第255話 世界大戦⑩
少年は自らの手でフリーレの仇を討つことを決意する。そしてマルコシアスとの最後の戦いが幕を開けた。
少年はスレイプニルから飛び降りると、背の槍を手に移しながらマグナの方へと近寄って来た。彼が握っている槍にも見覚えがあった。
(ありゃ間違いない、フリーレのグングニールだ。何故だかアイツが使っていた時よりも小さくなっているように見えるが……)
つい今朝のことだ。
マルコシアスに折られたはずのグングニールが元通りに、しかも自分の体格にあったサイズに変化している様を少年は見たのである。
彼は思い出していた。神器には意思があるのかもしれないと、かつてフリーレが話していたことを。彼にとって、この摩訶不思議な現象は天の導き以外の何物にも思えなかった。
やがて同じ日にアレクサンドロス大帝国との世界規模の大戦が幕を開けたと知るや、少年はスレイプニルに跨って、ビフレストからこのストラータ王国まではるばるやって来たのであった。
「初めまして、正義の神。僕はヴィーザル。ビフレストの街から来たんだ」
軽い会釈をしつつ、少年はマグナに名を告げた。
「ヴィーザルか。俺は正義の神マグナ・カルタだ」
そしてちらっとグングニールの方に目を向ける。
「それはフリーレの奴が使っていたグングニールだな?お前はフリーレの何なんだ?」
「彼女の代わりに生きていくことを約束した者だよ」
「……そうか」
マグナは多くは聞かなかった。
なんとなく彼がフリーレにとってどういう存在だったか、最後の戦いで何があったのかが、今の言葉から察せられたような気がした。
マグナが黙っている内に、ヴィーザルはグングニールを手にマルコシアスの元へ向かおうとする。マグナとすれ違い際に、少年は尋ねる。
「正義の神、後は僕にやらせてくれないか」
「何?」
「勝手なこと言ってるのは分かってる。でも僕が自分の手でフリーレの仇を討つには、このタイミングで割り込むしかなかったんだ。全快のアイツに挑んだって勝てやしないだろうからね」
「……」
返事も聞かないままに、ヴィーザルはどんどん歩を進めてゆく。
「言っとくけど、僕が死にそうになっても助けなくていいから」
「……お前はアイツに生きる約束をしたんじゃなかったのか?何故自ら死に近づこうとする?」
「戦場なんてのはね、どいつもこいつも生きたくてたまらない人たちばかりが集っていたよ」
歩みを止め、起き上がりつつあった眼前の黒い狼に向けてグングニールを構える。
「別に僕は死ぬ為に来たわけじゃない。けどもし僕が此処で死ぬようなら、それは僕がその程度の命だったということさ」
「……」
「きっと生きるってことは、死にそうなことから逃れ続けることじゃない。何処に逃げたって世界は真に僕たちの味方にはなっちゃくれない……だから、僕は此処に来たんだよ」
「そうか、ならば好きにするがいい」
マグナは言いながら、まるでフリーレのようなことを言うものだと思った。実際にフリーレが人の生き様というものについて、そのように語っているのを聞いたわけではなかったが、如何にも言いそうなことだと思った。
「ちくしょう……!ちくしょう……!おのれ、正義の神め!」
やがて満身創痍のマルコシアスが立ち上がった。
ぜいぜい息を切らしながら、前方に目を向ける。正義の神でなく見慣れない少年が立ちはだかっているのを見て、彼はいぶかしげに眉をひそめた。
「……誰だぁ、テメェ?」
そして槍を見て驚愕する。
「ソ、ソイツは……俺がへし折ってやったグングニールじゃねえか!?テメェはいったい……」
「フリーレ・ヴォーダンの意志を継ぐ者だよ」
ヴィーザルは黒い狼に臆することなく言った。
「フリーレ……?そうか、アイツの……」
「マルコシアス、ここからは僕が相手になる。フリーレの仇を取らせてもらうよ」
「なんだと……?フフフフ、グハハハハハッ……」
少年の言葉を聞いて狼は高笑いを始めた。
しかし楽しそうな笑いでも、侮りを感じる笑いでもなかった。ただただ諦観の念だけが篭っているような響きだった。
「かたき討ちか、いつもなら心躍る展開なんだがなぁ……なんて、なんて気の乗らねえ戦いなんだ。テメェは俺を倒せれば仇が討てて万々歳だろうが、俺にゃ勝っても何のメリットもねえ。仮に俺が勝っても後ろで控えている正義の神が俺のことを見逃しちゃくれないだろう……」
それでもマルコシアスは僅かに戦意の感じられる瞳を向けながら、ヴィーザルに爪を突き付ける。
「俺は今日死ぬんだろうな、リドルディフィード様にゃ申し訳ねぇ……だが戦士として、武人として、戦果も無しに戦場から去るなんざ許されねぇ……本来なら狩る価値もねえ首だが……」
ダッと、槍を構えた少年に向かって跳びかかっていく。
「小僧!その首、寄越せやあ!」
そこからしばらくヴィーザルとマルコシアスとの戦闘が繰り広げられる。
マルコシアスは既に満身創痍であり、ヴィーザルの成長もあった為に戦況はかなり拮抗していた。マルコシアスの爪撃も噛みつきも絶妙にヴィーザルに当たらない、しかし彼の槍の一撃もなかなかマルコシアスには命中しなかった。
戦局は膠着し続けるように見えたがそうではなかった。
徐々にヴィーザルが押し始めたのだ。身体能力だけで見れば、傷だらけといえどもマルコシアスの方にずっと分があるだろう。ところがヴィーザルはこの緊迫した戦いの最中で、必死に頭を巡らせていた。敵はどのような動き方をするか?どうすれば必殺の一撃を打ち込めるのか?己の至らぬところを補うべく、とにかく頭を回していた。
これはマルコシアスにとってはあまり経験のないことであった。なにしろその圧倒的な体躯と身体能力で、たいがいの相手は一方的に屠れてしまうのだから。
片やヴィーザルは、フリーレに地獄に連れられて、少ない力で懸命に生き残るということをしかと学んできた。
土壇場で必死になることに関しては、ヴィーザルの方が何枚も上手であったのだ。
――気が付けば、ヴィーザルはマルコシアスの懐へと入り込んでいた。
「なっ……!」
「終わりだ、マルコシアス!」
背が低いので、眼前の狼を見上げる格好となっている。
そこからグングニールを素早く突き上げて、マルコシアスの下顎から脳天に向かって串刺しにする要領で頭部を貫いたのだ。
「……っ!!」
声にならない絶叫を上げながら、狼は顔から血を噴き出して昏倒した。
少年は狼が息絶えたのを確認すると、槍を引き抜き、その場を立ち去りながらぽつりと零した。
「…………仇は討ったよ、フリーレ」
弾けるような喜びはどこにもなかった。
どちらかと言えば、肩の荷が下りた感覚だった。
このかたき討ちは少年にしてみれば、彼女との約束から最初の節目であった。
◇
港湾都市シラーポリでは、波が引き始めていた。
海面は元の高さに戻って、水底に沈んでいた埠頭が姿を現す。
海の水は仄赤かった。体中から血を流しながら水面に浮いている大柄の半魚人が居たからだ。すぐ近くには彼らよりも更に大きなワニとウツボが、同じように無残な姿で浮いている。
やがていずれも沈み始めた。
それを見届けることもなく、マリンブルーの髪の男は背を向けてその場を後にする。
「さてと、後は残りの兵士級どもの殲滅だな。この街に覇海部隊の全員が集結していたわけではなかったみたいだし、結局リゼロッタ王国中の港町を巡らないといけないわけか。メンドくせぇ……」
彼の顔には激戦由来の白熱した汗はなく、日々の仕事に忙殺されている勤め人のようなわずらわしさばかりが浮かんでいた。




