第84話 ビフレスト防衛戦⑤
南の戦線ではデカラビアと名乗る巨大な怪物が現れる。たやすく兵を殺戮してみせた怪物の攻撃も、フリーレには児戯に等しかった。
敵勢が容易に視認できるほどに接近するといよいよ攻防が始まった。高台に陣取る第五・第六部隊の兵は野砲を立て続けに打ち始める。火薬が弾ける音が響く。砲だけでは手数が足りないので弓矢による攻撃も加えていく。
敵兵は盾を構えつつ、熾烈な遠距離攻撃にも立ち向かって来る。目論見では敵は散開してゆくはずだった。しかし決して隊列を乱すことなく前進し続ける。
「どういうことだ?被害を軽減する為に散開するかと思ったが」
フレイがそう言うやいなや、突如不気味な音が聞こえた。彼らが居る断崖の下の方から、ズドン、ズドン、と響くような音がする。フレイもフレイヤも兵たちも、最初その音の正体がよく分からなかった。次第に音が大きくなっていくことで、彼らは巨大な何かが近づいて来ていることを察知した。
「……!何か這い上がって来るぞ!」
断崖をよじ登り姿を現したそれは、巨大な黒いヒトデのような出で立ちであった。中心部から五芒星を象るように先細っていき、先端に五本の触手のような突起がうねうねと蠢いている。中心部には深い紫苑色のコアがある。その星の形をした巨大な怪物は、人間の背丈の何倍もあった。
「……!……!」
「あっ……!あっ……!」
兵たちが恐怖にすくんでいる。圧倒的な巨躯を誇る怪物が現れたのだから無理もなかった。やがてそのヒトデのような怪物は、くねらせていた触手をしならせると、眼前の兵士たちをことごとく打ち払うように弾き飛ばしてしまった。その威力たるや即死か、かろうじて生きていても岩に打ち付けられたり、高く跳ね飛ばされた上で地面に衝突したりして、皆こと切れてしまった。
フレイが背負っていた剣を抜く。フレイヤも剣を抜いて臨戦態勢を取った。
ヒトデは、音でなく、直接頭に響くような思念を発して喋り始める。
【カカカ!俺様ハ偉大ナルリドルディフィード様ノ魔軍、第17師団”先遣部隊”デカラビア様ダ!脆弱デ矮小ナ人間共メ、オ前タチノ血ヲ晒シテクレヨウ!】
(デカラビア……!俺には神器が無く、フレイヤも万全では無い。こんな化け物と戦えるか?)
フレイの顔を冷や汗が伝う。
立ち向かうべきか?脱兎のごとく逃げ出すべきか?ところが、背後から頼もしい声が聞こえる。
「心配するな、フレイ、フレイヤ。私が戦う」
「フリーレ!」
巨大な戦槍グングニールを携えて、フリーレはデカラビアの前に立ちはだかった。
「私一人で問題ない!兵たちよ、退け!フレイとフレイヤも迫り来る軍勢の方の対処に回れ!」
フレイとフレイヤ、残る第五・第六部隊の兵たちも一目散にその場から離れた。入れ替わりにディルクたちがやって来る。
「お頭!俺たちも助太刀しますぜ」
「いい、必要無い」
「勝手に戦いまさぁ。お頭も勝手に戦っててくだせぇ」
「そうか、好きにするがいい」
九人の取り巻きは、各々槍や戦斧を構えた。
やがてデカラビアが再び触手をしならせた。五本の触手はめちゃくちゃに動き、フリーレたちを薙ぎ払おうとする。ディルクたちはそれを躱したり、武器で防いでなんとか致命傷を回避するので精一杯だった。
ただ一人、フリーレだけがこなれた身のこなしで触手を躱すと、デカラビアの中心部をグングニールの穂先で切り払った。怪物が悲鳴を上げてよろめく。
触手がフリーレを集中的に狙い始める。しかし結果は変わらない。フリーレはひどい手傷を負うこともなく、ただひたすらにデカラビアばかりが負傷していった。
【ゼハア、ゼハア……ナンダオ前ハ?コンナ強イ人間イルハズガ……】
「もういい。お前と戦っていて、お前のことは大体分かった」
フリーレはどこか失望をにじませた声で言った。
【何……?】
「戦いとは生き残ることこそが目的だ。そして生物とは元来、生きることを目的とした存在だ。すなわち戦いの場ではその生物の本性が立ちどころに露わになる。戦いを通せば、そいつがどういう奴か自然と分かってくるというものだ」
そう言うとフリーレは、一旦攻撃を止めた。そして先ほどよりずっと失望の色の強い口調になった。
「……お前、弱い者虐めしかしたことがないだろう?」
【アア?】
デカラビアの不快そうな声が響く。
「その圧倒的な巨体だ。たいていの生物相手なら一方的に蹂躙できるだろう。そして、それしかしてこなかったな?」
【テメエラ人間ガ弱ッチイノガ悪インダローガ!】
デカラビアの触手が再び唸りフリーレを薙ぎ払おうとするが、彼女はそれもあっさり躱すと再びコアを切り裂いた。
【グアアアア!】
「私は果てしなき荒野で生きる為、必死で戦ってきた。自分より強い者が相手でも命を賭して戦ってきた。いや、そうせざるを得なかったのだ。幾多の死線を越えてきた私に……一方的な蹂躙しか知らぬお前が勝てるわけがないだろう!」
グングニールをブンブン振り回すと、フリーレは飛び掛かってデカラビアに更なる強烈な斬撃を浴びせる。その奮戦ぶりにディルクたち取り巻き勢も、自分たちに出る幕は無いことを理解して後方に引き下がり始めた。
もう勝負は着くかと思われた。しかしデカラビアはその巨体を震わせると、五本の触手を一斉に後方に伸ばした。中心部のコアだけを前に突き出したような恰好になる。そして伸ばした触手を、紐を紡いで縄を編むように引き絞ると、突き出たコアがぱっくりと上下に開いて、牙を剥いた蛇のような出で立ちに変貌した。
【調子ニ乗ルンジャネーゾ!脆弱デ、矮小ナ、人間風情ガアアア!】
蛇を思わせる外見となったデカラビアは俊敏に蠢き、かつてコアであった牙を光らせてフリーレに襲い掛かる。しかしどうにも彼女に決定打を与えられないまま戦いは推移してゆく。
「ほう、動きが機敏になり、多少はマシになったな」
【フカシテンジャアネーゾ!】
またもや食らいつかんとする。しかしフリーレは体を捻って、最小限の動きでそれを躱すと、その勢いのままデカラビアの胴を切り裂いた。紫色の血のような液体を噴出して苦しむ。
【グアアアア!】
「……児戯だな」
何度繰り返しても結末は変わらなかった。フリーレは攻撃のことごとくをいなし、傷つくのはデカラビアばかりであった。
デカラビアは消耗しきったのか、やがて縄のようにまとめていた触手を解き、元のヒトデのような姿へと戻る。ヒトデの外見なので顔は無く、故に表情もないのだがすっかり戦意を喪失しているかのように見えた。
【分カッタヨ、オ前ガ強イノハ分カッタ!降参スルヨ、ダカラモウ止メテクレ……】
「……お前は何を言っているんだ?」
フリーレの表情は明らかに不快そうであった。
【何ッテ……】
「まさかとは思うが、もう戦う気は無いから命は助けてくれと、そう言っているのではあるまいな?」
フリーレはじろりと睨みを利かせる。デカラビアは下等生物と侮っていた人間を相手に、初めて身のすくような思いがした。
「お前は既にこちらの兵士を何人も殺している。そして仮に、彼らが泣こうが喚こうが聞く耳を持たずに殺しただろう。だが私はそれについて、憤りや哀しみこそ感じても、別にお前がおかしなことをしているとは思わない」
【……】
「ここは戦場、命のやり取りをする場であるからだ。お前もそれを分かっているから、兵たちを殺してみせたのだろう?そこからどんな理屈を立てれば、今のお前が見逃してもらえる道理が成り立つのだ?私にも分かるように説明してみろ」
【ソ、ソレハ……】
デカラビアが口ごもる(口など無いが)。この目の前の人間は、実力でも言い合いでも敵いそうな相手には思えなかった。
「自分が劣勢になった途端、今まで自らが用いていた理屈を翻すな。そんな自分勝手は私が許さん。第一戦いの勝利とは生き残ることであり、敗北とはその逆、すなわち死だ。お前は死ななくてはならないんだよ、デカラビア。私に勝利をもたらすために……」
フリーレは悠然とデカラビアに近づいていくと、何度も何度も斬りかかる。デカラビアは後退しつつ、触手を滅茶苦茶に振り回して抵抗を試みるが、すべてが詮無きことであった。その姿は、力の無い子供が追い詰められ、為す術もなく虐待されているようなイメージを彷彿とさせた。
【止メテ……モウ、止メテクレ……】
フリーレは聞く耳を持たなかった。そして彼女はグングニールの刃に稲妻を迸らせると、地を蹴って跳び上がり、デカラビアのその巨体を盛大にぶった斬ってしまった。




