第204話 大陸直下震
八咫鏡の入手の為、ヴァルハラ城を訪れるドゥーマ。彼女の圧倒的な力に城内の兵士は為す術もなかった。
ところ変わって、ラグナレーク王国の王都アースガルズ。
市街を抜けた先のなだらかな丘陵に聳えるヴァルハラ城前に、ドゥーマは姿を現した。
地面が盛り上がったかと思えば、さも当然のように姿を見せたのである。土中に居たにも関わらず何故だかスーツは一切汚れていない。
「ここがヴァルハラ城ね。なるほど、確かに中央の尖塔が崩壊しているわねぇ。フェグリナに成り済ましていたアヤメとかいう奴がやったんだったかしら」
とくに感慨もなく呟くと、彼女は城門の前へと歩を進める。
マグナたちが突入を図っていた時のように城門は固く閉じられておらず、堀に掛かる跳ね橋も上がっていない。ドゥーマは当然のように橋を渡って往く。渡り終えたところには二人組の見張り兵が居た。ラグナレーク王国騎士団の一機構――近衛内政局の兵である。
「……っ!何者だ、止まれ!」
「城になにか用事でもあるのか?入城許可状を拝見させていただく!」
二人の兵士が槍を交差させて侵入を阻もうとする。しかしドゥーマは歩を止めないどころか、彼らに見向きもしなかった。
兵士の足元の地面が鳴動したかと思えば、突如土砂が巻き上がった。彼らは叫ぶ暇もないままに地中に飲み込まれる。
ドゥーマは何事もなかったかのように入城を果たした。
目的地は地下宝物庫である。彼女は地下への階段を目指して邁進する。
その間、幾度となく先ほどと同じような光景が繰り広げられた。兵士が呼び止め詰問する、聞く耳を持たないどころか一瞥もせず通り過ぎるドゥーマ、そして兵士は地中へと引きずり込まれる。まったく同じ状況を何度も何度も引き起こしながら、やがてドゥーマは階段を降りて地下通路に到着した。
この時点で既に十数人もの兵士が亡くなっていた。
「待たないか、お前!そこを止まれ!」
背後から叫ぶ声が聞こえる。それは騒ぎを聞きつけて、近衛兵を伴ってやって来たツィシェンド・ラグナルであった。
しかしドゥーマは相変わらず聞く耳もなければ一瞥もしないので、背後に居るのが国王だとは気付かないままである。
「何者だ、お前?神聖ミハイル帝国の議員が着るような服装をしているが……いったい何の目的でここに来た!?」
ツィシェンドは叫ぶが、ドゥーマは取り合わない。彼は兵士数名を先回りさせて行く手を阻もうとするが、意味のないことだった。もはや自然の摂理の如く、手を放したボールが地に向かって落ちるのと同様に、まったく当然に兵士たちは地中に引きずり込まれていった。ドゥーマはやはり気にも留めないまま、悠然と歩を進めるばかりである。
その足取りから目的地が宝物庫らしいことが、ツィシェンドには分かり始めていた。しかしこの女が何者かは不明のままであったし、この無茶苦茶な力、そして何故ここまで頑なに無視を決め込むのかもよく分からない。
やがてドゥーマの眼前に、柳色の髪をした執政官風の出で立ちの男が出現する。
「貴様ぁ!ここが偉大なる正義の神、マグナ様が庇護されている国と知っての狼藉か!?」
マグナの眷属――レイシオ・デシデンダイである。
彼は迫り来る侵入者を通すまいと立ちはだかるが、あっという間に巻き上がった土砂に纏わりつかれてしまった。
「ぐっ……何だこれは!?」
膨大な土砂が一瞬にして足元から吹き上がったのだ、さしもの彼もすぐには反応できなかった。そして、かつてグレーデンとカルロを一方的に蹂躙したその力もまるで歯が立たず、彼も他の兵士たちと同様にみるみる内に地中に飲み込まれていった。
「おのれ、まさかこんなことが……マグナ様、申しわけ……」
やがて声が聞こえなくなった。ドゥーマのカツカツと鳴らす靴音だけが絶えず響いている。
(まさか、マグナの眷属でさえも歯が立たぬとは!)
状況を見て、ツィシェンドはいよいよ冷や汗をかき始めた。兵士たちにこれ以上近づかないように、目配せで指示を送る。近づくことはすなわち死を意味した。突入から今に至るまで、平静なのは元凶のドゥーマただひとりだけであった。
(ようやく分かってきたぞ。コイツは俺たちを無視しているというより、眼中にないんだ。目の前を羽虫がうろつくのを気にも留めない者もいるだろう。コイツの無視はその感じに近い。視界には入っているが、眼中にないんだ)
敵はまるで自分たちを取り合わない。しかし力ずくで止めることは一層難しく、敵が宝物庫まで向かって往くのをただただ指を咥えて見ていることしかできない。
程なくして、ドゥーマは宝物庫の前に到着する。
「あったあった、確か此処よねぇ」
宝物庫の扉は暗号を入力せねば開かない特殊な仕組みのものである。そして金属製で極めて頑強だ。しかしそれがミシミシと開き始める。力ずくで開けたというよりは、ドゥーマが扉に道を開けてもらったような印象だった。
宝物庫内は薄暗い広めの物置きといった様相だが、実にがらんどうであった。それもそのはずで、収蔵品のほとんどすべてがイフリート盗賊団によって盗み出されていたからだ。しかし八咫鏡だけは盗難を免れており、宝物庫の奥の台上に安置され、目を引く美しさを放っていた。
「あったわ、これねぇ。へぇ、なかなか綺麗じゃない。宝物と呼ぶにふさわしいわねぇ」
簡素だが優美さを感じさせる丸い鏡。ドゥーマはそれを手に取ると満足げな笑みを浮かべた。したり顔で宝物庫から通路へと出て来る。
その様子を遠巻きで見ていたツィシェンドと兵士たちは、どうしたものかと頭を悩ませた。もともと八咫鏡はラグナレーク王国のものではないが、かといって黙って持ち出されるわけにもいかない。しかし眼前の怪物を止める方法はどうやっても浮かびそうになかった。
打倒するか?懐柔するか?
いずれも難しいだろう、歯が立たないばかりかそもそも相手にすらしてもらえないのだから。
「あ、そーだ」
ドゥーマは鏡を抱えたまま呟いた。何故だか嫌な予感がした。
「グレーデンたちが、以前にアースガルズの市街を破壊しようとして失敗していたわよねぇ。せっかくだからぶっ壊してから帰ろうかなぁ」
(なんだと……!?)
ツィシェンドは血相を変えた。ここで侵入者が、数か月前にアースガルズ市街を襲撃した狼を呼ぶ男と、熱や光を操る男の関係者であることが判明した。しかしそれどころではなかった。
侵入者は突入から今に至るまで、一歩も止まることがなかった。数多の兵も、正義の神の眷属でさえも戦いの舞台にすら上げさせてもらえないままに殺された。
そんな圧倒的な力を持つ彼女が言ったのだ、この街を壊すと。
ツィシェンドは必死の形相で頭を回し、打開策を考えた。脳の血流が荒ぶる急流のように感じられ、時間が鈍化したような錯覚さえおぼえた。それでも有効な打開策など思いつきようがなかった。
立ち尽くすツィシェンドたちに一切気を向けず、ドゥーマは鏡を抱えたまましゃがみ込むと、床に手をあてがって、ぽつりと呟いた。
「――大陸直下震」
地面が突如不気味に鳴動した。彼らは急に途方もなく大きな動物の背に居て、その動物が突然暴れ回り始めたかのような感覚に翻弄された。
空気さえ震わせながら、すさまじい音を立てて、王城が瓦解を始めた。
◇
地震には大雑把に分けて海溝型と直下型が存在する。
地殻というものがいくつものプレートと呼ばれるパーツに分かれていて、それぞれが大陸活動に伴って動いていることは周知の事実であるが、海溝型は海洋プレートが大陸プレートに潜り込む動きの過程で発生する(密度の関係で海洋側が大陸側の下に沈み込んでいく)。海洋プレートが大陸プレートの下に深く潜り込んでいく程に、大陸プレートもそれに引っ張られていく。そして或る時限界が来て、大陸プレートがどかんっと撥ね返るゴムのように戻る。これが海溝型地震である。人の暮らす領域から離れた場所で発生することが多いが、その特性上地震の規模は大きくなりがちで、津波を伴うことも多い。
片や直下型は、大陸活動に伴う地殻内のひずみや活断層の発生によって起きるものである。規模は海溝型の地震ほどではないことが多いが、都市の真下で起きることもあり震源が浅い場合も多い。その場合には重篤な被害を引き起こすことだろう。
ドゥーマが引き起こした大地震は、アースガルズという都市直下の極めて浅い領域で、地殻を思い切り弾ませたゴム鞠のように揺れ動かすことで発生させたものだった。
――その惨状は目も当てられぬ、言葉にできないほどのものだった。
ヴァルハラ城は、完全に崩壊した。
うず高く積もった瓦礫の山。それがかつて世界中の耳目と憧れを集めてきた優美で荘厳な城だったとは、誰にも分からないだろう。
そして市街に下れば、状況はさらに悲惨であった。
街のミニチュアの上を子供が思い切りはしゃぎ回った後のような、たくさんの食器を並べた卓袱台を滅茶苦茶に揺らした後でひっくり返した後のような、もはや崩れていない建物を探し出す方が難しいほどの損壊ぶりであった。地面に幾重にも亀裂が走り、街のあちこちで火の手が上がっていた。
叫び声が聞こえる。居住エリアの奥の方だ。崩れた家々に囲まれながら、必死に巨大な瓦礫をどかそうとしている男が居た。銀色の髪の、作業員風の出で立ち。
「誰かーー!助けてくれーー!誰かこの瓦礫をどかしてくれーー!メイリーがこの下に居るんだぁっ!」
男はハレーであった。彼は取り乱しながら、一人ではどかせるはずもない瓦礫にしがみつき、懸命に腕に力を送っている。無我夢中で声を張り上げている。普段の落ち着いた彼を知る者ならば、人が変わったように思うだろう。
「誰かぁ、助けてくれーー!誰かーーーー!」
しかし駆け付ける者はいない。
街中の誰も彼もが、既に圧死していたか、生きていても彼と同じ状況にあったからだ。彼を助けられるだけの余裕のある者は誰もいなかった。
虚しく響くだけの彼の叫びに、いつしか嗚咽が混じり始めた。
――この日、柳美麗は二十三歳という若さで世を去った。




