3
この大陸は魔物の脅威に常に晒されている。各地のギルドに所属する冒険者達が魔物狩りをし、各国の軍隊である騎士団が魔物が湧き出る森を定期的に征伐を行っても、不意にどこからか湧き出る魔物被害は絶えなかった。
それなのに、大陸の中でこの国だけは、魔物が入れない結界が国をぐるりと取り巻いている。
不思議な事に人間が行き交うには何の支障もないのに、魔物だけが侵入できないのだ。たとえ鼠程度の大きさの小型魔物でもあっても、魔物と認識されると弾かれてしまう。
この国はその昔、今はない帝国から迫害されて逃げて来た魔術師達が作った国であるから、その魔術師達が帝国が送り込んで来る魔物から、自分達を守るために、作り上げた結界ではないかという噂はずっとある。
魔物が侵入できないこの国は、魔物被害とは無縁である。不意に魔物に襲われて命を落とす事は無いし、空からいきなり魔物に襲われて、建物を壊され、子供を攫われ、街を壊滅させられることもない。
そのため、自由のきく領民でない芸術家、建築家などが、こぞって移住して来た。建築家が腕を奮って美しい町並みを作り上げて、現在も当時そのままに残り、芸術家達が産み出した素晴らしい芸術を収めた美術館がいくつも建てられ、この国は芸術の都、観光国家としても栄えている
また、作物を荒らす魔物が出ないおかげで、害獣程度なら地方の騎士団で駆除ができて、農民達に余裕ができ、新しい耕作法が発達して、どの貴族の領地も豊かである。
そんなこの国を妬んで、近隣諸国は何度も結界の謎を探るために密偵を入れているが、はるか昔に魔術師達が張ったものとしかわからない。
そんな豊かで安全な国は、結界を誰が維持しているか知られないまま、強国になっていき、大陸の中ではかつての帝国に並ぶほどになった。
その国を統べるのは、この国を作った魔術師達の末の王族と貴族である。
長い間に国へ功績を挙げて、下位貴族になった男爵家や子爵家は沢山あるが、伯爵家以上は依然として、魔術師の末の者達しかなれない。
この国の貴族が王族ですら一夫一妻制なのは、魔術師になれるほどの魔力を持つ血統を保つためではないかと言われているが、法制化され明文化されているので、この制度はゆるぎはない。
法はいくらでも抜け道があると、妻以外夫以外の愛人を持つ者もいるが、正当な後継者として認められるのは、魔術庁でたしかに夫婦の子と魔術判定された子だけのため、子供の血筋を誤魔化す事はできない。
夫婦間で子供ができない事はよくある事だが、そう言う場合は各家で後継順位に定められたものを後継に迎える。その後継順位に名を連ねるには正統な夫婦間の子供として魔術庁で認められたものだけなのだ。
平民あるいは庶子が一代貴族がなった者が貴族と恋愛しても、正式な夫婦になれる事はなく、愛人になるしかない。また生まれた子供は最初から平民である。
これはこの国では常識である。それなのにミリアムには、その常識がなかった。と言うのもミリアムの父は女伯爵の入婿になるため遠路はるばると離れた国から来た貴族令息のため、その常識を全く分かっていなかった。入婿としての義務を果たしたミリアムの父親は、可愛げのない妻に飽きて、愛人を持ちミリアムを産ませたのだ。
ミリアムの母サリーは孤児院の前に捨てられた子供だった。
安全で豊かなこの国では、孤児院に入るのは、親を無くして引き取り手のない子供と、貴族と恋愛して子供を身籠ったのに捨てられた平民が困り果てて生み捨てるぐらいだった。
サリーは多分片親は貴族だろうと言う品のある可愛らしい容姿のおかげで、子供のいない夫婦が引き取ってくれた。成長するに連れて、美しく、異性を惹きつける身体付きに成長した。言い寄る男達も多かったが、遊びで近づく様な男達は寄せ付けずに、幼馴染の男と世帯をもつつもりで、毎日地道に市場で働いていた。
そんな日常が壊れたのは、引き取ってくれた両親が流行病に罹った時だ。流行病の特効薬は市場に出回ってるが、何しろ高価だ。二人分の薬を買うには、今まで幼馴染と世帯を持つために貯めていた金では到底足りない。両親は孤児院から引き取ってくれて、愛情を与えてくれた恩人だ。なんとしても助けたかった。
サリーは泣く泣く決心して、娼館に身を売る事にした。幼馴染は強く止めたが、幼馴染の男も大金など用意できない。両親に言えば反対されるので、黙って女衒のところに行った。
その娼館に女を買いに来ていたのが、フロイント女伯爵の夫だった。
フロイント女伯爵の夫は後継を作るために遠国から入婿に来た。妻が息子を産んだ頃にうるさい先代がやっと死んでくれた。やれやれやっと自由だと女遊びを始めた頃だった。娼館に通うより、こんな美人を囲った方がいいと女衒と交渉して手に入れた。
サリーも不特定多数に身を売るより、好きでもない男でも、身を任せるなら一人の方がいいと決心した。
支度金で両親の高価な特効薬を買えた。両親は命は助かったが、サリーが身売りしたことを後から知って嘆いていた。
サリーは愛人として、今までのこじんまりとしたアパートでなく、立派な一軒家を用意してもらった。また潤沢な愛人手当をもらい、両親に仕送りができた。ミリアムを産む頃はすっかり愛人としての生活に馴染んでいた。
それでもサリーはこの国の貴族の常識ついて知っているので、自分が産んだ子には平民として、市井で好きな人と結ばれて欲しいと思っていた。
だが、ミリアムの父親はある目的のためにミリアムを引き取ると言う。この国の一代貴族になった庶子の辛さはよく聞くことなので、サリーは反対して、ミリアムに父親について行かない様に言い聞かせた。
平民のままで好きな人と結婚した方がいいと。自分ができなかった夢でもある。