第66話 罪と罰の神ネメシス
王宮の最上階、玉座の間でフランチャイカ王国の現国王、ルドヴィック一世と対峙する一同。互いの意見はすれ違い、罪と罰の神ネメシスが制裁の為に動き出す。
階段を昇り抜けると玉座の間へと到達した。石造りを基調とした広い空間だが、壁は優雅に色彩豊かに彩られている。赤い絨毯が向かう先には段状となった造りがあり、そこには玉座がまこと煌びやかに据えられている。ヴァルハラ城で見た王の間よりも豪勢で栄華を誇っているように見受けられた。
玉座の間に兵士の姿はなく、ただ一人だけの姿があった。玉座に不機嫌そうに鎮座しているひげを蓄えた小太りの男性。彼が現フランチャイカ国王、ルドヴィック一世なのだろう。玉座の背後には、手足の無い巨大な聖女の像が黒い包帯のようなものに巻かれ、宙に浮かんでいた。あれがネメシスだろうか。
ルドヴィックは侵入者三人を目にすると声を荒らげた。
「ふん!不届きな革命勢力め。ずかずかと玉座の間に入ってくるとはな」
「お久しぶりですね、国王陛下」
マルローは普段の砕けた口調とは打って変わって丁重な言葉遣いで言った。
「誰だ貴様は?貴様のような風体の悪い男、余は知らんぞ」
「まあ分からないのも仕方がありません。見た目を大分変えてしまっているのでね。俺ですよ、元王宮鍛冶師のロベール・マルローですよ」
ルドヴィックはああ、そんな奴も居たなと言いたげな顔つきをした。
「そういえば、かつて身分社会の撤廃案を何度も奏上してくる王宮鍛冶師がいたが、なるほど行方をくらませたかと思えば革命勢力に入れ込んでおったのか。王家に対する忠義を忘れおって!」
「お言葉ですが国王陛下、俺はこの国を良くしたい、まともにしたいという思いで行動したまでです」
「良くしたい、まともにしたいだとぅ?」
国王の表情が不快そうに歪む。
「偉大なる余が座すこの国が良くないとでも言うのか!このうつけ者めが!」
「数多くの国民が賤民という身分のもと、日夜貧困や迫害に喘いでおられます。これがまともな国の姿でしょうか?なぜ彼らにいつまでも救いの手を差し伸べないのですか?」
「ふん、うつけのお前にも分かるように説明してやろう。すべての人民を一切不自由なく平等に幸福にする……そんな夢物語を貴様らは思い描いているのだろうが、そんなことは土台不可能だ」
革命勢力が夢見ていた世界、未来予想図を国王はきっぱりと否定した。
「……何故そう言い切れるのです?」
「人間など甘やかしたところでつけあがるだけだ。権利の保障など限定的でよいのだ。やれ自由だ平等だなどと手厚く人権保障なぞしてみろ、次はこうだ次はああだなどどキリがなくなることが目に見えている。要求はエスカレートしてやがて分化、今の我々のように国内がいくつもの派閥に分かれて争い合う!分かるか?お前たちの進むその先には甘美な美しい世界など無い、人間の愚かしさが顕在し、果ての無い争いが続く社会になるだけなのだ!」
ルドヴィックは力強く弁舌を振るう。
その言いざまから彼がテキトウを言っているわけではない、彼には彼なりの信念がしっかりと内在していることを感じさせた。一同は国王の言葉に黙って耳を傾ける。
「これは何も余の思い込みではない、かつてフランチャイカの前身となった国の記録においてつぶさに分かることなのだ!それを繰り返さぬよう余のご先祖様はネメシスの力で国を治めていくと誓った。すべてを規則で縛り上げ自由なぞ認めぬ。人間なぞ見下せる他者がいなくては幸福を感じられないどうしようもない生き物だが、身分制度を確立し差別・被差別の関係をあらかじめ整備した。有史以来、人が真に自由であったことも平等であったこともない。人々は常に戦や貧困に絆されながら生きてきたし、常に社会的弱者や異民族を侮り冷笑することで心を保って生きてきたのだ!」
ルドヴィックは拳を振り上げた。
「それらを野放しにしていては国が成り立たぬのは目に見えている。だからと言って人間の特性、本性に目を背け政を行うのも非現実的だ。どこかで挫折することは分かり切ったことだ。だからこそ!あらかじめ国の仕組みとしてそれらを内包しているのだ。この国は実際に三百年以上、ネメシスの支配の下で成り立ち、安定的に推移してきた。この確かな安寧、奇跡的バランスを貴様らはあえて崩すというのか!」
「お言葉ですが、国王陛下……」
マルローは言葉を返す。国王には国王の信念がある。それがつまびらかとなった今、彼もまた己の信念の正当性を述べるしかない。
「それは逃げの選択です。その選択をし続ける限り、未来はありませんぜ」
「未来だと……?どんな未来だ、今よりもっと悪くなる未来か?それを回避する為にも、今の仕組みを壊すべきではないと余は言っているのだ」
「この国の在り方は、最悪を回避したいがために自らある程度の悪い状態に落ち着いてることに問題があります。まあ気持ちは分かりますよ、高いところから落ちる方がダメージでかいですからね」
「ふん、そうだろう、太陽を求めて飛び上がっても落ちれば死は免れぬ。届いたところでその熱に焼き尽くされるだけだ。ある程度の低みにあえて座していることをお前たちは追及しているのだろうが、その選択の正当性が何故分からぬ」
「しかし自分の人生が初めからすべて決まっている……これほどつまらぬこともないでしょう」
ネメシスによる支配が続けば今より良くも悪くもならない。何も変わらないまま推移していくことが目に見えていた。国王としてはその点に易を見出しているのだろうが、現に賤民として生きている者たち、そして革命勢力の想いは違っていた。
マルローは言葉を続ける。
「現に騒動になっているように、この国に変革を望む者は多数に及んでいます。彼らは変わらない明日よりも、今より良くなるかもしれない未来を目指してゆくことを望んでいます。たとえ今より悪くなる可能性があったとしても」
「それで、この国がさらに悪くなったらどうするというのだ?」
「時に良くなり、時に悪くなる……それが本来のあるべき姿なんだと思います。人生と同じですぜ。笑えることもあるし、涙を流す悲しいこともある。誰もが不幸を嫌悪し幸福を望む気持ちは同じでしょう。けど彼らが求めているのは偽りの安寧でも、固定化された未来でもなく、ただただ今を悔いなく行動できる環境なのです」
「それを許して国が瓦解したらどう責任をとる?」
「……仮に国が壊れることとなっても、それもまた一つの結末なのでしょう。未来が白紙であることが本来あるべき姿であり、この国の在り方にもそれが望まれているということなのです」
マルローの言葉が一段落したところで、マグナが言葉を繋げる。
「元王宮鍛冶師さんはそちらの意図もそれなりに汲んだ、だいぶお優しい意見だったがな……いっそこの国は一度壊れるべきだと俺は思うぜ」
「誰だ貴様は?」
「俺は正義の神、マグナ・カルタ」
ルドヴィックの顔が引きつく。その男が神であることに今まで気付かず、革命勢力の一人くらいの認識でいたのだろう。
「……っ!貴様も神だったのか!」
「国王陛下の言っていることも確かに一理ある。だが一理あるだけだ、完全に同意はできない。マルローの言う通りそれは未来の無い選択だ。現状が良い国家と言えるのならまだ同意できたかもしれないが、俺にはとてもそうは見えない。上の身分は下の身分をいいように嘲り悦に浸っているだけだ……こんな仕組み、人間としての程度を損なわせるだけの負の産物だ」
「ふん!言っただろう、人間とは元来低俗なものなのだ!その”そらし”を国の仕組みとして用意しているにすぎん!」
「確かにあらかじめ”そらし”があれば国は安定しやすいだろう。アンタは為政者だからこそ、そこに重きを置きすぎた。そのせいでこの国の民たちはかえって不自然で不健全になっているのさ。マルローの言う通り、この国の多くの人が望んでいるのは、あまり良くはないが壊れない未来じゃない、壊れるかもしれないが自然な人間として謳歌できる世の中なんだ」
マグナとマルロー、二人の熱い信念の瞳を見て、ルドヴィックはもういいとばかりに手を挙げた。
直後、玉座の背後に浮かんでいたネメシスが、玉座の間の中央に向かって前進した。そして下降するとともに、黒い包帯が解ける。その聖女のような出で立ちとは余りに不釣り合いな歪で巨大な手足を生やす。轟音を立てて着地し、二人に対して爪を振りかざしてみせる。
「言葉で懐柔されてくれれば楽だったが、まあこれだけ入念に準備して武装蜂起するような連中だ、やはり力で決着をつけねばならないようだな」
「ネメシスが来るぞ、マグナ!」
「分かっている、油断するなよマルロー」
マルローはアシスト機能付きの剣を抜いて構える。
マグナも全身を鎧化して備える。
罪と罰を司る神、ネメシス。能力としては、”制定した規則に反した者に対して、その違反の度合いに応じて神罰を下す”というものだろう。ネメシスの神力による影響はジャミング装置で防げているはずだった。しかし今、ネメシスは眼前の反逆者を制裁せんとばかりに威圧感を以て佇んでいた。
「お前たちはこの場で縊り殺す。これほど至近距離にいるのだから、ネメシスの神力を妨害するアイテムはもはや意味もなかろう。そして革命勢力の他の連中も残らず裁きの稲妻で始末してくれよう。お前は知らぬことだろうがなマルロー、ネメシスは規則の違反を記録しておくができる。誰が、いつ、どのような規則にどのように反したかを記録しているので、遡って罰を科すことができるのだ」
「何だと……!」
マルローの顔色が変わった。ルドヴィックの言う通りどうやら知らぬ事実であったらしい。
「既に兵たちには通達を出している。その首飾りがそうなのだろう?兵たちにはそれを奪うことに注力するよう命令してある。試しにネメシスによる裁きの稲妻を落としてみようか。くくく、果たして一度に何人死ぬやら……!」
「テメェ、止めやがれ!」
マルローが叫ぶ。マグナも危機的な思いになった。内乱を起こしている以上、裁きが下れば死罪は免れないだろう。嗚呼、今に革命勢力の同志たちが、無慈悲な稲妻に焼かれて死んでしまう!
――しかし様子がおかしかった。
制裁モードであったはずのネメシスが、突然ぴたりと動きを止めてしまったのだ。マグナもマルローも、そしてルドヴィックも皆一様に訝しげにネメシスを見る。
ただ一人だけ、モンローだけが顔をやや俯けて、ふふふふふふふふと、身の毛もよだつほどに不気味な声で笑い始めた(彼女の不穏な笑い声をマグナは既に何度か聞いていたが、これほど鳥肌がぞくぞく立つような思いをするのは初めてだった。その声はどこか、王の間で不遜な笑いを浮かべていたフェグリナを彷彿とさせた)。
「……モンロー、まさかお前の仕業か?」
「はい。乗っ取りました、アレ」




