第236話 失意と愉悦
大敗を喫し失意に悶えるウァラクとルードゥ。一方リドルディフィードは妖艶部隊の女たちを侍らせ騒いでいた。
――ラグナレーク王国は、アレクサンドロス大帝国に大敗を喫した。
騎士団の戦闘部隊エインヘリヤルは壊滅。
一般兵は大半が戦死し、隊長勢もフレイヤだけが生き残るのみだった。
ヴェネストリア連邦は、再びアレクサンドロスの魔の手に落ちてしまった。
生き残ったラグナレーク兵の一部は、なんとかビフレストまで帰還し、そこで落ち着きを取り戻そうとしていた。
もはや抗戦する意思は誰にも残されていなかった。此度の戦で戦力のほとんどを失ったのだ。アレクサンドロスがその気になれば、このビフレストも、その先にあるラグナレーク本国も容易に陥落することだろう。
辛くも生還を果たした僅かな兵たちは、戦々恐々とした日々を送るばかりだった。
兵舎の一室で、一人の巻き毛の少女が泣いている。
此処は第七部隊の兵舎。しかし逃散した兵たちは誰も戻って来ておらず、戦死した者たちは勿論帰還しているはずもない。
此処にいるのはたった二人だけであった。
扉が開く。
盆を持った茶色の癖毛の男が粗雑な足取りで立ち入ってくる。
「いつまでもメソメソうるせえなぁ、おら飯持ってきてやったぜ、ウァラク」
「……ルードゥ」
床に座り込んでいるウァラクの前に、ルードゥが乱暴に盆を置いた。パンとスープの簡易的な食事が載せられていた。
「お前、もう三日も泣き通しじゃねえか。体中の水分がなくなっちまうぞ」
「当然でしょう!こんなにも悲しいのですから、涙が止まるはずがありません……ふとした拍子に涙腺が緩んで……」
言いながらウァラクの目からは、またしても涙が溢れ始める。
「どうして……どうしてわたくしは、お姉様を助けて差し上げられなかったの……?」
「……まあ仕方ねえよ。敵はとんでもない数だったし、強さもずば抜けてたしよぉ」
ルードゥは困ったように、ボリボリと頭を掻いた。
「……獣将部隊が強いのは当然ですわ。わたくしが許せないのは、他ならぬ不甲斐ない自分自身です!」
「いや、お前は元暗躍部隊……要は戦闘要員じゃなかったんだろ?そんな深刻に病む必要なんてねーと思うけどな」
「それでもわたくしは言ったのですワ!死地に向かうお姉様の為に、自分も精一杯戦うと……ところがどうでしょう、マルコシアスとの戦いに加勢しないばかりか、わたくしはサブナックの攻撃を受けて戦線離脱したエリゴスを捜しに行ってしまったのです!」
フリーレがマルコシアスと戦っていた頃、ウァラクは何をしていたかといえば吹き飛ばされて戦線離脱したエリゴスを捜索していたのだった。
陸戦最強と謳われるマルコシアスとの戦いに自分が割って入ったところで、何の役にも立てないばかりかむしろ足手まといになるだろうと考えていたウァラクは、フリーレの加勢をせずにいた。
そのことが今になって、後悔の念として彼女に襲い掛かっていたのだ。
「いや、ソイツたしか二、三十メートル近い巨体になったんだろ?勝てるワケねーじゃんか……隊長に加勢してたらお前も今頃死んでたぜ、きっと」
「わたくしはお姉様を敬愛しておりました!ですからわたくしもディルクやグスタフと同じように、あそこで死ぬべきだったのです!お姉様と共に運命を共にするべきだったのです!」
ウァラクは目に涙を溜めたまま声を荒らげた。
「ですが、わたくしは戦線離脱したエリゴスを捜しに、飛べるのをいいことにその場から離れてしまったのです……当初はエリゴスの為を想っての行動だと思っていました。エリゴスも心からお姉様を慕っていましたから、戦場で死ねないのは口惜しいだろうなと」
「……」
「……でもわたくしは気付いてしまいました。あの時のわたくしは、確かに”ほっとしていた”のです!エリゴスを捜すという、その場を離れる理由を見つけられたことに!わたくしはとんだ薄情者ですワ!わたくしは自分の命かわいさにお姉様を見殺しにしたのです!」
それきりウァラクはわんわん泣き出してしまった。
敬愛するフリーレの為に戦ってやれなかったこともそうだが、捜しに行っておきながら結局エリゴスを見つけられなかったことも心に重くのしかかっていた。
「……エリゴスも今頃どうしているのでしょう」
「死んでるところを見たわけじゃねーんだから、ひょっとしたら生きてっかもしんねーぞ?前向きに考えたらどうだ」
「……そうですわね」
散々泣いて、少し落ち着きを取り戻したらしかった。
そして目の前の男の、妙に飄々としている態度が気になり始めた。
「……ルードゥは悲しくないんですの?」
「あん?とーぜんだろ。アイツら勝てるワケもねーのに、真正面から立ち向かって行ったんだぜ?集団自殺と何が違うってんだよ。俺みたいに一目散に逃げ出せばよかったものを……」
「……」
「ホント、馬鹿ばっかだぜ!アイツら自分から死にに行ったんだ!くれてやる同情なんてモンはねーぜ!ふんっ!」
「……ルードゥ、ならどうして目頭が赤く腫れていますの?」
ウァラクは、めざとくルードゥの目蓋がおかしいことに気づいていた。
そしてこれだけ泣いている彼女ですら、目蓋は彼ほど赤くはなかった。
「……たまたま、ものもらいになっただけだ」
彼は吐き捨てるように言うと、乱暴な足取りで部屋を出て行った。
(ちくしょう……!ちくしょう……!ちくしょう……!ちくしょう……!)
◇
アレクサンドロス大帝国、ザイーブ州カウバル城。
最上階の玉座の間では、皇帝リドルディフィードが第7師団”妖艶部隊”の将軍級を侍らせながら酒宴に興じていた。
テーブルには上等な酒と料理が所狭しと並んでいる。
「はーい、リド様♪あーん♪」
シトリーが笑顔で、皇帝の口にフォークを持って行く。上等な焼肉料理が彼の口に収まる。
「リド様、グラスが空いてきてる」
傍らではウェパルが、皇帝の持つグラスに追加の葡萄酒を注ぎ入れる。
「フハハハハハッ!快勝快勝!ラグナレーク王国……予想以上に手強い国だったが、やはりこの俺の魔軍にかかれば赤子の手をひねるようなものだな!」
皇帝は実に上機嫌に、げらげらと笑っていた。
彼から少し離れたところで、グレモリーとフォカロルはどこか微妙そうな眼差しを主に送っている。
「うわー……調子に乗ってるなぁ、リド様」
「一回ヴェネストリアを奪い取られたのは、完全にアンタが舐め腐った戦い方してたのが悪いんだし、今回の戦いで圧勝できたのだってダンタリオンの作戦通りに進めたからじゃない」
今後は慢心するな、と二人は言いたいのである。
しかしその気持ちは彼にどの程度伝わっているのか。
「まあそう言うな。実際、深淵部隊の壊滅は堪えたし、今回の戦も圧勝とはいえボティス、アンドロマリウス、ナベリウス……将軍級の殉職者を三人も出してしまったからな。今後は気を引き締めて戦事に当たるとしよう」
彼は言い終わると不必要にマントを翻しながら、颯爽と玉座から立ち上がった。
「それはともかく、今日は騒ぐぞ!フハハハハハ、さあお前たちも脱げ、脱げ!」
彼は奇妙な動きで踊り出しながら、次々と服を脱ぎだしていった。
「きゃあ、もうっリド様!」
「ぎゃああ!何やってんのよ、アンタ!バッカじゃないの!?」
「リド様、今日もお茶目」
「はあはあ、リド様がお望みとあらば私も脱ぎますぅ……」
「フハハハハハッ!今宵は無礼講だぁ!乱痴気騒ぎに興じるぞぉ!」
それからは描写も憚られるような醜態が繰り広げられた。
失意に悶えるラグナレークを余所に、皇帝はひたすら愉悦に浸り続けるのだった。




