第220話 大空と大地の中で
ウーラノスとゼウスの力を駆使してドゥーマと戦うヤクモ。一方マグナは、あるがままの心を取り戻す覚悟を決める。
「くっ、なんて奴だ……ヒノモトの地がひっくり返ってしまったぞ……!」
現在、浮島は完全に上下逆さまの状態で浮いている。ヤクモはそのようになる前に大急ぎでマグナとトリエネの体を抱え上げ、空中に避難していた。
二人はヤクモの腕の中で浮島を見下ろす。ドゥーマがこのようにしたのは、側面や底面には河や湖、森のような余計なものが一切存在しないからだろう。岩石だけに覆われているからだ。
しかしヤクモの念頭にあるのは、まず民の安否であった。
「しかしまずいな、民の居住部が真下を向いている状態だ……これでは民が海に落下してしまう!」
「大丈夫だヤクモ、心配要らない。既に俺の眷属オビターが向かっている」
マグナが穏やかに言った。ヤクモは問い返す。
「だが、眷属一人向かわせたところでなんとかなるのか?」
「オビターの能力は簡単に言うと、”結果を実現させない”能力だ。当然、限度ってモンがあるけどな。ヒノモトの民の落下を阻止するくらいはできるはずだ」
「……そうか、恩に着る」
安心したような声で呟きながら、ヤクモは逆さまになった浮島にマグナとトリエネを下ろした。ずっと人二人を抱えて飛んでいるのは、やはり無理があるようだった。
浮島の底面と化したアシハラでは不思議な光景が起きていた。
突如天地がひっくり返り、人々は否応なく空へと投げ出された。ところが急に体が浮かび上がったかと思えば、まるで地に引き寄せられるようにして戻って来られた。突然の災難と同時に沸き起こった奇跡に、人々は混乱していた。
そこにスカイブルーの髪にひらひらの服を纏った男性が、宙に浮かんだ状態で出現する。
「みんな、とりあえずボクの力で落ちないようにしたから安心しなよー。ただずっとは無理だからさ、今の内に洞穴の中とか、天地が逆転してても問題ない場所に避難しちゃって。家とかだと一緒に落ちかねないしねー」
この状況下で随分のほほんと話す男であった。人々はその気の抜ける調子と、実際に奇跡的な現象を体験していることもあり、幾ばくかの落ち着きを取り戻す。
「あ、貴方様はいったい……」
「あー、ボクはマグ……タケミカヅチ様の僕だよー」
「なんと!そうか、タケミカヅチ様とアメノウズメ様がなにゆえアシハラに降臨なされたのか不思議でしたが、このような禍が起きることを見越してのことだったのですね!」
「うん、そのとーり」
オビターは、なあなあに答えた。とりあえず落ち着いてくれたのであればそれでよいのだった。
◇
でこぼこした岩石の地にマグナとトリエネは降り立った。その二人を庇うような位置取りで、ヤクモは宙に浮かんでいる。
この浮島は独楽のように、底部が中心に向かう程に盛り上がっていく形状をしている。それがひっくり返って上を向いたものだから、中央に山岳のそびえる大地となっていた。
三人はしばらく警戒しながら様子を伺っていたが、やがて地響きと共に大地を形成する岩石が間欠泉のように各所で吹き上がった。砕けた岩石がまるで人間の腕のような形状を取ると、三人のいる場所に向かってまるで生きているのかのように掴みかかった。
それぞれ散開して回避する。マグナは空を駆けるヤクモに向かって叫ぶ。
「ヤクモ!俺たちのことは気にしなくていい!自分の身ぐらい自分で守れる!」
「そうか、承知した」
そしてヤクモは空を駆け抜け、岩石の腕を躱しながら辺りの様子を伺う。ドゥーマの姿は依然見えない。その中で岩石の間欠泉は次から次へと吹き出していく。
濛々と、周囲の景色が黄土色に染まってひどく視界不良になっていることに気が付く。岩石の間欠泉が撒き散らした細かな土砂が空気中に漂っているのだ。
(くそ、これはただ手数を増やしているだけではないな。視界を悪くしてこちらの攻撃や回避の精度を下げる狙いもあるようだ)
敵の目論見を看破したヤクモは、翼をはためかせて更に高く上昇してゆく。この高度からなら、岩石の腕に即座に掴みかかられることはないだろう。しかし蠢く無数の腕と、漂う土煙のせいで真下の景色をはっきりと視認することができない。
どうにかして敵の居場所を捕捉しなくては。ヤクモがそう考えていた時だった。
――突然風が猛烈に吹き始めたかと思えば、全身にすさまじい痛みが走った。
(ぐぅ……!こ、これは……!?)
体中から血を噴き出しながらも、彼女は状況を把握する。
(そうか、砂粒を弾丸の如き恐るべき速度で旋回させているのだ……!岩石の間欠泉から上空に吹き上がった砂粒を利用したな!)
間欠泉は岩の腕を生み出すだけでなく、周囲に土煙を広げて視界不良にし、ばら撒いた砂粒は砂嵐として広範囲の攻撃手段となる。大地という、大規模な力の為せる業だった。一つの行動から続々と、次なる一手に繋げてしまえる。
(――”絶対防御壁”!)
ヤクモはたまらずゼウスの能力で自身を囲う防御壁を展開した。しかしバキバキと、窓ガラスを乱暴に叩き割ろうとしているような、軋んだ音が聞こえてくる。
(くっ、このままでは持たんな。とにかくこの砂嵐から脱出せねば)
どうやら砂嵐は、ヤクモが飛行している高度で集中的に発生しているようであった。地上のマグナたちの居る場所と、現在より更に上空には吹き荒れていなさそうであった。
彼女はぐんぐん高度を上げて砂嵐からの脱出を図る。程なくして絶対防御壁の軋む音が止んだ。砂嵐を抜けたのだ。
しかし不思議だった。砂嵐を抜けたのだから、視界は明るくなるはずである。ところが更に周囲が薄暗くなったのだ。その理由がしばらく分からないまま周囲を見回していたが、やがて察して真上を見上げる。
――とてつもなく巨大な岩塊が、ヤクモ目掛けて真っ逆さまに落下していた。
(なんだとっ……くそ!)
咄嗟に右腕を伸ばす。掌に光が走ったかと思えば、強力な稲妻が彼女の手から迸り、青天の霹靂となって岩塊を粉々に打ち砕いた。
(――”雷霆”!)
これもゼウスの力であった。
(砂嵐の一部を更なる上空に吹き上げて、それで岩の塊を形成していたのだな……!まったく、次から次へと……しかしこれだけ正確に攻撃してきているのだ、奴は何処かに姿を現している可能性が高い)
苦悶の心で眼下を見やる。いつの間にか、視界を封じていた砂嵐や土煙は収まり始めていた。ところが代わりに、度肝を抜くものが視界へと飛び込んで来た。
――浮島の至るところに、ドゥーマの姿が出現していた。その数は何十何百どころの数ではない。一様にスーツのポケットに両手を突っ込んで屹立している体勢だった。
(なんだ、なにゆえ奴の姿が何体も……?いや、ガイアの力の性質を考えれば分身とかではないはずだ。おそらく疑似鉱物……!奴は大地の厚みを再現した膜を生み出し、それに己の姿を表出させて纏っていた。その膜だけを幾つも作り出して囮にしているのだな……!)
ヤクモは状況に驚愕しながらも、考えたなと思った。
これなら姿を現しつつ、こちらの攻撃を牽制することができる。ドゥーマの地殻膜を打ち破るには、やはりウーラノスの力による亜光速での突撃を当てる必要があろうが、これだけのデコイを一つ一つ潰していくのは非現実的だ。こちらが先に精魂尽き果てるのが目に見えている。
どうにかして、本体が何処に居るのかを見極めなくてはいけない。ヤクモは飛び回りながら思考を巡らせて、ある点に気が付いた。
(そうか、疑似鉱物自体は動けないのだから、それに溶け込む為にも本体が動くわけにはいかない。しかし攻撃は奴自身が操作しなければならないのだから、必然見通しの効きやすい場所を選ぶはず……)
そう思い、ヤクモは大地の中心部、山岳の方に目を向けた。すると、居るではないか!山頂に屹立し、周囲に目を向け、ヒノモトの大部分を視界に収められる位置取りをした姿が!
(おそらく、アレだ。間違いない……!)
ここで彼女は笑った。本体らしきものを見つけられたからというのもあったが、その位置取りが山頂であるというのがとにかく嬉しかった。
前述したように、ヤクモはウーラノスの力でヒノモトを巻き込んでしまうことをとても警戒していた。未だに一度も亜光速での突撃をしていないのがいい証拠である。だが浮島の底面という多少損害があったところで問題ない部位、それも高く盛り上がった中央の先端部に陣取ってくれていたのだから、狙いすますにお誂え向きと言う他なかった。
ヤクモは片手に再び光の槍を出現させる。
そしてそれを差し向けると、ついに亜光速での突撃を開始した。
(――”流星”!)
音速を遥かに超えた速度での攻撃……肉眼では、ヤクモの姿がいきなり消えたかと思えば、それとほとんど同時に、山頂に屹立するドゥーマの姿が山ごと吹き飛んだように見えた。
地殻膜は木端微塵であった。幾ら地殻の強度と厚みを再現しているといえども完全な再現ではないだろうし、それに加えて亜光速が生み出す破壊力は常軌を逸していた。
ヤクモは上空から、粉々に砕け散りながら落ちてゆく山の頂きとドゥーマの姿を見つめている。違和感に気づく。
(おかしい、血しぶきのようなものをまるで視認できないぞ……まさかっ!)
ここで読みが甘かったことを思い知らされた。
あれだけ攻撃が正確だったのだから、おそらく本体は地上の何処かに姿を現しており、見えているドゥーマの姿がすべてデコイであった可能性はやはり考えられない。姿を現さないのであれば、そもそもこのようなことをする必要すらなく、浮島内部の何処かに身を隠していればよい。
実際にドゥーマの本体はデコイに紛れてしっかりと地上に姿を現していたし、山頂に陣取っていたのもヤクモの読み通りであった。
しかし何のことはない。狙われたら、外側の膜だけ残して本体は地中を通って退避すればよいだけなのである。ヤクモは本体を捕捉できた嬉しさから気が逸り、そのことにまで思い至らなかったのだ。
おまけに、残された膜は敵の隙を生む罠として作用する。ヤクモが気づいたのとほとんど同時に、真下から岩石の間欠泉が噴出した。吹き上がる礫に晒されて、ヤクモは血を流しながら地上に墜落してゆく。翼で勢いを殺しながらなんとか接地する。
「ぐぅ……」
苦悶に顔をしかめながら倒れ伏した。
そこにドゥーマがスーツに手を突っ込んだ状態で、靴音を鳴らして近づいて来た。既に大量に展開されていたデコイは消えていた。もはや勝負が着いたからだ。
「あら、もう終わり?天空の力ってのも、案外たいしたことないのねぇ」
ドゥーマは勝ち誇った笑みを浮かべている。満身創痍のヤクモに対し、ドゥーマのスーツにはまったく汚れが付いていない。新たな地殻膜を生み出して纏ったのだろう。
――やがて、マグナとトリエネが遠くから近づいて来る姿が見えた。
二人は攻撃を掻い潜りながら、ヤクモの居る方へとひた走っていた。ドゥーマの攻撃は今までヤクモに執着していたので、自分たちの身を守ることはそれほど難しいことではなかった。ようやく彼女らの姿を視認できるところまで追いついて来られたが、彼女らはまだマグナたちが近くまで迫っていることに気づいていない。
今、ヤクモは敗北を喫している。
そこでマグナはぽつりと、「オビター、出てこい」と呟いた。
マグナの眷属最後の一人、オビター・ディクタムが空中に出現する。
「ヒノモトの民の避難はできたのか?」
「うん、バッチリだよー。食糧貯蔵とかに使ってたちょうどいい洞穴があってね、結構広い場所だったからさ、今はヒノモトの民すべてがその場所に避難しているよ」
「そうか、よくやってくれたな。オビター」
この期に及んで、しみじみと伝える。そして変わらぬ調子のまま次のように伝えた。
「……お別れだ、オビター」
それを聞いた彼は、淋しさと嬉しさが入り混じったかのような表情を浮かべた。
「ついに、ついにこの時が来たんだね……」
察したように、こちらもしんみりとした声で返した。
「モンローも、レイシオも、完全にいなくなったわけじゃない。お前を含め、三眷属は俺の内面を体現して生まれた存在だ。その本質は常に俺と共にある。お前は俺の”迷い”であり、レイシオは俺の”意地”であり、そしてモンローは”心の闇”だった。初めは正義の神でありながら、お前たちのような眷属しか生み出せなかった自分を恥じてしまっていた」
マグナはしっかと眼前のオビターを、自分の迷える心を見据える。
「だが様々な国を巡り、挫折と立ち直りを経た今なら分かる。無駄なものなんて一つもなかったんだ。迷いも意地も、闇ですら俺の力になってくれる。正しい道や生き方なんてあるのか知れないが、きっとそれを辿るだけでは正義や幸福の本当の価値を思い知ることはできないんだ」
近づいて、自身の迷える心に両手を置いた。
「オビター、戻れ。そして俺はあるがままの心を引き連れて、世界と向き合う。悩みと足掻きの中で俺なりに辿り着いた答えで、この世界を導いてみせる……!」
「御武運を……マグナ様……」
オビターは微笑みながら、光の中で消えていった。
マグナは悠然とした足取りでドゥーマの元へと向かって往く。
「あら?今度は貴方が相手になるのかしら、正義の神」
地に伏すヤクモから離れ、マグナの方に向き直った。
「ドゥーマ、いいかげん終わりにしよう。そして人とは、世界とはどうあるべきか?俺なりの答えを聞いてくれ」




