第68話 まろび出でて、零れ落ちる想い
革命は達成され王政は崩壊、暫定政府が樹立される。しかし身分制度の廃止、自由と平等の実現は未来を輝かせはしなかった。
――こうしてフランチャイカ王国を取り巻く革命騒動は終結した。
国王は退位となり王政は崩壊、代わりにレボリュシオンの幹部を主体とした暫定政府が作られることとなった。リベルテ、エガリテ、フラトルニテの三拠点のリーダーたちが今後の国政の舵を取り、徐々に共和制へと移行してゆく運びなのだという。臨時総統には、リベルテ拠点のリーダーであったシモンが就くことになったそうだ。
身分制度は廃止された。賤民はもちろん、貴族制度もである。ただ革命勢力に与していた貴族も決して少なくなく、暫定政府は彼らを重鎮として丁重に迎え入れた。かつての貴族も平民も賤民も、皆が平等に手を取り合い、束縛も差別も無い輝ける世界……それを作っていくはずだった。
しかし問題はただちに頻出した。
賤民は暮らしこそ貧しくつましいものであったが、それでも特権がないわけではなかった。まず一つが職業の特権。皮革処理、死体処理、奉公などいくらかの種類の職は賤民にしかつけない法があった。それはストレスの高い仕事や皆が嫌う仕事を賤民に押し付ける背景もあったろうが、そのおかげで職にあぶれる賤民は少なく、ささやかな暮らしを続けていくことはそれほど難しいことではなかった。
しかしネメシスの法が消えた今、この賤民特権も消滅した。政府の者たちはこれをあまり危険視していなかった。むしろ賤民を賤民たらしめている負の象徴を取り除くことができたと、どこか誇らしい気持ちすら感じていた。賤民が特権的に携わってきた職種には他の者たちが相次いで参入した。これにはワケがある。ブリスタル王国の産業革命だ。彼らは先進的な機械や工具を導入し(それらは賤民では経済的にも権利的にも導入が難しかった)、成果の向上と効率化を劇的に達成してしまった。もう誰も革製のカバンを手で縫合しないし、缶詰を手作業で作りもしないのである。王族や貴族というものはなくなったが金持ちがいなくなったわけでもなく、裕福な家庭は平民でも使用人を持つようになり、それとは逆に王宮やお屋敷に仕えていた使用人が平民の家で家事手伝いのようなこともやり始めた。その所作、立ち居振る舞いと手際の良さは洗練されいて、汚くて要領も悪く意思疎通が困難であることも多い賤民に家や店の手伝いなど誰もさせなくなっていった。
賤民はかつてより飢え、貧しくなる者が目立ち始めた。
そして賤民にかつて存在していた二つ目の特権だが、それは納税が免除されていたことである。しかしこれも取り払われた。暫定政府の中にも、賤民の経済事情を鑑みて納税はしばらく免除のまま、もしくは元貴族や元平民に比べて随分と軽い負担にしてやるべきではないかといった意見もあった。しかし身分が取り払われ、自分たちの立ち位置にのこのこと上がってきた賤民に対する世間の風当たりは予想以上に冷たいものがあった。このような世相の中、平等を宣言した旗の下で元賤民のみを特権的に扱うことは難しかったのだ。
職にあぶれ、その上納税義務の発生……賤民たちは身も心もみるみる廃れていった。
確かにこの国にはあったのだろう。闇をあえて作りながらも、そのうえで成り立っていた秩序と調和が。すべてを満足させることなどできない。なればこそどうせ生まれ来る不均衡を、最初から国の制度として取り入れておく。すべての人民が不満を持つが、そのすべてがそらし合い、結局なんだかんだと立ち往く。
嗚呼、ルドヴィックの言っていた通りではないか!
革命勢力も正義の神も、彼の言葉を話半分に聞いていたわけではない。もちろん譲れない矜持というものがあったし、今更引くに引けないという事情もあった。ただそれ以上に、彼らは信じていたのだ。明確に革命勢力に与している者以外にも、真なる自由と平等に基づく社会の到来を希求している者が大勢いるはずだと。みな内に秘めた世直しへの熱い思いは同じであると。そう信じていた。いや、信じたかったのだ。
身分制度の廃止に合わせて、居住地の制限も撤廃された。これを廃止しないことには結局元貴族は地元で権勢を誇ったままだし、元平民も元賤民も固まって暮らしてゆくだけ。社会の抜本的な変革は遅々として進まぬと判断されたのだ。
街には荒む場所が目立ち始めた。それはかつてのセーブル区域のようなうらぶれたスラムが、国の至るところに散発的に発生したかのようだった。元賤民は元の身分がそうであるというだけで偏見の目で見られることが多かったし、しばしば邪険に扱われた。皆が平等に入れるはずのレストランや病院にも元賤民というだけで立ち入りを拒否されることは珍しくなかった。それに元賤民たちも暮らしや気持ちに余裕がなく、耐えかねた彼らはやがて表立って反発してゆく。街には諍いが絶えなくなった。
そこかしこから喧騒が聞こえる。
革命によってもぎ取った明日は、間違いなく今よりもっと悪くなる未来であった。
無論何も手を打とうとしなかったわけではない。慈善団体リュミエールのような組織が主導し、経済的に困窮している者たちに炊き出しをしたり職の斡旋をしたりと、今まで通りの援助をしようとした。しかしアテにしていた貴族もその特権を喪失していたり、世間体というのもあってサポートを続けることも難しく、結局今までよりずっと少ない資金で、今までよりずっと困窮した人々を救わねばならずまるで行き届かなかった。元王党派の者たちによる妨害や嫌がらせも日増しに目立つようになっていった。
やがて革命達成からひと月が経とうとしていた。
マグナもマルローも光り輝いていた理想とは相反してうらぶれていく街を眺めていた。スラム化した領域は日増しに広がり、元貴族や元平民が多い場所でも抗議のデモや喧嘩の騒音が絶えずひしめくのであった。
長い嘆息をする。こんなはずではなかった。いや、分かっていた。分かっていたはずなのだ。この国が曲がりなりにも三百年間安定的に推移してきた国であったこと、それを壊すことには少なからぬ問題が起きるであろうことは。しかし目の前の現実は得も言われぬほどにつれなくて、実際に目の当たりにする惨状は想像していたよりも何倍も強く心を抉るのだ。
マグナは見た。かつては画商が絵を広げて売っていたり、恋人たちが語らいながら優雅に歩いていた街の広場。そこには大量の死体が転がっていた。
――殺されたのは元貴族のお金持ちなんだとよ
――商館主だったそうだ
――元賤民の汚い男がいきなり突き刺したんだ!
――その後、貴族の取り巻きと賤民たちとで血みどろの殺し合いさ
――ひでえ有様だ
――こんな光景を何度見ればよいのだろうか
――正義の神様はこの国を壊すためにやって来たんじゃないのかい
「…………!!!」
国とはどうあるべきか?
社会の在り方に答えとは?
誰も彼も、束縛や差別の無い世界を望む気持ちは同じはずだ。それを目指してひた走り、なにゆえこのようになる?国とは、社会とは、誰かが不幸であり続けなければまともに立ち往かないとでもいうのか?地を照らす太陽のように、すべてに恵みの光をもたらそうとしても血を晒すだけなのか?
マグナは自分だと周りに悟られないように、素早くその場を後にした。
路地裏の暗がりで誰もいないことを確認すると、彼は声を殺して静かに泣き始めた。




