第198話 崩壊
ヘルメースの真の力でバジュラを追い詰めるスラ。しかし侵入者を排除すべく、ドゥーマは地下施設を崩壊させ始める。
スラはヘルメースの能力を発動させ、姿と物音を遮断する。不可視の存在となったスラは周囲を俊敏に動き回り、様々な角度からバジュラの肉体を斬り付けた。
しかし手応えがない。ダメージになっていないのが分かる。
「ハハハ、ムダムダ!俺の強靭な肉体に、そんなチャチな刃で勝てるかよぉ!」
バジュラはその巨体に見合わない敏捷さで動くと、巨大な爪を振りかざした。スラはこれを躱せたが、床には抉れたような跡が残る。
「俺の肉体は鋼鉄にも匹敵する強度を誇る、そんなお粗末な攻撃じゃあダメージにゃならねえ!そして俺の爪はその鋼鉄を紙屑のようにたやすく引き裂くぜぇ!」
暴れ回るバジュラの攻撃を掻い潜り、攻撃を続ける。途中で何度かイロセスの草薙剣によるアシストもあったが、まるで効いている様子がない。
敵はパワーもタフネスも目を見張るものがあったが、驚くべきはそれだけではないようだった。スラは現在ヘルメースの能力を発動させながら戦っている……それにも関わらず、バジュラの攻撃は正確にスラを狙っているのだ。
やがてバジュラの攻撃が掠り、スラは警戒して一旦距離を取った。
「ククク、不思議か?俺の攻撃が正確にお前を狙っていることがよぉ」
「……それも魔人の力ということですか」
「ご明察!この俺の肉体はただパワフルなだけじゃねえ、感覚も研ぎ澄まされているんだよ!第六感……?いいや、”超感覚”とでもいうべきかな」
バジュラは再び腕を振り下ろす。スラは素早くこれを躱した。躱さねば直撃して死んでいた、決して当てずっぽうの攻撃ではないことが分かる。
「無様だなぁスラ。お前の能力はごまかすだけだが、それすらも俺には通用してねえ。分かるんだぜぇ、テメーがどこに居んのか、これからどう動こうとしているかなぁ!」
バジュラの的確な攻撃をスラはすんでのところで回避しつつ、短剣で攻撃を加え続ける。バジュラが攻撃ばかりに専念しあまり熱心に回避行動を取らないのは、スラの短剣なぞまったく脅威に感じていないからだろう。
事実彼の短剣は先ほどからまったくダメージになっていない。表皮のごく表層に極めて浅い傷を残すばかりである。しかしスラは愚直にもこれを繰り返す。その間バジュラの攻撃も何度も彼を掠めるので、彼は流血を目立たせてゆく。
やがてスラは距離を取った後、動きを止める。能力を解除して姿を現す。
「……もう、止めますか」
「止めるだぁ?ハハハ、ついに諦めがついちまったかぁ。まあ彼我の力の差は歴然……お前にしてはよく頑張った方だと思うぜい」
「いえ、勝負は止めるのはもはや決着がついたからです……他ならぬ、貴方の敗北という形でね」
バジュラは不愉快そうに顔を歪める。スラの弁が単なる挑発に思えたからだ。
しかし途端に異変に気付く。彼は体の自由が利かなくなり、身動き一つできずに硬直していた。
「……なんだこりゃ!?体が動かねえ!」
「フフフ、私はただ闇雲に攻撃していたワケではありません。貴方の胴と四肢、全身の各所に切り傷を付けて私の神力を流し込んでいたのですよ」
スラは血を流しながらも、不敵にほくそ笑んだ。
「これはテメェの能力のせいかぁ!?テメェの能力は姿や音を消すだけのモンじゃあ……?」
「甘いですねえ、敵が手の内のすべてを明かすとでも?まあ実際、私の能力はごまかすだけのものであると、そう思い込んでくれていた方がやりやすいのでね。私自身も自分の能力はその程度のものだとさんざん吹聴してきました」
スラもバジュラも微動だにしなくなった。動いているのは首から上ばかりである。
「私の表向きの能力は一言でいえば”感覚阻害”ですが、貴方には私の真の能力をご覧に入れましょう。言うなればこれは”感覚支配”……!」
バジュラが大きく右腕を上げる。そして驚くべきことに、彼は振り上げた右手の爪で自身の胸部を思い切り引き裂いたのだ。彼の叫び声が轟いた。
反して、スラはまったくもって微動だにしていない。
「グアアアアッ……!な、何が起こってやがる……!?」
「鋼鉄のごとき肉体と、鋼鉄を易々と引き裂く強靭な爪……結構結構、では倒すのでなく倒してもらいましょうか。他ならぬ貴方自身にね……!」
どうやらスラがバジュラの肉体を乗っ取っているらしいことが、遠巻きから戦いの趨勢を見守っていたイロセスとメレーナにも理解ができてきた。バジュラは文字通りの自傷行為を続けている。叫び声を上げながら、自分で自分を殺さんとしていた。あくまで動きを操っているのはスラ自身である為、その動作には一切の躊躇が見られない。
「ウグググ、グアアア……!た、助けてくれ、ドゥーマ!このままじゃ死んじまう!助けてくれよ、ドゥーマァ……!」
バジュラは悲痛な声を張り上げる。首から上には傷を付けられておらずスラの神力も浸透していないので、発言は自由にできていた。
バジュラの発言にこの場にドゥーマが居るのかとスラは思ったが、見当違いも甚だしかった。彼はもっと慎重にあのことを思い出すべきだったのだ、バジュラが最初に出て来た時に壁がひとりでに動いていたことを!
――突如、天井が不気味にざわついたかと思えば、大量の土砂が天井の崩落と共に落ちて来た。それはただ単純に降って来たワケではない、まるで意思を持った人間の腕のように真下のスラを叩き潰さんとばかりに迫った。
「……!」
スラは咄嗟にこれを躱す。そして、しまったと思った。
バジュラは体の自由を取り戻していた。先ほどまでの悲痛な面持ちが嘘のように、せいせいとしている。
「ハハハハハ!どうやら動くと肉体の乗っ取りが中断されちまうみてえだな!お前の真の力とやらも、随分と致命的な弱点を抱えてるじゃねえかぁ!」
胸から血を噴き出しながらも、バジュラは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「さっき言っただろ?この施設はドゥーマが始めたものだってな。この地下施設にはアイツの神力がたっぷり浸透していて、言ってしまえばアイツの体の中みてえなモンなのさ。ざまあねえなぁ、スラよ……!」
次にどうするべきか、スラが思案するよりも前に状況は悪化する。天井が激しく崩落し始めたのだ。
バジュラは翼を広げて飛び立つと、天井に空いた大穴へと昇って往く。
「このままここに居ちゃ俺も生き埋めになっちまうからな、ここいらでさよならバイバイさせてもらうぜぇ!」
「待ちなさい、バジュラ……!」
スラは声を張り上げる。しかし構わずバジュラは上昇を続ける。
「ククク、スラ。お前の能力には恐れ入ったぜ、正直に言やあ俺はお前を甘く見ていた。まあまた逢うとしようぜぇ、生きてたらな」
そう言って、バジュラは天井の穴から外へと飛び出していってしまった。
まもなく本格的に崩落が始まった。翼の無い自分たちでは天井からは出られない。周囲に忙しく視線を泳がせて出口を探す。
そうこうしている内に、天井を支えていた柱の一つがスラたちの居る辺りを目掛けて倒れてきた。
「……!」
「ひゃあ……!」
「聖女様、あぶねえ!」
柱はちょうどメレーナを下敷きにする位置に倒れてきていた。それに気づいたイロセスはタックルのごとくに彼女に飛びつき、間一髪で難を逃れた。
しかし倒壊した柱により、スラと聖王、イロセスとメレーナといった具合に分断されるに至った。そこからさらに土砂が降り積もるので、とても合流できる状態ではなくなった。
「父上!父上!」
「よせ聖女様!もう間に合わねえ!離れろ、潰されて死んじまうぞ!」
イロセスはメレーナを引き剥がすように土砂から離れさせる。そして二人して後退しつつ叫んだ。
「スラ、聖王様のことは任せたぜ!アタシは聖女様を守ってみせるからよ!」
「はい、お願い致します。必ず合流しましょう。この施設を脱出して、地上で……!」
やがて土砂の降り積もる喧騒が、二人の声を互いに聞けなくした。イロセスは彼らの無事を祈りながら、未だ悄然としている聖女を支えて崩壊する製造区画を後にするのだった。