第89話 ビフレスト防衛戦⑩
皇帝より神力の供給を受けたエリゴスは、再びフリーレに戦いを挑む。そしてエインヘリヤルVS先遣部隊の戦は終息を迎えるのだった。
神力を迸らせて、エリゴスはフリーレに挑みかかる。再び武器と武器がぶつかり合う音が響き、空気がざわつく。皇帝より神力の供給を受けたからであろう、エリゴスの身のこなしは先ほどまでに比べて格段に向上していた。ハルバードを手足の如くに振るい、フリーレを猛然と攻め続ける。
――しかし、これ以上経過についての詳細は割愛する。というのも戦いの成り行きから結末に至るまでほとんど変化がなかったからだ。フリーレは相変わらず時に人の如くに、時に獣の如くに動き、結局エリゴスはそれに対応しきることができなかった。同じようにして武器を弾かれ、同じようにして投げ飛ばされ、彼女は地べたに尻もちを着いた。再び苦悶の表情で虚空を見上げる。
「ハア、ハア……リドルディフィード様!お願いします、もっと神力の供給を……!」
【できんな】
エリゴスの頭の中に素っ気ない声が響いた。
「……リドルディフィード様?」
【お前も分かっていることだろうが、俺は常日頃から神力を浪費している身だ。ソロモン七十二柱をモチーフに軍団を創ると決めたはいいが、いかんせん将軍級が七十二体というのは多すぎたようだ。俺の神力のほとんどすべてが魔軍の維持に浪費されているのが現状だ。最近は立ち上がる度に立ち眩みもするしな】
「そ、それは、承知していることではございますが……」
【だからな、早々に敗退するような弱小者は将軍級であれ、ある程度は捨て置くこととしているのだ。お前は先ほど俺から神力の供給を受け、限界を越えて戦った。しかしそれでもまるで敵わなかったではないか。仮に敵も虫の息であり、勝利まであともう少しというのであれば話も変わってこよう。だが目の前の敵は、お前の眼にはそのように見えるか?】
エリゴスはフリーレに視線を移す。彼女は息一つ切らさず、大木のように悠然と屹立していた。肩で息をしているエリゴスとは大違いであった。
「……見えませんが、しかし奴はただの人間です。もう少し粘れば、敵も消耗し活路が見えてくるかもしれませ……」
【もうよい。さようならだ、エリゴス】
皇帝の口から絶望的な言葉が紡がれる。エリゴスの顔は青ざめた。
「……!リドルディフィード様、お待ちください!」
【お前はよく戦ってくれた。後の沙汰は敵の手に委ねるものとしよう】
それは無慈悲な戦力外通告以外の何物でもなかった。
やがてエリゴスは皇帝の声を聴くことができなくなった。先ほどまではありありと感じていた皇帝との神力の繋がりも、ぷっつりと途絶えてしまったように感じた。もはや立ち上がる気力もなかった。
エリゴスの顔色を見て、フリーレはすべてを悟る。
「どうやら、皇帝に見限られたようだな」
そして悠然と歩を進めると、地面にへたり込むエリゴスの喉元にグングニールの刃先を突き付けた。エリゴスは哀しみと悔しさを押し殺したようにしてフリーレを見上げる。
「くっ、殺せ……!」
「……見事だ」
フリーレは思わず彼女の最期を称賛していた。
「先ほどまでは生き残る為にもやれることは何でもやるべきだといったがな、それは勝敗が決するまでの話に他ならない。元来、敗者に権利など無い。すべての命を持続させてゆくことを前提としている人間社会の中でなら、命乞いにも意味はあるだろうが、生憎此処は戦場……命のやり取りをする場だ。あのデカラビアとかいう奴は見苦しくも命乞いなぞしてきたが、お前は自身の運命を受け入れ、殺せと言った。やはりお前は重ね重ね惜しい存在だ」
戦いの中で、フリーレは何故だか殊更にエリゴスの側に立つような発言をしていた。敵でありながら、死線を越えてみせろなどと鼓舞していたのがそうだ。フリーレには生きるということ、戦うということに対して長年の荒野生活で培った哲学というか矜持めいたものがあった。それが当てはまる存在など、自身の取り巻きを除いてそうそういないのだが、フリーレはエリゴスをどこか惜しいと感じていた。彼女のエリゴスに対する言動は、そこから生じた老婆心によるものに他ならない。
「エリゴスよ、これからお前は死ぬ。そして何者も時の流れを押し留めること能わず、お前が生きていた痕跡もこの世界から消えていくだろう……だが、私は死ぬまでお前を覚えていよう。お前は惜しい存在だった。お前の武勇は死にゆくその時まで忘れないとここに誓おう」
そう言ってフリーレは、さらにグングニールの刃を近づける。首筋に鋭利な刃の冷たさを感じる。
エリゴスは皇帝リドルディフィードによって生み出された存在であり、根底から人外である。生まれたその時分から単なる人間と比べれば圧倒的強者であった。上には上がいるため、自身の力に慢心したことはなかったが、死の恐怖というものを感じたことは今までなかった。死というもの自体、どこか軽視していた。
そんなエリゴスに、首筋から伝わる刃の冷たさが、なによりも死を感じさせた。頭の中が真っ白になっていく。壊れそうなほどに動悸が高まり、体の震えが止まらない。
(死ぬ……?私は、本当に死ぬ?このまま私は死んでしまうのか……?)
今まで感じたこともない得も言われぬ恐怖に、エリゴスは包まれていた。
フリーレは素早く腕を振り上げ、エリゴスの首を落とそうとする。グングニールの鈍く光る刃が、空を裂く音が聞こえようとしていた、その時であった。
「ではエリゴスよ、さよならだ……!」
「……ヒィッ!!!」
寸前で刃が止まる。
エリゴスは地べたにへたり込んだまま、頭を抱え体を丸めるようにして、悲痛な声で叫んでいた。
「……なんのつもりだ?」
フリーレの声音は殊更に冷淡であった。
「……だ、だって、死、死ぬって、本当に死んじゃうって思ったら、きゅ、急に怖くなってきて……体の力が抜けて……だから、だから……」
取り乱したような声で言っていた。体はぶるぶると震えていて、顔色は蒼白としていた。やがて、眼からは止め処なく涙が溢れ出し始め、エリゴスは声を上げて子供のように泣きじゃくり始めた。
「う、うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!!」
「…………」
フリーレの表情は失望を禁じ得ないようであった。彼女はグングニールを引くと、泣きじゃくるエリゴスを尻目にその場を後にし始める。
すれ違いざまに、ディルクが声を掛けた。
「お頭、いいんですか、アレ」
「……そうだな、適当に牢にでも放り込んでおけ」
フリーレはもういいとばかりに、実に素っ気なく言った。
「へ?殺さなくていいんですか?」
「あんなものに殺す価値があると思うのか?アレは戦士ではない、たまたま戦場に迷い込んだだけの迷い子だ」
フリーレは振り向きもせず、ただそう言ってその場を立ち去った。後に残るのは子供のような泣き声と、吹きすさぶ風の音だけだった。




