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God:Rebirth(ゴッドリバース)  作者: 荒月仰
第11章 世界大戦
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第258話 精鋭部隊:モラクス

東方戦線にて、ラヴィアたちは戦闘の終結を確認していた。そして此処にも精鋭部隊の刺客が現れるが……

 東方戦線の断崖上ではラヴィアが、戦闘の終結を確認していた。

 結果として重鎧部隊は壊滅、東方戦線は五色(ウースー)同盟国側の勝利で幕を閉じた。


 進軍を再開し、ツァルトゥール州を目指す兵士たちをラヴィアは眺めている。彼女の近くにはバルバトスとレライエが相変わらず追従している。


「さてと、ひとまずあの四人任せで問題ないでしょう。それでは参りましょうか、バルバトスさん、レライエさん。我らが五色(ウースー)同盟国へ……!」

「ああ、まあよろしく頼む……」


 バルバトスはいまいち返答の仕方が分からず、曖昧に返していた。


 白い棍を片手に歩き出したラヴィアに続いて、彼とレライエも移動を始める。

 夕陽が二人に長い影を落としている。


「それにしてもバルバトスさん、五色(ウースー)同盟国ってどんな国なんでしょうね」

「そうだな、あまりよくは知らないがきっと良い国なんだろう」


 二人は何気なく言葉を交わしながら、しばらく歩いていた。

 ところがどうしたことか、或る時バルバトスは急にレライエを引き寄せて、ぎゅっと強く抱き締めたのだ。


「バ、バルバトスさん!?」


 レライエが驚きとともに顔を赤らめる。


「う、嬉しいですけど、その、せめてこういうことは二人きりになれる場所で……」


「違うぞレライエ!これは俺の意思じゃない!」


 バルバトスが叫んだ時だった。

 レライエを抱く彼の腕の力が、およそ正気とは思えない程に強くなったのだ。それは彼女の胴体の骨が折れかねない程だった。


「がっ……!あああ……!」

「ああ、レライエ!」


 バルバトスは肉体の自由がまったく効かなくなっていた。

 このままではレライエが再起不能の重傷を負ってしまう!


 しかし異変に気付いたラヴィアが急速に接近し、四聖剣を白虎形態から青龍形態へと変じて、空中を鋭く斬り裂いた。


 途端にバルバトスの肉体は脱力し、レライエはなんとか負傷する前に解放された。ぜいぜい息を切らすレライエを(いた)わりながら、バルバトスはラヴィアに声を掛ける。


「すまないラヴィア、助かった!しかし敵の姿が見えないな。暗躍部隊なら透明化の能力を持ってはいるが、それにしても気配を感じられなかったのが妙だ」

「影ですね」


 ラヴィアは一言だけ返した。

 彼女の視線を追えば、付近の地面を見つめている。


 奇妙な状況であった。この場に居る人数は三人、されども影の数は四つあったのだ。正体不明の影は夕闇の中でも長く引き伸ばされておらず、不気味に蠢いていた。


 さきほどラヴィアは(くう)を斬ったのではない、影を斬っていたのだ。突如現れた謎の影がバルバトスの影に結びついていたのをいち早く見抜いていた。その接続点に自身の剣の影が重ねるようにして、剣を振るっていた。


【アハハハハハハ……】


 その正体不明の影は、浮き上がるようにして姿を現した。

 牛の骨をかぶり、クリーム色の長い髪を揺らした女性の姿だった。呪術師のような衣装を身に纏い、背丈はラヴィアより僅かに高い程度である。


「モラクス!」


 レライエに寄り添いながらバルバトスが叫んでいた。


(モラクス……?たしか第2師団”精鋭部隊”の将軍級(コマンダー)でしたよね?)


 ラヴィアは予め聞いていた魔軍(レメゲトン)の情報を思い出していた。同時に精鋭部隊が近衛部隊に次ぐ図抜けた強さの部隊であることも。


 決して油断ならぬ相手だと、気を引き締めながらラヴィアはモラクスを見つめていた。


「うーん、惜しかったなあ。もう少しで裏切者のレライエを始末できたのに……他ならぬ愛する男の手でね」

「モラクス、貴様ぁ!」


 叫ぶバルバトスの前にラヴィアが仁王立ちして、モラクスの前に立ちはだかった。


「精鋭部隊のモラクスさんですね?どうやら影を通して他者を操る能力をお持ちのようで……」

「アハハ、すごいねえ君。まさか”影縫い”の能力をこんなにも早く看破されるとは思わなかったよ」


 ラヴィアはかつて武術の師匠の波海蘭(ポーハイラン)に、戦闘の極意は”()る”ことであると徹底的に叩き込まれていた。今回はそれがとくに功を奏していた。


 モラクスもまた警戒の念を以てラヴィアに対峙する。


「お気づきの通り、ボクは精鋭部隊のモラクスさ。現在精鋭部隊は散り散りに各戦線に赴いて、敗北した部隊の尻拭いをしている状況なんだよ。ボクはこの東方戦線の担当ってワケ」


 髪を手で()きながら彼女は言う。どこか男のような話し方だ。


五色(ウースー)同盟国盟主ラヴィア・クローヴィア、そして裏切者のバルバトスとレライエ……君たちの命を貰い受けるよ」


 モラクスはその場から一歩たりとも動いていない。

 しかしラヴィアはいち早く気が付いた、モラクスの影だけが不気味に蠢いてラヴィアの影に結びつこうとしていることに。


 彼女は四聖剣を玄武形態に変えると、空中に高く放り投げた。くるくると回転しながら柄の付いた大きな盾が弧を描いて飛んでいく。


 空中に投げ出された盾は夕陽の光を受けて、伸びるモラクスの影とラヴィアたちとの間に絶妙に影を落とした。


(おお……!)


 バルバトスの目には、この防御方法は有効に作用したように見えていた。ところが突然ラヴィアの体が硬直してしまったのだ。見れば盾が落とす影をぐにゃりと避けて、モラクスの影はラヴィアの影まで伸びていた。


「ラヴィア!」

「そんなちゃちなやり方でボクの能力を防げるわけないだろう?君はもうお終いさ」


 得意げに嗤うモラクス。しかし焦っていたのはバルバトスとレライエばかりだった。

 肝心のラヴィアは涼しい顔のままでモラクスを見つめている。


「……」

「どうしたんだい?何を余裕ぶっているのさ?もう君の体はボクの意のままだよ」

「まあ、私の狙いは別にありましたので」


 ラヴィアは、ぽつりと呟くに留めた。

 モラクスには言葉の真意を看破できなかったが、直後に放り投げられていた盾が墜落してきて地面を叩き割った。それに連動してモラクスの影とラヴィアの影との接合点も砕けて壊れた。


 ラヴィアは肉体の自由を取り戻して、モラクスと距離を取った。


(なるほど、操られること自体を防ぐというより、操られた後の解放手段として盾を投擲していたのか)


 バルバトスは笑った。やはりかの五色(ウースー)同盟国盟主は只者ではないと舌を巻いた。

 しかしモラクスも不敵な笑みを崩していない。


「あらら、上手く脱出されちゃったね。けどこんな方法は一度しか通用しないよ?この夕陽の下でずっとボクの影の追跡から(のが)れられるはずがないし、今度捕まったらいよいよお終いだろうね」

「まあ、そうでしょうね」


 ラヴィアはまたしても簡素に返しただけだった。

 その動じていない様子がモラクスには不愉快だった。


 モラクスは少しだけむくれた後、再び影を自在に伸ばし始めた。ラヴィアは四聖剣を青龍形態にして拾い上げると素早く走り出す。なんとか逃げおおせようとするが、夕陽の光で影は長く引き伸ばされているのである、自身の体ならともかく影が敵の追跡に晒されぬように避け続けるのはやはり至難の業であった。


 再びモラクスの影はラヴィアの影に癒着し、彼女は肉体の自由を奪われるに至った。


「捕まえたよ!今度こそお終いだ!」


 ラヴィアの意に反して、四聖剣は彼女の心臓に向けて突き付けられる。


「死ね!ラヴィア・クローヴィア!」


 ぐさりと、青白い刀身が深々と彼女の胸部を貫いた。

 貫通して背中側にまで切っ先が飛び出していた。

 おびただしい量の血が流れ出していた。


 モラクスの顔は愉悦に歪んだ。

 ――しかし彼女の表情は、途端に愉悦から絶望に様変わりする。


 いつの間にか、胸から血を流すラヴィアの姿は立ちどころに消えていた。代わりに両腕を後ろに引っ張られる感覚を覚えた。それだけでなく、怖気の走る冷たい感覚が首筋に迫った。


 なんとラヴィアはモラクスの背後を取り、彼女の両手を抑えつけながら、右腕に持った四聖剣の刃を首に当てがっていたのだ。


「ば、馬鹿な!」


 さしものモラクスも声を上げて驚いていた。

 何度見直しても、先ほどまでラヴィアが居た位置には誰の姿もない。


「まさか、幻覚か……?」

「そのまさかですよ。私は四聖剣を通して、玄武のまやかしの術をある程度使えますので」

「でもいったい、いつの間に……?」


 そこでモラクスは、最初にラヴィアの肉体を乗っ取ったタイミングを思い出した。あの時は直後に盾が降って来て影を割ったので、ラヴィアには肉体の自由を取り戻されてしまった。


 モラクスは気付きつつあった。あれは彼女が乗っ取りに成功したとかではない。


 この夕陽の下で影の追跡を躱し続けるのは不可能というのもあったが、ラヴィアはむしろ敢えてモラクスに肉体を乗っ取らせていたのだ。しかし動けないままなのは困るので打開策も同時に打っておく必要があった。玄武形態で放り投げた四聖剣はその為のものだった。


「そうか、最初に肉体を乗っ取ったタイミングか……!あの時点でボクに幻術を掛けていたんだな!」

「まあ貴方は油断ならない相手でしょうし、能力の都合上自分から触りに来てくれますからね。早めに手を打っておいたまでです」


 モラクスはこの状況からなんとか影を操作しようとした。

 しかしラヴィアは夕陽に向かうような位置取りをしていたので、影は絶妙に二人の背後方向に向かって伸びている。動きを止められている状況下では影を視認しようがなかった。


「く、くそ……!」

「もう諦めた方がよろしいのでは?勝負は着いたように思えますので」


 腕を抑えつける力を強める。剣の刃を首筋に触れさせる。血が流れ出す。モラクスは冷や汗も流し始めた。


「ねえ、物は相談なんだけどさ……ボクのこともバルバトスやレライエみたいに見逃してくれない?」

「嫌ですけど?」


 ラヴィアの瞳は揺るぎない。


「つれないなあ、ボクたちはせっかく似た者同士だというのに」

「聞き捨てなりませんね。いったい私のどこに貴方との共通点があるのでしょうか?」

「同じようなものだろう?ボクは影を通して他者を操れる存在、君は国を通して他者を操れる存在だ」


 モラクスはせせら笑いながら言っていた。

 彼女には見えていないが、ラヴィアの瞳孔は不穏に見開いていた。


「為政者なんて苦労ごとの多い役回り、他人を思うように使役できるという役得でもなくっちゃ、やってられないだろう?君だって心のどこかで感じていたはずだ。人民の上に君臨する愉悦を、自分の言葉一つで他人の命すらも簡単に終わらせられる快楽を」

「……」

「そして、そんな感情を抱いていたことを正直に話せば間違いなく幻滅されるだろうね。けどボクならば理解してあげられるよ?君のそんな行き場の無い想いをね……」

「……モラクスさん、でしたっけ?」


 ラヴィアの声はすわっていた。


「――――楽に死ねると思わないでくださいね?」






 モラクスはいつの間にか、意識を喪失していた。

 目が覚めて起き上がると、辺りの風景が一変していることに驚く。


 奇妙な場所だった。

 葉がごっそり抜かれ、皮まで剥がされ尽くした樹木がそこかしこに生えている。周囲の地面には草も繁茂しておらず、やたらめったら掘り返された後が目立った。


 まるで死んだ林の中に居るようであった。


「此処は……?ボクは、いったい……?」


 思考がぼんやりしていた。

 十数秒ほど遅れて、ようやく自身の服装もおかしいことに気が付いた。穴だらけの、汚れきったボロを身に纏っていた。頭部の牛の骨も消えている。おかしいのは服装どころではない。全身がまるで枯れ木のようにやせ細っていた。


 力が出ず、立ち上がることすらままならなかった。

 酷い空腹だった。へたり込んだ姿勢のままで、大きく腹の虫が鳴った。


「くそ、体の力が出ない……腹が、腹が減った……」


 なんとか立ち上がって、まるで生まれたての小鹿のように覚束ない足取りで何歩か進むが、ふらついて再び倒れ込んでしまった。またしても腹の虫が鳴った。


「ダメだ、死ぬ……何か、何か食べ物を……」


 動けないまま苦しんでいるところに、足音が近づいて来るのが聞こえた。

 誰か居る!

 救いを求めようと顔を上げるが、そのやって来た人の姿を見て驚愕した。


 髪は抜け落ち、肌は土気色、頬は痩せこけ、手足は枯れ木のように細く、腹ばかりが出ている男であった。彼は両手で石を抱えており、まるで獲物を見つけた(けだもの)のような視線を送っていた。


 男はひたひたと近づくと、おもむろにその石を振りかざし始める。


「お、おい……まさか……」


 彼女の顔は恐怖に歪んだ。


「や、やめて……やめてくれ……!助けて……!助けて……!」


 懸命に逃れようとするが、体がロクに動かなかった。

 やがて頭蓋を割られる感覚とともに、意識は途絶した。



 目覚めると、今度は薄暗い小屋の中に居る。

 そこには自分の他に数人程の男女が縄に縛られ拘束されていた。


(な、なんだ?またしても景色が変わったぞ……此処はいったい?)


 程なくして、十人以上の男たちがぞろぞろと入り込んで来た。髪は紅く、手には真っ黒い鈍器のような物が握られている。


「テメーらか、俺たちの屋敷に忍び込んだ不届き者ってのは」


 先頭の人相の悪い男が言った。

 拘束されている男の一人が、毅然と抗議した。


「仕方がないだろう!俺たちが作った食糧を、アンタらがみんな持っていっちまった!」


 口答えしたその男の頭を、人相の悪い男は鈍器で力強く殴打した。

 割られた西瓜のように血を流して脱力した。他の捕縛された者たちはその様子を見て血相を変えた。


「口の利き方に気を付けな。この世界は力がすべてだ。強い者にはすべてを手にする資格がある。弱い者には何の権利もありはしないのさ」


 男たちはぞろぞろと鈍器を携え、近寄って来る。


「テメーらにはむごたらしく死んでもらうぜえ!俺たちの憂さ晴らしの為になあ!」

「げへへ!おい、あの女は俺にくれねーかよ?結構可愛いじゃあねえか」

「馬鹿がよ、こーいうのは全員で楽しむモンだぜえ」


 口々に笑いながら話しているのである。

 やがて男は殴り殺されて、女は服を剝かれて裸にされていく。


 彼女も縄とともに服までも取り除かれていった。

 必死に逃げ出そうとしながら、何故こんなことがまかり通るのかと思った。しかし乱暴に殴り付けられて、複数人で体を抑えつけられる。


「うひょひょ……!コイツが一番可愛いじゃねーかぁ!」

「や、やめろぉ!放せ……!」


 暴れようとするも詮無きことだった。

 またしてもゴチンと頭を殴られて、おおいに流血した。


「抵抗するなんて生意気な奴だな!身の程を知りやがれ!」

「この世界は力こそがすべて!俺たち強者は何をやったって許されるんだぜー!」


 男たちの下卑た笑い声を聞きながら、やがて意識が遠のいていった。



 今度は荒れ果てた街の中に居た。

 彼女にはいよいよ予想が出来始めていた。またしても命が脅かされるような、何ごとかが起こるのだろう。しかし今度は腹が減っても拘束されてもいなかった。


 それでも彼女は恐怖につままれた表情で、おっかなびっくり荒れた街を彷徨い歩いた。

 不意に、背後から声を掛けられた。


「アンタ、誰だい?」


 驚いて振り返る。心臓が止まりそうな気持ちだった。


 しかし声を掛けてきたのはガラの悪い男でなく、むしろ人の良さそうな印象の青髪の男性であった。彼女はこの人なら助けてくれるかもしれないと思った。


「あ、あの……ボク、道に迷ってしまって……此処はいったい」


「アンタ、スパイだね?」


 男は聞く耳を持たなかった。


「え?」

「見ない顔だが見た目の良い女だな。ってことは何か強大な能力を隠し持っているんだろう?」


 言いながら男の姿が、まるで怪獣のような巨大な姿に変貌していった。


「あ……!あ……!」

「十年ほど前までは女ばかりが強大な力を持って男を虐げていたが、今じゃ状況は逆転しつつある……!俺たちが社会を健全な形に戻すんだ……!お前には死んでもらおう!」


 容赦なく、巨大な爪をふりかざしてきた。

 それからは無我夢中で街の中を逃げ惑った。


 気付いていなかった。

 遠くの高台から、右腕を大砲に変化させた男が彼女を狙っていた。


 直後、炸裂音が鳴り響いて、意識も命も諸共に消し飛んだ。



 再び目が覚める。

 狭い部屋の中に大勢の人が押し込められていて、自分はその中の一人だった。

 自分を含む全員の肩には激怒した狐が鎮座している。


(もういやだ……ボクは、あと何回死ぬんだ……?)


 まだ何も起きていないのに、彼女はボロボロと涙を流し始めた。しかし部屋に押し込められている人たちの大部分が、彼女と似たような有様だった。


 しばらくして扉が開いたかと思えば、武装した兵士たちがぞろぞろと入り込んできた。


「時間だ!言われた通りについてこい!」


 兵士たちはみな槍を所持している。威圧を受けながら、皆ヨタヨタと部屋から歩き出していった。彼女もその群れに紛れて進んだ。進むしかなかった。


 長い通路を歩いて外に出ると、ぽっかりと大きな穴の空いた場所へと辿り着いた。

 そこは柵で囲われているエリアで、柵の外側にはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべた桃色の髪の人々が居る。段状になった造りに腰を下ろしている。もっとも柵に近い最前列の人々は、やけに柄の長い槍を持っている。


 先ほどの部屋から導き出された人たちは、兵士に脅されるままに穴の縁へと向かって行った。彼女も同じようにして向かい、驚きに口を開けた。


 穴の縁からは中心に向かう方向に、ひどく頼りない木の足場が伸びていた。

 そして穴の底には大量の鰐と毒蛇がひしめいていたのだ。


「い、嫌……!」


 彼女は逃げ出そうとするが、兵士に槍を突き付けられて逆らえなかった。追い込まれるようにして、足場へと立たされる。他の人たちも同じようにさせられていた。


 これから何が起こるのか、彼女には読めてきていた。

 答え合わせのように、柵の外側の人々が実に楽しそうな表情で、穴の縁に立たされた人たちを槍でちょんちょんと小突き始める。


「い、いやあ!」

「や、やめてくれ!」


 悲痛な声で叫んでいる。

 しかし外側の人々は聞く耳を持たない。


 やがて次々と、穴の縁に居た人たちは転落して生きたまま喰われていった。


 絶望した表情でそれを眺めている内に、彼女の方にも槍が迫って来る。


「やだやだ……!やめて、やめて……!」


 外側の人々はゲラゲラ笑っている。


「うるせえ、さっさと死にな!ポイント劣悪者どもが!」

「お前らみたいなゴミ人間、処分されて当然なんだよ!」

「こうして私たちの楽しみになることが、あんたたちのせめてもの存在価値でしょう?」


 槍で(つつ)かれ、(つつ)かれ、彼女はたまらず穴の底へと落ちていった。



 風そよぐ、麗しい川の(ほとり)に座り込んでいる。

 どこかこの世ならざる情感があった。


 いよいよ彼女の精神は限界を通り越していた。

 思考はおぼつかず、立ち上がることもままならず、ただひたすらにしくしくと泣いていた。


「もういやだ、もういやだ、助けて、助けて、助けて、助けて……」


 めそめそと、さめざめと、泣き続けてしばらくの時が過ぎた。


 涙が流れ尽きる頃、悲しい気持ちまでも流し尽くされたのか、綺麗さっぱり消えていた。

 いや、それどころではなかった。同時に何もかもがまったく思い出せなくなってしまっていた。


「あれ…………?ボクは、どうしてこんなところに居るんだろう……?」


 生まれたばかりの赤子が、いきなり物心だけを獲得したかのような感覚。


「ボクは……誰なんだ……?」


 分かることは何ひとつとしてなかった。

 何も考えられず、何も予想できない。

 未知という無限の牢獄が、彼女を最上位の恐怖へと落とし込んでいった――




 夕闇の空の下で、ラヴィア・クローヴィアは地に伏したモラクスを見下ろしている。

 彼女は泡を吹いて意識を失っていた。


【姫よ、いったいこやつにどんな幻覚を見せたのじゃ?】


 四聖剣から玄武のしわがれた声が聞こえる。


「少し体験して頂いたんですよ。我々五つの部族がどのような苦難を乗り越えてきたのかを」


 姫君は表情の無い顔で返した。


「我々五つの部族は耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、今日(こんにち)までを生き延びてきました。五色(ウースー)同盟国は永きに渡る艱難辛苦を乗り越えた先に生まれた奇跡の結晶です。決して相容れなかった部族同士が手を取り合う奇跡の体現なのです。そんな彼らの暮らしを預かる私の心に、邪な想いなどあるものですか……!」


 ラヴィアはもはや抵抗する力の無いモラクスの髪を掴んで引き上げると、その首を四聖剣で斬り飛ばした。

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