第76話 浴場での語らい
ようやく兵舎が出来上がり、兵士たちは入浴して疲れた体を労わる。そこにフリーレが一糸まとわぬ姿で現れたことで場は騒然とする。
エインヘリヤルが復興活動を始めてから半月以上が経過した。
まだまだ街の大部分は壊滅状態のままだが、いくらか修繕の終わったものがあった。一つは南の大門、もう一つは兵舎や厩舎といった寝泊りに必要な建屋であった。
兵舎は部隊毎に分けているが、フリーレ率いる第七部隊が現在百名にも満たないのに対して、他六部隊はそれぞれ五百名近く在籍している(それに本国で常に新兵を募集している状況なので他部隊は人員が微増傾向にある)。そのため兵舎を一部隊につき少なくともニ、三棟は建てる必要があった(まだ使えそうな建物を居抜きしつつ兵舎として使用しているので半月ほどで設えられたが、一から巨大な兵舎を設計するというわけにはいかず、同じ部隊でもいくつかの兵舎に分かたれる形となった)。第七部隊については兵舎は一つで充分だった。
修繕を済ませたものは他にもある。インフラの要とも言える水道だ。兵舎には急造ではあるが巨大な浴槽も備え付けていたので、日々の作業で疲れた兵士たちはその日の仕事が終わると、みな我先にと入浴へと向かっていった(風呂を炊く当番も各部隊で決めている)。
第七部隊の兵舎でも、男たちが脱衣所で汚れた服を脱ぎ散らかすと、浴場へと足を踏み入れていく。部隊の全員が一度に入れるわけではないが、それでもできるだけ多くの人が一度に入れるように、脱衣所も浴場もかなり広いスペースを取っていた。現在浴場に姿があるのはフリーレの取り巻きであるディルク、アベル、アルブレヒト、ケヴィン、ドレイク、サミー、ジンナル、ラルフ、ユルゲンの九人に、その他の部隊員が若干名。或る者は浴槽の湯船に気持ちよさそうに浸かり、或る者は浴場の隅に腰掛けて汚れた体を洗っていた。また、浴場には元フェグリナ親衛隊幹部のルードゥとグスタフの姿もあった。
「ふぅ、やっぱ風呂は生き返るなあ」
「ああ、そうだな」
茶色い癖毛で中肉中背の男、ルードゥが湯の中で心地よさげにしている。三メートル近くはあろうスキンヘッドの巨漢、グスタフは体を洗い終えると、自分も湯に浸かろうとルードゥの近くに向かって行く。
「おい!お前は最後に浸かりやがれ!湯が溢れてなくなっちまうだろ」
「そりゃ冗談きついぜ、いつまで待てばいいんだよ」
グスタフはお構い無しに湯船に入り込む。案の定大量の湯が流出してしまったが、浴槽自体が巨大である為かたいした問題ではなかった。
「ああ、気持ちいいな……久しぶりだ」
「兵舎建てて、水道復旧させるまでは体を拭くのが関の山だったからな」
「ツィシェンド陛下は今頃、アレクサンドロス大帝国に着いているのかな?」
「そうだな。皇帝リドルディフィードとの会談……友好条約を結び、戦争を回避するのが目的らしいが、グスタフはどう思うよ?」
「……やっぱり難しいんじゃないか?ルードゥは上手くいくと思うか?」
「ちー-っとも思わん。戦争大好き国家だゼ、相手は」
二人が湯に浸かって、あれこれ話していると浴場の扉が開くのを聞いた。二人はとくに気を向けることなどしなかったが、湯船に浸かっていたディルクが発した言葉に驚いた。
「あっ!お頭、こっちですぜ!」
ぎょっとして扉の方を見る。なんとフリーレが一糸まとわぬ姿で浴場に現れていたのだ(浴場だから当然ではあるが)。
「ハアアアアアアアアアアアアアアア!?」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
ルードゥはキレ気味に、グスタフは興奮気味に各々叫んだ。
フリーレは裸のまま、恥部を隠す素振りなど一切見せず、表を歩くのと変わらない悠然とした足取りで浴槽に向かう。しかし利口にも、彼女はかつてラヴィアに注意されたことを思い出した。
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「ストップ!ストーップ!」
「何だ」
「フリーレさん、湯船に入る前に体と髪をしっかり洗って綺麗にしてください。汚れを落としてから入るんです」
「そういうものなのか?」
「そういうものなんです!」
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「そういえば汗と土とですっかり体が汚れてしまっているからな。洗って綺麗にしてから浸かるとしよう」
実はフリーレは、あのミズガルズの街での人生初の入浴以降、まったく風呂に入っていなかったわけではない。ビフレストに向けて出発するまでアースガルズに滞在していた頃も定期的に入浴はしており、すっかり日頃から当たり前にする文化として受け入れていた。ディルクたちに関してはフリーレのような根っからの野生児ではなく、元々は人間社会の中で暮らしていたので、当然入浴という文化は知っている。
フリーレは慣れたように石鹸を濡らして泡立てると、柔らかい毛のブラシで体を洗い始めた。そんなフリーレの後ろ姿をルードゥとグスタフはどぎまぎしながら眺めていた。
グスタフはフリーレに惚れてしまっているので、彼女の裸体が煽情的に見えるのは仕方がない。一方ルードゥについてだが、彼はフリーレのことをそもそも女として見ていなかった。見てくれは確かに整っている方だとは思うが、物騒な雰囲気を醸しているし、おまけにグスタフほどの巨漢をたやすく蹴散らしてしまうような女だ。それに騎士団長トールとの戦いにおいて、獣のような戦いぶりも見せている。ルードゥにしてみれば、フリーレという人物は一応生物学的には雌なのであろうくらいの認識でしかなく、彼女に女性としての魅力を感じたことなぞこれっぽっちもなかった。
しかしこうして実際に裸体を見てしまうとどうだろう。ならず者らしく肌は日に焼け、古傷も目立ち、全体的に筋肉が付いている。だがそれでも全体的なシルエットは女性らしい曲線美を保っており、力強さの裏にも確かなしなやかさが感じられた。
フリーレは体の次に髪を洗い、泡を流し終えると、立ち上がり浴槽に向かう。ディルクたち取り巻き勢以外の者は、みな思わずフリーレの裸体に目を奪われてしまった。彼女はそれを意に介さず、ゆったりとした歩調でディルクたちの居る方へと歩を進める。浴槽に脚を入れ、ルードゥとグスタフを横切ろうとした際、二人は彼女の慎ましやかな乳房とすっきりとした下腹部を目にしてしまう。ルードゥは気まずくなって顔を赤らめ背ける。グスタフは興奮のあまり湯船に倒れるように突っ伏してしまった。その倒れる音に、フリーレは振り返った。
「どうした?お前たち」
「いやっ、どうしたじゃねえよ!なに平然と男連中が入浴している中に入って来てるんだよ、アンタ!」
ルードゥは声を上げるが、フリーレは何が問題なのかを理解できていない顔をした。構わずディルクたちの元までたどり着くと、彼らの輪に加わるようにして湯に浸かり始めた。
「ふう、やはり慣れると気持ちのいいものだな」
「お頭もすっかり入浴というものに慣れ親しんだようですね」
「俺らもならず者に成り下がってから、入浴なんてとんとご無沙汰だったからなあ」
「騎士団に入って、アースガルズで三年ぶりの入浴ができた時はやっぱ嬉しかったよなあ」
フリーレと取り巻き勢は和気藹々に言葉を交わす。ディルクたちは誰一人としてフリーレの裸体を気にも留めていない様子だった。
「……お前ら、よくも平然としていられるな」
ルードゥが呆れた声で言う。
「おめえらが気にしすぎなんだよ」
「慣れりゃあ、不思議となんも感じなくなるもんよ」
「荒野でならず者として暮らしていた頃だって、河で一緒に体を洗ったりしていたんだからよ」
「なんかの拍子に裸が見えちまうなんて、もはや日常のことだったしな」
「おめえらもその内きっと慣れる。賭けてもイイゼ」
「み、みんなで一緒に湯に浸かる方が家族みたいで、オイラは良いと思うなあ」
「……サミーに同意」
「よく見ろ、スケベで有名なユルゲンですら欲情しちゃあいねえぜ」
「お頭はもはや女どうこうじゃあなく、お頭だからなあ」
取り巻きたちはみなフリーレの裸にはすっかり慣れてしまっているようだった。当のフリーレも異性に裸を見られることを気にしている素振りがまるで無く、壁に背を預けてすっかりリラックスしていた。
ルードゥは取り巻き連中のあまりの平静さに、思わず勢いをなくしかけたが、負けじと抗議の言葉を続ける。
「……いや、お前らが良くても俺らが落ち着かねえんだヨ!それにそこの野蛮人には、風呂は男女で分かれているのが普通だって教えてやらねえと、この先絶対苦労するぜ!」
「……風呂は男と女で分かれているのが普通なのか?」
「まあ一応はそうですね」
ディルクがフリーレの問いに答える。
言われてみれば、ミズガルズの街で初めて入浴をした時、入り口が男女で分かれていたような気がするし、自分が入った方には女しかいなかったような気がする。フリーレはそんなことに今更になって気が付くほどに、彼女にとっては些末なことであった。
「まあ、人間社会の中では風呂を男女で分けるのが普通だということは理解した。しかし何故わざわざ分けるのだ?」
「何故かって?ここに分かりやすい例がいるだろう!こういう風になる奴が出ないようにする為だ!」
ルードゥは自分の左隣りを向く。そこには興奮のあまり失神して湯に浮かぶグスタフの姿があった。湯に突っ伏したまま背中を見せて浮かんでおり、こころなしか彼の周囲の湯が赤く変色していた。
「……あれはどういう状況なんだ?」
「お頭、グスタフはお頭のことが好きみたいなんで、たぶん興奮して倒れちまったんじゃあないかと」
「何故興奮などするのだ?戦いとは縁遠い、心安らぐ場であるというのに」
「興奮というか、換言すれば発情ですね、まあ」
ディルクたちがフリーレの裸体を見慣れてしまっているように、フリーレもまた彼らの裸体を見慣れている。日常的に男の裸体が視界に入るものだから、フリーレには風呂を男女で分けることの意義をいまいち理解しきれないでいた。
性欲とか、そういう概念を知らないわけではない。ただ彼女は今までずっとディルクたちと寝食を共にしてきたし、彼らと出会う前でも誰かと共に生活していた時期はそのようにしていた。生活の場であえて男女を分け隔てる積極的な意義を見出せないのだ。
「で、ルードゥよ。つまり私には皆が居ない時に、独りで風呂に入れと言っているのか?」
「まあ独りが嫌なら、第六部隊の兵舎に行きゃいいだろうが。あそこは隊長も隊員もみんな女性なんだからな」
エインヘリヤル総勢三千名余りのうち、女性はフレイヤ率いる第六部隊にまとめられている。そう、フリーレは第六部隊に属さない現状唯一の女性なのだ。
「嫌だ」
「は?」
「私は第七部隊の隊長だ。第六部隊の人間ではない。それに飯も風呂も共に過ごすからこそ一体感が生まれてくるのではないのか?私はディルクたちだけではない、お前たちとも親睦を深めていきたいと思っている。下らないことを言っていないで、もっと近くに来い。グスタフもだ。そこで突っ立ているお前たちも来い」
浴場内でフリーレの裸体にどぎまぎしていた隊員たちは、おそるおそる浴槽内に入って行く。ルードゥもやがて観念したように彼らの輪に加わった。この隊長殿はどれだけ言っても、たやすく自分の考えを曲げたりなどしないであろう。それにフリーレの言うことにも一理あるかもしれないと思った。
湯に浸かりながら楽しそうに語るフリーレと取り巻き連中を見る。
(まあ、こいつらは今までこうやって、どんな時でも一緒の時間を過ごしてきたんだろうな。そんな強い絆があったからこそ、仲間が女王フェグリナの手に堕ちた時もためらいなく助けに参じた。俺には、ここまでの絆を誰かと持つことなど今まであっただろうか?)
ルードゥは、社会に本来居場所の無いはずのならず者が、自分が一度も手にしたことがないような魅惑的なものを持っていることに気が付き、どこか憧憬めいた念を抱いた。




