第206話 神器を巡って
裏世界の隠しアジトに合流するマグナたち。一同は対ドゥーマの作戦会議を開始する。
一行は大蛇から遠ざかり、ある程度の飛行を続けた後で、眼前に険しい山嶺を認めた。帝国を東西に二分するイェニール山脈である。
ウラードニスク街外れの山麓に降りる。アリーアから聞いた情報を頼りに、リピアー先導の下で裏世界の隠しアジトになっている建物を探す。その道すがら、遠く街の景色がよく見える断崖沿いに出たので、一行は脚を止めてしげしげと街の様子を眺める。
街は聞いていた通りの惨状であった。家よりも大きな土の人形たちがのしのしと闊歩し、人民は恐怖に慄きながら財産を供出するなり田畑の敷居を壊すなりしている。そこかしこで虫のように潰されて息絶えた死骸が散乱している。
「ひどい……」
「そうだな。でも正直、もっとバンバン殺戮シーンを見せられるかと思ってたが、今のところ土塊人形の奴らも大人しいな」
マルローの呟きに、リピアーが補足する。
「きっとある程度の選別が既に終わったからよ。ドゥーマの言うことなんて受け入れられないという者はとっくに殺され、ドゥーマにひれ伏してでも生き延びたい者はとっくにそうしている。その上で訪れたひとときの静寂ね」
「……」
見ればマグナがうつむきかげんに、腕をぷるぷると震わせていることにリピアーは気付く。そっと彼の肩に手を添える。
「マグナ、辛いでしょうけど今は耐えて頂戴。今飛び出して土塊人形と戦う意味は薄いわ。アレと同じようなものが帝国中に何百何千どころではない数が出現しているのよ。それに情報では、あの土塊人形ひとつひとつがアリーアの”眼”と同じ働きをしている。会敵はすなわちドゥーマに見つかることを意味するのよ、危険だわ」
「……ああ、分かってるさ。行こう」
彼は後ろ髪を引かれる思いで惨憺たる街並みに背を向ける。一行はさらに山道を往く。
小一時間ほどして、ようやく目的地と思しき山小屋を見つけ出した。リピアーが「グラストのガルーダがいるわね」と言ったので、間違いなさそうであった。彼女は扉をノックして己の名前を告げた後、静かに扉を開いて他四人を招き入れる。
中には広めのテーブルが設えられていて、裏世界のナンバーズが九人揃っている。そこにリピアーとトリエネ、部外者ではあるがマグナとマルロー、そしてかつてはアタナシアへの重要な情報源とみなされてきた少女ミサキが加わった。少々人口密度の高い空間となった。
「お帰りなさい……!リピアー、トリエネ……!」
アリーアが目を潤ませながら二人に駆け寄る。そしてトリエネは「アリーア!」と叫んで抱き着き、アリーアは彼女の背にそっと手を回して抱き返した。リピアーは邪魔にならないよう、耳元でぼそっと「ただいま、アリーア」とだけ言った。
「よくぞ戻って来たなリピアー、そしてトリエネ」
テーブルのもっとも上座に居るバズが声を掛ける。
「さっそくで悪いが急を要する事態だ」
「このままドゥーマの好きにさせていては帝国が瓦解しかねない。いや、彼女は瓦解させるつもりでやっているんだろうけどね」
左右のムファラドとマルクスが続く。
「……そして久しぶりだな、正義の神よ。あの時、お前の腕をぶった斬ってやった時以来か?まあ今は対立している暇などない、お互いかつての禍根を忘れて協力し合おうじゃないか」
「ああ、俺もそのつもりでここに来た」
バズの言葉にマグナが返した後、彼は集まっている裏世界メンバーの顔を眺める。知っている顔はバズとマルクスだけであった。バズとは彼の言う通りフランチャイカ王国での交戦時に顔を合わせているし、マルクスとはポルッカ公国で演劇のレッスンをしていた頃に何度も顔を合わせている。
他は見知らぬメンバーばかりであった。ムファラドとアーツはまったく初めて、アリーアは声こそ何度も聞いているが顔を見るのは初めて、グラストは正確にはフランチャイカ王国からバズとリピアーが退散する際に駆け付けているのでちらっと顔を見ていたはずだが記憶になく、グレーデンとカルロとミアネイラはレイシオの報告でこそ聞いていたがやはり会うのは初めてである。
「これで裏世界のメンバーは、リピアーとトリエネを含めて全員なのか?」
「いや、全員ではない。もっとも全員集まったところで十五人しかいないがな」
「……思ったより少ないんだな」
「昔はもっといた。だが多くの者がドゥーマを怖れ、あるいはドゥーマに嫌気が差して組織を離れていった。今のナンバーズは全盛期の半分にも満たない有様だ」
バズがこぼすように言った。
「与太話はよそう。お前に逢わせたい者が居る」
バズが部屋の奥の方に目配せをする。
すぐに黒い鞘に納められた刀剣を持った女性が現れた。地味な外套を纏っているが、麗しいレモンイエローの髪が覗いている。
「……貴方が噂の正義の神、マグナ・カルタ様ですね?」
女性はフードを外して、跪きながら言った。
「いかにもそうだ」
「お初にお目にかかります。わたくしはこの神聖ミハイル帝国の聖王ミヴァコフの娘――メレーナ・ミハエロブナでございます。正義の神よ、貴方様にこれを捧げます」
そう言ってメレーナは、草薙剣を両手で貢ぐように掲げた。マグナは黙ってそれを受け取る。
かつて暴君フェグリナの手によって自身の肉体を幾度となく傷つけてきた神器が、こうして手元にやって来たことに彼は不思議な感覚をおぼえていた。これはもはや単なる武器でなく、アタナシアへ至る為の重要な鍵――決してドゥーマに渡してはならないものだった。
「偉大なる正義の神よ……!お願い申し上げます……!どうか我が国をお救いください!暴虐の限りを尽くす大地の神を諫め、この国に平和をもたらしてください!」
「聖女様の願い、確かに聞き届けた」
マグナはいつもより厳かに振る舞うと、手元の剣をじっと見た。
まもなく作戦会議が始まる。メレーナを入れて総勢十五人、椅子の数はぴったりだった。しかしマグナたち五人とメレーナが腰を掛けた後、入れ替わるようにして立ち上がる姿があった。ミアネイラだった。
「じゃあ頼みの綱だった正義の神も来たことだし、私はおさらばさせてもらうわね」
カツカツと靴を鳴らして出口の方に向かう。
「え?ちょっと、ミアネイラ!」
「いい、トリエネ。行かせてやれ」
止めようとするトリエネを、バズが言葉で遮った。
「ドゥーマとの対決は下手をすれば全滅の可能性だってある。去りたい奴は好きにすればいい」
「じゃあお言葉通りにそうさせてもらうわね。はっきり言ってアンタらおかしいわよ。アレを相手にして、本気でなんとかなるとでも思ってんの?付き合ってらんないわ、私は逃げさせてもらうからね」
やがてグレーデンとカルロも立ち上がって、ミアネイラの後に続いた。
「悪いが俺たちもパスだ。バズさん、それにリピアー、アンタらには世話になった。しかし命が惜しい、あんな化け物相手にしていたら命がいくつあっても足りやしない」
「そ、そうだぜ!逃げていいってんなら、遠慮なく逃げさせてもらうからな!」
グレーデンは神妙な面持ちで、カルロはおっかなびっくりしながら出口に向かった。
「かまわん。おそらくお前たちの方が正しいことをしている。アレに歯向かおうというのがきっと愚かな選択なのだろう。だが、その愚かな選択を誰かがせねばならん。そして俺やムファラド、マルクスは裏世界成立当初からのメンバーとして、今回の事態に始末を付ける義務がある」
「……達者でな」
カルロが出た後、グレーデンは最後に一言だけぽつりと言って、扉を閉めて出ていった。
◇
部屋の人数が十二に減ったところで、一同は作戦会議を始める。
「それで正義の神、そしてリピアーよ。何か勝算はあったりしないか?」
ムファラドが机上に腕を組みながら問うた。
「残念ながら、真っ向からぶつかったところで勝てるはずもないわね。結局私たちがすべきことは何も変わらないのよ」
「世界の始まりの地――聖地アタナシアにすべての望みを託すしかないか」
マルクスが顎先を撫でつつ考え込む。
「三種の神器残り二つの内、草薙剣は僕たちが、八咫鏡はドゥーマが所持している状態だ。お互いに相手が持っている神器が欲しい状態だね」
「だがドゥーマは、まだ俺たちが草薙剣を手に入れたことに気付いていまい。この状況を利用できれば……」
「いえ逆よ。むしろ知らせて、ドゥーマをおびき出すべきだわ」
リピアーの勝算のありそうな声音に、長老勢は視線を向ける。
「おびき出す?しかしドゥーマの力は途方もなく強大だ。なにせこの大地そのものがアイツの支配領域なんだからな。策なくして挑んだところで、自ら死にに行くのと変わらないぞ」
「勿論あるわ。必勝とまでは言えないでしょうけど……マルロー」
リピアーがマルローに呼びかけると、彼は空中にブラックホールを出現させて何やら四つのリング状のアイテムを取り出した。
「いったいなんだ?これは」
「これは俺様のヘーパイストスの能力で作り上げた身体強化アイテムさ。両腕と両脚に付けることで、腕力と脚力を大幅に向上できる。大岩を軽々と持ち上げ、ジャンプすれば城すら軽々跳び越えられるぜ」
「ほう、なるほどな。そんなものが」
バズが流石は鍛冶の神だと、舌を巻いたような顔をする。
「マルロー、お前いつの間にこんな物を」
「実はフランチャイカでの革命開始前から構想自体はあったのさ。間に合わなかったけどな。そしてリピアーに身体能力を強化するアイテムを作れないかって聞かれて、マルティアでの調査の傍らに試行錯誤していたんだよ」
マグナは、マルローの鍛冶の腕を改めて頼もしく思う反面、やはり調査はあまり真面目にしていなかったのだなと思った。
「とにかくこれがあれば、ドゥーマの操作する土砂や岩石に簡単には呑まれなくなるはずだわ。私たちはイェニール山脈を越えた帝国の東の果て――シバレルの地にドゥーマをおびき出そうと思うの」
神聖ミハイル帝国の人口分布を大雑把に言うと、西側ほど人口が多く、東に行けば行くほどに未開の地となってゆく。山嶺の向こう側、シバレルの地は冬は凍てつく寒さに見舞われる僻地であり人もほとんど暮らしていない。
「なるほど、僻地に誘い出せばドゥーマに暴れられても被害は小さく済む。そしてマルローのアイテムがあれば自分たちの延命の可能性を上げられるというわけだ」
「ええ。私とマグナ、マルロー、トリエネの四人でドゥーマを誘い出し、草薙の剣を持った状態でとにかく逃げ回るのよ」
「逃げ回って……それでどうするんだい?何の算段もなくおびき出したって意味がないよ」
マルクスの疑問を受け、リピアーは解説を続けていく。
「ちゃんと意味はあるわ。草薙剣はいわば馬の前にぶらさげた人参。ドゥーマが草薙剣に躍起になっている内に、私たちは八咫鏡を奪取するのよ」
「そんなことができるのか?」
「……できるはずよ。ドゥーマの最大の欠点はね、奴の意識や感覚が力の広大さにまるで追いついていないところなのよ」
「精密操作できるのは、あくまで見えている範囲に限るということだな」
「そうね。今は土塊人形を”眼”にすることで多少は改善しているようだけど、結局一個の人間の感覚で制御するにはあまりにも能力が大きすぎるのよ」
「つまり、リピアーはこう言いたいんだね。ドゥーマが何かに執着している時、別のところがおろそかになるのだと」
真意を汲み取ったようにマルクスが言う。リピアーは頷く。
「精密な操作をマルチタスク的に行うことはおそらくできないと踏んでいるわ。おびき出して草薙剣に夢中にさせておけば、八咫鏡の守りに関してはきっとおろそかになるはず。そこを狙うのよ」
「しかしどうやって見つけるのだ?今、八咫鏡がどこにあるかはドゥーマにしか分からない。ひょっとしたら地中に隠しているかもしれない」
「私もそうだと思っているわ。アイツは疑似鉱物を生み出す力も持っているから、おそらくそれで覆った上で地中に閉じ込めているのよ。でも他のところに意識を向かわせておけば、状況を維持できず八咫鏡は地上に姿を現すかもしれない。そしてこの広い帝国の中でどう探し出すかだけど……」
リピアーは隣のマグナに目を向ける。それは確かな信頼の視線であった。
「リピアー、俺も同じことを考えていた。この広い帝国中に干渉できる存在となると――アイツしかいない」
「アテがあるのか?正義の神」
「モンロー、出て来てくれ」
マグナがそう言うと、小屋の中に突如藤色のおかっぱボブの、黒いドレスを身に纏った女性が現れた。マグナが生み出した三眷属の一人、モンローである。裏世界のナンバーズで、彼女を見たことがあるのはバズとリピアー、アリーア、グラストぐらいだ。それ以外のメンバーは、そのあまりに薄気味悪い雰囲気に背筋がぞくっとした。
「マグナ様……その方は、もしや貴方様の眷属ですか?」
メレーナが震える声で問う。
「ああ、驚かせてすまない。コイツは俺の眷属、モンローだ。コイツに八咫鏡を探らせようと思う」
「な、なんか怖そうだけど……すごい頼もしそうな眷属だね!」
トリエネが眼前の恐怖から目を逸らすように、わざとらしく明るく言った。一方リピアーは黙って神妙にしている。彼女はモンローを見るのは初めてではなかったし、このような闇の眷属を生み出してしまったマグナの心の有り様を彼女なりに理解しているつもりだった。
「モンローは、正義の広範性と通用力を体現した眷属なんだ」
「……よく分からんが、いろんなところに行けるということか?」
「はい、ワタクシは何処にでも存在することができる眷属なのでございます。既に神聖ミハイル帝国中に”ワタクシ”をばらまいております。広い国ですが、やがてワタクシによって埋め尽くされるのも時間の問題でしょう」
モンローの微笑は、やはり身の毛のよだつ悪寒が走る。慣れているのはマグナ本人、マルロー、リピアーくらいなものだ。
「代わりにフランチャイカ王国が現在手薄の状況となっておりますが、あちらは既に教化が完了しております。ただちに問題が起きることはないと思いますが、いかがでしょう?マグナ様」
「ああ、かまわない」
教化、という言葉にマグナは深く触れなかった。しかしその内清算しなければならない、負の遺産であろう。
――ともかくこれで作戦方針は決まった。
草薙剣をエサにドゥーマをおびき出す。自分たちは草薙剣を奪われないように、勿論死なないように努めながら逃げ惑う。そしてドゥーマが草薙剣に躍起になっている内に、モンローは八咫鏡を見つけ出す。
マルローは四つ一組の身体強化リングをマグナ、リピアー、トリエネにも配る。この四人分しかないので、残りの人員は待機である。ミサキも勿論此処に置いていく。
そして少々の心支度を済ませた後、マグナたちは草薙剣を携えて、山小屋を後にした。




