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God:Rebirth(ゴッドリバース)  作者: 荒月仰
第8章 災害と呼ばれる者
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第209話 幸せになる権利

トリエネはドゥーマから逃れるべくひた走る。幸せになってね、というリピアーの最期の言葉を噛み締めながら。

 しばらくしてトリエネは泣き声をひそめた。代わりに近づいて来る足音に気付いたからだ。粗雑に土を蹴りながらその足音は近づいて来る。


 冷たくなった母親を抱え、跪いたままで振り返る。そこにはドゥーマが立っていた。


「見ーつけた、あら……?」


 傷だらけで息絶えたリピアー。それを抱くトリエネ。


 そうなった真因は分からずとも、ドゥーマは状況をすぐに理解した。そして腹を抱えて笑い始めた。


「ククク……アハハハハハハハ……!ナニソレ!失ったの!?不死の力を!?」


 耳障りな笑い声が響く。


「まさか神の能力を失くすことがあるなんてねぇ……コレは傑作だわぁ……アハハハハハハハハハハハハハ!」


 おかしそうに笑うドゥーマを、トリエネは刺すような冷たい瞳で見つめていた。おそらく腕の中の母親が一度も見たことがないであろう険しい形相だった。


「へえ、トリエネ。アンタそんな顔できるのねぇ」


 気付いたドゥーマが言った。

 トリエネは取り合わない。


「アンタ、多分私に対してこう思ってるんでしょ?コイツには血も涙もないのかと……そこでくたばっている女が言っていたように、”世界”たるこの私とアンタらとでは価値観がまるで違うのよ。アンタも蟻が死んだくらいじゃ悲しまないでしょう?私にとって目の前で起きていることはその程度の事象なのよぅ」

「……」

「ほらほら、分かったら早くその死骸が腰に提げてる草薙剣をこっちに渡しなさい。それとも今すぐ母親の元に送ってあげましょうか?」

「……」


 トリエネはおもむろに立ち上がる。

 そして草薙剣を手に取りつつ、母の亡骸を背負うとドゥーマから遠ざかる方へ鋭く駆け出した。脇目もふらぬ、脱兎の如き一心不乱の逃亡であった。


「へえ、案外かしこいのねぇ」


 ドゥーマは意外そうな表情で、悠然と後を追い始める。


 ガサガサと、なぎ倒された木々の葉を踏み散らしながら、トリエネはひたすら逃げ惑う。


(許せない許せない……ドゥーマの奴……!でも真っ向から挑んだって勝てるはずがない、今は逃げなくちゃ……!)


 眼前の断崖を跳び越えて、更に遠くへ向かう。


(絶対死ねない……!リピアーの最後のお願い、絶対叶えなくちゃ……!絶対に生き延びる!)


 幸せになってね……

 母の最期の言葉をトリエネは思い返していた。


 そこに突如足元の土砂が吹き上がったかと思えば、大きな地割れが発生した。衝撃で足元がふらつく。その拍子に、背負っていたリピアーは真っ黒い奈落へと投げ出されてしまった。


(……!)


 トリエネが驚いて手を伸ばした時には既に遅かった。

 母の遺体は深い奈落の底にすっかり(いざな)われてしまった。


 深い絶望に彩られた表情のトリエネ。やがて追いついたドゥーマは、その顔を見てニタニタと笑った。


「アハハ、良かったじゃないトリエネ。これで土葬する手間が省けたわよぅ」

「お前ぇ!」


 かつてないほどの激昂であったが、ドゥーマにとってはやはり虫けらの視線だった。娘もまた奈落の底に引きずり込もうと、幾つもの砂の腕を生み出して差し向ける。


 ところがおかしなことが起こった。


 砂の腕がどれだけトリエネを掴もうとしても、一向に辿り着けないのだ。気が付けばどの腕も、木や岩など見当違いなものばかりを掴んでいる。


(……?何が起こっている……?)


 ここでドゥーマは、醜悪な嘲笑をやめて警戒の表情をとった。

 状況が理解できない内に更なる不思議が起きる。砂の腕が突然操作できなくなったかと思えば、腕は形を維持できなくなり崩壊を始めた。さらさらと、ただの砂粒に戻って地面に降り注ぐ。


 ドゥーマが前方を見やれば、そこには二つの影があった。

 一つはひらひらの服を身に纏い、スカイブルーの癖毛をした宙に浮く男。

 もう一つは藤色のおかっぱボブに黒いドレス姿の不穏な雰囲気の女。


「悪いけど、この先には行かせないよ」

「フフフ、お初にお目にかかります。大地の神よ」


 二人はマグナの眷属――オビター・ディクタムとモンローであった。二人はトリエネを守るように立ちはだかっている。


「行こうか、トリエネ」


 オビターは、草薙剣を持ったままのトリエネをさっと抱え上げると、その場からの退避を始める。


 当然、ドゥーマは逃がすまいと再び砂の腕を生み出して追わせた。しかし途端に崩れてしまうのである。これが眼前の、途方もなく強大な闇の気配を纏った者のせいであることを察する。


「……アンタ、もしかして正義の神の眷属なのかしら?」

「ご明察の通りでございます。ワタクシはモンロー。偉大なる正義の神――マグナ様によって生み出された眷属にございます」


 既にオビターは、トリエネと共に行方を眩ませていた。残された二人は相対峙する。


「ふーん、びっくりするほどドス黒いオーラの眷属ねぇ。こんなの生み出しちゃうなんて、正義の神ってのはもしかして正義を騙るだけの悪党だったりするのかしら?」

「口を閉じなさい、不遜極まる大地の神よ」


 モンローは静かに、しかし確実に不愉快さに裏打ちされた声音で告げる。


「我が(しゅ)、マグナ様は大変お怒りです。あなた様が人を虫けらの如くにたやすく殺し、人々の暮らしの安寧を大いに脅かしているからでございます。ましてやマグナ様の大切な(ともがら)の命をも奪いました……!」


 黒い瞳をドゥーマに向ける。ファントムマスクに覆われていない、右目の方で。


「大地の神よ、マグナ様に代わってこのワタクシが裁きを執行しましょう。あなた様は正義の執行を受けるのでございます」

「裁き……?正義……?アハハハハハハ!笑わせるわねぇ、人間という下等生物が生み出したに過ぎない概念で、世界そのものであるこの私を裁くと?不遜極まりないのはアンタらの方よねぇ」


 粋がるドゥーマを前にしつつ、モンローは相手にしていない。彼女はただ己の使命を全うすることだけを考えていた。


(……マグナ様、今までありがとうございました。ワタクシは愛する貴方様の為に、己が使命を果たします。マグナ様がアタナシアへと辿り着けるよう、ワタクシは全身全霊を賭してこの者の足止めをいたします)


 ◇


 オビターはやがて主であるマグナと合流する。そして彼はトリエネをお姫様抱っこの要領で抱え上げる。


 トリエネは深刻な負傷はしていない。しかし気持ちの整理が必要だった。もはや涙も枯れた目で悄然としている。マグナはそんな彼女を抱えながら、何も言わずにただただドゥーマから遠ざかる方向に駆け始めた。


「……マルローはどうしたの?」


 ある時トリエネが尋ねた。


「俺が既に見つけている。命に別状はないが怪我を負っている。今はここから少し離れた河べりで休ませているんだ。そこで合流したらとにかく戻ろう、アリーアを通して状況は裏世界の連中にも伝わっている。やがてグラストが来るだろう」

「……八咫鏡は?」

「既にモンローが入手済みだ。作戦通りに上手くいったよ」


 二人は本当に話したい話題から眼を逸らすように、別のことばかりを話していた。そしてしばらく押し黙っていたが、やがてトリエネが口火を切った。


「リピアーが……」

「……」


 それきり口をつぐんでしまった。

 マグナも事情は察していた。トリエネの顔は普通ではあり得ない程に真っ赤になっていた。どれだけ泣き腫らせばこうなるのかと思った。


 逃走の(せわ)しない足音と風の中で、不意にか細い声で語りかける。


「……リピアーが最後に言ったの、私に幸せになってねって」

「……」

「……でも私は、何人も人を殺してるの……裏社会の組織に居たんだから仕方がないんだって割り切ってたけど」

「……」

「……いや、割り切れてなんていなかった。ずっと嫌で仕方がなかったもの。でも私の手は、既に血でまっかっか……」


 昔の裏世界は今よりもずっと大きな組織だった。

 バズたち長老勢も、リピアーも、他のメンバーの前でトリエネだけ特別扱いすることは難しかった。しかし神の能力も、何の特別な地位も権能もない彼女にできることは限られていた。それが密偵や暗殺だった。


「幸せって、善良な人じゃなくてももらっていいのかな……?私は、リピアーの最期のお願いを叶えられるのかな……?」

「そうだな……」

 少し考えて、言葉を続けた。


「……一つ言えることは、俺たちは今を生きている。明日を迎える為に今を生きている。過去にすがって生きているワケじゃない」

「……そっか」

 それきり押し黙った。


 殺人は言うまでもなくいけないことであった。しかしマグナは、トリエネの未来が不幸に閉ざされることを望んでいなかった。


 彼は、正義というものが人間の大切な何かを守る為に有るべきだと思い始めていた。

 その何かというのが、明確には言葉にできない。しかしトリエネが最後までありふれた幸せを享受することなく一生を終えるのは、どうにもその何かがひどく傷つけられているような気がしていた。


 彼は正義が何の為にあるのかと考える。人々の暮らしを、社会の安寧を守ることが肝要なのは間違いないだろう。だがそれだけでいいのか?それだけでいいなら手段は問わないことになり、ともすればドゥーマの横暴ですら肯定されかねなかった。彼女の弁の通り、アレも時間をかければまったく当然に社会を作り変えて、それが新たな人の世の(つね)と成るだろう。


 世界の有るべき姿を考えながら、破壊されようとしている世界を守るため、彼はひた走った。

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