第265話 近衛部隊:アスモダイ
氷の世界で、窮地に陥る世界最強の傭兵。そこに意外な人物が姿を現すが……
白い裂け目の先は、氷雪に閉ざされた白銀の世界であった。
吹雪の音の中で剣戟の喧騒がやかましく響いている。
戦っているのは、かつて世界最強の傭兵として名を馳せた男――バズ・クレイドルであった。神器カラドボルグを振るいながら雪原を駆け回っている。
敵は三メートル以上はありそうな大柄の体躯であった。
灰黒い肌に三対計六本の腕を生やし、そのすべての腕に武器を握っている。剣、槍、短剣、斧、弓、杖の六種類だ。腰回りに矢筒がある。接近戦に長けた短剣と斧、中距離戦に長けた剣と杖、遠距離戦に長けた槍と弓……それらすべてを巧みに使いこなして、眼前の敵は隙の無い攻勢を続けていた(ちなみに弓は射る際に、他の腕が持っている得物を一旦空中に放り投げて、自由にしたうえで行っている)。
「グフフフフ」
「はあ、はあ……ちくしょう……!」
バズは追い詰められていた。
カラドボルグは切断という結果を問答無用で発生させる最強クラスの神器である。しかしその分ひどく精神力を消耗するものであり、そう何発も振るえるものではない。おまけに敵の攻撃は苛烈を極め、カラドボルグは敵の攻撃を受け止める等ほとんど防御に徹した扱い方をされていた。
隙を探せど、その隙がなかなか見つからないのだ。
仮に見つけても体が付いて行かないこともあった。それは老いのせいもあるだろうが、ずっと駆けずり回っていることにより蓄積された疲労と、辺りを取り巻く極寒の冷気が着実に彼の身体能力を鈍らせていた。
彼はむしろ隙を突かれて、強烈な打撃で大きく弾き飛ばされた。
「ぐああっ……!」
「残念ながらその程度の力では、このアスモダイを倒すことはできまい。それに某の作り上げた亜空間、”氷獄の領域”の中では本調子で戦うことも難しいだろう」
アスモダイは厳かな声音で言っている。
例えば金剛力士像のような厳めしさがあった。小手先のやり繰りだけでは如何ともし難い強靭さがあった。
アスモダイは近衛部隊で最もストイックな存在である。実直に、真摯に、強さのみを求めて修練に明け暮れてきた。生半可な実力で打ち倒せる相手ではない。
「おいおい、バズの爺さん押されちまってやがるぜ……どーしよ」
「さささささ、寒いよぉ……!寒い寒い寒い……!」
この氷獄の領域に囚われたのは、バズだけではなかった。
白明団代表トリエネ・トスカーナと、鍛冶の神ロベール・マルローもそこに居た。
二人は少し離れた場所で戦いの趨勢を見守りながら、ガチガチと凍てつく冷気に震えていた。氷点下三十度は下回っているかもしれない。
「マママ、マルロー、何か暖まる発明品とかないの?このままじゃ凍えちゃうよ!」
「うーん、あいにくそういうの作ったことねーんだよな。トリエネ、こうなったら仕方ねえ、裸になってお互いの肌で温め合う原始的なやり方で窮地を脱するしかねえよ」
「いや、あなた炎とか出せたよね!?」
震えながら声を張り上げるトリエネ。
ふと見ると、バズがまたもやアスモダイの攻撃に吹き飛ばされていた。
「おい、お前ら!ふざけ合っている暇があるなら加勢しやがれ!コイツはまじで強いぞ……!」
たまらずバズは声を上げていた。
実の祖父のように慕っていた男のピンチに、トリエネは円月輪を両手に握って加勢しようとする。ところがマルローがそれを遮った。
「マルロー?」
「ダメだトリエネ、闇雲に飛び込むな。ありゃバズの爺さんだからまだなんとかなってんだ。無謀なまま挑んだところでいたずらに命を散らすだけだぜ」
「で、でも……じゃあどうすれば」
「うーん……レーヴァテインで突っ込んでみるとか?いやダメだ、上手くいくビジョンが見えねえ……」
マルローも困った様子で眉間に皺を寄せていた。
彼は鍛冶師であり、数多の武器を制作してきた。しかし武器というものは結局それを扱う者の資質に左右されるところが大きい。
バズ・クレイドルという最高クラスの武人ですら押し負ける状況に、一石を投じる発明品なぞ都合よく有りはしなかった。
しばらく押し黙っていた。
またしても聞こえてくるのは吹き荒れる吹雪の音と、武器のぶつかり合う喧騒だけになった。
しかし突然、声を聞いたのだ。
この場に居る四人のいずれでもない声色。どこか聞き覚えのある声だった。
「お困りのようだな、お前たち」
気だるげな声音だった。
見れば浅黒い肌に、琥珀色の癖毛の男が居る。トリエネとマルローにとっては面識のある相手だった。
「お、お前は……」
「レイザー!?どうしてここに!?」
突如現れたのは時間の神クロノスの力を持つ男――レイザー・ラングベルグであった。
かつてアタナシア捜索の際に、手掛かりであるミサキを意思疎通可能な状態に戻す為に、彼を頼ったことがあった。
レイザーとはそれっきりであったし、そもそも停止された時の中で自動人形マリアベルと蜜月を過ごすことにしか興味の無い男であった。故にこんなところに姿を現したのがとにかく意外だった。
彼はただ淡々と、次のように言う。
「まあなんだ、お前たちには一応借りもあることだしな。正義の神が世界規模の大戦を始めたと聞いたので、少しぐらいは加勢してやるかと思って、こうしてここまで来たのだ。わざわざ時間の流れを元に戻して、マリアベルと過ごす悠久の時間を減らしてまで来てやったのだぞ。そうら感謝しろ」
仕方なしといった様子を見せていたが、満更でもなさそうだった。
思わぬ助っ人に、トリエネは歓喜の声を上げた。
「ありがとうレイザー!でもどうしてマグナじゃなくて、私たちのところに来てくれたの?」
「俺は時の神だぞ?どうやらお前たちは四つに分断されて亜空間に囚われているようだが、時間の巻き戻しを駆使して俺は四か所すべての状況を見てきた。ここを選んだのは、お前たちが一番苦戦していたからだ」
言い終わると何故か、彼はすぐさま背を向けてしまった。
「というわけで役目は果たしたのでな、俺は帰らせてもらう。早くマリアベルとの悠久の時の中に戻らなくては……」
次には、まばたきほどの暇の内に、レイザーの姿は消え失せてしまっていた。
トリエネは歓喜に広げていた口を、失望からあんぐりとさせた。
「え、えーー!?あれーー!?か、帰っちゃったのぉ!?」
「おいおい、まだ何もしてなくねーか?アイツ?」
「ちょっとー!せっかく来たんだから少しは戦ってよー!」
二人は事態を把握できていなかった。
背後から聞き馴染みはあるが、どこか若々しい声を聞いた。
「アイツがレイザー・ラングベルグか……なるほど、俺はアイツに逢うのは初めてだったが、どうやら時間を操作する能力については本物のようだな」
二人は振り返って、びっくり仰天した。
長い白髪と黒いオーバーコート。
たしかにバズ・クレイドルの装いであったが、見てくれが違っていた。
顔の皺は消え、肌は張りと艶を取り戻している。体つきも普段よりがっしりしていて、活力が漲っているように感じられる。
もはや邪魔になった老眼鏡を外して、コートにしまう。
――そこにはすっかり若さを取り戻したバズの姿があったのだ。
「え、えええ……!まさか、お爺ちゃん……?」
「おいおい、まじか……」
二人はバズの変わりように驚いている。
老化による印象は消え失せ、元の体格の良さと顔立ちの端正さがより分かりやすくなっていた。バズは満足気な顔つきで、若き血潮の流れる己の手を見つめている。
「この感覚は……三十歳前後ってところか?いいねえ、全盛期じゃねえかよ」
言いながら再びアスモダイの方に向き直った。
右手にカラドボルグを、左手にゲイボルグを構える。不敵に笑い始める。
その頼もしき後ろ姿を二人は見つめている。
「え、どどど、どーしよ……!お爺ちゃん、若い頃はあんなにカッコ良かったんだ……フツーに惚れちゃいそうなんだけど……!」
「おいおい、しっかりしてくれよトリエネ。お前の最愛の紳士なら隣に居るだろ?」
「そのどぎつい全身タトゥーなんとかしてから言ってくれない?」
マルローの冗談に、周囲の冷気に負けないぐらい冷淡な反応で返した。
一方バズは熱く闘志を燃え滾らせていた。
二度と叶わないと思っていた、全盛期の姿での戦い。心が躍らないはずがなかった。
「待たせたな!アスモダイさんよ!正真正銘、世界最強の傭兵――バズ・クレイドルが復活を果たしたぜ!安心しな、もう退屈な思いはさせねえからよ……!」
バズの威勢のいい啖呵を、アスモダイは面白そうに聞いていた。
「それは重畳だ。見せてみるがいい、お主の真の力というものを……!」
吹き荒れる氷雪をものともせず、バズは駆け出す。
そうして再び攻防を始めるのだが、明らかに先ほどまでと動きが違っていた。アスモダイの六本の腕から繰り出される攻撃を、バズは確実にいなしていく。随分と余裕の感じられる動きになっていた。
(体が動く……!動くぞ……!いいねえ、若えってのはよ)
そうしてアスモダイの僅かな隙を見つけると、バズは跳び上がってゲイボルグを投擲した。これは力を込めて投げることで、込めた力に応じて拡散する槍である。
横殴りに吹き付ける雨霰のように、大量の槍がアスモダイに襲い掛かった。
「ぬうう……おのれ……!」
さしものアスモダイにも、大きな付け入る隙が生まれていた。
老体のままでは難しかっただろう。しかしバズはカモシカのように軽やかに跳ねて、その若い肉体を容易にアスモダイの懐へと滑り込ませていた。
「喰らいやがれ!全力の一撃だ!」
カラドボルグを思い切り振るった。
空間が断絶したかのような反響音がしたかと思えば、アスモダイの肉体は血を噴き出すよりも早く、上半身と下半身とに分かたれた。
「見事だ……世界最強の傭兵よ……その力、しかと、見させてもらったぞ……」
心臓を真っ二つにされていた。
遅れて大量の血液が噴き出していく中で、アスモダイは息を引き取った。
一面の銀世界に、赤い勝利の花が咲いていた。




