第237話 ヒノモトのこれから
ここからエインヘリヤル壊滅後の話について綴る。マグナたちはドゥーマの打倒を達成したのち、聖都ピエロービカに身を寄せていたが……
エインヘリヤルが壊滅したあの戦争からひと月ほどが経過していた。
アレクサンドロス大帝国はヴェネストリア連邦の再統治を進めている段階であり、今のところラグナレーク本国に侵攻してくる気配はない。二度とヴェネストリアを失わないように慎重になっているとも、本国への侵攻などいつでもできることだと余裕に構えているとも取れる。
しかしラグナレーク王国はその間に事態の立て直しを図ることはとてもできない状況だった。というのも王都アースガルズが壊滅状態にあったからだ。
戦争の終結後、神聖ミハイル帝国で突如始まった”人類是正計画”――その中でドゥーマが引き起こした大地震がアースガルズを再起不能なほどに壊滅させていたのだった。
ところ変わって、此処は神聖ミハイル帝国の聖都ピエロービカ。
ドゥーマの計画によって数えきれないほどの犠牲者が出たこの街も、緩やかに復興への道のりを歩み始めていた。それは何も聖都に限らず帝国内のすべての集落に言えることであった。
かつて聖王ミヴァコフが暮らしていた大聖堂に、マグナとヤクモの姿があった。
ここには父を失い事実上この国の元首となった聖女メレーナも暮らしている。二人は彼女を頼ってこの街に身を寄せていた。
ここからはいきさつについて振り返る。
あれは一週間前、ヒノモトの地でドゥーマを討った直後のことである。
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ボロボロと、浮島を構成する土や岩石が崩落してゆく。
ドゥーマによって支配されていたヒノモトの大地が制御を失い崩れ出していた。
「まずいな、このままじゃヒノモトが墜落するぞ」
「き、きっとドゥーマが無茶苦茶したからだよ!」
マグナとトリエネは冷や汗を浮かべながら、辺りを見回している。
とてつもない震動を足元から感じている。
「……いや、まだ時間はあるはずだ。駆動システム<スサノオ>が生きている内に安全に着陸できるポイントを目指そう。このままでは海に落下してしまう」
いささか苦し気な声が聞こえた。
見ればヤクモがヨタヨタと近づいて来ていた。彼女はドゥーマの攻撃によって負傷の身であった。
「ヤクモさん、大丈夫なの?」
「ああ問題ない、まだウーラノスの力が残っているからな。飛べば移動も苦ではないだろう。とにかくお前たち、ひとまずはタカマガハラのコントロールルームに向かうぞ……!」
そうして三人はヒノモトの内部空間――タカマガハラに場所を移した。その間ヒノモトの民にはひとところに集まってもらって、とにかく勝手に動かないようにと念を押しておいた。
駆動システム<スサノオ>のコントロールルームで、ヤクモは忙しくキーボードに指を走らせている。どうやら彼女は、この浮島を西の方角(つまりユクイラト大陸の内地に向かって突き進んで行く方角)に向かわせているようであった。
「……ヤクモ、本当にいいのか?」
「何がだ?」
背後からマグナが問うた。
「お前は言っていたはずだ、このヒノモトは絶対不可侵領域だと。地上に対してその存在を徹底的に秘匿してきた。このままコトシロの機能が切れている状態で飛行と着陸を行えば、もう存在の秘匿は不可能だろう」
現在、監視防衛システム<コトシロ>の幻影機能・空間歪曲機能はオフになっている。つまり地上の人々からも容易にその姿を視認できる状態なのだ。
「……かまわんさ、このままでは民が全滅しかねないからな。何よりヒノモトをこれ以上隔絶させておくことに、私自身あまり意義を見出していない」
ヤクモは確信に満ちた声音で言った。
「マグナ、お前は言っていたな。ヒノモトの民は人間性――心の豊かさを欠いた状態であると。ただそうあるように仕向けられているだけであると。お前の言う通りだろう。このまま隔絶した環境が続いたところで、何百年何千年経とうが彼らは変わらぬ暮らしを続けていることだろう。もはや実験的意義もない。いい機会だ、今こそ彼らを世界に向き合わせてやるべきなのかもしれない」
「……そうか。なら俺も、全力でそれを支えるとしよう」
マグナはモニターの映像を見ながら、そう返した。
突き進む空の下にはいよいよ陸地が見え出していた。
そうして、もはや崩壊寸前だったヒノモトは神聖ミハイル帝国の東部に不時着した。
この帝国の東部は広大な大地が漠々と広がるばかりで大規模な集落はない。よって着陸による衝撃も人的被害はなかった。ただ周囲の地面が抉れ、木々がなぎ倒されるばかりだった。
その時の衝撃で、いよいよヒノモトを覆う外面部分は崩壊に至ってしまった。民は上部に居たので無事だったが、側面から底面にかけては岩石がガラガラと音を立てて崩れてゆく。物理的なコンポーネントが壊れたので、スサノオやワダツミといったヒノモト保全用のサーバ機器群も機能不全に陥った。
しかし肝心要の機器――管理権限サーバだけは無事であった。
これがダメになればヒノモトどころか世界全体に影響を及ぼすのでとくに重要なものである。その為こればかりはタカマガハラの最奥に位置していて、それを安置する部屋も非常に頑丈に造られていた。
結果として、ヒノモトは壊滅。
しかし世界全体には影響なし、といった形に収まった。
マグナ、ヤクモ、トリエネは協力して民を地上に降ろしていった。誘導をヤクモやトリエネが行い、実際に降ろすのはマグナの光の巨人によって行われた。当座の食糧も可能な限り持ち出していく。
ヒノモトの民全てが地上に降りる頃には、既に日が暮れかけていた。
民は皆、不安に摘ままれた表情で辺りを見回している。
当然だ、彼らは地上を知らない。今までヒノモトこそが世界の全てであると思い込み、浮島の下に広大な世界が広がっているなど思ってもみなかったのである。
そこにヤクモが現れて、皆の視線を集めると話を始めた。
「お前たち、今まで黙っていて済まなかったな。どうか聞いてくれ、この世界の真実を――」
彼女は次のことを話した。
ヒノモトの下にはユクイラトという広大な大陸が広がっていること。
マグナ、トリエネの本当の名と彼らが地上出身であること。
地上から現れた大地の神によってヒノモトは崩壊してしまったこと。
「何故、地上の世界があることを黙っておられたのでしょう?」
民の一人が聞いた。
「地上は危険な世界だ。多くの国や民族が入り混じり、戦乱に満ちている。お前たちの暮らしを脅かさない為にも必要なことだったのだ」
これに関しては方便だった。
実際には、隔絶した環境下で社会の推移を見るというれっきとした社会実験だったのだが、それについては伏せた。ヒノモトの民には、この世界が仮想世界だとか、世界の外側には創造主たる人間たちが居るのだとか、そこまでは話していない。地上が存在するというだけでも、今の彼らにとってはすぐには受け止めきれない衝撃だろうからだ。
「三十年以上も昔、幼馴染のハルトが突然行方を眩ませたことがありました。もしかしてそれは地上の世界に向かったから、なのでしょうか?」
また一人の民が聞いた。
「その通りだ。あやつは立ち入り禁止の区画に無断で入り込み、地上の世界を知ってしまった。そして好奇心に任せて飛び出してしまったというのが実情なのだ」
これに関しては概ね事実通りである。
ハルトは無断で、首長以外は立ち入り禁止となっているタカマガハラに入り込み(当時はエレベータを生体認証式にしていなかった)、誤ってスサノオの機能を起動させてしまい地上に向かってしまったいきさつがあった。
彼は地上を知って飛び出したというより、誤って飛び出した後に地上を知った形になるが、結局未知の世界の魅力に憑りつかれて冒険を始めてしまったのだった。
「で、では!今も何処かで生きているかもしれないのですね!」
「……そうだといいがな」
この手で始末した張本人は、言葉を濁しながら微妙な表情で返した。
事情の説明については一段落した。
これから話すべきは今後どうすべきかである。
今は民たちを余所に、マグナ、トリエネ、ヤクモの三人が集まって話をしている。
「それでヤクモ、今後はどうするつもりだ?」
「そうだな……ひとまず”タカマガハラ”(ここでは管理権限サーバのことを指している)を安置させられる場所が欲しい。それとヒノモトの民たちの受け入れ場所だ。この二つをどうにか探したい」
「私たちが探索した空間の、更に下にあるっていう巨大機械だよね?それってそんなに重要なものなの?」
「重要も重要だ。仮想サーバである”タカマガハラ”と、世界の裏側に存在する仮想データベース”ユグドラシル”、仮想ネットワーク”タルタロス”――この三つのシステムが相互に作用することによって仮想世界アタナシアは成り立っているのだからな」
「またワケ分かんないワードが出てきた……」
トリエネが面食らったように眉根を顰めた。
「まあ世界の裏側……あの世みたいなものだが、そこにも同じくらい重要なシステムがあるという理解でよい。”ユグドラシル”と”タルタロス”については世界の裏側に有るから脅かされる心配はないのだが、”タカマガハラ”についてはヒノモトが崩壊した以上置き場所を新しく考え直さねばなるまい」
ちなみに”タカマガハラ”だけが世界の裏側にない理由は、三つの中でこれだけがアタナシアの最初期(つまり地上の世界が作成されていない時期)から存在している為である。後になって地上の世界が作り出され、世界が拡張されたことに伴って”ユグドラシル”と”タルタロス”は生み出された。同時に世界の裏側と呼ばれる地上外のスペースをも生み出して、そこに配置されることとなったのだ。
「”タカマガハラ”の安置場所と、ヒノモトの民の受け入れ先……提案なんだが、どちらも聖女メレーナに相談してみるというのはどうだろう?」
マグナが切り出した。
「メレーナ……たしか神聖ミハイル帝国の聖王ミヴァコフの娘だったか?」
「ああ、聖王は既に亡くなられているので、今や彼女が国家元首だろう。この国はとても広いし土地も有り余っているだろうから、あのバカでかい機械の置き場所も融通してもらえるかもしれない。それにドゥーマのせいで帝国中の街や村落がボロボロの状況だ、復興に手を貸すという形ならヒノモトの民も受け入れてもらえるかもしれない」
「ふむ、そうだな……それがよさそうだ」
やがて話がまとまると、ヤクモは再び民たちの前に立った。
「ひとまず神聖ミハイル帝国――今我々が居る国の名前なのだが、そこの一番偉い人物に話をしてみようと思う。幸いマグナもトリエネも面識があるようだからな。そしてお前たちには、今後どのようにしたいかをそれぞれ考えてもらおうと思う」
「どのように、とは……」
「この国は大地の神の横暴で壊滅状態にあってな、その復興に協力する形でどこかしらの農村にお前たちの身を置かせてもらうつもりでいる。そこで今までとさして変わらぬ暮らしを続けてもいいし、都会に出て別の仕事に挑戦してもいい。なんなら世界を旅して回ってくれてもいい。とにかくこちらで色々と用意はするつもりでいるが、最終的にどうしたいかを決めるのはお前たち自身ということだ」
「……」
民たちはすぐには事情を吞み込めないような、どこか呆けた顔をしていた。
無理もないことである。彼らは先ほどまで地上の世界を知らなかったのだし、ヒノモトの地で農作業や漁業に従事しながら暮らす以外の人生があるとは想像もできなかった。
自由に決めろと言われたところで、どうしてよいか分からないのが実情であった。
ヤクモもそれは見抜いていた。だからこそひとまずは、どこかしらの農村を聖女メレーナに融通してもらって、今までとあまり変化の無い生活を送れるようにする腹積もりなのである。自由な選択というのは、その後で余裕が出来てから考えればよい。
しかし、知らない地上の世界に馴染んでゆくというのは、それだけでも時間のかかることだろう。
「不安かね?」
「は、はい……それはまあ」
「おっしゃられていることは分かりますが……」
民たちは口々に不安そうにつぶやく。
しかし一様にそういうわけでもなかった。中には光り輝く目をした若者も居る。
「お前は大丈夫そうだな、ヤヒコ」
「はい、俺正直わくわくしてるんです。まさか世界がこんなにも広いものだったなんて……」
彼は目をキラキラさせている。ヒノモトという狭い浮島で何千年も一様に過ごしていても、人とは一様にはなれないことの証左でもあった。
「ではお前は旅に出たいのか?ヤヒコ」
「はい、ゆくゆくは。でも知らないことばかりでしょうし、ひとまずはみんなと一緒に落ち着いてからゆっくり考えようかなと」
「ふむ、それがよかろう」
ヤクモは柔和に微笑みながら言った。
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これがドゥーマ撃破直後の顛末である。
それからヤクモたち三人は民を引き連れて、聖都ピエロービカを訪れた。
聖女メレーナもウラードニスクから、ガルーダによって戻された。
そして民は近隣の農村に受け入れてもらうことが即日で決まり、”タカマガハラ”の置き場所についても帝国北部の山間に存在する古い聖堂を使ってよいことになった(ちなみにメレーナにはまだ世界の真実については話しておらず、ヒノモトの民も聖地アタナシアの現地人、”タカマガハラ”もただ重要な機械である程度の伝え方しかしていない)。
不時着から一週間が経過していた。
民は全員農村への移動が完了しており、今後も定期的に様子を見に行く予定である。”タカマガハラ”についてもマグナの光の巨人で運んでいって聖堂に安置した。建物の耐久性にこそ不安はあるが、大きな施設で場所も人里離れた山奥である為に安置場所としては都合が良かった。周囲の補強に関しては今後の課題となってゆくであろう。
ひとまず当座の肩の荷は下りたということで、マグナとヤクモはこの日、メレーナが住まう大聖堂内の一室で紅茶を飲みながらのんびり午前を過ごしていたのだった。
「しかしロシアンティーというのもなかなかオツなものだな」
添えられたヴァレニエを舐めながらヤクモは言った。
「ジャムを溶かすものだと思い込んでいたが、まさか舐めながら飲むものだったとはな。いやはや世界とは、まだまだ知らぬことだらけだ」
「そうか……」
首長という職務から解き放たれ、今まで縁のなかった地上世界に身を置いているからか、ヤクモはどこか楽しげだった。マグナにしてみれば、ヤクモのイメージは冷徹な管理者というものだったので目の前の姿はどこか新鮮だった。
「というかヤクモ、お前はヒノモト専任の管理者だったんだよな?今後はどうするつもりだ?」
「ふむ、流石に今回の事態については上に報告せねばならないが、反応が来るまでに時間的猶予があるだろうからその間好きに世界を見て回るつもりだ」
「それで大丈夫なのか?」
「問題ないさ。前にも言ったが、このアタナシアは仮想世界全体で見れば重要度は低い方だ。どうせ返事が返って来るのもすぐではないだろうからな。それに私はずっとヒノモトに居たので、地上にはハルトの件以外で来たことがない。今の内に色々見て回ろうと思ってな!」
紅茶を口に含みつつ、彼女は微笑んだ。少女のようだった。
「というわけで、しばらくよろしく頼むぞマグナ」
「お前、もしかして俺に付いて来る気か?」
「駄目か?しかし私は立場上、この世界の内外の事情に詳しい。お前たちに協力する場合あくまで内部の人間としての形になるし、管理者としての権限は特段の事情がなければ使えないが、それでも相談役くらいにはなれると思うぞ」
「……そうだな、まあよろしく頼む」
マグナはどこか話半分に返していた。
彼はヤクモの対面でずっと新聞を広げていた。それを読みふけっていたのである。
彼は二か月近くアンドローナ王国の滅んだ田舎町マルティアで調査活動をしていたし、その後はヒノモトという隔絶した場所で数日を過ごしていた。つまり世界の情勢に疎くなってきている自覚を持ったので、こうして情報収集に励んでいるのである。
彼が広げている新聞には、『ラグナレーク王国、アレクサンドロス大帝国に敗北』の文字が並んでいる。隣欄には王都アースガルズが大地震で壊滅した情報も載っていた。
「……」
「どうしたマグナ?さっそく正義の神としてやるべきことでも出来てしまったか?」
「どうだかな……」
なんとも微妙な表情をしていた。マグナがそのような顔になっていたのは、言うまでもなくラグナレーク王国には知人が居るからだ。国王ツィシェンドに、かつて共に旅をしたフリーレ……
そこで扉がノックされる音を聞いた。
大聖堂に勤めるシスターの一人が静かに扉を開く。
「すみませんマグナ様。なんでもラグナレーク王国からお客人がいらしているのですが――」




