第260話 精鋭部隊:ガープ
最後の精鋭部隊は未だ出立していなかった。そこをラグナレーク王国に寝返った元魔軍の戦士が訪れる。
三つの戦線のいずれからも遠く隔たった場所、マッカドニア州内の荒野に一人の男の姿があった。
筋肉質で体格の良い、年季の入った出で立ち。
口髭を蓄え、武道着のような衣服に身を包んでいる。
彼は丘陵の上で座禅を組んでいた。夕陽に照らされる男の姿は、まるで巌のように一切の揺らぎがなかった。
しかし俄かにざわついた。
足音を聞いたからだ。それも只者の気配ではなかった。
(この気配は……もしや……)
初めて感じる気配だったが、どこか覚えのあるものだった。彼は静かに立ち上がると、足音の近づいて来る方を向く。
――そこに居たのは、褐色の肌に緑の長い髪と角を生やし、武骨なハルバードを引っ提げた女であった。
「ほう、誰かと思えばエリゴスではないか。見違えたぞ」
男は歯を見せて、笑いながら言った。
エリゴスは生きていた――
彼女はあの日の戦いで、サブナックの攻撃に吹き飛ばされて戦線離脱していたが、命まで落としてはいなかった。しかし満身創痍、疲労困憊でいつ死ぬとも知れなかった。草の根を食んで、泥水を啜って、死力を尽くして生き延びてきた。すべてはこの時の為に……
エリゴスは静かに男に向かっていく。彼女は鎧を着ておらずボロを纏っていた。肌は傷だらけで瞳に執念ばかりが燃えているようだった。もしフリーレが今の彼女を見たならば、きっと自分の生き写しのように思っただろう。
「やはり此処に居たか……此処が貴様の修練場だと聞いていたからな。他の精鋭部隊は動き出しているようだが、貴様はあまり事を急がないきらいがある。まだ出立してはいないと思っていたぞ」
魔軍時代の記憶を呼び起こしながら言っていた。
エリゴスは遠くからハルバードを突き付け、言葉を続ける。
「第2師団”精鋭部隊”のガープよ……!私と戦え……!」
「ほう……」
ガープはにやりと笑った。
「よほど死にたいようだなエリゴス。お前が成長したのは認めよう……しかしそれでも吾輩には敵うまいぞ。お前は自ら死ににきたようなものだ」
「そうだな……確かに、私は死に場所を求めて此処へ来た」
エリゴスはぽつりと返した。
「もはやお頭がこの世にいないことは分かっている。そしてお頭のいない世界を、いつまでものうのうと生きていたいとは思わない。だがこのままではお頭に合わせる顔がない。私はあの日の戦で何の戦果も得られてはいないからだ」
やがてハルバードを振りかざし始める。
彼女は死に場所を探していた。
同時に証明できる場所を求めていた。
自らが死線を越える力を身に付けたことを、真に生きるということを果たせることを。
「私は示さなくてはいけないんだ!私はお頭から真に生きるということの意味を学んだつもりだ……だが私は、きっと本当には死線を乗り越えられてなどいない」
「……」
「私はかつてフォルネウスこそ倒したが、あれはフレイにフレイヤ、そしてウァラクの協力があってこそのものだった。力を合わせて戦うこと自体は戦闘の真価であると私は思っているし、それを否定するつもりはないが……」
彼女は決意の眼差しを以て、次のように言った。
「しかし……!最期の最後で、私はようやく己が力のみで眼前の死線を乗り越えてみせるのだ!ガープ、貴様の命を貰い受けるぞ!冥府でお頭に会う時の、私の手土産になってもらおうか!」
エリゴスの啖呵を、ガープは実に面白そうに笑いながら聞いていた。
といっても彼は嘲ってなどいなかった。むしろ武者震いが止まらなかった。
エリゴスが決して口先の勢いだけで言っているわけではないことが、彼にもひしひしと感じられていた。
「ガハハハ……!いいだろうエリゴス!このガープ、お前の生涯最後の仇となってやろうぞ!」
ハルバードを構えるエリゴスを前に、ガープもまた拳を握って構えた。
「それにしても吾輩に勝負を挑むとはな……勇猛というべきか無謀というべきか。勝てるとでも思っているのかね?」
「残念ながら絶対の自信はない。だが貴様ほどの相手でなければ、真なる死線とは呼べんだろう」
「ガハハハ、嬉しいことを言ってくれる!そうとも、吾輩こそが魔軍における肉弾戦最強の存在!この手の話題になるとマルコシアスやベレトの方がよく話題に上るが、吾輩から言わせればあやつらは図体のデカさに頼り過ぎだ」
ガープは叫びながら、溌剌と跳びかかって来る。
「エリゴスよ、神経を研ぎらせて、全てを賭して挑むのだ!でなければ吾輩には勝てまいぞ!」
鋭く振られるガープの拳を、エリゴスは寸前で回避する。頬に掠って血が飛び出した。それを拭う暇もなしに、彼女はハルバードを豪快に振るって一撃をお見舞いしようとする。
しかし難なく躱されてしまった。そして重い拳を打ち込まれる。
血を吐きながら、エリゴスは苦し気に膝をつく。それでも負けじとハルバードを拾い上げて、再び振るい出す。重い武器を振り回している為か、やはり攻撃速度は生身一つで戦っているガープに比べて劣ってしまっているようだった。
(ふむ、だからといって武器を捨てる選択肢はあり得ない。こやつの拳の一撃では、吾輩の屈強な肉体には致命傷を与えられんだろうからな)
攻撃を避けながら、ガープは考えている。
(とはいえ、こやつの攻撃がまったくノロマなわけではない。それどころかハルバードを振るっている割には異常な速さだ。他の将軍級では為す術もなく攻撃に晒されていたかもしれぬ。吾輩も”二秒先の未来を見通す”能力がなければ、何発か掠っていたことだろう……)
エリゴスは知らなかったが(というか近衛部隊と精鋭部隊の特殊能力については知っている方が少数派なのだが)、ガープには未来を予測する能力があった。彼の強さは身体能力の高さもさることながら、この能力によるところが大きい。
(たった二秒先だ、未来予知のような御大層なことはできん。だがこういう戦闘の場では、このたった二秒が活きてくる。たかが二秒、されど二秒なのだ。分かるぞ!次にお前がどのように動くのか、そして吾輩がどのように攻撃すればよいのかがな!)
結局、エリゴスのハルバードの攻撃は掠りもしない。
そしてその度に重い拳を叩きこまれる。
これが幾度となく繰り返された。
エリゴスはひゅうひゅう息を切らしながら、血反吐を吐き散らしていた。もはや執念だけで立ち上がっていた。意識は耗弱として、目もあまり見えなくなっていた。
エリゴスは再度ハルバードを振り上げ挑みかかるが、攻撃は虚しく宙を裂き、その隙にガープの拳に吹き飛ばされる。既に何度も見た光景であった。
「負けを認めろエリゴス!そうすれば楽にあの世に送ってやる!お前はよく頑張った!先遣部隊などという、人任せの雑魚部隊の長でしかなかった頃とはえらい違いではないか!お前の成長、武勇は決して忘れぬと此処に誓おう!」
「ま、まだだ…………」
彼女は傷だらけのまま、またしても立ち上がった。
いよいよガープもその執念に、驚きを通り越して気味の悪さを感じ始めていた。
「何故、そこまでする……?エリゴスよ……?」
「私は、負けるわけには、いかないのだ……!死ぬ前に、あの人と、同じ景色を見るまでは……!あの人と、同じように、なれるまでは……!」
血を吐きながら、定まらぬ視線のまま駆け出した。
「負けて…………たまるかああああああああ!」
ハルバードを振り続ける。攻撃を回避するガープに、死に物狂いで追い縋って攻撃を間断なく続けてゆく。のべつ幕無しに畳み掛けてゆく。
「ぐうう……!おのれ……!」
驚くことに、いよいよガープの肉体に傷がつき始めた。
エリゴスの攻撃を躱しきれなくなってきたのだ。
(し、信じられぬ……!なんという執念だ……!二秒先を読めても対応しきれん!攻撃も防御も絶妙に間に合わん!)
エリゴスの攻撃の軌道がガープには見えている。しかし見えているだけだ、肉体は彼女の攻撃に対応しきれずに掠ってしまうようになっていた。カウンターの一撃も、エリゴスの動きが見えているにも関わらず追いつかない。虚しく空を突くばかりであった。
次第にガープは押され出していた。
(よもや、よもや、このようなことが……!)
「うがああああああ……!」
エリゴスはほとんど忘我の状態に成り果てていた。
これはちょうどフォルネウス戦で、彼女が最後に見せた執念に憑りつかれた姿と同じようであった。
もはや意識も視力も薄弱としている。されども足りない感覚を補い足すかのように、エリゴスの全神経はやたらと過敏になっていた。それは二秒先を読んで回避や反撃に徹してくるガープをも追い詰めるほどに、的確かつ苛烈な攻撃を可能にしていた。
ひたすらに腕と脚を動かし続ける。
そしていよいよ、ついにハルバードの一撃がガープの胴を盛大に叩き斬り、致命傷へと至らせた。
「ぐああ……!」
(今だ……!)
一撃で倒れてくれるなどと甘いことは考えていなかった。
今の隙を逃すまいとエリゴスは更に追い縋って、再びガープに渾身の一撃を叩き込んだ。
彼は滝のように血を流しながら、しばらく覚束ない足腰で地に立っていたが、程なくして倒れ伏した。
「見事だ……エリゴス……」
最期にそう言い残した。
その言葉には恨みも怒りもない、ただ目の前の孤高なる戦士への賛辞と、それと戦えた満足だけが込められていた。
ガープの最期を見届けた後、エリゴスはふらふらと丘陵の縁に向かって歩いていく。途中でハルバードを手落とした。それを拾い上げることもなく、彼女は断崖のへりに佇んで黄昏に染まる荒野を見渡していた。
「お頭……これが、これが、貴方が見ていた景色なのですね……」
エリゴスの目は涙で溢れていた。
薄弱としていた視界が更に奪われ、いよいよ闇に閉ざされた。
脱力していく感覚に心地よさすら覚えながら、彼女は頽れ、息を引き取った。
これにて本章は終了となります。物語も終盤に差し掛かり、様々なキャラクターと想いが交錯する章となりました。次章はいよいよ最終章となります。




