第85話 ビフレスト防衛戦⑥
フリーレがデカラビアを討伐した頃、北東戦線ではトール・ヘイムダルがキメリエスと、北西戦線ではバルドル・テュールがフルカスと対峙していた。
ビフレスト荒原北東部。
エインヘリヤル第一・第二部隊と、魔軍第17師団”先遣部隊”のキメリエス隊がこの地で衝突していた。敵勢はざっと五、六千。対するエインヘリヤルは千名ちょっとなのだから、戦力にはかなりの差があった。急な北上からの衝突なので、有利な陣形も取れていない。
普通では多大なる犠牲は避けられなかっただろう。だがエインヘリヤル第一部隊長トール、第二部隊長ヘイムダル……この二人は控えめに言っても普通ではない。幾多の戦いを乗り越えてきた歴戦の戦士であり、そして神器を使いこなせるのだから。
「さあ、みなさん!我らラグナレークの底力をみせてやりなさい!」
ヘイムダルは腰に下げていた歪な色の管楽器を手に取る。ヘイムダルの神器、ギャラルホルンである。彼は吹き口を当てると、高らかな音色を発して演奏を始めた。気分を高揚させるような旋律が周囲に響き渡る。
ラグナレーク兵たちはその演奏を聞いた途端、それまでのどこかおずおずとした物腰から一転して槍を振り回し烈しく攻め始める。キメリエス隊の獣人たちは驚きひるんだ。なんとか反撃しようとするも、躱すなり盾で防ぐなりでいなされてしまう。まるで達人の集団を相手にしているような気分だった。それに士気も異常に高まっているようだった。
「ウオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「何だこいつら!どいつもこいつも人間離れした動きをしやがる!」
これはヘイムダルの演奏目の一つで、”闘いの行進曲”と呼ばれる。味方の身体能力を向上させる効果があり、ついでに精神力も引き上げる効果がある(ちなみにラグナレーク兵はみな特製の腕輪を装着しており、これが敵味方を区別するための目印になっている)。
勢いづいたラグナレーク兵が、数で勝る獣人たちを圧倒してゆく。一介の兵士ですらベテランと遜色ない動きをするのだ、元々歴戦の戦士であるこの男の活躍にはなお目を見張るものがあった。
「どっせええええええい!」
トールが巨大な金属製の大槌、ミョルニルを敵兵の集団に向けて投擲する。放り投げられたミョルニルは勢いよく回転しつつ敵兵を鎧袖一触に薙ぎ払うと、ブーメランのように弧を描いてトールの元へと戻ってくる。彼は跳び上がってそれを受け止める。手には大きな革製の手袋がはめられている。トールがミョルニルを扱う時に使用している物で、これには腕力を向上させる効果があった。名をヤーレングレイプルといい、これもまた神器であった。
「おらおら!まだまだよ!」
トールは再度ミョルニルを投擲する。今度はより敵兵の数が多いところを狙ったので、先ほどよりも力を込めていた。ミョルニルが稲妻を迸らせながら、脅威を煽るような不穏な音を立てて迫ってゆく。逃げ出す暇もなく、敵兵は次々と飛んできた大槌に弾き飛ばされていった。
雑兵では歯が立たぬ、そう思ったか敵将キメリエスはずしずし歩を進めると、トールの前へと立ちはだかった。
「ブハハハハ、やるじゃねえか!流石はラグナレーク騎士団の団長サマだ。だが雑兵を蹴散らしていい気になるんじゃあねえぞ?俺は魔軍に七十二体しかいない将軍級だ。兵士級共とは格が違うぞ!」
鬣を靡かせた大男は背中の大剣を不気味な金属音とともに抜く。人間からしてみれば両手剣として扱うようなサイズだったが、キメリエスはそれを片手で持っていた。
トールもミョルニルを構える。一瞬の間の後、二人は互いに地を蹴って駆け出した。大剣と大槌が苛烈にぶつかり、大きな金属音が鳴り響いた。
(敵さんはなかなかの手練れだな……普通の兵士じゃ為す術もなくやられているだろう。だが俺だって手練れだ。それにコイツはあのフリーレほどのモンじゃない。動きに無駄がありすぎんぜ!)
トールは大槌をブンブンと振り回してキメリエスを攻める。負けじとキメリエスも大剣を振るい応戦する。初めはどこか膠着したところがあったが次第にトールが押していき、キメリエスは防戦一方になっていった。攻撃を防ぐのに手一杯で攻めに転じられないのだ。
(ちくしょう!味方の支援を受けているとはいえ、ただの人間がここまで強いとは!このままじゃ負けちまう……)
彼は一度後方に飛びのいて距離を取ると、すかさず周囲に向けて叫んだ。
「野郎ども、加勢しろ!コイツは手強い!流石はラグナレークの騎士団長サマといったところか!だが所詮はただの人間だ、体力も筋力も地力も俺たちの方が上のはず。集団で攻めて奴を疲弊させてやれ!」
キメリエスの要請を受けて獣人たちが続々と彼の元へと馳せ参じる。しかしトールは慌てるどころか、余裕の笑みすら浮かべてみせた。
「おうおう、一対多なら勝てると?甘えんだよ!まとめてぶっ潰してやらあ!」
トールはベルトのスイッチを押してから、ミョルニルを高く掲げた。みるみる内にミョルニルが巨大化していく。神器ミョルニルは消費する精神力に応じて、サイズを変化させられる特性があるのだ。
あまりにも巨大なサイズとなったミョルニルが落とす陰に、キメリエスたちは隠れてしまった。皆一様に血の気が引いたような顔をした。
「……!撤退!!撤退だぁ!!」
必死の形相で叫んでいる。
しかし体が動かない。身じろぎひとつできないのだ。
――奇妙な音が聞こえる。いつの間にかヘイムダルが近くまでやって来て、楽器を弾き鳴らしていた。彼が手にするギャラルホルンは今までの管楽器の形態からは打って変わって、弦楽器の形態へと変化していた。
「ギャラルホルン、”戦慄のロックンロール”」
「な、なんだこりゃ……」
「体が動かない……」
ヘイムダルは巧みな指使いで弦を弾き、激しい演奏を続ける。管楽器形態のギャラルホルンは味方(つまり腕輪をしている者が対象)に対して有利な効果を与えるが、弦楽器形態はその逆となる。つまり敵(腕輪をしていない者が対象)に対して不利な効果を与えるのだ。
戦慄のロックンロールは敵を恐怖状態にして脱力させ、体の自由を奪うというものだった。
キメリエスたちが撤退できずにいる内にトールの攻撃の準備が整う。彼は巨大化したミョルニルを両手で振り上げた状態のまま、高く跳躍した。
「へっ!腕力を強化する神器ヤーレングレイプルに、脚力を強化する神器メギンギョルズ、そしてヘイムダルの”闘いの行進曲”での身体能力向上……こんだけありゃあ、ここまでデカくしたミョルニルだって振り回せるってモンさ!」
トールは力任せに巨大なミョルニルを振り下ろすと、キメリエスをその周囲の部下ごと一斉に叩き潰してしまった。地が揺らぐ感覚と共に、耳を覆うような轟音が辺りに響いた。
荒原にはまるで巨大隕石でも墜落したかのようなクレーターが出来上がっていた。キメリエスたちはその中で、まるで手のひらで潰された蚊のようにひしゃげて死んでいた。
「……やれやれ、相も変わらずド派手な戦いぶりですね」
ヘイムダルは演奏を止め、どこか嘆息交じりに独り言ちた。
◇
一方、荒原の北西部では第三・第四部隊と、フルカス隊が激戦を繰り広げていた。こちらもまた戦力差が大きく、傷つき倒れ果てたラグナレーク兵も多い。だがそれでも相当に健闘していた。
第三部隊長バルドル、第四部隊長テュール、この二人の神器もまた集団戦に強い性能をしていたからだ。
バルドルは神器ミストルティンの”弓矢"の形態で、敵を遠方から狙撃してゆく。弓どころか矢もミストルティンの種から生まれ出づるのだ。彼の精神力が尽きぬ限り無尽蔵であった。それに要所要所で敵勢の前方地面に目掛けて矢を放つ。この矢には蔦の生えかけた種がまとわりついていて、地面に打ち込まれた瞬間に急成長して周囲の敵兵にからみつく。伸びた蔦からは花が咲き、そこから更に種がばらまかれて際限なく増え続けてゆく(バルドルの精神力がもつ限りという制約はあるが)。ミストルティン、”繁殖”の形態である。
対してテュールも負けていない。彼は大振りのチェーンクロス型神器、グレイプニルを豪快に振るう。ヒュンヒュンとしなる鎖が敵兵を一網打尽にしてゆく。ただ闇雲に振るうわけではない。逃げ惑う敵兵がなるべく一ケ所に固まるように、まるで追い込み漁のように誘導して仕留めてゆく。その大柄な外見に似合わず、かなり知的な戦い方をしていた。
数で劣っているラグナレーク勢の予想外の奮戦ぶりに、ついに敵将フルカスが前へと躍り出る。
「フルルル!やるな、人間ども。正直甘く見ていたヨ。全力で屠ってやる!」
「御託はいい、さっさとかかって来い」
バルドルが素っ気なく言った。
鎧に身を纏い大槍を振り回す青い大トカゲが、バルドルとテュールに迫る。二人は槍の攻撃を躱しながら、距離を取る。その際にバルドルは、さりげなく種を一つ地面に向けて投げ落とした。体勢を整えてから、バルドルはテュールに目配せをする。言葉など無しに、テュールは意図を汲み取ったかのように頷いた。
やがて今度はグレイプニルを振るい、テュールが攻勢に転ずる。しかしフルカスはテュールの攻撃をすべて躱していく。鎧を着ているにも関わらずかなり敏捷な動きで、カチャカチャとした金属音と鎖が地面を抉る音がしばらく響いた。
「フルルル!当たんねーよ、そんなノロマな攻撃はなァ!」
「いいぞテュール、ナイスだ。やはりお前は頼りになる」
攻撃をすべて躱されて、何故奴らはいい気になっている?
フルカスがそう思った瞬間に、突如地面から蔦が飛び出して彼を拘束した。あまりにも素早く飛び出して来たものだから、さしものフルカスもこれを躱すことができなかった。それに拘束力も異常に強く、どれだけ暴れようとしても身じろぎひとつできずにいた。
「ミストルティン、”罠"の形態だ。敏捷性と拘束力はピカイチだが、対象に接触しないと発動しない。ナイスアシストだった、テュール」
「へへ、お安い御用よ」
(くそ、あのデカブツただ闇雲に攻撃していたワケじゃなかった!罠を張った場所に誘導するように攻撃していたんだ!思ったよりも技巧派だった!)
フルカスの顔が焦りに歪む。
バルドルはミストルティンの弓に、矢をあてがうと狙いを定めた。
「……!待て、待ってくれ……!」
「待たん」
バルドルはただそれだけ言うと、フルカスの額を矢で射抜いた。おびただしい血を流して大トカゲは蔦に拘束された状態のまま絶命した。




