第79話 レメゲトン
アレクサンドロス大帝国の帝都にレメゲトン第15師団”偵察部隊”が帰還する。ついに世界最強の魔軍がラグナレーク王国を征圧するため動き出す。
アレクサンドロス大帝国は元来マッカドニア王国という王制国家である。しかし現在は国号が改められており、それとともに統治者の居所も変更されている。かつてはマッカドニア王国領内、つまり現マッカドニア州内にある都市テルステアの王城が居所であったが今では単なる行政官の仕事場に変わっており、現在はマッカドニア州より南東に位置するザイーブ州カウバルに居城を構えている(その為テルステアが旧都と呼ばれるのに対して、カウバルは帝都と称される)。
カウバル城は白い石レンガ製の西洋風建築で、最上階には玉座の間があった。ここはその名の通り段状になった造りの上に玉座が設えられており、背後には紅い天幕が垂れ下がっている。特筆すべきはそのくらいであり、石レンガで形成された壁には窓もなく、玉座の前には異様に広いスペースが確保されている。
この玉座の間は、皇帝が配下を集めて指示を出したり報告を聞くために利用する場であった(皇帝の居室は別に存在していて、背後の天幕の内側に扉がある)。
皇帝リドルディフィードは玉座に腰掛け、右腕で頬杖を突きながら、左手で赤ワインを満たしたグラスを揺らしている。傍らには小型の卓が用意されていて、生ハムのような食肉加工品が並べられていた。
――彼は報告を聞くために配下の者が戻って来るのを待っているのだ。
やがて玉座の間の大扉が開き、三人の小柄な人影が入ってきた。その内二人はトコトコと軽快な足取りで、最後の一人はゆったりとした歩調で玉座の間に入る。初めの二人は片方が少年の恰好で、もう片方はひらひらのスカートを身に着けた少女の出で立ちをしていた。少年の方は黒い羽根を、少女の方は白い羽根を背中から生やしている。最後の一人も少年らしい恰好だが、胸に蝶ネクタイを付けていてかなりキッチリとした印象であった。羽は深い紫色。
「リドルディフィード様!」
「戻って来たよ!」
初めの二人が元気よく帰りを告げた。
「ハルファス、マルファス。よくぞ戻って来た」
リドルディフィードが満足げに笑みを浮かべて言う。
「……リドルディフィード様、第15師団”偵察部隊”、ただ今任務より帰還いたしました」
最後に入って来た少年が、落ち着いた丁寧な声音と所作で伝えた。
「うむ、ラウムもご苦労であったな。改めて報告を聞こうか」
「はい、ラグナレーク王国の新領地ビフレストの偵察および敵戦力の調査を完了致しました。マルファスの”地勢を把握する”能力で調査したビフレストの地形データは、既に主様の脳内に遠隔思念で送ってはおりますが、のちほど地図としても成形致します。また、ご指示通りにハルファスの”ゲート”をビフレスト市街地から北西と北東の荒原に設置しております」
「フハハ!みごとだ。敵戦力の分析はストラスの仕事であったな、奴はどうしている?」
「ストラスは後ほどお見えになられるかと思います」
ラウムの報告が一段落すると、黒い羽根ハルファスが皇帝にじゃれつく。
「リドルディフィード様、僕頑張ったよ!褒めて!褒めて!」
「フハハ!よーしよしよしよしよし、たいしたやつだ、ハルファス、お前は!」
皇帝は過剰なほどにハルファスの頭を撫でるのだった。ハルファスは喜びに悶えるかのように身じろぎした。そして皇帝は、白い羽根マルファスの方を見る。
「どうした?マルファスよ。お前はこっちに来ないのか?」
「……リドルディフィード様」
マルファスは駆け寄ろうとしない。何故だか股間辺りを抑えてもじもじとしている。
「……やっぱりおかしいよ、これ」
「何がおかしいのだ?」
皇帝が問う。どこか白々しくあった。
「……だって、どうしてボクだけ女の子の恰好なの?ハルファスとラウムはちゃんと男の子の恰好なのに」
マルファスは自身の服をつまむようにしてみせた。ひらひらの白を基調としたスカートを履いている。丈は膝より上でやや短く、胸元にはフリルと紅いリボンがあしらわれている。髪はやや長く、フリルの着いた紅いヘッドドレスを付けている。
「マルファスよ、嫌か?」
「嫌っていうか……恥ずかしいよ、やっぱり」
マルファスの顔は羞恥の為に紅潮していた。
「マルファスよ、”男の娘”には大別して二種有る。自分の可愛さを理解していて、嬉々として女子の恰好をするタイプと、心はしっかり男の子であり女子の恰好をするのに抵抗感と羞恥心があるにも関わらず何らかの理由で仕方なくそうしているタイプ……俺は圧倒的後者派だ。そう!つまり、お前は素晴らしいのだ、マルファスよ!」
「……素晴らしいの?ボクが?」
「ああ、そうだとも!いいか、”背徳感”こそ最高の興奮材料だ!そしてそれにはまず、『これはそのようにするものである』だとか『これはそうするべきではない』といった決まり事のような前提条件がなくては成立しないのだ。本来あるべき形から外れる、それこそが背徳感の発生条件なのだからな!」
皇帝はワケの分からぬことを声高に力説していた。ハルファスは相変わらず顔をくしゃくしゃにほころばせたままにじゃれついており、ラウムは両手を背の方で組んで目を閉じたまま突っ立っていて、さして話を聞いていないようであった。
「だからなマルファスよ、お前の感覚は正しい。男は普通そんな恰好はしないからな。とても恥ずかしいだろう?だが、それがいい!それこそが尊いのだ!世間ではジェンダーフリーだのなんだのと言って、男女間の性差を無くそうなどという気運があったりもするが、俺は声を大にして言いたい!なんでもかんでもオールオッケーで認められてしまう世の中では、背徳感が生まれぬではないかと!」
「やっぱりリドルディフィード様も、ボクの恰好おかしいと思ってたんだ……」
マルファスは赤面したまま少し涙目になる。
「ああ、おかしいさ!だが言っただろう!だからこそ良いのだ!であるからこそ尊いのだ!マルファスよ、何度でも言うぞ、お前は最高だ!」
「で、でも、やっぱり恥ずかしいよ、下着だって女の子のだし……」
「ほう?」
リドルディフィードの顔が醜悪ににやける。
「下着が女物だと何が困るのだ?」
「だって、そ、その……はみ出ちゃうし……」小声で言う。
「ほう?ほう?」
皇帝の顔はさらに邪悪さを増した。
「一体、何がはみ出るというのだ?マルファスよ」
「それは……リドルディフィード様の意地悪……」またしても小声でボソッと言う。
「マルファスよ、スカートをたくし上げて見せてみろ」
「ええ!い、嫌だよぅ!」
「マルファスよ、これは命令だ……!」
◇
マルファスは顔を真っ赤にしながら、スカートを胸の辺りまでたくし上げて、その中を皇帝陛下に見物させていた。皇帝はそれを興味深げにじろじろと見ている。
「ほう、ほう、なるほどなぁ……フハハ、これではもじもじするのも頷けるというものだ」
悦に浸る皇帝を余所に、ハルファスはいつの間にかラウムの隣りまで戻って来ている。
「ねえねえラウム、リドルディフィード様は何をしているの?」
「リドルディフィード様の悪ふざけをいちいち理解する必要なんてないよ、ハルファス」
ラウムは目を閉じたまま、やや嘆息するように言うのだった。
そうしている内に再び大扉が開いた。執事然とした黒い衣装に身を包み、髭をたくわえた老齢の男がきっちりとした仕草でやって来る。背中からは茶色っぽい翼を生やしている。
入って来た男の姿を見て、マルファスは慌ててスカートを戻して引き下がった。
男は皇帝の前まで辿り着くと跪き、平伏の姿勢を取った。
「第15師団”偵察部隊”師団長ストラス、主様の御前にただ今帰還致しました」
渋みのある声色だった。
「ご苦労であったな、ストラス。報告は既に遠隔思念で聞いていることではあるが、改めて聞こうか」
「はい、ラグナレーク王国の戦闘部隊”国防軍事局”について調査をして参りました。彼らが拠点としているビフレストは我々アレクサンドロスの北にありますので、彼らはほとんど南に重点を置いて軍備を進めておりました。敵勢力はざっと三千名弱。我らがリドルディフィード様が創られし軍団――魔軍は百万を超える大軍勢ですので、戦力差は歴然のことでございましょう」
「フハハ、まあ、そんなものだろう」
グラスを傾けながら言う。
「とはいえ、我らが領地は今や広大。国境周辺の警備や内政の都合もあるので、一度に多くの部隊を動かせるわけではありませんし、なによりエインヘリヤルの隊長格はみな神器を所有しているようでした」
「神器か。まあラグナレークという名前や国の位置からして、おそらく北欧神話がモチーフの国であろうからな。神器が多いのも当然というわけか」
「隊長格は七人と少数ですがみな神器持ち。加えて一人は新入りのようですが、残る六人はかの神聖ミハイル帝国を相手に五年間戦い続けた実績があります。つまり今のラグナレークは少数とはいえ、長年の戦禍を生き残った精鋭たちなのです。油断はされない方がよろしいかと」
「当然だ、最大限の力を込めて蹂躙するとも」
得意げに笑う。
「そして、これも既に報告していることではございますが、エインヘリヤルに紛れ込んで諸々調査をしていた折に、例えば神器のいくつかをくすねてくるだとか、食料の備蓄を汚損してくるだとか、そのようなこともするように仰せつかっておりましたが、あいにく断念しております」
「聞いている。何度か気取られそうになったとか」
「はい、私の能力は”周囲の認識を歪めて紛れる”ことですが、一人やたらと感覚の鋭敏な者がございました。先ほど申し上げた七人の隊長格の一人で、フリーレという新入りの女でした。金色の髪で鋭い眼光をし、歴戦の戦士と遜色の無い風格を湛えておりました」
「ふむ、やはり隊長格ともなると油断はできないか」
「おそらく私の存在をはっきり認識したわけではないでしょうが、何度か違和感を感じて周囲を見渡しているような、そのような素振りをみせることがありました。これ以上踏み込むことはまずいと判断し、必要最低限の調査を済ませて帰還した次第でございます」
「フハハ、お前がそう言うならば間違いあるまい。お前の慎重な判断を称賛するぞ、ストラス」
ストラスは平伏の姿勢から引き下がりつつ、「お褒めに与り光栄です」と言った。
リドルディフィードは玉座に座った状態から、偵察部隊の四人の前に向き直る。四人は皇帝の指示を聞く態勢をとる。
「敵戦力は大方把握したが、まあまずやることは変わりあるまい」
「となると、第17師団”先遣部隊”をまずは送り込む予定で?」
ストラスが問う。
「そうだな。先遣部隊は魔軍の中でもあまり強い部隊ではないが、とはいえただの人間によって構成された軍にとっては脅威であることは間違いないだろう。ハルファス、お前に設置してもらった”ゲート”は大丈夫そうか?」
「うん、バッチリだよ!」
ハルファスは元気のよい声で答えた。
「ではストラスよ、一週間後には派兵を行う。先遣部隊の面々には、それまでに準備を完了させるように伝えておけ」
「承知致しました」
「お前たち偵察部隊の一部も先遣部隊と連携して赴くこととなろう。それについては”索敵”の能力を持つラウム、お前が適任となるだろう」
「はい、準備をしつつ英気を養っておきます」
「フハハ、それでよい。ラグナレークの阿呆どもめ、敵が南からだけ来ると思ったら大間違いだ!」
以上を以て、偵察部隊の報告は一区切りついたようであった。皇帝がさがってよいと伝えると、四人はその場を後にしようとする。去り際に皇帝が語り掛ける。
「お前たち偵察部隊なくして俺の覇道は実現し得ない。お前たちの働きさえあれば、この大陸がアレクサンドロスの名の下にひれ伏すことも夢ではないだろう。さらなる貢献を期待しているぞ!」
「リドルディフィード様、前々から疑問ではありましたが、我らが国号”アレクサンドロス”とはどのような意味なのでしょう?」
ストラスが何のけなしに、興味本位に問うたふうであった。
「うむ、そうだな……かつて歴史上初めて、世界レベルで大遠征をし、世界を繋げた男がいた。その偉業にあやかってのことだ」
「過去にそのような人物が……」
「その名を冠しながら、ソロモン七十二柱をモチーフとした軍団を従えているのだからな、我ながら洒落が効いている」
ワインを傾けながら妖しくほくそ笑む。彼は思い描いているのだ。自らが作り上げた軍団でこの大陸を一つにまとめ上げ、唯一無二の統治者として君臨する……そんな未来を。
「だがその英雄も世界全体の統一までは成し遂げていない。ローマも元も、大英帝国にソビエトだって世界全体の統一にまでは至っていない。俺は成し遂げてみせるぞ、この世界で。俺はこのユクイラト大陸の完全制覇を成し遂げ、大陸の覇者として君臨するのだ……!」




