第205話 地平を喰らう蛇
アリーアたちと合流するべく神聖ミハイル帝国へ急ぐマグナたち。彼らは、帝国がなにやら巨大なものに囲われている様を目撃する。
神聖ミハイル帝国領内のとある農村。
そこでもやはりドゥーマの生み出した土塊人形たちが蔓延っている。
人類是正計画の一環として、ひとまず私有財産の接収と農地の完全共有化が実施されていた。
人々は土塊人形たちの指示通りに財産を供出し、そして村の構造を作り変えていく。土塊人形たちは定期的に村内を見回りして直々に接収や破壊工作を行うこともあった。
村の中央近くに他の家より豪華なレンガ造りの邸宅があった。おそらく富農の邸宅だろう。同じ農民でも格差はある。その邸宅を多腕巨人がのっぺらぼうの顔でじっとりと見つめている。
そしておもむろに叩き壊し始めた。傍らの男が絶叫を上げる。
「なっ……!何をされているのです……!?」
【決マッテイルダロウ。生キテイクノニ無用ナ物ノ全テヲ排除スルノダ。ソレラハ全テ”富”デアル。ナニユエ家屋ガ豪華デアル必要ガアル?人ノ子ヨ、豊カサヲ捨テヨ。粗末ナ麻服ヲ着テ、葦ヤ茅デ葺イタ家ニ住メバヨカロウ】
聞く耳も持たず、家屋の損壊を続ける。
「や、止めてくれ……止めろっ!」
男は怒号を上げる。しかし多腕巨人は振り向きもせず、腕の一本だけを急に男の方に向けたかと思えば、バチンッと慣れた所作で叩き潰した。
村内のまたあるところでは、村人からの接収品がまとめられている。
穀物や芋などの食糧、防寒着も含めた質のよい衣服に宝石などの装飾品、銃や刀剣といった武器の数々、本に絵画や楽器のようなありとあらゆる娯楽と教養をもたらすもの。生命活動の維持に最低限必要なもの以外は、すべてが接収対象であった。
接収品の仕分けをする剛力巨人に、農民の一人が近づいて懇願する。
「な、なぁ、頼むよ……接収する食糧を減らしてくれ……!このままじゃ家族が食っていけねえ、冬を越せねえよ」
剛力巨人は作業を止めず、手を動かしながら答える。
【人ハ自分勝手デ嘘ヲ吐ク生キ物ダ。我々ハ最初カラオ前タチガ、素直ニ全テノ富ヲ供出スルトハ思ッテイナイ】
「……は?」
【ドウセ何処カニ隠シテイルノダロウ?麦ヤ芋ヲ。ソレラヲ食エバ良イデハナイカ】
「ち、違う!アンタらの言う通りに素直に供出している!でもそれだけ持って行かれると、本当に家族が飢えて死んじまうんだよ!」
【問題ナカロウ。食糧ナド、トモスレバ飢エカネナイ程度デヨイノダ。ソウスレバ、人ハヤガテ麦ノ一粒ニモ感謝スルヨウニナルデアロウ。大地ノ恵ミニ感謝スルヨウニナルデアロウ】
分かってはいたことだが、やはり話の通じる相手ではなかった。
そこにズシズシと足音を鳴らして、一体の単眼巨人が近づいて来た。なにやら報告があるようだった。
【リーダー!アッチノ方デ解体作業中ノレンガ造リノ家屋ナンダガ、タンマリト食糧ヲ地下室ニ隠シテイタゾ!】
(……!)
あの富農の家か!と男は内心で舌打ちをした。
【ナンダト!ヤハリナ。デカシタゾ、シッカリト接収シテオケ!】
破壊された富農の邸宅から隠された食糧が続々と運びされていく。作業は三体の多腕巨人によって行われていた。
そこに突如、まさかりを構えた少年が飛び出して来た。
目には涙を溜めている。
「お前たち!よくも、よくも父さんを!」
少年は叫びながら飛び出し、多腕巨人の脚にがむしゃらにまさかりを当てつける。しかしまったくダメージになっていなかった。
程なくして、少年は踏み潰されて絶命した。
「兄ちゃん!」
弟らしき少年も物陰から飛び出した。
多腕巨人は彼も殴り殺そうと腕の一つを向けてくるが、その前に母親らしき女性が大急ぎで駆け付けて少年に飛び付き、無理矢理に地面に額を付けさせて頭を下げた。
「も、申し訳ございません!わたくしたちは心を入れ替えます、もう贅沢な暮らしなど夢にも思いません!大地の神への信仰を示します!どうか、どうかお慈悲を……!」
そう言って母親は息子ともども、地べたに這いつくばって頭を垂れた。多腕巨人に表情はないが、どこか満足げだった。
【ソレデヨイノダ、人ノ子ヨ。身ノ程ヲワキマエ、大地ニ恭順セヨ……!】
しかしまだまだ村内には、恭順の意を示さぬ者がいる。
リーダー格らしい剛力巨人は、村内全体に向かって呼びかける。
【人ノ子ヨ、オ前タチノ目ハ母ナル大地ニ向イテイナイ。目先ノ欲バカリダ。ソレデハ大地ノ加護ハ受ケラレヌ。余計ナモノヲ捨テテ、素朴ナ心ニ戻ルノダ。ソノ時オ前タチハ母ナル大地ノ恩恵ヲ感ジ、大地ニヨッテ生カサレテイルコトヲ思イ知ルダロウ……】
更に声を大きく宣う。
【人ノ子ラ、ソノ立ツ土ニ感謝セヨ……!大地ヲ誉メヨ……!讃エヨ、土ヲ……!】
帝国の周縁部に、大勢の人々が大荷物を背負って行進している。様々な村落からなんとか土塊人形の目を盗んで、逃げ出してきた人々の集いであった。
「みんな、頑張るんだ!もう少しで国外に出られるぞ!」
此処は帝国西部の周縁地域であり、彼らはラグナレーク王国方面に逃げ出そうとしていた。全員重い荷物にぜいぜい言いながら、街道を行進してゆく。
やがて、眼前に立ち往生している集団に出くわした。
「みなさん、いったいどうされたのです?」
先頭の男が尋ねる。見れば、立ち往生していた人々はみな意気消沈している。めそめそと泣きじゃくっている女性や子供も見受けられた。
「アンタらも国外に出ようとしているのかい?でも行ったってムダさ」
立ち往生している一人が答えた。
「何故です?」
「どうも正体不明の壁が立ちはだかっているんだ。この先、どうやっても国外になんか出られそうもない」
「そ、そんな馬鹿な!」
先頭の男は取り乱す。そして遠方に目を凝らすと、確かにうっすらとはだかる高い壁のようなものが見えた気がした。
「みんなで手分けして探したんだ、抜け穴や壁の途切れている箇所がないかってな。でも未だにそれが見つからない。俺たちを遮るあの壁は遥か地平の彼方にまで続いているみたいなんだ」
「そんなことがあるわけ……」
男は混乱しつつも考え込む。しかし分からない、街どころか国をまるごと囲う壁なぞ用意できるものなのか?それも神聖ミハイル帝国はかつて世界一位の面積を誇っていた広大な国だというのに……
「分からない……俺たちは、俺たちはいったいどうなってしまうんだ……?」
◇
マグナたち一行は、マルローの造った改良型レーヴァテインに乗って高速で空を飛行している。位置としては、既にヴェネストリア連邦を脱していて、ポルッカ公国も行き過ぎ、ビフレスト荒原の上空であった。
操縦席は前部と後部に分かれている。
前部座席の操縦桿の有る方にマルロー、もう一方にマグナ。後部座席にはリピアー、トリエネ、ミサキの女性陣三人がまとまって座っている。
そこでマグナが、はっとなった。
心配げな瞳と共に、リピアーが尋ねる。
「どうしたの?マグナ」
「……レイシオの気配が消えた」
リピアーも目を見開いた。マグナの眷属のことについては、既に彼女も聞き及んでいる。
「確か、ラグナレーク王国の守護を任せている貴方の眷属だったわね。その反応がなくなったということは……」
「……既に八咫鏡は、ドゥーマの手に渡っている可能性が高いな」
ギリッと、強く歯ぎしりをした。
「きっとそれだけではないわね。ドゥーマが直々にアースガルズに行ったというのであれば、もっと最悪な想定をした方がいいわ」
「……ともすればアースガルズが壊滅している可能性すらあるってことか」
マグナは自身の眷属に全幅の信頼を寄せていた。それが為す術もなくあっさりと敗れたのだ、流石に焦燥の感情が強く彼の心を席巻した。
(ツィシェンド、どうにか無事でいてくれ……!)
程なくして彼らを乗せたレーヴァテインは、ビフレスト荒原の神聖ミハイル帝国との国境に程近い辺りにまで差し迫った。
そこでリピアーに、アリーアからの伝言が入った。会話が終わると全員に向けて情報共有を開始する。
「朗報だわ。行方を眩ませていた聖女メレーナだけれども、ピエロービカ内でグラストが保護したそうよ。草薙剣もまだ奪われずにいたみたい」
「本当か……!」
「ええ、今はピエロービカから離れたウラードニスク近郊の隠しアジトで匿っているそうよ。私たちもそこに向かうわよ、裏世界の集まれるだけのメンバーがそこに揃っているみたいだから」
「あいよ、了解!」
マルローが軽快に答える。反してリピアーは少し重苦しい声音で、言葉を続けた。
「それと、ドゥーマの計画による犠牲者は着実に数を増やしているそうよ。既に全帝国民の百分の一にも迫る勢いだとか」
「たった半日でか……」
「ひどすぎるよ!ドゥーマのやつ、帝国を滅ぼすつもり!?」
想定を超える犠牲者の増加ぶりに、マグナは嘆きトリエネは怒りを露わにする。
「滅ぼす……までは考えていないでしょうね。それならばもっと効率の良い手段があるもの。例えば、山ぜんぶ噴火させるとかね」
「……!ドゥーマってやつは、そんなことまでできるのか……?」
さしもの彼も驚きを隠せない。
「可能よ、やつほどの無茶苦茶な力の持ち主なら。そしてもしそうなれば、大気中を火山灰が漂い太陽光を遮断するわ。植物が多く死に絶える。やがて未曽有の大凶作となって、動物も人間も滅びるでしょうね。でもドゥーマはそこまではしていない。あくまでアイツがしたいのは、人類の絶滅ではなく選別なのよ」
リピアーがそんなことを言っていた時のことだった。マルローが妙なことを叫んだ。
「な、なんだありゃ!?山や川に沿うように、妙にデカくて長いモンがあるぞ!」
つられて一同も眼下の景色を見る。
確かに彼の言う通りに、なにやら白っぽくて長いものが大地に横たわっている。それは眼前ばかりでなく、遠く地平の彼方まで続いており、途方もない長さであった。
「何アレ!?何アレ!?」
「……見たところ、神聖ミハイル帝国の国境線に沿うように巡らされているわね」
「……おい、なんか鱗のような質感に見えねえか?」
他の三人も口々に感想を言う。
そこで突如として、不思議なことに辺りの風景が真っ暗になった。加えて妙に生温かい、湿っぽい風を感じるようになる。
「何っ!?急に暗くなったんだけど!」
「……それに急に風が、生臭くなったな」
「超絶、嫌な予感がしてきたぜ……おりゃ」
「マルロー!全速力で左右方向に逃げて!急いで!!」
リピアーが、柄にもなく大慌てで指示を出していた。
マルローはレーヴァテインを右の方に方向転換させた後、全速力でその場からの退避を始めた。間一髪だった、あのまま直進していたら間違いなく飲み込まれていたからだ。
離れていくにしたがって、やがて正体を知る。
それは途方もなく巨大な蛇の頭であり、それがあんぐりと口を開けて彼らを待ち構えていたのだった。
「何アレ、巨大な蛇……!?」
「びっくりするほど大きいな……信じらんねえ。よかったぜ、レーヴァテインを速度重視で改良しておいて……」
「もしかして、あの蛇もドゥーマの眷属なのか……?」
「……おそらくそうでしょうね。あんな規格外なサイズの眷属、普通ではあり得ないもの。あの蛇は国境をぐるりと囲うように体を横たわらせているわ。ドゥーマはきっと、一人も帝国から逃がすつもりがないのよ」
彼らには預かり知らぬことだが、この大蛇にはピュートーンという名がある。彼らが予想した通りにピュートーンはドゥーマの眷属であり、神聖ミハイル帝国の領土をぐるりと一周するように囲んでいる。その全長はユクイラト大陸全体の横幅よりも、遥かに長いであろう。
大きさも尋常ではない。彼らには認識のない存在であるが、ラヴィアたちがあれほど騒いでいた巨大花レーテーなど豆粒に見える程度のサイズ比である。マグナたち一行を乗せたレーヴァテインなど、微生物レベルの大きさでしかない。
「帝国民から見たらどこにも逃げ場がない状況ね。どの方角に向かって逃げても、地平の果てにやがてあの蛇にぶち当たる。まさに、”地平を喰らう蛇”……!」
とてもやり合える相手ではなく、彼らの中に戦う選択肢などなかった。
一行を乗せたレーヴァテインはやがて神聖ミハイル帝国領内に到達し、中部の鉱山都市ウラードニスクを目指す。




