第195話 魔人
地下施設内で異形と化した人々を多数目撃する一行。スラは怪物に変えられた人間である、魔人の存在を思い出す。
三人は気味の悪い気持ちを抱えながらも地下施設内を進みゆく。
もはやただの麻薬製造施設ではないことが明らかだった。進む度に鉄格子に出くわすのだが、檻の中にはいちいち異形へと変貌した人間の姿があった。獣のような四肢と尻尾を生やした者、鳥のような羽を生やした者、魚のような鱗と鰭を持った者……バリエーションは枚挙に暇がない。三人とも姿を消しているので見つかりこそしないものの、とてもいたたまれない気分だった。
(ここは……何かの人体実験の施設なのでしょうか?)
ひとまずは景色の変わる地点を目指していた。
現在居るエリアは延々と薄暗い通路が伸び、そこかしこに鉄格子が並ぶ光景が続くばかりである。彼は直感的に、ここら一帯が何らかの隔離区域のように感じた。
バジュラが何故わざわざこのような場所を通って売人たちとの交流地点に向かったのかについてだが、やはりあのような交流地点がピエロービカの至るところにあるのだろう。たまたま先ほどの売人たちが使っていたのがあの場所だったに過ぎず、施設内部からあの地点に向かうのにこのエリアを通る必要があっただけだろう。
異形と化した人間たちを見ている内に、スラは一つ思い出したことがあった。
かつて神聖ミハイル帝国によって作り出され、そして隣国であるラグナレーク王国にも輸出されていた人間を怪物に変える技術――”魔人”の開発技術である。
スラは実際にそれが生み出される光景は見たことがない。しかし話には聞いていたし、何より現ラグナレーク王、ツィシェンド・ラグナルがまさに魔人を生み出す実験での生き残りである。
彼は蝙蝠のような翼を生やせただけに終わったが廃人にはなっておらず、飛翔も可能だった為、充分成功例と言える存在だった。しかしそれでも中途半端な成果だったらしく、神聖ミハイル側には完全なる成功例の魔人が存在するとも聞いていた。
「……もしかしたら、此処は魔人の研究施設なのかもしれませんね」
「魔人?それはいったい」
メレーナは首をかしげた。聖女様が知らない以上、やはり表向きは秘された技術なのだろう。
「あるのですよ、人間を怪物に変えるという恐るべき技術が……どのようにやっているのかは定かではありませんが、私は実際にラグナレーク王国で魔人開発技術によって翼を生やした男を見たことがあります。そして、なんでもその技術は神聖ミハイルからもたらされたそうなのですよ」
「我が国が……?しかしこのような非人道的な研究が為されていたなど聞いたことがございません。今までずっと秘されていた……?そして父上もそれを黙認していた、いやむしろ関わっていたのでしょうか……?」
メレーナは歩を進めながら考え込む。
「……有り得ない話ではないかもしれません。父上の性格を考えれば、このような非道な研究を許すはずがありません。ですが父上はここ数年、突如勃興したアレクサンドロス大帝国への対応に頭を悩ませていました。あの怪物による軍勢に対抗する為、魔人開発の研究を始めた可能性ももしかしたら……」
「いえ、それには少し疑問があります。私が見たその翼を生やした男がラグナレーク王国内の研究施設に送られたのは、たしか十年前だったはずです。アレクサンドロス大帝国の前身であるマッカドニア王国が侵略戦争を始めたのはおよそ五年前……対アレクサンドロスを想定して始めたのなら時期が合致しません」
「つまり、父上が始めた研究ではないと?」
「おっしゃる通りです。おそらく黒幕は他に居ることでしょう」
「それが、先ほどのスキンヘッドの男なのでしょうか?」
「いえ、おそらく彼はただの管理者というだけな気がします」
スラは黒幕について、なんとなく察しがついていた。
彼はバジュラが出て来た時、単なる壁でしかなかったものがひとりでに動いていたことを思い出す。しかしそれによって連想できる人物では、人間を異形に変えるという芸当はどうにも力の領域違いのように感じられた。そこが引っ掛かっていたし、加えてこのような研究を始めた動機も伺い知れない。
三人はそれからしばらく押し黙ったまま歩を進めていた。人ならざる者たちのうめき声やすすり泣く声、吠えるような声が冷たい通路に響いている。
やがて分かれ道に差し掛かる。
スラは立ち止まって神経を集中させ、どちらへ向かうべきかを思考し始めたが、途端にぎょっとなって目を見開いた。糸目の彼が珍しくその眼を覗かせていた。
なにやら声が聞こえてきたのだ。それは歌うような微かな声音だった。
――鳥はどこへ飛んでゆくの?それは風が知っている
(……!)
メレーナとイロセスも、彼のただならぬ様子に気付いて心配げな視線を送る。
――風はどこからやって来るの?大いなる空が知っている
「スラ様、どうかされましたか?」
「……なにやら、歌うような声が聞こえますね」
彼女ら二人も気付いて耳をすませる。
――空はどうしてそこにあるの?神が君たちを見守る為さ
(間違いない……!これは我が祖国、ストラータ王国に伝わる童謡……!)
スラは柄にも無く動揺して駆け出した。彼らしくもなかった。
そして二人と繋いでいた手を放してしまった。ヘルメースの能力の共有が解除され、途端に人の存在に気付いた檻の中の異形たちが、メレーナとイロセスにじろりとなまったるい視線を送った。
「ひゃあああっ……!」
「ス、スラ様、スラ様……!置いてかないでください!」
二人は無我夢中で右に曲がって、スラに追い縋った。とある檻の前で彼は呆然と佇んでいる。歌声はそこから聞こえているようだった。やがて二人が追い付くと、その檻の中に同じく視線を送った。
そこには首がろくろ首のように異常に伸び、手足が虫のように幾本も生えた少女の姿があった。眼球は潰れているのか何も見えていないものと思われる。髪はスラと同じような銀色だった。少女は天井に顔を向けながら、呆けたように無機質な声で歌い続けていた。
「すべてーのモノにイーミがあーるー、すべてーのイノチにイーミがあーるー」
「……アンジェラ」
スラが呟いた。
それを聞いた二人は驚愕した。
「アンジェラ……!?」
「そ、それって、たしかスラ様の妹君の名……ですよね」
しばらく時が停まったように、ただただ立ち尽くして異形に成り果てた少女を見つめていた。
そしてスラの胸中には沸々と怒りが湧き上がると共に、一つの合点がいっていた。マルクスやアリーアに協力してもらいながら妹の行方を調査していた時に知ったことだが、アレクサンドロスの攻撃から逃れる為ヴェネストリア連邦を脱出してきた難民たち、それをもっとも懐深く受け入れていたのは神聖ミハイル帝国であったらしい(だからスラもアリーアもこの国を入念に調べていた)。
初めは単なる諸外国へのアピールであろうと考えていたが、難民をこのような人体実験に使うつもりであったなら、一層得心がいった。
スラは知る由もないが、アンジェラは街が燃えたあの日に大怪我を負っており、他の者の手によって運び出されていた。亡命後、彼女はしばらくの間ピエロービカの病床に留まることになる。そして巡り巡って、このような憂き目に遭ってしまった。
「許さない……!」
スラは大声で喚き始めた。
「許さない、絶対に許さない……!よくも、よくも私の唯一の生きる希望を、唯一の肉親を奪ってくれたな!どこのどいつが始めた研究か知れないが、この施設はこの私が壊滅させてやる!我が妹をこのような目に遭わせた者どもを全員血祭りにあげてやる……!!」
その鬼気迫る様子は、彼をよく知る者ほど驚くだろう。
まだ出逢ったばかりのイロセスとメレーナも、既に形成されつつあったスラのイメージ像とはかけ離れた眼前の迫力に呑まれる思いだった。いつもの紳士然とした姿はどこにもなくなっていた。
ひとしきり激昂した後、スラは歩み始めた。不穏な靴音を奏でながら。
またしても自分たちが置いて往かれていることに気付き、イロセスとメレーナも小走りで彼の後に続いた。




