第264話 近衛部隊:パイモン
視点は二番目の亜空間に移る。そこは燃え盛る火炎の広がる空間だった。
赤い裂け目に引きずり込まれたのは、ラヴィアとアーツであった。
二人は焦熱に閉ざされた世界に居た。
暗い洞窟のような場所に居て、周囲を煮えたぎる溶岩と灼熱の火炎に囲まれている。
(熱っ……!なんですか、ここ……?)
ラヴィアは咄嗟に四聖剣を玄武形態にし、自身の周囲に防御膜を展開した。レーテーを倒す為に凍てつく天空に昇った時に展開したのと同じものである。
周囲の熱気や冷気さえも遮断する、この高機能な防御膜によってラヴィアはひとまず事なきを得る。なにもせずにいたら、炎で炙られ続けるばかりだったろう。
(しかし、ここは何処なんでしょう?まさか亜空間を作って私たちを引きずり込んだのでしょうか?)
マグナの眷属モンローが亜空間を作り出したことについては、ラヴィアも聞き及んでいる。近衛部隊がモンローに匹敵するほどの強大な眷属であるならば、このぐらいの芸当はしてみせるだろうと思った。
周囲を見回している内に、彼女は自分以外に引きずり込まれた姿を見出す。
海の化身オーケアノスの力を持つ男、アーツ・ドニエルトである。
「アーツ……さん、貴方もここに引き込まれていたんですね。周囲は燃え盛る火炎に包まれていますが、大丈夫そうですか?」
「問題ねーよ、俺は今自分の体を水のベールで覆っているからな」
この焼けつく熱気の中でも、アーツはけろっとしている。目を凝らせば、彼の周囲を覆うように薄い水色の靄のようなものが纏わりついていた。
「それより近衛部隊ってのは、噂通りそれなりに強力な眷属みてーだな。おそらく亜空間を作り出して、俺たち九人をバラバラに引きずり込んだんだ。俺は正義の神の眷属が亜空間を生み出してドゥーマを閉じ込めるのを見たことがあるが、それと似たような印象だ」
「亜空間……やはりそうなのですね。でもこの空間の主はどこに……?」
二人して周囲を見渡していると、黒い翼を生やした赤黒い肌の男が姿を現した。やかましい程の高笑いを上げながら、翼で宙に浮かんでいる。
「ひゃはははははははははっ!来たぜー!ついに来たぜー!」
その逆立った髪の男は、喜色満面で眼下の二人を見下ろしている。
「ようやくだ!ようやく暴れられる……!正義の神こそ引き込めなかったみてえだが、海の力を持つ男に、五色同盟国の盟主様か……!まあ悪くねえな!」
ラヴィアもアーツも、空中ではしゃいでいるそれがこの空間の主であると、敵意のこもった目で見る。
「死ぬ前に俺の名を聞いておきな。俺は第1師団”近衛部隊”のパイモン様だ!そいじゃ、この俺の”業火の領域”でむごたらしく焼け死んでいきなあ……!」
眼前の敵は周囲同様、非常にヒートアップしているようであった。
一方、相対する黒い髪の少女とマリンブルーの髪の男はつれない程にクールな反応であった。
とくにパイモンに応答することもなく、二人して話を始める。
「それじゃアーツさん、どう戦います?役割分担とか……」
「いや、俺だけで充分だ。お前はそこで防御膜張ったまんま、突っ立ってろ」
「ええ、でも……」
「まあ、もし危なくなりそうだったら助太刀してくれや。お前だってその防御膜、解きたくねーだろ?」
「そうですね、ウェルダンで焼かれたくはないので……ここはひとまずお願いいたします」
淡々と会話を済ませると、ラヴィアは微動だにせず、アーツだけが前に踏み出した。
パイモンは額に血管を浮かべて苛立った。
二人が非常に冷めた反応をしているのもそうだが、自分だけで充分だとアーツが言ったことが、彼の神経を逆撫でていた。
「てめえら!俺を舐めてんのか!?二人で必死になって、かかって来やがれよぉ!」
「お前こそ、俺のこと舐めてるだろ?俺は海の力を持つ男だぜ」
「だからなんだってんだよ!見えねーのか、周囲を取り巻く灼熱の炎が……!てめえがどれだけ水を出そうが、一瞬で蒸発していっちまうぜぇ!」
「そうかそうか、お前にとって海ってのはその程度のスケールなんだな」
アーツは不敵に笑っている。
「海ってのは途方もなく広いんだぜ。アレを完全にコントロールし切るなんざ、俺でも無理だ。だけどな、そんな海にも果てというものが、限りというものがある。果てしなく広いけども無限なんかじゃあないのさ」
「何が言いてえんだよ、てめぇ?」
パイモンは苛立ちを募らせる。
「海ですら限りがあるんだ、お前のこのちゃちな空間にも限りがあるんだろ?って言いたいのさ」
「はっ!限りだと、そんなモン……」
「いいぜ、答えなくて。果てしなく見える大地や海にも限りがあるんだ、近衛部隊という強力な眷属とはいえ、たかが眷属一人に無限の空間なんか作れっこねえ。この空間にも絶対に限りがある……!」
言い終わると、アーツは腕を大きく広げた。
途端に彼の体が大量の海水に変わっていく。
【ひとつ勝負といこうぜ……俺はこれから能力をフルパワーで展開する……!お前のちゃちな空間が、海という大いなるスケールを許容できるかどうか、根競べの勝負だ……!】
発生した大量の海水が、ただちに蒸発していく。
次々と水蒸気爆発のような現象が炸裂する。
それでも海水は、止め処なく溢れんばかりに発生し続けて、周囲一帯を飲み込んでいった。
「じょ、上等だ……!てめえの水の力なんか、すべて俺の炎で焼き尽くしてやるよぉ……!」
敵の力が予想外のスケールを発揮していることに、パイモンはいささか面食らっていた。それでも負けじと、周囲の火炎の力を強めていく。
炎と水蒸気が吹き荒れ、辺りはサウナですらない地獄の様相であった。
(うわあ……とんでもない状況ですね。絶対、防御膜解きたくない……)
解けば蒸し料理になることは間違いない。
ラヴィアは防御膜を展開したまま、膜越しにどんどん増していく水量を見つめ続けていた。
――――
――
カウバル城二階、西側の広間に突如赤い空間の裂け目が起こった。
裂け目の内側からは、ミシミシと裂け目を広げるようにしながら大量の水が溢れ出してくる。あっという間に広間を水没させ、周囲の窓や屋外に面した通路から次々と水が流れ出していく。
ラヴィアの入った防御膜は、水に浮かぶゴム鞠の如くに壁にぶつかりながら揺蕩っている。水が流出し終わってようやく顔を見せた広間の床には、大量の魚や貝類、海藻が散らばっていた。
(アーツさんの能力……なんといいますか、食糧調達にも使えそうですね)
要らぬことを考えながら、彼女は防御膜を解いた。
どうやら元の世界に戻って来られたようだった。
付近を見れば、溺れかけながら床に倒れるパイモンと、それを不敵に見下ろしているアーツの姿がある。
「げほげほ……ち、ちくしょう……こんな……ことが……」
「勝負アリだな。やはり海にも劣るちゃちな空間だったようだぜ」
苦し気に呻くパイモンの胸に、アーツは水から生み出した剣を突き立てた。
パイモンが絶命したのを確認すると、彼はラヴィアの方に目を向ける。
見ればラヴィアは広間の隅で、魚や貝を並べ始めていた。
「……何してんだ?お前」
「あ、アーツさん」
どうやら大量の魚介類の中から、高級そうなものを選り分けているようであった。
「どうですか?この戦いが終わったら、我が国専属の魚介卸し業者にでも……」
「お断りだ」
大海を誇った男は、取り付く島もなかった。




