第70話 アースガルズ襲撃のその後
マグナ不在のアースガルズからは三種の神器が逸失した。そのことが裏世界最強の神ドゥーマの耳に入るが……
マグナさんがフランチャイカ王国で革命騒動に加担している折、アースガルズは神の能力を持つ者の襲撃を受けました。弓と狼を操る男、熱と光を操る男、記憶を操る女……狙いは城の宝物庫に保管されている三種の神器だったようです。マグナさんの眷属、レイシオ・デシデンダイが駆け付けたことで人的被害も物的被害も一切ありませんでした。しかし城にはどさくさに紛れて盗賊団が忍び込んでいたようで、宝物庫中の宝物をごっそり持っていかれてしまいます。
そして私、ラヴィア・クローヴィアは今、どことも知れぬ場所でガラの悪い輩に囲まれています……
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ユクイラト大陸北方の大国、神聖ミハイル帝国の聖都ピエロービカ。
時節はマグナとマルローが、罪と罰の神ネメシスを打倒した翌日のことである。
ピエロービカの地下には、秘密組織”裏世界”のアジトが存在している。その会議室には裏世界の正式メンバーであるナンバーズが集結していた(No.4リピアーはフランチャイカ王国でのアヤメ・カミサキの調査のため不在。N0.5トリエネ、No.7アーツ、No.15スラはまだ任務先から帰還していなかったので不在。No.10バジュラも別行動中のため不在。No.14レイザーはそもそも姿を現したことがない)。
全員集結というわけではなかったが、裏世界の面々は皆どこか落ち着きのない様子で巨大な会議卓を囲んでいた。椅子に深く座り目を瞑っているNo.1バズ、顎先を撫でながら肘をついているNo.2ムファラド、思慮深げに机の上で両腕を組んでいるNo.3マルクス、のんきそうにヴァレニエの添えられた紅茶を嗜んでいるNo.9グラスト。彼らは会議室の入り口近くに座しており、会議卓最奥の一辺(そこはとある人物の指定席のようなものである)の近くにはアースガルズを襲撃した二人……No.11グレーデンとNo.12カルロがそれはもうひどく狼狽した様子で座っていた。
乱暴に扉が開く音がすると、ズカズカと黒いドレスの女が不機嫌そうに立ち入ってきた。グレーデンやカルロと共にアースガルズを襲撃した女、No.13ミアネイラである。
カルロもミアネイラも、余りにも苛烈に殴られたので顔面がボコボコに変形してしまっていたが、すっかり元通りになっている。リピアーの”死から遠ざかる力”を保存しているピッグマリオンの秘石が、アジトにはいくらかストックされておりそれを用いたのだった。
ミアネイラは歩きつつ、誰も座っていない椅子を見つけると、それを乱暴に蹴り飛ばした。皆の視線が彼女に集まるが、ミアネイラは構わず同じ椅子を何度も何度も執拗に蹴り続ける。
「くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!」
「落ち着け、ミアネイラ」
グレーデンが宥めるものの聞く耳を持たず、しばらくしてようやく彼女の椅子への加虐は終わった。はあはあと息を切らし、恨みに満ちた声で怨嗟の言葉を吐き始める。
「くそがっ、正義の神の眷属……!私をあんな目に合わせやがって!絶対に許さない!いつの日か私に楯突いたことを後悔させてやる!徹底的に苛め抜いて縊り殺してやる……!」
「……それがお前にできるのか?ミアネイラ」
裏世界の長老勢の一人、バズが厳かな声で言った。ミアネイラは彼を一瞥しただけで何も答えなかった。
再び扉が開かれる。
裏世界のブレーンにしてNo.8、アリーアが会議室に入って来る。緊迫感をはらんだ声で言う。
「皆さんお静かに、ミアネイラも席についてください……ドゥーマが来ました」
アリーアはそう言うと、会議卓最奥の一辺まで足を運び、着席はせずに傍らに控え続ける。そして濃紺色のボサボサの髪に黒いスーツを着込んだ人相の悪い女性が、ひどく不愉快そうな表情でやって来た。会議室内の空気が一気に緊張感に包まれた。
◇
裏世界最強の神、No.6ドゥーマは会議卓最奥の一辺まで足を運ぶと静かに着席した。そしてグレーデン、カルロ、ミアネイラの三人にジトッとした視線を送る。
「……で?まず、あんたがたの言い訳を聞こうかしらぁ」
「待ってくれ!ドゥーマ!」
グレーデンが声を上げる。
「仕方のないことだったんだ。正義の神が眷属を持っていたことは、アリーアもスラも把握していないことだった。眷属との戦闘は想定していなかったし、それに強さも尋常なものではなかった」
「だから?」
ドゥーマの声には殺気がこもっている。グレーデンは背筋がぞくぞくする思いがした。
「神の能力者が三人がかりで襲撃しているのよぉ?あんたらどんだけ不甲斐ないわけ?」
「……お言葉ですが、ドゥーマ。私も”眼”を通して様子を見ていましたが、正義の神の眷属はかなり強力なものでした。おそらくラグナレーク王国を救済することで得た神力のほとんどを眷属に費やしている。当の本人はあまり強くない、むしろ以前より弱体化している可能性すらあります。彼は自身が強くなることよりも、救済した国の防衛こそ重視したのです。生半可な戦力では落とせないかと」
アリーアの弁を聞き、ドゥーマは溜息を吐きつつ背もたれに体を預ける。
「まあ正直なところ、アースガルズの壊滅自体はどうだっていいわぁ。何より重要なのは三種の神器の奪取であったはず。”アタナシア”に至る手掛かりになるであろうはずのね。正義の神の眷属が強大なのはいいとして、それを早急に察知し、三種の神器だけでも奪ってトンズラこく判断もできたはず。アンタらはどうしてそんなことすらもできないわけ?」
「それは確かに、もう少し早く判断できたかもしれない……」
グレーデンはひどくしょぼくれた声で言った。
「アンタらに汚名返上の機会をあげるわぁ。今度こそ、確実に三種の神器を奪取してきなさい」
「……ドゥーマ、それについて、ひとつ追加情報が」
アリーアが眼鏡を直しながら、ひどく言いづらそうに話を続ける。
「その、申し上げにくいのですが……グレーデンたちのアースガルズ襲撃の際、盗賊団が騒ぎに乗じて潜入していたようでして、彼らがミアネイラが空けた王城宝物庫内の宝を根こそぎ持って行ってしまったようなのです」
ドゥーマは信じられないといった驚きの眼でアリーアを、そしてグレーデンら能無しどもを睨みつけるように見据えた。グレーデンは気が気でない面持ちで冷や汗をかき、カルロとミアネイラはびくっと肩を震わせる。
「つまり、三種の神器がアースガルズから逸失したってこと?」
「……そのようです」
「現在の在処は?」
「……調査中です」
「その盗賊団の名前や出所は?」
「……調査中です」
本来自分が手にするはずだった三種の神器。それがこの手になく、しかも逸失していて在所不明。その事実はドゥーマを激昂させるのに充分だった。
会議室の床が不穏に震えたのを感じた。
グレーデン、カルロ、ミアネイラは獰猛な肉食獣を前にした小動物のようにぶるぶる震えている。アリーアもやや取り乱しながら叫ぶ。
「ドゥーマ!お止めください!」
直後、盛大に床が持ち上がったかと思うと大量の土砂が舞い上がり、逃げようとしたグレーデン、カルロ、ミアネイラの肉体を拘束するようにまとわりついた。土砂はすさまじい力で彼らの肉体を圧迫する。三人の絶叫が会議室中に響き渡る。
(相変わらず桁違いの力だな)
(暴虐という言葉を具現化したような奴だ)
(リピアーはドゥーマを”意思を持った災害”と評したが、言い得て妙だねえ)
裏世界の長老勢はみな神妙な面持ちで、目の前で繰り広げられる惨劇を見ていた。その強烈な圧迫はグレーデンたちの肉体をあっという間に大出血させ、損壊させていく。叫び声がこだまする中で、室内は赤い血に染められていった。それでもぎりぎり死なないところで止めておく必要がある。リピアーの”死から遠ざかる力”はどんな負傷でも治すが、死んでしまった者の蘇生まではできない。
「ドゥーマ、それ以上続けると死んでしまいます!もうお止めください!」
「ちっ!分かったわよぉ」
やがて宙を蠢いていた土砂が、急に力を失いガラガラと床へと散らばる。生きたままミンチになりかけた三人は血を吹き出しながら、床にべちゃっと墜落した。三人ともとっくに意識を喪失していた。
「アリーア、こいつらが目覚めたら言っておきなさい。次にしくじったら、今度はもっと苦しい目に合わせてやると」
「承知しました」
「それと三種の神器の現在の在処を早急に調査しなさい」
「承知しました」
ドゥーマは崩壊した会議室をそのままに、乱暴な足取りで出ていった。アリーアは急ぎ、グレーデンたちを救済するために、ピッグマリオンの秘石を懐から取り出した(こうなることは正直想定していたので、あらかじめ用意していたのだった)。
◇
ラグナレーク王国、王都アースガルズ。
ヴァルハラ城の中央尖塔は未だ倒壊したままであり、建設作業員が忙しなく出入りを続けている。
国王ラグナル十四世ことツィシェンド・ラグナルは、城五階に臨時に設けた王の居室にて執務机に向かっていた。思案気に物思いに耽っている。
(早急に宝物庫の宝を奪った盗賊団を補足しなければなるまい。奪われた宝の中には三種の神器も含まれているのだから)
ツィシェンドの手には簡素だが優美さを感じさせる丸い鏡がある。三種の神器の一つ、八咫鏡である。
(賊や神の能力者が再び襲来するのを警戒して、表向きは三種の神器がすべて奪われたことにしている。だが八咫鏡だけは奪われずに相変わらずここに有る。それもそうだ、こいつは別用で宝物庫から持ち出していたのだからな……)
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宝物庫の中でツィシェンドは安置された八咫鏡を見ている。
「しかし美しい神器だ。草薙剣も八尺瓊勾玉も恐ろしく美麗な神器だったが、この八咫鏡もなかなかのものだ」
正直、最愛の姉に成り済ましていたあの偽者が用いていた神器なので、あまり素直に感動することはできない。しかしそれでも、思わず見入ってしまう程に三種の神器はどれも美しかった。
「……そういえば、この八咫鏡は取り込んだ生物の姿を記憶し、映した者をその姿に変身させられると、たしかあの偽者はそう言っていたな。っ…………!」
この時、彼に天啓が舞い降りた。
夜半、ツィシェンドは城に仕えるメイド長を居室に呼んだ。
少しとうのたった美しい女性が丁寧な所作で室内へと入る。
彼女はツィシェンドが幼い頃から彼の面倒を見てくれた人物であり、彼はメイド長を心から慕っていた(ツィシェンドが幼い頃はまだメイド長ではなく、使用人の一人に過ぎなかった。十年前、フェグリナの偽者による圧政開始以来、ツィシェンドは十年間彼女とは離れ離れであった。十年越しに再開した際に、ツィシェンドは彼女をメイド長に指名したのだ)。
そんな第二の姉とも言える人物を居室に呼びよせ、ツィシェンドは何をたくらんでいるのか?
「ツィシェンド様?どのようなご入用でしょうか」
「カミラ、これから起きることはお前を信用してのものだ。これからのことは他言無用で頼む」
ツィシェンドは真剣な面持ちで言う。カミラは話がつかめず、何が何やらといった表情だ。
「ツィシェンド様、その、お話が見えないのですが……」
「何も言わず、この鏡を覗き込んでくれ。一度抱いてしまったこの思い、悪魔の囁きに抗いきれぬこの俺をどうか許してほしい」
カミラは事情が分からぬまま、彼の持つ鏡を覗き込む。ツィシェンドは鏡の裏に有るスイッチのようなものを押す。鏡がパアッと輝いたかと思うと、カミラの姿が変化していた。
少し緑色の混じった白色の髪、それはツィシェンドの髪色と同じ。長い髪が優雅に揺れ、肌は白く透き通り、瞳は優しさと慈しみに満ちている。それはまさしく本物の、生前の評判通りのフェグリナ・ラグナルの姿であった。
「これは……フェグリナ様?私の姿が、フェグリナ様に変わっているのでしょうか?」
カミラは驚きながらも、変化した自分の姿に見惚れていた。圧政を開始するまでフェグリナは非常に民の評判の良い王女であった。その理由がありありと感じられる出で立ちであった。
ふと横を見ると、ツィシェンドが感動に涙を流しながらぷるぷると震え、普段の凛々しさとはかけ離れた声で言う。
「ああ、姉さん……!姉さんだ……!本当に、本当に姉さんだ……!」
「……陛下!?」
無論、本物のフェグリナ・ラグナルは十年前に殺されているので、この世に居るはずがない。しかし最愛の姉に匹敵するほどに心を許していた女性が、最愛の姉の姿になっている。彼の傷つき凍てついた心を歓喜に振るわせるほどに、それは蠱惑的な情景であったのだ。
ツィシェンドは、最愛の姉の姿となったメイド長に飛びついた。
「陛下、お戯れを……」
「姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん……!」
嗚呼、陛下もこの十年間さぞや辛かったのであろう。
このことは誰にも言うまい、そして陛下の心の癒しとなろう。
メイド長は、弟をあやす姉のような慈愛に満ちた所作で、彼の頭を撫でるのだった。
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(八咫鏡だけが宝物庫から持ち出されており、盗まれずに済んだ理由……あのようなこと言えるはずがない……!)
ツィシェンドはあの日の出来事を思い出し、赤面しつつ机に向かい直すのであった。




