第262話 決戦前夜
各戦線での戦闘は片付いた。場面はいよいよ皇帝の本拠地へと移る。
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三つの戦線はそのすべてが片付いて、アレクサンドロス大帝国のツァルトゥール州内に各勢力が集結していた。以降、軽く経過をまとめる。
北方戦線では神聖ミハイル帝国軍と白明団が、第8師団”巨兵部隊”と第4師団”魔攻部隊”を退け、精鋭部隊のバラムを討つと、ツァルトゥール州内の各都市の解放を続行していった。アムルタートの他にもハルワタートやクシャスラといった都市群、そして州都スプンタ・マンユをも解放した。
東方戦線では五色同盟国軍が、第9師団”重鎧部隊”と第5師団”狙撃部隊”を退け、精鋭部隊のモラクスを討つと、ヴェーダ州内の各都市を解放しつつ西進。州都ウパニシャッドも解放し、最終的には西隣りのツァルトゥール州内へと入り込んだ。
西方戦線では西方諸国連合軍(フランチャイカ共和国、ポルッカ公国、ブリスタル王国)と正義の神一行で、ヴェネストリア連邦を支配していた第3師団”獣将部隊”と第12師団”覇海部隊”を壊滅させ、ヴェネストリア連邦の解放に成功した。精鋭部隊のアスタロトも討つと、東進して東隣りのマッカドニア州に侵攻し、各都市を征圧。かつての王都であった旧都テルステアも征圧すると、更に東進してツァルトゥール州へと合流した(途中で精鋭部隊ガープと、ラグナレーク王国の戦士エリゴスの死を確認)。
――こうして戦争の開始から僅か三日で、アレクサンドロス大帝国は帝都カウバルを擁するザイーブ州以外のすべての領土を占領されるに至った。
正義の神の名の下に結成された対アレクサンドロス戦線。その勢力は大陸最南端の地ザイーブに程近いツァルトゥール州の辺境都市――アシャ・ワヒシュタというオアシス都市に集結している。
湖畔に幾つものテントが並び、北方、東方、西方の各方面からやって来た各国の兵士たちが夜を過ごしている。世界中の国旗がひとところに靡いている様は壮観であった。無論、すべての兵がこの都市に大集合しているわけではない。現在兵力の大部分は、解放した各都市の防備の為に残されているのであって、この都市に集結したのはいわば選りすぐられた精鋭であった。頭数こそ少ないが練度には優れている。
そして正義の神や白明団も、みな此処に集まっている。その中にはヤクモやヴィーザルの姿もあった。今は夜空の下、湖の畔で正義の神マグナとヤクモが言葉を交わしている。
「ついにここまで来たな、マグナよ」
「ああ……後はザイーブ州を押さえ、皇帝リドルディフィードを討てば世界から脅威はなくなるだろう」
当然、それは永続的なものではなく一時的なものだろう。
だがこのユクイラト大陸に、束の間でも世界平和が実現することは確かなことであった。
「ところでラヴィアの姿が見えないようだが?」
「アイツはどうも用事ができたとか言って、一時的に五色同盟国の方に戻っているようだ。明日の朝までには帰ると言っていたが」
尋ねるヤクモにマグナが返す。
ラヴィアの用事とは、バルバトスとレライエを国に招待するという、言ってしまえば彼女の気まぐれ以外の何物でもない所業である。そしてその仔細は一部の者(具体的には美花や伴桑といった五色同盟国関係者)しか知らされていないので、マグナもヤクモも彼女が何用で国に戻ったのかまでは把握していない。
しばらく二人は夜風にあたっていたが、やがて踵を返してテントの集まっているエリアへと戻って来た。
そこで何やら言い合いをしているのを聞いた。
一人は神器グングニールを携えた藍色の髪の少年、ヴィーザル。もう一人はやや露出度のある鎧と羽飾りの付いた兜を身に付け豪華な首飾りをした、撫子色の髪の女騎士だった。
「……?アンタはもしかして、ラグナレーク王国のフレイヤか?」
マグナは女騎士の方を見て問うていた。
フレイヤはエインヘリヤル七隊長で唯一の生き残りである。故に今回の侵攻作戦には参加せず、ラグナレーク本国から南に位置するマッカドニア州との隣接地、ビフレストの守りに当たっているはずであった。
フレイヤは、正義の神が来ていることに気が付くと、言い合いを中止してひざまずいた。
「これは正義の神マグナ様……!私はラグナレーク王国騎士団のフレイヤです。遅ればせながら、貴方様の助力をするべくこうして馳せ参じました……!」
「助力か……それは助かるがビフレストの守りはいいのか?」
「はい、ツィシェンド陛下の王命でございます。南に隣接するマッカドニア州は西方諸国連合によって支配され、もはやすぐにビフレストが危険に晒される心配はなくなったので、今こそ正義の神の助けになるようにとご命じなさったのです。先の戦いで惨敗を喫した我がラグナレーク王国だけが、此度の戦で指を咥えて見ているだけなのが不服だったのでしょう」
「そうか、事情は理解した。こちらとしても戦力が増えるに越したことはない。フレイヤ、よろしく頼む」
マグナの言葉が終わると、フレイヤは面を上げつつヴィーザルの方に視線を戻した。
「それでヴィーザル……話を戻すようですが、貴方はビフレストに帰りなさい。迎えの者を寄越すように連絡しますから」
「嫌だ、ボクも行く」
ヴィーザルは迷う素振りすらなく突っぱねた。
「どうしてですか!?これから向かうザイーブ州は、帝都カウバルを擁するアレクサンドロス大帝国の本拠地です!下手をすれば命を落とすことになるかもしれません。貴方はフリーレの代わりに生きていくと約束したのでしょう?」
「だからだよ。もしフリーレが生きていれば、きっと今回の最終決戦に参加したがっただろうからね」
フリーレは戦いを好いているわけではない。だが立ち向かう生き様に誇りを持っていた。ヴィーザルもそれについては理解している。
「しかしいたずらに命を危険に晒すのは……」
「世界の何処にも、真に安全な場所なんてありはしないさ」
彼には取り付く島もなかった。この頑固さもどこかフリーレに似ていた。
フレイヤは困ったように立ち尽くしていたが、そこにマグナが口を挟んだ。
「フレイヤ、俺からも頼む。ヴィーザルを同行させてやってくれないか」
「正義の神様まで……」
「コイツは生半可な覚悟で此処まで来ていない。それにたとえムリヤリ追い返したところで、独りで駆け付けて来るだろう。神獣スレイプニルも居ることだしな」
マグナが視線を向けた先では、スレイプニルがオアシスの水を飲む姿がある。
「……それもそうですね。分かりました、共に参りましょうヴィーザル」
フレイヤはしぶしぶといった風に、ヴィーザルが同行することを承諾した。
「ただし無茶だけはしないでくださいね?」
「できるだけね。でも確約はできないかな……だってフリーレは無茶ばかりして生きてきただろうし」
「まったく、この子は……」
まるで姉のように嘆息するフレイヤ。
そこにヤクモが声を掛けて来る。
「フレイヤ殿、明朝にこのアシャ・ワヒシュタからザイーブ州に向けて進軍を開始する予定だ。既に他の面々には伝えていることではあるが、どのようなメンバー・編成で進むのか等、其方にも情報共有をしようと思う。こちらへ参れ」
「はい、お願い致します」
そしてヤクモが誘導する形で、フレイヤは参謀テントの方へと向かって行くのであった。
◇
同じ頃、カウバル城の玉座の間では、皇帝リドルディフィードが奇声を発しながら転げ回っていた。
「うがあああああああああああ……!」
現実を受け入れられず、無様な醜態を晒している。
「ふにゃああああああああああ……!」
やがて転げ回るのを止めたかと思えば、暗く沈んだ声でぐずり始める。
「なんということだ、ザイーブ州以外の領地をみんな奪われてしまったぞ……もうダメだぁ、おしまいだぁ……」
情けなく弱音を吐き続ける皇帝に嘆息しながら近づく姿があった。
第18師団”参謀部隊”のダンタリオンである。
「落ち着きやがれください、主様。まだ諦めるには早いかと」
眼鏡を上げながら、殊更に宥めるように言っていた。
「し、しかしここからどう巻き返せばよいのだ……?戦闘部隊のほとんどが壊滅、おまけに精鋭部隊までやられてしまったのだぞ!」
「確かに由々しき事態ではあります。もはや敵の進軍を押し留めることは不可能でしょう」
ダンタリオンは後ろ手を組んで、理性的な声で話を続ける。
「ここは発想を転換するとしましょう。現在、世界中が結託して我らアレクサンドロス大帝国を滅ぼそうと躍起になっております。つまり我々を倒しうる戦力が一か所に集っている状況なのです」
「た、たしかにそうだな」
「いっそ奴らの主力をこのカウバル城に招き入れてやりましょう。そして一網打尽にするのです。我々にはまだ最強の戦力が残されていますからね」
「……!近衛部隊か……!」
第1師団”近衛部隊”。それは魔軍において紛れもなく最強の戦力であった。
皇帝リドルディフィードが魔軍の維持に日頃から費やしている神力の、実に半分以上が近衛部隊に費やされていた。しかし近衛部隊の役割は皇帝と城の警護であり、今まで一度も前線にまで出て来たことはなかった。
その近衛部隊が、いよいよ動き出す時が近づいていた。
「はい、近衛部隊の総力を以て正義の神一行を亡き者にするのです。そうすればもはやこの世界に我々を脅かす存在はございません。今回の状況は、我々にしてみれば最大にして唯一の難局なのです」
「おお!そうだ、そうだとも!流石だな、ダンタリオン!希望が見えてきたぞ!」
皇帝はいつもの調子に戻り始めていた。
別に彼は近衛部隊の存在を忘れていたわけではない。ただ自身の成功体験の少なさから、気持ちが折れやすいところがあった。その為に無様に転げ回っていたのだが、ダンタリオンの口の上手さもあって持ち直していた。
「ここさえ乗り切れば、もはや世界の何処にも俺の敵は存在しない……!俺こそが!俺こそが大陸の覇者となるのだ……!フハハハハハ……!」
彼は立ち上がると、いつも通りに耳障りな高笑いを始めるのだった。
明朝、まだ陽も昇らぬ内にアシャ・ワヒシュタからザイーブ州に向けて進軍が開始された。
主力陣は正義の神マグナ、白明団の構成員(トリエネ、マルロー、バズ、アーツ)、ラヴィア、ヴィーザル、フレイヤ、そして戦闘能力こそないがヤクモ(一応、マルローお手製のアシスト機能付き武具を装備している)。この九名が先導する形で三手に分かれて、複数ルートから帝都カウバルを目指す。
アシャ・ワヒシュタには、集まっていた兵力の四分の一ほどが残された。また白明団の構成員で、情報連携や連絡係として優秀なアリーアとグラストはこの都市に残留している。
三ルートの内、一つは正義の神とヤクモ。もう一つはラヴィア、ヴィーザル、フレイヤ。最後の一つは白明団が先導して兵を進めている。みな馬に騎乗している。夜明け頃の砂漠は冷えるものがあった。しかし大陸最南端の地である為、日中は暑さを感じる気温まで上昇していくことだろう。
また、占領地の状況に着いても触れておく。
現在は各国家元首やそれに準ずる者たちが占領地に入り込んで、現地に駐屯している軍の指揮を取っているような状況であった。具体的にはツァルトゥール州の州都スプンタ・マンユには聖女メレーナが、ヴェーダ州の州都ウパニシャッドには美花、伴桑、風音、雲花の四名が、マッカドニア州の州都テルステアにはポルッカ公ラインハルトが、解放されたヴェネストリア連邦にはストラータ王国にフランチャイカ共和国の臨時総統シモンが滞在している。
進軍を開始して二時間あまりが経ち、辺りもすっかり明るくなった頃、敵軍の邪魔立てを何度か受けることになる。第1師団”近衛部隊”の兵士級、上級悪魔である。屈強な黒紫色の肉体に鋭い三叉の槍、力強い翼と尻尾……並みの兵士では歯が立たない相手であっただろう。
しかし詳細な戦闘描写については割愛する。
というのも、先導していた主力陣がいずれも強勢であることと、マグナがまたもや秩序を展開していたのでとくに苦戦もなく撃退できてしまったからだ(ザイーブ州はヴェネストリア連邦ほど広くなく、しかも今回は進軍範囲だけに展開できればよかったのでさほど時間はかからなかった)。
――結局彼らは、たいした被害もなく昼過ぎには帝都カウバルへの到着を果たした。
しかし彼らは気付いていなかった。敵の邪魔立てをすんなり撃退できた理由として、近衛部隊はそもそも総力を挙げて出兵してはいなかった。正義の神一行をカウバル城に誘い込む作戦であることを、ごまかす為のブラフのようなものであった(もしまったく迎え撃たずにあっさりとカウバルまで来させてしまえば、何かあると警戒されて城までやって来ないことを危惧してのことである)。
帝都カウバルは、巨大なオアシス都市である。
湧水から成る湖が広大な緑地を生み出し、それに面するように市街が広がっている。
活気のある街であったが、突如入り込んで来た軍にみな驚き慌てていた。しかし彼らは知らないわけではない。正義の神の名の下に、世界全体がアレクサンドロスという脅威を取り除こうと戦っていることを知っている。ザイーブの現地人にしても、それは望ましいことだった。
故に特段の邪魔立てもなく、一行は市内の中心に位置するカウバル城まで辿り着く。湖の畔の、少し高台になっている辺りに聳えている。
彼らが驚いたのは、砂岩や日干しレンガが主体の市街の建物に対して、城は白っぽい石レンガから造り出された西洋趣味丸出しの様相だったことだ。元々あった王宮を取り壊して建てたのだろうとヤクモは言っていた。どこかノイシュヴァンシュタイン城に似ているとも言っていた。
マグナは扉を破壊すると、いの一番に城内へと侵入した。他の八名も続く。兵士たちは同行させず、市街の方で引き続き警戒にあたるようにお願いしている。
初めにまず、大広間のような空間に出逢った。
そこに特段何もなく、上階へ至る為の階段も見られないことを確認すると、九名は更に先へと進み始める。階段を見つけて登ると、長い通路のような場所に到達する。
「みんな、ここから先は何があるか分からない。用心して進もう」
背後に向けて言いながら、マグナは進んでいく。
そして歩きながら、どうにもデジャビュを感じていることに気が付いた。あれはアースガルズのヴァルハラ城で、対侵入者用の通路を歩いていた時のことだ。あの時は突然床が崩れ落ちて、地下深くの空間にまで墜落させられてしまった。
彼はその時の記憶を想起したが、思い出すのが少し遅かったようだ。
突如盛大な音を立てて、通路全体が崩れ始めた。
一行は真っ逆さまに落下していくが、更に驚くべきことが起こった。落ちる彼らを迎え入れるように、四つの巨大な空間の裂け目ができたのだ。それは緑、赤、白、黒の四色で、それぞれが強烈な引力をもって渦巻いていた。
――九名はてんでんばらばらに、その裂け目に引きずり込まれると、何事もなかったかのように裂け目ごと消えてしまった。




