第216話 願い
対ドゥーマの為、マグナたちはヤクモに協力を請う。彼女はあくまで内部の問題だとして協力を拒むが……
食事を終えた三人はそこでようやく話の本題に入ることができた。マグナはヤクモに地上がどうなっているか、その詳細を説明して聞かせた。併せてマルティアの滅亡とトリエネの体内にウイルスが残存している旨も伝えた。
「ふむ、人類是正計画か。私はヒノモト専任の管理者だから、地上の状況をあまり把握できていなかったが確かに由々しき事態だな」
「……あまり深刻そうな顔じゃないな」
ヤクモの表情は実に落ち着いている。尋ねながらもマグナにはその理由が分かっている。
「これもアンタらの思惑通りってことか?」
「まあそうだな。お前たちが多大なる苦難に直面し、それをどのように乗り越えてゆくか?我々はそれを研究しているのだからな。平和で何も起きないままの方が異常事態なのだよ」
「しかし、これは世界規模の問題だ。最悪世界全体がドゥーマのせいで滅茶苦茶になってしまうかもしれない……いや、アンタらはそれでもいいと思っているんだな?」
「……そうだ、我々にとってお前たちは実験動物以外の何物でもないのだからな。そして仮想世界は他にいくつもあるが、このアタナシアははっきり言ってあまり重要視されていない世界だ」
「だから大勢の人間が死のうが構わないと?」
「そのように考える管理者が大半だろう。そもそもこれは内部の問題だ。我々外部の存在が介入して解決することではない」
そこでトリエネが「ふざけないでっ!」と言って立ち上がった。
「私たちは……!私たちは生きているの!心が有って、鼓動が鳴り響いている……それは貴方たち外側の人間も同じなんでしょう!?自分たちを元にして私たち人間を作った、そう言ったのだから」
「その通りだよ。だがそもそもお前たちは、我らによって利用されるために作られた存在だ。我々は使役者で、お前たちはモルモット……それ以上の関係性はどこにもない」
ヤクモは冷徹に言った。トリエネに反して、マグナは努めて落ち着こうとしていた。
「つまり助力は願えない。そういうことだな?ヤクモ」
「残念ながらそう思ってもらうしかあるまい」
「……ふざけないでよ。ドゥーマが危険な力を得て世界がこんな風になったのも、元はと言えば貴方たちが力を授けたからなのに……!せっかく大変な思いをしてここまで来たのに、どうして助けてくれないの?」
「先ほども言ったが、私はヒノモト専任の管理者だ。地上のことについては深く関わっていない。故に私にそう言われても困るのだがな……」
ヤクモは視線を外しながら顎先を撫でていた。涙ぐむトリエネの代わりにマグナが言葉を続ける。
「……分かった。ここで無理を言い続けても仕方がないだろう。ヤクモ、協力は諦めるが代わりに許可してもらいたいことがある」
「なんだ?」
「俺たちも、はいそうですかと黙って手ぶらで帰るわけにはいかない。このヒノモトは空に浮かんでいたり、空間がねじ曲がっていて普通では辿り着けない場所だった。何か特殊な技術の集積体だ。神器でも何でもいい、とにかく役に立ちそうなものを持ち帰らせてほしい」
「そういうことなら、お前たちに”タカマガハラ”の探索を許可しよう」
聞き慣れない言葉である。マグナは疑問を呈する。
「……そのタカマガハラというのは?」
「このヒノモトの内部空間のことだ。対して、民が住まう地上部には”アシハラ”という名がある。タカマガハラにはヒノモトの環境を保全するためのシステムが備わっており、中枢にはアタナシア全体に関与する為の管理権限サーバが存在している」
「……相変わらずよく分からんが、このヒノモトにとって大切な場所ということか?」
「ああ、重要な設備が多い場所だし、中枢部は立ち入り禁止だ。探索は構わぬが、私の立ち合いの元で行ってもらう。ついでに内部の調整施設で、トリエネの体内の病魔を抹消する手段を構築しよう」
「それは有難いな。だがそもそも役立つものがあるかどうか、アンタには分からないのか?」
彼の問いに、ヤクモは少し困ったような顔をした。
「実を言うとだな、私は前任の管理者から職務を引き継いでせいぜい三年ほどしか経っていないんだ。タカマガハラ内部に何があるのか、仔細には把握しきれていない」
「えっ、三年って、じゃあマルティアを滅ぼしたのは貴方じゃないの?」
「いや、それをやったのは確かに私だ」
「……どういうことだ?」
「アタナシア内部と外部とでは時間の流れが異なるということだ。それも一定ではなくこちらの都合でいくらでもコントロールできる。私はこのヒノモトで首長を三十年ほど続けているが、外側にいる私からすれば三年程度の歳月にすぎない」
「なんとも不思議だな」
マグナはそう呟いてしばらく黙っていた。内と外とでは、時間の流れが違う……とてもスケールの大きな話だ。リアクションとして浮かぶ言葉はあまりに過少にすぎた。
「このアタナシアが出来てから内部時間では途方もない時間が経過している。ちなみにヒノモトが地上と隔絶したのは二千年以上前だ。それほど長い年月を、外側の人間が実際に観察していると思うか?」
「なるほどな。今の話で、アンタはあくまで外側の存在だということがよく分かったよ。今こうして目の前にいるアンタも、本来の姿ではないんだろう?」
「そうだ。この肉体は四十路になるが、本来の私とは姿も年齢も異なる。それにヤクモ・ヤエガキというのもあくまでこの肉体の名であって、私の本来の名ではない」
それを聞いて、二人は妙な気持ちでヤクモの顔や体を見回していた。
「ちなみに、本当の名前と年齢は?」
「ふふふ、黙秘させてもらおう」
彼女は顔の前で人差し指を伸ばし、茶化すように言った。
◇
やがて陽は落ちて、夜が訪れた。陽が没した後のヒノモトはとても暗かった。地上と比べて篝火すら焚いている様子がない。燃料は無駄にせず、夜はさっさと眠るものなのだろう(それでも蛍光灯の明かりが有る外側の世界に比べれば、地上も概ね夜は早く寝るに限る文化である)。
タカマガハラの探索は明日ということになり、三人は囲炉裏の奥の畳を敷いたスペースに布団を並べて眠りについた。慣れない寝具ではあったが、それでもマグナとトリエネはたいした苦もなく眠りに落ちることができた。
真夜中、トリエネは尿意を催して目を覚ました。
(うーん、おしっこ……)
寝ぼけた顔でふらふらと表に出る。篝火こそないが、空が近いからか月や星の明かりを鮮明に感じられた。よって周囲の地理を認識するのにはあまり困らなかった。
「……?」
見れば断崖の際に立ち、夜空を眺めている姿がある。それはヤクモであった。夜の闇のように黒い髪を風に靡かせながら、どこか物憂げな視線を空に送っていた。
(どうしよ……)
声を掛けるべき、何も言わずに通り過ぎるべきか。
トリエネはヤクモとの距離感を掴めていない。
そう、どのような距離感で以て接してゆくべきか、彼女には見当がついていなかった。素直に憎むべきか?しかし憎んでどうするのだ、といった想いも同時にある。
「……おや、厠かね?トリエネ」
彼女が立ち尽くしている内に、ヤクモの方から声を掛けてきた。
「は、はい、そうですけど……」
「急ぎでないなら少し月見でもどうだ?とてもしんみりとした気分になれるぞ」
ヤクモはそういって月を仰いだ。トリエネもおずおずと隣に近づいて同じようにする。暗い闇夜の中で、月と星々が明るく輝いている。
トリエネはふと、公都ウィントラウムで公演した自分たちの演劇を思い出していた。素人演劇だったが、それなりに想いを込めて完成させたものだった。あれは報われない男女が、それでも最後まで諦めずに真実の愛に生きていく物語――それが夜の闇の中で眩しく光る星に例えられている。
いつか自分の想いも報われるのだろうかと、彼女はどこか感傷的な気持ちになりながら夜空を見渡していた。
「今宵は月が綺麗だな」
「そ、そうですね」
隣りのヤクモの声がどこか優しかったものだから、トリエネはいよいよ自分が取るべき態度が分からなくなってしまった。夕食後の会話の時は、ヤクモの声音は冷徹だった。助けるつもりはないと、お前たちは実験動物だと、そのように言っていた。
あの時のトリエネは涙を流し、眼前の存在を憎む以外の気持ちはなかった。しかしひとたび眠りを経ると、それも少し落ち着いていた。そしてこの神秘的な夜空と、ヤクモの優し気な声音……彼女の心は混乱に揺れていた。
「どうした、何を悩んでいる?」
「……いや、その」
「ふふ、当ててやろう。私との付き合い方が分からなくなっているのだろう?」
ヤクモは実に図星を言ってのけた。
「私は実際にこのヒノモトの存在を秘匿する為に、出奔者のハルトを始末するべくマルティアの町を壊滅させている。もっとも当の本人は既に逃れていたので、わざわざ隣国のフランチャイカ王国にまで出向くことになったがな」
「……」
「そう、私はお前の故郷を確かに滅ぼしているのだ。だからお前の気持ちは分かるし恨むのが道理だ。しかし何故、それを素直にしない?」
「……始めは恨もうとしたの。それにリピアーを不死の肉体に変えて苦しめたタナトスって神も許せないって思ってた」
トリエネは月明りに表情を隠している。
「でもマルティアが壊滅しなければ、不死の肉体にならなければ、リピアーは私を道連れになんてしなかっただろうし……もしそうだったら私は全く別の人生を歩んでたんだよね。今までツラいことはいっぱいあったよ?でも私はリピアーのことが大好きだし、あの人が私のお母さんになってくれて本当に良かったって思ってるの」
「……そうか」
「そう思ったら、恨むべきなのかどうか、わたし分かんなくなってきちゃった」
「ふむ、まあ物事はすべて多面的である故、そういうものだろう」
ヤクモも空を見ながら、トリエネの方を向かずに言った。
「どういうこと?」
「絶対的に良いことも悪いこともこの世にはないのだよ。物事には様々な側面があり、何を重視するか何を軽視するかで良くも悪くもなる。この世に真実はなく解釈があるのみだと言ったのはニーチェだったかな」
「何の話?」
「私を恨むのも恨まないのも、どちらも正しいということだ。お前はお前のしたい通りにすればよい。思考することで初めて意味が生じるのだ。デカルトはわれ思う故にわれ有りと言ったし、パスカルは人間は考える葦であると言った。きっと心で思考することこそが肝要なのだ」
「意味が分からないんだけど」
「お前がしっかりと考えて導き出した決断ならば、それがなにより正しいということさ」
髪を掻き上げながら、どこか柔和な視線を向けた。
「……ヤクモさんって本当は優しい人?」
「それは買い被り過ぎだな。しかし先ほどまでの私は、お前たちに我らとの関係性がどうであるかを明確に示しておかねばならない都合上、あえて冷徹になっていたところがある」
「あくまで管理者として話していたってことだよね」
「そうだ、先ほどまでの弁説に私個人の意見はあまり入っていない。こんなことを今更言ってもどこか言い訳がましいがな、私は常駐の管理者としてこのヒノモトの地で民とともに暮らしてきた。情も移るというものだ。そしてヒノモトの民も、地上に住まう人々も、同じアタナシアで生きる存在だ。本音を言えば守ってやりたいと思っているよ」
「……じゃあ、やっぱり協力してくれる?」
「それは無理な相談だな。私はあくまで管理者の一人に過ぎない。世界全体に関わることについては私の一存では決められないし、先ほども言ったが私の管轄はあくまでヒノモトなのだよ」
「なら掛け合って」
「善処しよう」
こうして月見の会話は終わった。
厠で用を足した後、トリエネはぼうっとヤクモのことを考えていた。
改めて話してみると、ヤクモは理知的で優しかった。もはやトリエネの中の恨みの気持ちはすっかり鳴りを潜めてしまっていた。
出逢った当初のヤクモはあくまで管理者として振る舞っていた。そして告げられた残酷な世界の真実……そのことが言いようのない冷淡な印象を与えていたのだったが、それも誤解のようであった。タナトスのこともあり、トリエネは外側の人間を、血も涙もない外道ぐらいに思っていた。
しかし、同じ人間……同じ人間なのだ。
彼らの世界もまた不幸に塗れていて、自分たちを導く神を生み出す為に人間の研究を始めたと言っていた。そしてこのような世界を造り上げ、そこに自分たちと同じような人間を造った。
トリエネは思った。自分たちがこうして哀しみ苦しみながら生きているのと同じように、外側の彼らもまた同じなのではないかと。であれば彼らはなにゆえ、そのような存在であるのだろう?明確な目的の元で作り出され、明確に恨む相手がいる分、ともすれば自分たちの方がマシなのかもしれないとすら思った。
(そうか、同じだ。同じなんだよね)
この世界には彼らの願いが込められている。明日をより良くする為のヒントを求めて、藁にも縋る思いでこの世界を見ているのかもしれない。
誰しもが心の奥底で願っていることはきっと変わらない――
そのことに気づかされた時、トリエネの胸中は夜風のような静けさに満ちていた。




