとたまりもない。
若い娘は龍の化身だ。
この世界と共に生まれ、この世界を護って来た。
水を巡らせ、土を落ち着かせ、風を和らげる。
ここに生まれた命が、いたずらに失われぬように。
それでも、寿命というものは加護では護り切れない。
理を曲げることは出来ぬのだ。
『我の番は人の身。何度も死なれて、何度も生まれ変わる』
「いつも、待たせてごめんね」
『お前のせいではない。
それに、お前はいつだって我を見つけてくれる』
番を失っている間、龍は寂しさを紛らわすために、いろんな場所に潜伏していた。
山の中に引きこもっていた時も、大国の教会に聖女のふりで紛れ込んだ時も、後宮で皇帝をからかって遊んでいた時も。
成人して親元を離れたら、番の男は真っすぐに龍の元に駆け付けてきた。
「俺だって、寂しかったんだ」
『あれは、何故なんだろうな。
お前がみなしごになることは無かった。
もしも、親に捨てられるようなら、すぐに攫いに行ったのに。
どの親も、お前を慈しんだ』
番が生まれ変われば、すぐにわかる。
龍は、時々こっそりと覗きに行ったのだ。
「あれも、貴女の加護だ。
愛されるべき子供だと、貴女が祈ってくれた」
『人に委ねねばならんとは、不便なものだ』
そう言いながら、男が一つの人生を終える時、龍は祈ってくれるのだ。
幸福な来世を、と。
自分のところへ来いとは願わず、ただ番の魂の幸いだけを祈って送り出す。
「ああでも、この次は……」
『この次?』
「いや、何でもない」
『そうか。では、行こう』
男は銀色の龍に跨った。
いつもこうして、気ままに空を旅するのだ。
「空は気持ちがいい」
『ああ。そうだな』
この次は……その続きを男は考えていた。
次で千度目の生まれ変わりだ。
きっと次は人の身では生まれてこない。
龍だ。貴女の番に相応しい龍になって生まれる。
そうしたら、二人で飛ぼう。
時には、人の姿の貴女を乗せて飛ぼう。
そして、もう二度と、貴女を一人にしないと誓おう。
永久に永遠に、貴女と共に。
二人の出会いは偶然だ。
天涯孤独で旅をしていた男が、破落戸に絡まれていた女を助けた。
格好良く、叩きのめしたわけではない。
ただ一つ持っていた、親の形見の小さな宝玉を差し出した。
女は龍だった。
ひまつぶしに破落戸をからかってやったのだ、と言った。
だが男は知っていた。
破落戸は巣から落ちた雛を踏みつぶそうとしたのだ。
『自然に尽きる命なら構わないのだが』
破落戸の勝手で消える命には我慢がならなかった。
そこから二人はしばらく旅をし、山奥の小屋に落ち着いた。
女は男に龍の姿を見せなかった。
だが、ときどき昼寝の最中に、うっかり現れる銀の鱗で男は察した。
『お前があの時差し出した、小さな宝玉ほど美しいものは見つからないな』
国宝に比べれば、はるかに粗末な玉だった。
けれど、二人を繋げた大切な玉だ。
龍は特に、水と深い縁があるものだ。
枯れた土地にしがみついている人間を見て、戯れに水脈を導くこともあった。
ある時、居合わせた人間が礼として宝玉を差し出した。
それからは、気が向けば宝玉を持っていそうな人間に水脈探しを持ちかけてきた。
『お前が使え』
男は宝玉を足のつかない遠くの国で金に換え、貧しい者に少しずつ分け与える。
龍には、その行いがよくわからないが、男が満足ならそれでいい。
「家に帰ろう」
『ああ、帰ろう』
最初に二人で住んだ山の中の家は、今でも二人の住処だ。
放浪に飽きたら、家の周りで静かに過ごす。
木の下で転寝をする娘は、嬉しい夢を見ると尻尾を出してパタパタと振る。
哀しい夢を見ると、何かをギュッと抱きしめるようにして『行かないで』と泣く。
嬉しくても悲しくても、龍が夢を見ると雨が降る。
離れた畑にいても、雨が降れば男は娘の元に駆け付けた。
そして彼女を抱き締める。
すると、空には虹がかかるのだ。
少し心配なのは、男が龍に生まれ変わって会いに行く時だ。
彼女は、嬉しくて泣きだして、世界が大洪水に見舞われるかもしれない。
それを抑えるくらいの力のある龍に、生まれ変わらなければならない。
『お前の方が水脈を探すのが上手くなってしまった。
人間のくせに生意気だ』
龍は少し拗ねる。
そのくせ、まだ、男が人よりも龍に近づいていることに気付かない。
鈍い。それが、とても可愛い。
「貴女が水を呼ぶ歌が、俺はとても好きだ」
『好きでも聞かせてはやれない。無念だ』
所かまわず、水脈を刺激したら大変だ。
「空を映す銀の鱗も好きだ」
『それはいつでも見せてやれる』
「貴女が好きだ」
『……あんまり言うと、雨が降るぞ』
若い娘の姿のまま、銀の尻尾がパタパタ踊る。
もう一度だけ、あと少しだけ、一人にしてごめん。
男は番を抱き締める。
天気雨と虹が、今日も空を彩った。