第227話 阿鼻叫喚のオーケストラ
暗躍部隊、ビフロンスとアンドラス。彼らの手でヴェネストリア全土を包む惨劇が幕を開ける。
ヴェネルーサの港町から離れた高台。夜の帳に紛れて佇む二つの姿があった。
一つは翼で身を隠した人間大の蝙蝠のような見た目の男。
もう一つは背面が長い毛に覆われた二足歩行のヤマアラシのような見た目だ。
「ゲヒッゲヒッ、どうやらロキはやられてしまったようですねぇ」
「あらら、随分あっけなく終わっちまいましたねー」
不快な声音の蝙蝠に、ヤマアラシが軽い口調で返した。
「ゲヒッゲヒッ、まあよいでしょう。ここまで早々にやられてしまうのは予想外でしたが、バルドルとヘイムダル……隊長格の二人を始末してくれました。上出来でしょう。ところでアンドラス、そちらの仕事は完了しているのでしょうね?」
「はいはいとっくに終わってますよ。ビフロンスさんの能力で命を宿した武器や防具は、ボクの”複製”の能力で大量コピーされて、既にヴェネストリア中にバラ撒かれているはずです」
「ゲヒッゲヒッ、よろしいよろしい……わたくしの能力はどうにも燃費が悪く、大量展開に向かないのが玉に瑕ですからねぇ。貴方が居てくれて大助かりですよ、アンドラス……ゲヒッゲヒッ」
ビフロンスはその表情を愉悦に歪ませた。
対してアンドラスと呼ばれた男はだるそうに突っ立っている。
「それとビフロンスさん、ロノウェの奴から連絡が入りました。アイツの”擬態”の能力で身を隠しながら、聖空部隊のアンドレアルフスとセーレが到着しているそうです」
「ゲヒッゲヒッ……確か彼らの役目は、幽冥部隊の将軍級の輸送でしたか」
「ええ、師団長のムルムルを含めて全員来ているみたいですよ。いよいよ始まるってコトっすねぇ」
アンドラスは長い前髪を垂らしながら、今はまだ静寂に包まれている港町を見下ろしている。
「しかもリド様、普段動かさない幽冥部隊に指示を出したばかりでなく、更にマッカドニア方面から大軍団を進軍させているそうで……残りの聖空部隊に獣将部隊、おまけに覇海部隊まで」
「主様もまったく容赦がありませんねぇ、ゲヒッゲヒッ」
「よっぽど深淵部隊を潰されたのが頭に来てるんすねぇ。だったら最初からナメた戦い方しなきゃいいのに」
「その道楽極まるところもまた、主様の魅力でございますよ、ゲヒッゲヒッ」
ビフロンスはそう言った後、港町に視線を向けながら両手を広げる。黒い皮膜のような翼が広がり、大きな影のシルエットを作り出す。
静かな夜に、忍び寄る不穏な影であった。
「まもなく、ヴェネストリア全土は阿鼻叫喚の巷と化します!偵察部隊を通して、主様もご鑑賞されていることでしょう……お聞きください、悲鳴と怒号が織りなす迫真のオーケストラを……!」
◇
――それは突如として巻き起こった。
見回りの兵士が突然、所持していた槍に貫かれた。
着ていた鎧に生きたまま喰われた。
突然銃砲が暴発して、周囲の兵士を穴だらけにした。
刀剣が空中を乱舞し、剣の舞を演出する。
命を持った武器たちが、ヴェネストリア連邦の全土で殺戮を開始した。
「なんだなんだ!?」
「何が起こってやがる!」
ヴェネルーサの港町で、ヘイムダルとバルドル――自分たちの隊長が死んだことをいまだ知らない兵士たちが蠢く武具に翻弄されている。
「大変だ!外で兵士や住人が、”武器に”襲われている!」
「ハァッ!?」
「どういうことだよ!?」
「……とにかく行くぞ、お前たち」
ストラータの城下町で、うろたえる取り巻きたちを尻目に、フリーレはグングニール片手に颯爽と酒場から飛び出す。
「テュール隊長、妙です!兵舎の武器庫に収めてある武器や鎧が、突然暴れ出して……」
「んなこたぁ、知ってらぁ!ちくしょう、どうなってやがんだ!」
アンドローナの中心街アレッサで、テュールが神器グレイプニルを振るい、空飛ぶ剣を叩き落している。
「いったい、何が起こっているのでしょう?」
「分からねえが、只事じゃねえな……こりゃ」
リゼロッタの港湾都市シラーポリで、トールとフレイヤが不安げに街を見回している。
――ヴェネストリア連邦を構成する全ての国で、命を宿した武具の暴走が始まっていた。
「そういや以前ウァラクから共有された情報になかったか?暗躍部隊の師団長ビフロンスは、物に命を宿す力があるって……」
「しかしこれほど大量に生み出せるものなのでしょうか?そういえば同部隊に、複製の能力を持つ者もいましたよね?」
「ソイツとの合わせ技ってことか!?しかしいくら何でも多すぎんだろ」
神妙に言葉を交わすトールとフレイヤ。
いつかのエリゴスと同様に、エインヘリヤルの面々はウァラクからも情報の共有を受けている。そして偵察部隊のみならず、暗躍部隊の特殊能力についても事前に聞き及んでいた。
では何故今回の事態を予見できなかったのか?
それは偏に、ウァラクがアンドラスの”複製”の能力の真価を知らなかったからである。暗躍部隊がここまで大規模に戦場に絡んでくることは今まで前例がなく、アンドラスがこれほど大量にコピーを生み出せることは同僚であったウァラクでも把握していないことだった。なんならビフロンスもロノウェも、それどころかアンドラス本人でさえ、今回の試みを通して初めて能力の規模を把握できたほどだった。
それに何も、複製の試みは昨日今日に始まったことではない。
「これほどの数……ものの数日で用意したとかではありませんね。おそらく我々がヴェネストリアの復興に着手し始めた当初から、命を持った武具が着々と入り込んでいたのでしょう」
「ってことはリゼロッタだけじゃねえな……おそらくヴェネストリア全土が似たような状況になっているはずだ」
言いながら、トールは背負っていたミョルニルを手元に持って来る。巨大化させて構えると、颯爽と駆け出していく。
「とにかく他所もこれほどの騒ぎになってるなら、やがて情報連携にフギンとムニンが来るはずだ。それまで片っ端からあの武器どもを叩き壊すぞ!」
「そうですね、行きましょう……!」
フレイヤも背中の剣を引き抜くと、首に付けたチョーカー型の首飾り――ブリーシンガメンに手を当てて緑色のドレス姿に変貌しながら走りだす。
「ブリーシンガメン、モード:風!」
それからしばらくトールとフレイヤは、宙に浮かぶ剣や槍、鎧と戦い続けた。
ミョルニルならたやすく武器を粉々にしてしまえたし、ブリーシンガメンの風の力も襲い来る武具たちを一網打尽にできた。第一部隊と第六部隊の隊員たちも、なんとか問題ない武器を見繕うと次々に戦いに加勢していった。しかしまだまだ終わりなど見えそうもない。
やがて上空に飛来する見慣れた二つの影を認めた。
エインヘリヤルが擁する頼もしき情報連携役――神鳥フギンとムニンである。彼らはヴェネストリアの四か国を飛び回り、現況を各部隊に伝えていた。トールたちはリゼロッタ王国外の状況を把握する。
武具の暴走がヴェネストリア全土で起きているというのは予想通りのことであった。しかしそれだけではない。皇帝リドルディフィードは本気でエインヘリヤルを潰す気なのだと……そうまざまざと感じさせる内容だった。
もたらされた情報は次の通りである。
東のマッカドニア方面から大規模な軍勢が飛来していること。そして突如としてヴェネストリア北部の海沿いと平野部に正体不明の大部隊が出現し、市街地で蹂躙を開始しているとのことだった。




