第83話 ビフレスト防衛戦④
エインヘリヤルはビフレストの北西、北東、南でそれぞれ敵軍との対峙を果たす。皆それぞれの想いを抱き戦いに臨んでいく。
荒原の南東に展開していた第一・第二部隊と、南西に展開していた第三・第四部隊はそれぞれ北上を始めた。馬に物資を牽引させて一日がかりでの大移動であった。悪路を無理に通ってショートカットもできないので、敵軍の虚を突く布陣を今から敷くことも難しく、開けた場所で会敵する恰好となった。
明くる日の昼頃。荒原北東部。先頭を往くのはトールとヘイムダル。
ヘイムダルは遠眼鏡で前方を見やりながら言う。
「敵軍が見えてきましたね。頭数はざっと五、六千ほどでしょうか」
「俺らの五倍はあるな」
「まあ、こちらは既に虚を突かれている状態です。布陣が計算されたものではありませんし、頭数も大差で負けています。多少の犠牲は覚悟せねばならないでしょう」
「何を今更だ。敵に数で負けているなんて最初から分かっていたことさ。だがその程度で諦めるようなヤワな奴はエインヘリヤルにはいない。それに俺たち隊長勢が、足りない分を補うだけ頑張ればいい」
当初は遠距離攻撃から敵の散開を促し、三方向から各個包囲や挟撃を狙っていくはずだった。しかし現時点では、真正面からぶつかり合う以外に手段がない。
野砲は第五・第六・第七部隊が陣取っている高台に集中させており、遠距離攻撃手段としては弓矢やライフルぐらいのものだ。だがきっとそれだけでは決め手に欠ける。結局は盾と槍を構えての白兵戦に成り果てるだろう。そして、それは決して少なくない数の犠牲者が出るということだ。
それでも今更退く選択肢など無い。奴らを追い返さねばビフレストは再び戦禍に見舞われる。
トールは馬上から振り返る。そして後続する第一・第二部隊の兵たちに向かって叫んだ。
「お前ら、ここからが正念場だ!世界最強の軍団がなんだってんだ!俺たちはいくつもの戦を乗り越えてきた歴戦のエインヘリヤル!その底力を見せてやろうぜ!」
ウオオオオオオオオオオオオオオ!!!
兵たちの雄々しい鬨の声が辺り一帯に轟いた。
けたたましい鬨の声を、遠くからキメリエスと獣人たちが聞いている。
「来やがったか、ラグナレークの兵ども……!ちいとばかし予定は狂っちまったが関係ねえ!お前たち!脆弱で矮小な人間どもを皆殺しにしてしまえ!」
こちらでもまた、やかましいほどのウォークライが響くのであった。
◇
荒原北西部でも似たような状況になりつつあった。
ビフレストは基本的には荒れ地が広がる土地であったが、北部から西部にかけては河が流れている関係上植物も多く繁茂している。地面の土色が見えない程に丈の低い草が生い茂り、樹木もまばらに生えていた。土塊が辺り一面に露出していて、樹木も乏しかった南部から東部にかけてとはかなり異なった様相を呈している。
その為北上の際、第三・第四部隊は何度か渡河の苦労に見舞われた。底の浅い瀬であれば無理にでも進んでいくのだが、深い淵ではそれも難しかった。本来そういう場合は即席に橋を架けて渡るものだが、それをするだけの時間がない。なんとか渡れそうなポイントを見つけて、多少急流でも無理矢理に進んでいくしかなかった。
部隊がなんとか荒原北西部に到達する頃には、兵たちはかなり疲弊していた。幸い途中で流される兵や馬が出ることはなかったが、しばしの休息を迫られる。部隊は林から幾許か離れた開けた場所で腰を下ろして一休みをする。既に日は落ちている。上着に包まり、兵たちは仮眠を取り始める。敵勢と会敵しつつある状況下で炊事をするわけにいかないので、兵たちは乾いた携行食糧や缶詰を食べている。バルドルとテュールも岩に腰掛け、固パンを齧っている。
そんな折に、フギンとムニンが夜の闇に紛れてやって来た。部隊の全員に情報が伝達される。
「そうか、ここから更に北西の方角……そこに敵軍がいるのだな」
バルドルが呟く。
敵軍の目的はあくまでビフレスト市街地の破壊と支配であると思われるので、エインヘリヤルと戦うために動いているわけではないだろう。だから単純に北上したところで自動的に会敵できるかといえばそうとは限らず、敵の位置を事前に把握し最低限の移動距離でそこに向かって行く必要があった。フギンは自身の見た情報も発信できるので、索敵にうってつけの存在だった(誰かが伝えた情報を伝達するだけではないのだ)。
「距離的にも会敵するのは明日になりそうだな」とテュールが応え、「みんな、明日には敵軍勢との戦闘が始まるだろう。今のうちに少しでも英気を養っておいてくれ」とバルドルが周囲を見渡しながら穏やかに言った。
そして翌日の昼頃には、第三・第四部隊は荒原北西部で敵軍との遭遇を果たす。敵軍の頭数はこちらも五、六千ほどはありそうだった。
「ちっ!分かっちゃいたが、すげえ数だな!」
「俺たちが少しでも敵の数を減らしていくしかない。覚悟を決めるぞ、テュール」
敵兵はみなトカゲのような体つきをしており、肌も青っぽい鱗のようであった。その上に人間の兵士と同じような鎧を身に着け、槍と盾を構えている。先頭には巨大な青ざめた馬に乗る、同じように青ざめた肌のオオトカゲがいた。とりわけ豪華な鎧に身を包んでおり、敵の将であることが伝わって来る。オオトカゲは凶悪そうな顔をさらに歪ませる。
「フルルル!身の程を知らない人間どもめ。わざわざこのフルカス様に殺されに来るなんてな!お前たち!偉大なるリドルディフィード様に奴らの躯を献上して差し上げるのだ!」
フルカスに続いて、続々とトカゲたちは大声で叫び始めた。
◇
同じ頃、第五・第六・第七部隊の高台でも敵勢力と戦闘状態になりつつあった。見晴らしの良い場所であった為、朝方には迫り来る軍勢の影が遠方に見えていた。備えていた南方向から馬鹿正直に攻めて来るのだから、ハンパな戦力ではないだろうことは予知していた。それでも実際に現れた軍勢を目の当たりにして、思わず皆一様に息を飲んだ。
「なんだ、あの数、とんでもないな……」
「数千どころじゃねえぞ、数万って規模の軍勢だ」
遠くを見やりながらグスタフとルードゥが、敵兵の数に驚きを隠せずにいる。高台に陣取るエインヘリヤルは、せいぜい千名余り。あまりにも戦力には差があった。
「遠距離攻撃でできるだけ敵の頭数を減らして……そいで散開させて……できるだけ包囲や挟撃に持ち込んでいって……作戦通りに動けば多少は戦えるか?位置取りはこっちの方が有利なはずだし」
「ルードゥ」
グスタフが口を開く。いつに無く真剣な様子であった。
「絶対に、絶対に生きて帰ろうな」
「……なんだよ、ガラにもない顔しやがって」
「俺はこんなナリだから、怖がられたり敬遠されたりで、誰かと仲良くなることができなかったんだ。だから荒れちまって、暴力沙汰の毎日……札付きの悪だった」
「まあ、フェグリナ親衛隊なんてそんな奴らばっかだったしな。俺もゴロツキだったしよォ」
敵兵迫る緊張の中、二人の空気はどこかしんみりとしていた。
「でもルードゥは俺を怖がることも邪険にすることもなく接してくれたよな。俺はすげえ嬉しかったんだぜ」
「はっ、俺そういう陰険な奴じゃないんだわ」
「周りはルードゥのことを無礼な奴、思いやりに欠ける奴と言うけれども、それって誰にでも分け隔てなく接することができる……そんな人柄の裏返しだと思うんだ。俺は結構、お前のそういうところに救われてるんだぜ」
「へっ、そうかよ」
ルードゥはやや顔を背けながら、満更でもなさそうに笑った。
二人は踵を返す。武器の支度に戻るのだ。
皆を守る為……そして何より自分たちが生き残る為に。
「ディルクやアベルたちだって、ならず者だと冷ややかな目で見る奴も多いけど、仲良くなってみるとすげえイイ奴らだった。なんで社会に爪弾きにされていたのかが分からないほどに」
「結局、環境が大切なのかもな。俺らだって騎士団員になるまでは相当荒れてたと思うが、今じゃ随分と丸くなっちまったと思わねえか?」
「そうだな。俺は守りたい、俺たちを受け入れてくれたこの場所を……」
「やってやろうぜ、グスタフ。あの生意気なアレクサンドロスにクズの底力を見せてやる……!」
また別のところでは、フリーレの取り巻きたちが迫り来る敵勢を眺めている。将らしき姿はまだ見えないが、刻々と近づいてくる敵の姿に一同は思わず身を固くする。
アレクサンドロス大帝国が擁する世界最強の軍団――魔軍。戦の神アレースの力で生み出された怪物の軍勢であるという話は聞いていたが、やはり単なる伝聞と実際に目にするのとではその脅威は比較にならない。迫り来る敵兵は赤黒い肌で体のところどころに体毛が有り、山羊のような角を生やしている。典型的な悪魔の姿だった。
「凄え数だな……」
「この戦力差はさすがにヤバくねえか?」
ラルフとユルゲンが不安を口にする。
「なあに、心配要らねえ!お頭ならこう言うだろうよ。一人百人倒せば何とかなると」
ディルクが周りを鼓舞する。
「無茶苦茶な」とケヴィンが呆れるも、
「俺たちはその無茶苦茶をしながら生きてきたんだ」とアベル。
「やってやろうぜ、お頭の言う通りさ。いつも通りのことをするだけだぁ」
「俺たちならず者にもともと明日なんてなかった。ところが今じゃどうだ、勝てば金と栄誉が手に入る!俺たちはなんて恵まれているんだ!」
アルブレヒトとドレイクが息巻く。
「や、やるぞ、やるぞ、やるぞ!」
「……サミー、深呼吸」
ぶるぶる震えながらも気合いを見せるサミーの背を、ジンナルがそっと撫でるのだった。
「ついに来てしまったな」
「ええ、やはりとてつもない数の軍勢です」
フレイとフレイヤが言葉を交わす。傍らにはフリーレの姿もある。
「フリーレ、僕には現状神器が無い。他の隊長勢のような活躍はできないだろう」
「私も、一日休めたので多少はマシになりましたが、まだ昨日の地割れで消耗した精神力が完全には戻っていません。ブリーシンガメンの力も多少は使えるでしょうが、八面六臂の活躍は難しいかと……」
「心配するな」
フリーレが言う。やはり彼女の声音と佇まいは、普段のそれとなんら変わらない、揺るがぬ強さと頼もしさを湛えていた。
「無理や無茶なぞ、今までいくらでもあった。だが私はこうして今を生きている。一見、絶体絶命に見える状況にも活路はあるものだ。糸のようにか細い道筋かもしれない。だが生憎、私はしぶとく諦めも悪いのでな」
フリーレは準備の為に踵を返す。振り向きざまに二人に言った。
「嫌と言っても必ずや取って来てやろう。他でもない、我らの勝利をな」




