第203話 有るべき姿
ドゥーマの横暴がリピアーたちの耳に届く。神聖ミハイル帝国に向かう前に、リピアーはマグナに人の有るべき姿を尋ねる。
バズはアリーアを抱えたまま建物の屋根を飛び移って逃走する。老いを感じさせない機敏な動きだが、これでも全盛期の身体能力には遠く及ばない。
やがて遠くから高速で飛行する何かが接近してくる。ポーラーハットを被った中年の男グラストと、彼が駆る神鳥ガルーダであった。その紅く大きな鳥の背に、バズは勢いよく飛び乗った。
「間一髪だったな、アリーア」
「バズ、グラスト……ありがとう」
死を覚悟していたアリーアにとって、ここでの生還は望外の喜びであった。
ふと眼下に目をやれば、他の村落と同じようにこのピエロービカにも土塊人形が蔓延っていた。既に数えきれない程の人民が、虫の如くに叩き潰され死んでいる。アリーアは歯噛みした。
これだけの一大事、かつこんなことができるのはドゥーマぐらいだ。この惨状が誰の仕業であるかをいち早く察知したバズは、グラストに声を掛け、こうして馳せ参じてくれたのだろう。
「アリーア、もうピエロービカはダメだ。この街のアジトも放棄する。こんな時の為に、ドゥーマには秘密で造っていた隠しアジトがウラードニスクの外れにあるんだ。ひとまずはそこに向かおう」
「隠しアジト……!そんなものが」
「ああ、知っているのは俺とムファラド、マルクスの三人だけだがな。今は裏世界の集まれるだけのメンバーがそこに揃っている」
おそらくバズたち長老勢が、いざドゥーマが牙を剥いた時の為に予め用意していた場所だったのだろう。三人を乗せたガルーダは雄々しく翼をはためかせ、帝国中部に位置する鉱山都市ウラードニスクに向かうのだった。
やがて帝国領内を東西に二分する巨大な山嶺――イェニール山脈が見えてくる。目的地のウラードニスクはその麓に存在する。
ガルーダは街から離れた山中に降り立った。木々に隠れていてよく見えなかったが、そこにはどこか真新しさのある山小屋が存在していた。木造の比較的大きな建物だった。
扉を開いて中に立ち入る。内部は巨大なテーブルを囲うように幾つもの椅子が配置されており、さながら会議室のような様相を呈していた。そこには確かに裏世界の他のメンバーが集まっている。
N0.2ムファラド、No.3マルクス、No.7アーツ、No.11グレーデン、No.12カルロ、No.13ミアネイラの計六人。ここにNo.1バズ、No.8アリーア、No.9グラストを加えてナンバーズは九人が揃う形となった(No.4リピアーとNo.5トリエネは組織を離反中、No.6ドゥーマは敵対状態の為、No10.バジュラはドゥーマ側である為、No.14レイザーは組織に所属している自覚なし、No.15スラは既に死亡している為、それぞれ不在である)。
「……とんでもないことになったな」
アリーアたちが席に着くなり、ムファラドが呟いた。
「アイツのことだ、その内何かやらかすだろうとは思っていたが、まさかここまで大規模な行動に出るとはな」
「そうだね。彼女が何故柄にもなく議員活動などしているのだろうと、皆疑問に思っていたけれど今回のことで納得がいったよ。誰にも真意を悟られずにアリーアを秘書として引き連れつつ、帝国中を巡るのに都合がよかったんだろうね」
ムファラドの言葉にマルクスが相槌を打った。アリーアが説明する前から既に状況を把握しているようだった。
「とにかく彼女は土塊人形を高性能なものに改良できただけでなく、それを帝国中に配備してしまった。今はそれらが一斉に起動している状態だ」
「神聖ミハイル帝国をまるごと人質にとったも同然だな……」
バズは眉間に皺を寄せながら溜息を吐く。そしてアリーアをの方を向いた。
「アリーア、ところでリピアーたちにこの状況は知らせているのか?」
「いえ、まだです。それどころかアタナシアの所在地と到達方法が判明した件についてもまだ」
「なら知らせておけ。ドゥーマがいない今、組織から距離を置く理由もないはずだ。それに相変わらず正義の神や鍛冶の神も一緒に居るのだろう?奴らも巻き込もう、味方は一人でも多い方がいい」
「それもそうですね……」
アリーアは呼吸を整えると、こめかみに指先を当てて遠隔思念の送信を試みた。やがて応答の声が聞こえてくる。
【もしもしアリーア?どうしたのかしら】
「大変よリピアー!大陸の東方にアタナシアと目される空に浮かぶ島が現れたの!そして何者かが草薙剣を神聖ミハイル帝国領内に持ち込んだ!そしてドゥーマが……!」
◇
アンドローナ王国の山合に位置する滅びた町、マルティア。
ひとしきりアリーアと話し込んだ後、リピアーはマグナたちの方に向き直った。
「どうしたんだ、リピアー?」
「なんかアタナシアが現れただの、神聖ミハイル帝国でドゥーマがどうちゃら聞こえてきたけどよ」
尋ねるマグナとマルローに、リピアーは深刻な面持ちで返す。
「とんでもないことになっているわ……アタナシアの調査について、そして神聖ミハイル帝国が……」
「だ、大丈夫!?リピアー!」
心配げな視線を送るトリエネ。
リピアーは「大丈夫よトリエネ」と返した後、きっと表情を引き締めると、三人に情報の共有を開始する。
「アリーアから聞いた情報をみんなにも伝えるわ。どうか心して聞いて頂戴――」
こうして一同は、現況を把握するに至った。
大陸の東方にアタナシアと思しき浮島が現れたこと、それが出現したきっかけは海沿いの遺跡に八尺瓊勾玉が捧げられたからであること、捧げたのは邪神を討伐して東方五部族をまとめ上げ五色同盟国を打ち立てたラヴィア・クローヴィアであること(この時マグナはラヴィアの状況を知らなかったので大層驚いていた)、おそらく残り二つの神器を捧げればアタナシアへの道が開かれること、草薙剣が神聖ミハイル帝国の聖都ピエロービカに持ち込まれたこと、ドゥーマがそれを探し出す目的も兼ねて人類是正計画なるものを始動させ多数の犠牲者が出ていること、最後の神器である八咫鏡の所在についてもドゥーマに知られてしまったこと。
あまりに情報量が多かったが、それも致し方のないことだった。これらはすべてたった数日間の内に起こった出来事なのだ。
「……状況がすさまじく進展したな」
「ああ、調査が膠着状態だった俺たちからすりゃ吉報でもあるんだが、とても素直には喜べねえな……」
「人類是正計画!?ドゥーマの奴、いったい何を考えているの?」
思案気なマグナ、状況の錯綜ぶりに呆れ顔のマルロー、怒りを露わにするトリエネ。
「アイツが危険な存在であることは前々から分かっていたことだわ。事態は深刻だけれども意外性はないわね。正直、いつか何かしでかすだろうとは思っていたもの」
リピアーは、こうしてはいられないとばかりに立ち上がった。
「とにかく急いで神聖ミハイル帝国に向かい、アリーアたちと合流しなければいけないわ」
「リピアー、どうやってそこまで行くの?あ、分かった!グラストに頼むのね」
「それしかないでしょうね。ただ彼は現在別件で動いているみたいだから、私たちは少し待機することになるでしょうけど……」
「ククク、安心しなお二人さん。このマルロー様にとっておきの移動手段があんぜぇ」
見ればマルローがドヤ顔で笑っていた。三人は彼の方を見る。
「マルロー、空を飛ぶ乗り物でも作れるの?」
「……そういえば、以前貴方はレーヴァテインの量産型を造っていたことがあったわね。人を乗せて飛行可能なラグナレーク王国秘蔵の神器」
「アレか……しかしアレはバズとかいう爺さんがぶった斬っちまっただろ?」
「甘いなあ、みんな。抜け目のない俺様は、このマルティアで調査活動をする傍ら、せこせこ量産型レーヴァテインを新しく建造していたのさ!」
マルローは腕を組みながら得意げに言葉を続ける。
「しかも変形しない代わりに、速度と操縦性を向上させた特別仕様ヨ!操縦席も拡張したからミサキを含めた五人でも乗れちゃうぜぇ!」
「えーーっ!マルロー、すごいじゃん!いつの間に!」
「だーはははははは!」
(絶対途中で調査に飽きて始めたんだろうな)
(おそらく調査に飽きてきたから着手したことなんでしょうね)
キラキラした尊敬の眼差しを向けるトリエネを余所に、マグナとリピアーだけが真実を見抜いていた。
しかし渡りに船である。一行は河べりで遊ばせていたミサキを呼び戻すと、事情を簡単に伝えて神聖ミハイル帝国へと赴く準備を始める。
荷物の整理が終わると、マルローは巨大なブラックホールのようなものを生み出すと、そこから改良型レーヴァテインを出現させた。巨大な紡錘形の金属部分を核に、左右には三対の翼のような薄い金属が取り付けられている。上部には搭乗席が設えられ、尾部にはエネルギーの噴射孔がある。マグナとリピアーには見覚えのある、レーヴァテインの機動形態であった。
始めにマルロー、次いでトリエネ、そしてミサキという順に乗り込んでいく。先に乗り込んだ二人で、小柄なミサキの体を操縦席へと引っ張り上げる。
次にリピアーがレーヴァテインに向かい始めたが、彼女は何を思ったかピタリと足を止めると振り返って、後方のマグナを見つめた。彼女の視線に気づいたマグナが問いかける。
「……?どうした、リピアー?」
「マグナ、出発する前にどうか聞かせて頂戴。正義の神である貴方の意見をね」
リピアーはどこか真剣な眼差しだった。
「ドゥーマが開始した人類是正計画――これで実現しようとしていることは、端的に言えば”究極の平等”よ。奴は争いの火種になり得るすべてのものを根絶しようとしている。大地の上に生きるすべての人間を、等しく下等生物たらしめようとしているのよ」
「……大雑把に言うと、原始時代にでも戻そうとしているってことか?」
「その理解で近いでしょうね。確かに昔のそういった時代なら今ほど文化や文明も発達していなかったはずだし、人は大地を怖れ大地に感謝して生きていたかもしれないわね。ただそんな時代でもやはり格差や争いはあったと思うのよ」
「それもそうだ。野生動物の暮らしを見たって、決して平等じゃない。この世に真なる平等なんてないさ」
「そうね、私も同じ意見だわ。けど奴の無茶苦茶な力なら、無理矢理にでも真の平等に近いものは実現してしまえると思うの。マグナ、正義の神である貴方に問うわ。ドゥーマの計画が達成されれば、確かに格差や争いはほとんど起きなくなるでしょう。でもこれは、”平和”と言えるのかしら?これこそが人間の有るべき姿なのかしら?」
リピアーの問いにマグナは熟考する。しかしさして悩んでいた風でもなく、彼はすぐに己の意見をリピアーに聞かせた。
「俺としては許容できないな、そんな紛い物の平等や平和は」
「どうして?」
「人間の真価は、支え合い協力し合うことで大きなことを為せることだと俺は思う。そうして育まれてきたのが文化や文明だ。しかし人には個性がある、だから人同士が関わりを持てばどこかで差が生まれるし争いになることもあるだろう」
「……」
「じゃあ個性を失くしてやればいいのか?それとも、そもそも大きなことを為せないようにしてしまうべきか?俺からすりゃ、どっちも”人間性の否定”だ。人間社会を良くする為に人間というものを否定するなんて、本末転倒もいいところじゃないか」
「……」
「人が人として暮らす以上、どこかで問題は起きるだろう。それは格差かもしれないし争いかもしれない。でもそれが起きるたびに適度に戒めるなり、立ち直らせるなりすればいい。そうして人間社会がより良い成長を遂げられるように支えていく。きっと……きっとその為に秩序や正義ってのがあるんだろう」
彼は自分で言いながらはっとした。言葉にしながら考えてみることで、自分が目指すべき正義の姿が見えてきたような気がした。
気付けば眼前のリピアーが、まるで愛しく尊いものを見るかのような表情を浮かべている。天女の微笑みを想起するその佇まいに、マグナは不意に胸がときめくのを感じた。
「……満足か?」
「ええ、貴方の想いを聞けて良かったわ。貴方が正義の神として世界を導いていけば、きっとステキな未来がやって来るのでしょうね」
「……買い被り過ぎだ」
「本心よ」
そう言って彼女は静かに微笑んだ。
「おーい、お二人さん!何してんだぁ、そろそろ出発するぜー!」
話し込んでいる二人にしびれを切らしたマルローが声を掛ける。突如現実世界に引き戻される二人。
「行きましょう、マグナ」
「ああ、なんとしてでも阻止しよう。ドゥーマの野望を……!」




