第61話 逆鱗
王城までグレーデンとカルロを追って駆け付けたレイシオ。ミアネイラは、レイシオを得意の記憶操作で傀儡にしようとするが、その行動がきっかけで彼の逆鱗に触れてしまうこととなる。
突如現れたその男の姿を見て、グレーデンの顔は蒼白していった。カルロもガタガタと震え始める。まだかろうじて目は見えているようだ。
「くそ!もう追いついて来たのか!」
「誰よ、アレ」
ミアネイラが不快気に問う。
「正義の神の眷属だ。奴は強い、手も足も出なかった」
「ハァ?アンタら二人して、眷属一人なんかにボコボコにされたの?」
使えない、情けない男どもね。彼女の眼はそんな風に言っているようであった。
裏世界の三人が注意を余所に向けている中、ラヴィアはこの場から退避するタイミングを伺い始める。この国にマグナが作り出した眷属がいることをラヴィアは元々知っていたのでとくに驚きも動揺もなく、アレがそうなのかと思うぐらいだった。
(あの人がマグナさんの眷属……なんだかマグナさんが時折見せる激情を濃縮還元したみたいな人ですね)
「アイツまったく傷を負っていないけど、アンタらどんなナメた戦いしてたのよ?」
「いや、俺もカルロも本気で攻撃した。だが奴には傷一つ付けられないばかりか、街に被害を出すことすらまったくできなかった……」
「当然だ、俺は正義の厳然さを体現した眷属なのだからな。ふわふわとした曖昧で薄弱なものでは、守れるものも守れんだろう」
動揺しているグレーデンとカルロ、苛つくミアネイラに、レイシオは眼鏡を直しながら落ち着き払った声で言う。
「まあ、傷つけるのが難しい相手なのは分かったわ。なら無力化させりゃいいだけ……!遠隔ではムリそうだから、直でやる必要があるわね。カルロ!アンタが隙を作れ!グレーデンは私を運べ!」
「は?い、嫌だよ……も、もうアイツと戦いたくねえ、帰りてよぉ……」
「ミアネイラ、悪いことは言わない、アイツとは戦おうとするな!もう三種の神器もいい!逃げ帰ることだけ考えるぞ!」
怯えた子供のように弱音を吐くカルロ、完全に戦意を喪失しているグレーデンにミアネイラは声を荒らげた。
「ハア?アンタらそれでも玉ついてんの?いいからやれったら、やりやがれ!スカタン!」
ミアネイラに怒鳴られ、カルロは渋々と閃光を発生させた。周囲はまばゆい光に包まれ、常人なら何も見えない状況であろう。その機に乗じて、これまた渋々とグレーデンが狼を出現させてミアネイラを乗せると、急速でレイシオに近づく。ミアネイラは狼から飛び降りつつ、レイシオの頭部に触れた。
ミアネイラの神力がレイシオに影響していくのを感じる。これでコイツも私の下僕、たいしたことない眷属だった。ほくそ笑むのも束の間、彼女はレイシオに顔面を掴まれて、体は宙に吊るされた。
レイシオの顔には深い陰が落ちており、その表情をつぶさに伺い知ることはできなかった。しかしグレーデンとカルロにはすぐに分かった。あの眷属が先ほどまでとは比べ物にならないほどの怒気を湛えていることに。空気が怒りでピリピリと張り詰めていくような感じさえした。
「女……貴様、何をした?」
「……!」
ミアネイラは既にパニック状態であった。直触りにも関わらず、記憶の操作がまったくできなかったからだ。
「いや、答える必要などない。お前が俺に何をしようとしていたか、それは理解している。理解しているからこそ頭に来ているのだからな」
大気を震わすほどの怒りとはうってかわって、彼の声音はひどく落ち着いているように聞こえる。
「一つ断っておくが、俺は道理も無しに怒ったり、人を罰したりはしない。それらは道理無しでは、身勝手な振る舞いにしかならないからだ。それに罰することと許すことは常に同居すべきだと思っている。罰した以上は許さなければならないし、許すつもりがないのであれば罰する権利などない。罰とはあくまで更生の為のものであり、個人のカタルシスの為にあるべきではないからだ……何を言いたいかと言うと、俺は道理も無く手ひどい仕打ちを他者にすることはない。まずはそこを理解してもらいたい」
「……!」
つらつらと語るレイシオの長口上を、ミアネイラは顔を掴み上げられたまま聞いている。彼は激昂すると饒舌になるタイプかもしれなかった。
「だが物事には必ず例外というものがある。こんな理知的で理性的なことで三千世界に轟き渡るこの俺でもたった一点だけ、それだけはやられると、歯止めも聞かずに我を忘れて怒り狂ってしまうだろうものがある。それはなにも特殊で特異なものでもない。眷属であれば、誰でも多かれ少なかれ持っているものだ。だからお前はそこは推察するべきであったし、一線を踏み越えないように配慮するべきだった」
レイシオの奇妙に落ち着いた声音には、まるで嵐の前のような静けさがあった。ミアネイラは悪寒を感じた。
「お前は天才だ、馬鹿女。出逢ってものの数分で、たった一つしかない俺の逆鱗に盛大に触れたのだからな……」
レイシオはそう呟くと、今までの落ち着き払った素振りが嘘のように、急に拳を唸らせるとミアネイラの顔面に思い切り叩き付けた。
「~~~~~~!!!!!!!貴っ様ぁぁぁぁっぁぁぁぁ!!!!!俺のマグナ様への畏敬、尊崇の念を書き換えようとしたなァ!!!!!!!!!」
ミアネイラは床に倒れ落ちるが、すぐに胸ぐらを掴まれて立たされると、さらに重い拳の追い打ちに晒される。
「あまつさえ……!!!あまつさえ、その畏敬、尊崇の念を、貴様如きに向けさせようとしたナァァァァァァ!!!!!!!!!!!」
レイシオの拳は止まらない、文字通り歯止めが効いていなかった。ミアネイラは泣き叫ぶ前に、その気力がなくなってしまうほどに、それはもう手ひどく痛めつけられた。肉と骨がひしゃげる音がレイシオの怒声と共に響き渡る。
「許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!許せん!!!!!」
「おい、カルロ!アイツを止めるぞ!このままじゃ、ミアネイラが死ぬ!」
「と、止めるったって、あんなんどう止めりゃいいんだよぉ!」
慌てふためく二人、もはや死に体のミアネイラ。激情に絆され、忘我の状態となったレイシオの前に予想外の人物が現れた。
「ストップ!ストッープ!」
その突如現れた男は、少し癖のあるスカイブルーの髪にひらひらした服とベールをまとい、宙に浮かんでいた。この剣呑な空間に似つかわしくない、呑気そうな表情をしている。
その男を見て、レイシオはようやく落ち着きを取り戻して拳を止めた。
「……オビターか。お前の持ち場はブリスタル王国の筈だろう?何故こんなところにいる?」
「まあまあ、すぐ戻るからいいじゃない。それに彼女、そろそろ離してやらないと死んじゃうよ?いくらクズでも、マグナ様の許可なしに殺しちゃうのはさすがにダメだと思うけどなー」
「むう、それもそうだな。止めてくれて礼を言うぞ、オビター」
現れたのはマグナが作り出した三眷属の一人、オビター・ディクタムであった。彼に諭され、レイシオは既に失神しているミアネイラから離れた。
入れ替わりに、グレーデンとカルロが駆け付ける。
「ミアネイラ!くそ、このままじゃ死んじまう……」
もはや任務については何もかも諦めるしかなかった。最優先であったはずの三種の神器の奪取も諦めて、脱兎のごとく敗走するしかない……!何が正義の神の眷属だ!暴虐の権化ではないか!グレーデンは狼を生み出すとミアネイラを抱えてまたがり、後ろにカルロを座らせる。その巨躯を誇る狼も、この場ではひどく頼りなげに見えた。
(眷属がもう一人来てしまっては、もはやどうあがいても勝ち目はない。すべて諦めるしかない)
狼に逃げ出す準備をさせつつ、グレーデンは眷属二人を睨みつける。レイシオは冷徹な瞳で、オビターはにこにこ微笑みながら視線を向け返す。
「どうした、帰るのか?なら、さっさと帰ってくれ。俺はマグナ様にこの国の守護を任されているだけだからな。草の根を分けてまで貴様らを逃さず追い詰め始末しろとまでは言われておらん。身の程をわきまえ、大人しく帰ってくれるのであればそれで結構だ。俺の気が変わらない内に早く行け」
「覚えてやがれ……!」
直後、閃光が再び瞬いた。視界が開ける頃にはグレーデンたち三人を乗せた狼の姿はどこにもなくなっていた。
カルロの閃光は常人ならば思わず目を覆い、しばらく視力がなくなるほどに強烈なものだが、レイシオとオビターにはこれっぽっちも効いていなかった。それでも彼らを取り逃がしたのは、単純に追う気がないからである。
「さて、マグナ様に報告したらさっさと忘れるとするか」
「アハハ!相変わらずだねー、レイシオ」
「ふん、あんな小物ども覚えている値打ちも無い。それにしこたま殴ってやったことで、俺の留飲も下がったことだしな。もうよしとしよう」
「殴るだけで怒りが収まる辺り、なんだかんだ言ってレイシオは優しいよね。モンローだったら、絶対に殺してたよ」
「ふん、想像力が足りないな、オビター。アレが殺す程度で済ませると思うか?」
レイシオはいつものように腕を組み、眼鏡を直しながら言う。
「散々痛ぶった挙句……周囲一帯皆殺しだ」




