episode.03
リディオと知り合って半年が過ぎようとしていた。
冷酷無慈悲と噂の騎士様はソフィアの身を案じて、休みの日や仕事終わりにちょこちょこ差し入れをしてくれるようになった。
時には食事を一緒に摂ることもある。
そんな日々の中、ソフィアは繁忙期を迎えていた。
季節の変わり目、気温差で体調を崩しやすい上に、肌寒さを感じる事も多くなったこの頃。
流行り病が人々を襲う。
この時期に忙しいのはガルブで薬屋を営むソフィアに限った話では無いだろう。
同業者はみんな同じように大変な思いをしていると分かっていても、やはり自分が一番大変なのではないかと思ってしまうほど、次から次に人がやって来る。
「昨日は平気そうにしてたんだけど、朝起きたら熱が上がっていたんだ」
母親に抱えられた子供は頬を赤らめて季節に似合わず汗をかいている。
「飲み薬を出しますね。汗をたくさんかくので、水分補給はしっかりお願いします。あと食べ物はなるべく消化に良いものを」
「悪いねソフィさん」
「いえ、これが仕事ですから」
流行り風邪は子供とお年寄りに多い。免疫力が強い大人は症状を発症する事なくウイルスに打ち勝ってしまうからだ。
薬はちょっと苦くて子供には酷だろうけど、頑張って飲んでもらうしかない。
お大事に、と今日何人目かの子供を見送って、ようやく落ち着いた。
夜中に急患が来るかもしれないと思うと、その事が気がかりで、たとえ急患が無かったとしてもあまり深く眠れない。
先生が生きていた時も毎日忙しかったけど、それでも2人で分担して仕事が出来て、1人でやるのとは全然違った。
腕が良いと評判の先生が死んで、残されたソフィアはこのガルブの街と小さな薬屋を託された。
若い娘1人で務まるのかと噂されているのを聞いた事もあった。
それは自分でも感じていた。先生が残したものは、自分には荷が重過ぎるのではないかと。
先生が居ないのならと、わざわざ遠くの薬師を訪ねて行く人も増えた。
「……………」
疲れが心までをも蝕んでしまっている。嫌な事を思い出してしまった。
カランカランとベルが音を立てて来客を告げたのだが、目に滲んでいた涙を隠そうとソフィアは振り返る事なく、無駄に薬棚を開けたり閉めたりした。
「ちょっと待ってくださいね!これを片付けたらすぐに診ます」
「急がなくて良い。患者じゃない」
「!?」
その低くて落ち着きのある声に、ソフィアはハッとして思わず振り返ってしまった。
立っていたのは騎士服では無くラフな格好のリディオだったが、ソフィアを見て眉間に皺を寄せた。
「…何かあったのか?」
そう言われて再びハッとする。
「あ…えっと…目にゴミが入っちゃって」
慌てて背を向けたのだが、流石に苦しい言い訳だとは自分でも分かっていた。
タイミングの悪い時に来たなと思いつつ、患者さんにこんな姿を見せるわけにはいかないから、来たのがリディオで良かったとも思う。
リディオが持ってきた紙袋をカサッとカウンターに置く音を背中で感じながら、やはりソフィアは無意味に薬棚を開け閉めしていたのだが、背後からリディオの鍛えられた腕が回ってきて、動きも思考も、涙さえもピタリと止まった。
「!?」
「どうした?」
その声は今まで聞いた中で1番に優しい声色だった。心の内が言葉となって溢れ出る。
「…………私の先生は、凄くこの街の人々に信頼されていて、薬師としての腕も一人前で、何か体の不調があったらみんな迷わず先生を訪ねて来ていました。先生みたいになりたいけど…やっぱり難しくて………」
ソフィアを信頼してやってくる人は大勢いる。勿論分かっているし、その人達と先生の期待には応えなければならない。
だけどたまに、どうしようもなく疲れてしまう事がある。
それでも薬師を辞めて逃げ出す勇気も根性も無く、朝が来てまた薬師として働くのだ。
リディオは思わず抱き締めてしまったソフィアを解放すると、そのまま頭をポンポンと撫でた。
「俺は先生の事は良く知らないが、お前は良くやっている。」
「…そうでしょうか」
「俺は仕事の出来ない奴を甘やかしはしない。お前も知っているだろう、王宮騎士団には冷酷無慈悲な騎士がいると」
リディオは最年少で王宮騎士幹部に昇り詰めた優秀な騎士だ。才能もあっただろうが、その裏にどれほどの努力が隠されているのか、知る人は少ない。
まして騎士という職業に甘えは許されない。気の緩みはその命を奪いかねないからだ。
だからこそリディオは嫌われ役を買ってでも部下には厳しく接している。おかげで冷酷無慈悲な騎士様の出来上がりだ。
「俺は相手が誰であれ、自分が見たものを正当に評価する。お前は良くやっている」
ソフィアはぐっと奥歯を噛んだ。何かを考え込むようなその表情はリディオの発言を不服と思っているようにも見えるが、これは涙を堪えている顔である。
そんな顔を見てリディオはクスッと鼻で笑った。
「………何で笑うんですか」
「笑ったか?」
「笑ったじゃないですか!」
「さてな。腹は空いていないか?食事を持って来た」
絶対に笑った。ブサイクだと思って笑ったに違いないけど、見事にはぐらかされてしまった。
それもこれも、リディオが持って来た紙袋から香ばしい匂いが漂ってきているせいだ。
「………良い匂いがします」
「食え。腹が減っては何とやらと言うだろう?」
「一緒に食べて行きますよね?」
「ああ」
不思議なことに、ソフィアのマイナス思考はいつの間にかどこかへ吹き飛んでしまっていた。